第7話 瘴魔鬼

 ダドリー達「金色の鷹」の五名と十二名の冒険者、それに八名の衛兵は街道を小走りで西に向かっていた。町を出発して間もなく一時間、もうそろそろ先行組と合流しても良い頃だ。


「この先に騎士団の馬が繋がれていたよ」


 少し先を走っていたアルガンが戻り教えてくれる。そこから先、騎士達は徒歩で森に入ったという事だ。間もなく合流出来るだろう。

 果たしてアルガンが言った通り、十頭の馬が木に繋げられ暢気に草を食んでいた。


「アネッサ、どっちに行ったか分かるか?」

「ええ。ちゃんと分かりやすく跡を残してくれてる」


 ミリー引退後、斥候もこなしているアネッサにジェイクが確認する。ジェイクやダドリーも多少は痕跡を見付けられるが、今となってはアネッサの方が遥かに信頼出来る。草を踏んだ跡や低い場所の小枝が折れた向きで追跡するのだ。


「こっちね。行きましょう」


 アネッサについてぞろぞろと森に分け入る。アネッサの追跡を邪魔しないよう、全員が後ろを歩く。


「もう終わってるかもね~」

「そうかもな。でも気を抜いたら駄目だ」


 若いアルガンは自分の出番がないかもと緩い言葉遣いになっており、クライブがそれを窘めた。アルガンは十九歳、まだまだ経験が浅い。ジェイクやダドリーがそれを言うと説教臭くなるが、二十四のクライブが言えばまだマシである。


 そこからは誰も無駄口を叩かず、出来るだけ音を立てないように進んだ。十五分ほど経った頃、突然アネッサの足が止まる。全員がその場で止まり目と耳に意識を集中して周囲を警戒した。


「戦闘音がする」


 アネッサの小さな呟きに全員が耳を澄ます。確かに、剣と剣がぶつかり合う金属音が僅かに聞こえた。


 剣と剣……? 先行した者と監視に当たっていた者を合わせると十五名。剣を使えない神官を除いても、たった一人で十四名と斬り合っているというのか? そんな事態に陥る前に、使えるなら瘴魔を使う筈では?


「これはおかしい――」


 ダドリーがいち早く異常に気付き警戒を促そうとした時、複数人の足音がこちらに近付いて来た。


「何人かこっちに来る!」


 アネッサの言葉に全員が武器を構える。だが、木々の向こうから走って来たのは「緋色の獅子」の四人だった。


「不味い、不味い! みんな逃げろ!」

「あんなの勝てる訳ない!」

「早く! 全員逃げるんだ!」


 聞こえていた剣戟の音はいつの間にか止んでいた。ジェイクが逃げて来た一人の腕を捕まえて尋ねる。


「おい、何があった!?」

「いいから逃げるんだ!」

「落ち着け! ここには二十五人居るんだぞ」

「いや、無理だ……何人居ても関係ねぇ」


 何とか落ち着かせて話をさせる。それはギルドに報告に来たマイロン・ベイルズだった。


 騎士と「緋色の獅子」、十五名で奴を囲み魔法を放とうとしたその時。男の体から真っ黒い瘴気が溢れ出し、一瞬で男を包んだ。その直後、瘴気は実体を伴い、拳から生やした真っ黒な剣で騎士三人の首を刎ねた。


「あの速さ、尋常じゃない……目で追うのがやっとだ」

「ちぃっ! それは『瘴魔鬼しょうまき』じゃねぇか!」


 瘴気の塊である瘴魔が実体を伴い、脅威度が跳ね上がった存在が「瘴魔鬼」。瘴魔と同じく、その発生過程は謎に包まれている。今は、何故瘴魔鬼が出現したのか議論している場合ではない。目の前に脅威が迫っている。もしマルデラの町に瘴魔鬼が向かえば、町は壊滅する。


「クレイマンは!? 神官は無事なのか?」

「分からない……最後に見たのは中隊長と四人の騎士がアレを押さえ込もうとしてた所だ」


 剣戟が止んだという事は、もう誰も剣で斬り合っていないという事。瘴魔鬼を剣で倒したという話は聞いた事がない。


「撤退! 全員撤退するぞ!」


 ジェイクの声にその場に居た者達は我に返り、即座に踵を返す。だが彼等の退路には、既にそいつが立ちはだかっていた。


「お、終わりだ……」


 それははっきりとした人型で、光を吸い込むような黒い姿だった。身長は三メートルくらいあるだろうか。両手の拳から体と同じ色の剣が生えている。目や鼻、口は見当たらない。ただ右の肩口から、髪の毛を剃り上げた男の虚ろな顔が生えていた。


 そいつから異様な程の圧力を感じる。絶対的強者の威圧感。対峙しただけで死を予感させる禍々しさ。それは「死」そのものを具現化した存在だった。


 間近に見る瘴魔鬼に誰も動けない。動けば死ぬ、と本能で理解した。


 しかし、ダドリーとジェイクは違った。これがマルデラの町に向かえば、ミリーとリリ、ミルケが死ぬ。町の人々も大勢死ぬだろう。飲んだくれのクレイマンが役に立たない以上、誰かが足止めするしかない。高位の浄化魔法使いか最上級炎魔法の使い手が援軍に駆け付けるまで、誰かが奴の進行を食い止めなくてはならないのだ。


 ダドリーとジェイクはお互い目を合わせ頷き合った。命を捨ててでも、家族を、町を守る覚悟を決めた。


「う、うわぁぁあああ!」


 衛兵の一人が街道に向かって走り出した。瘴魔鬼は十五メートルの間を一瞬で詰め寄り、衛兵の首を刎ねた。


「アルガン、アネッサ! 俺とダドリーが時間を稼ぐ。お前達は皆と一緒に町に戻って報告しろ! クライブ、二人を守れ!」


 ジェイクが指示を飛ばす間に、更に二人の衛兵が殺された。少しでも隙を作る為にダドリーが氷槍アイスランスを放つ。瘴魔鬼は飛来した氷の槍を両手の剣で易々と弾き飛ばした。

 そこにジェイクが迫る。裂帛の気合と共に逆袈裟に斬り上げた。だが黒い剣で往なされ、バランスを崩したジェイクの肩口にもう一本の剣が振り下ろされる。


――ガキィン


 クライブが体を滑り込ませ、瘴魔鬼の攻撃を大盾で受け止めた。


「アルガン、アネッサ! 早く行け!」


 ダドリーが再び氷槍アイスランスを放って二人に檄を飛ばす。迷っていた二人は生き残りを叱咤激励して街道に向かう。それを瘴魔鬼が追おうとした。


「行かせるかよ!」


 ジェイクが回り込み、瘴魔鬼の左脚を横薙ぎにした。それもまた黒い剣に受け止められるが、クライブの槍が瘴魔鬼の肩を抉る。だが次の瞬間、横殴りの拳がクライブを襲った。


「「クライブ!」」


 十メートル以上吹き飛び、大木に背を打ちつけるクライブ。彼はそのままズルズルと地面に伏した。


「くそがっ!」


 ジェイクが鬼のような形相で瘴魔鬼に連撃を加える。ジェイクの天恵ギフト、「俊速」が発動されたのだった。

 「俊速」は三十秒間、普段の三倍のスピードが出せる。しかし時間を超過すると全身の毛細血管から出血して動けなくなってしまう。絶対に倒すべき相手に対し、ここ一番で使う力だった。


 ジェイクが決死の覚悟で繰り出す攻撃を、瘴魔鬼は無情にも受け止める。僅かに掠り傷は負わせているが致命傷には程遠い。そもそも、剣で瘴魔鬼を倒した者など居ないのだ。


 ジェイクが時間稼ぎをしている間、ダドリーもまた捨て身の攻撃を準備した。元々ダドリーの得意属性は「氷」。だが、他の魔法を使えない訳ではない。相性が良いのが「氷」というだけで、瘴魔に特効のある「火」属性も使える。

 彼が準備しているのは中級の「爆炎エクスプローシブ」。ダドリーの天恵は「上位変換」。それは、魔法においては中級を上級魔法に変換するという事だ。

 ただし勿論弊害がある。全魔力を一度に放出し、生命力さえ魔力に変換されるのだ。使用後に生きていられれば幸運と言うべき力だった。


 だから、これまで一度もこの天恵を使った事がない。


 だが、今使わなければジェイクもダドリーも死ぬ。クライブも生きているか分からないが、生きていたとしても死ぬだろう。そして、ダドリーにとってかけがえのない家族も。


「ジェイク!」


 ダドリーは短剣を構えて前に出た。ただ魔法を発動する前に殺されるのを防ぐ為に、短剣を首を守るように立てる。ジェイクなら俺の意図を察して下がってくれる筈。

 ジェイクが一瞬ダドリーに目を向けて驚愕する。話には聞いていたが、それを使っている所を見た事はなかった。ダドリーの体から金色の光が溢れていたのだ。


 ジェイクはダドリーを死なせたくなかった。だが、既に三十秒はとっくに経過し、意識が朦朧としていた。長年の習慣で、ジェイクは席を譲るように後退った。そこにダドリーが突っ込む。


 瘴魔鬼は、ダドリーを迎え撃つように剣を突き出した。ダドリーはそれを自分の腹で受け、貫かれるまま瘴魔鬼に抱き着く。最早短剣も投げ捨てていた。


――ああ、ミリー。済まない。ミルケ、成長を見てあげられなくてごめんな。リリ、大人になった君を見たかった……


 目が眩む白光が迸り、ダドリーと瘴魔鬼を中心に火球が出現した。ジェイクはクライブに覆い被さる。まるで小さな太陽が落ちて来たかのように、そこを中心に膨大な熱が発生した。クレーターが出来、周囲の木々が焼き尽くされる。


 熱が収まった時、瘴魔鬼とダドリーは消えていた。ジェイクは背中に大火傷を負って意識を失っていた。





 アルガンとアネッサは大急ぎで町に戻り、事の次第をアンヌマリーに報告した。殺人犯の捕縛に向かった四十人のうち、戻って来たのはカイル・ノードス衛兵長を含めた十四人。残されたジェイク達の救援に向かう事を主張するアルガンとアネッサに対し、アンヌマリーが反対する。


「見殺しにするって言うのかよ!?」

「あんた達は、ジェイクとダドリーが残った意味が分かってるだろう? 今ここに居る戦力で行っても同じ事だ。重要なのは町の人々の避難、それに救援の要請だよ」

「だからって!」

「アルガン、ギルマスの言う事は正論だよ」

「んな事は分かってんだよっ」

「だから私達だけで行こう」

「…………ああ、そうだな。ジェイクさんに言われたのは町に戻って報告する事だ。その後の事は何も言われてない」


 アンヌマリーには二人を止める事が出来なかった。今戻るのは死にに行くのと同じ。だが二人はそれを分かっているのだ。何を言っても聞かないだろう。そうこうしているうちに、西門の方が騒がしくなった。まさか、もう瘴魔鬼がここまで来たのか?


「クライブだ! クライブが帰って来たぞー!」

「ジェイクさんも居る!」


 その声に、アルガンとアネッサがギルドから飛び出した。


 繋がれたままだった騎士団の馬を二頭拝借し、クライブとジェイクが戻って来た。クライブは肋骨と左肩の骨を折る重傷、ジェイクに至っては火傷のためまだ意識が戻っていない。二人は救護所に運ばれ、町に残る二人の神官が治癒魔法を施した。


 付き添っていたアルガンとアネッサが、意識のあるクライブに尋ねる。


「ダドリーさんは……?」


 クライブは辛そうに首を横に振った。


「俺は気絶してたから見た訳じゃない。気が付いたら、瘴魔鬼とダドリーさんは居なくなっていた」


 アルガンが手近な机に拳を打ち付け、アネッサは顔を覆って泣き出した。

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