第9話

仕事の昼休みに、明が洋子と総務課の裕子と雑談していると、明の兄から携帯が掛かってきて、明は会社の廊下へ行って、携帯に出ると

「明、今ええかな」

「う、うん」

「父さんの具合が、急に悪くなってな」

「急に?」

「2日前やけど。で、今入院してるんや。明が心配するやろうから連絡するなと、父さんに言われたんやけど、明の顔を見せてやってほしいと思って」

「何処が悪いの」

「心臓」

「えっ」

「以前から自覚症状はあったみたいやど、父さんのことやから黙ってて。急に倒れたんで、病院で精密検査を受けて初めてわかったんや」

「それで」

「手術を受ける」

「どんな手術?」

「心臓の弁が役に立たなくなって、血液が逆流してしまうんで、心臓はもっと血液を送らなあかんと思って、どんどん肥大していくんやって。だから早めに手術して人口弁を入れた方がええやろうって、先生の話しやけど」

「手術の成功率は」

「95%」

「手術時間は?」

「四時間」

「兄さん」

「ん」

「いつもごめんな、親父を任せっきりで」

「で、とうする?」

「うん、今週末に行くわ」

「わかった」

明が携帯を切って振り向くと、そこに洋子が立っていた。洋子は、携帯が掛かってきた時の明の顔色の変化に気付き、廊下へ付いてきたのだ。

「どうしたの」

「実は、親父が倒れて手術するからと、兄貴から電話があって。今週の土曜に実家へ帰ろうと思います」

「そう」

明は、兄貴との電話中に、もう決めていた。

「洋子さんも、来てくれますか」

「えっ」

「親父に洋子さんを紹介したいんです。勿論、兄貴にも」

「えっ、私でいいの。後悔しない?」

「何を言ってるんですか」

と、明が洋子の手を握ると、心配顔をしていた洋子が、急にニコッとして

「じゃあ、準備しなきゃあね」

「そうですね」

「今から早速、休暇申し込むわ。明君のぶんも私に任せて」

「お願いします」

こういう時の洋子は、実に頼もしい存在だ。


明の自宅から実家へは、新幹線と在来線を乗り継いで、およそ三時間。日帰り出来る距離だ。明と洋子は、一緒になって初めての旅でもある。

洋子を連れて、実家の前に立った明は

(じいちゃん、ばあちゃんがいる時分からちっとも変わってない。昔のままだ)

明が玄関のすぐ横の焦げたところを見て

(僕が、花火を家に向けて打って、ものすごくじいちゃんに怒られたっけ)

「変わってないなぁ」

洋子が

「そんなオーバーな。まだ何十年も経った訳じゃないでしょ」

「そうなんですけど。まっ、入りましょう」

玄関の戸を開けて、明が

「ただいま」

と声を掛けると、明の兄嫁が顔を見せて

「まぁ、明君。おかえり」

「あなたー、明君が帰ってきたわよ」

するとドタバタと廊下を走る音が聞こえ

「明、おかえり」

「ただいま。早速やけど、兄貴、義姉さん。紹介するわ。僕の婚約者の田所洋子さん」

洋子は、頭を下げたが、顔がものすごく紅潮してしまい、両手で頬をはさんでしまった。まさか、明が洋子のことを婚約者だと紹介してくれるとは思わなくて。

(ほっぺた熱い)

洋子と兄貴夫婦との挨拶もそこそこに

「兄貴、親父の病院へ連れてってくれへんかな」

「大丈夫か。長旅で疲れてないか。ねぇ、洋子さん」

「いえ、大丈夫です」

「じゃあ、行こうか」

「義姉さん、土産は後て」

「そんな事より、早く洋子さんをお父さんに見せてあげて。お父さん、とっても喜ぶわよ」

と言いながら、義姉が洋子に頭を下げると、洋子も頭を下げてから車に乗り込んだ。車中で兄が

「親父の手術は、思ったよりも長びいてな。けど、無事成功して昨日までICUに入ってたんや」

明は洋子を見ながら

「そう、良かった」

「今は4人部屋に入ってて、しょっちゅうリハビリしてるわ」

『えっ、手術してまた日が経ってないやろ」

『それが、ICUで、もうリハビリしてたんやって」

「今の病院って、すごいんやな」

実家から、車で30分程で病院に着いて、父親の病室に行ってみたが、さすがの洋子も病室の入り口で躊躇した。洋子は

(明君の嫁だと、認めてもらえるかしら。明君よりも、2歳も年上だし)

けれど明に背中を押され。洋子の不安は杞憂だった。明が父親に、洋子を紹介した途端、明の父は

「こんな息子ですが、よろしくお願いします」

と、ベッドから床に降りて、洋子に向かって頭を下げた。

「いえ、そんな」

と、洋子も慌てて頭を下げて、その微笑ましい光景に、明も明の兄も思わず微笑んでしまった。






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