第8話

そして明くる日、明と洋子は仕事を終えて、空手道場があるスポーツセンターの最寄り駅で下車し、二人は手を繋いで。

勿論、明のカバンの中には、明のを含め、洋子が着る空手道着と、スポーツタオルにドリンクも入っている。


運動をするには、最も適した季節である。スポーツセンターのすぐ横の公園の木々は、もう黄葉が。


(空手道着二着は、結構重い)

明にとって子供の頃からの通い慣れた道。明の両親は、かねてから田舎に住みたいと考え、明の就職と同時に実家に帰ってしまたった。

エレベーターで3階に上がり、明と洋子は、受付に行って、明が空手練習簿に洋子の名前を書いて

「体験者1名です。よろしくお願いします」

と、明と洋子は、二人共、受付で頭を下げたが、明は洋子のフルネームである田所洋子と書きなから

(早く籍を入れて、大下洋子と書きたいな)

と、考えていると洋子に背中を叩かれ

「何、考えてるの。行くわよ」

と、洋子が明の手を引っ張って道場へ。明は

(この積極さが、洋子さんのええとこや)

道場へ入る時、明が礼をしてから入るのを見て、洋子も見習って礼をして入り、明は先に来られている師範の元へ、洋子を連れて挨拶に。

「押忍。師範、田所洋子さんです」

と、明と洋子は師範に頭を下げて

「空手の体験をしたいというので、連れてきました。よろしくお願いします」

師範は

「押忍。それじゃあ、明が田所さんを教えて。あっ、ちょうどええわ。同じように体験者の親子連れが来るんで、一緒にたのむわ」

「押忍」

「洋子さん、とりあえず更衣室で空手道着に着替えましょうか」

「押忍」

と言って、洋子が舌を出した。

「えっ、洋子さん」

(洋子さんが、押忍って言ってくれた。嬉しい)

明は、洋子を更衣室へ連れて行く。更衣室は受付の向かい側で、男女隣りどうしに有り、明が先に着替えて待っていると、洋子がすぐに出てきたが、女性は空手道着の下にTシャツを着ていないと、練習をしている時にオッパイが見えてしまう。

「洋子さん、TシャツTシャツ」

「あっ」

と、洋子は両手で胸元を押さえて小走りでまた更衣室へ。その後ろ姿を見ながら明は

(あー良かった。早く気付いて。洋子さんのオッパイは、僕だけのものやから。誰にも見せんぞ)

この時の明の目は、本人も気付いてないが、防犯パトロールに出掛ける時の目付きになっていた。

しばらく待っていると、洋子がTシャツを着て出て来て

「今度ころお待たせ。別に私のオッパイくらい見えても、オバチャンのオッパイなんて誰も見ないわよね」

「駄目です」

明の目付きに

「うわぁ、明君。真剣、そういうところが、明君の可愛いところね」

それから明は、カバンの中から白帯を出して、洋子のために帯を締めてやるが

「ひとの帯を締めえるのって、難しいわ」

明は、一旦自分の黒帯をほどいて、締め直して

「こうしてこうして」

と、自分のと同じようにやってみながら

「洋子さん、この帯はね。僕が、初めて空手を習う時に締めてた帯で、それから沢山のひとが締めては辞め、締めては辞めたりして、数多いひとの汗がしみ込んだ帯なんです。だからすごい思い出があって」

「じゃあ、明君はまだ小さかったから、帯がすごく長かったんじゃない。床まで届いたんじゃ」

「もう覚えてないけど、そうだったと思います」

帯を締めてもらった洋子は、その帯の両端を持って

「明君の初めての汗が、この帯にしみ込んでいるのね。今のような不純な気持ちでない、ほんとうに純粋な気持ちで、空手を習い始めたばかりの頃の」

「あのねー、洋子さん。まあええか、それでは準備体操を始めましょう」

と、各自体操を終えると、師範を前にして生徒は横一列に並んで、明の号令の元

「正面に礼」

師範が明以下、生徒に向き直って

「師範に礼」

「お互いに礼」

その時、洋子は明の横ではなく白帯なので、明から離れた子供らのいちばん端で挨拶をしている。

礼を終えて、明は洋子と体験者の親子を、大きな鏡の前に連れて行って

「まずは、突きの練習から、始めましょう」

最初は、指の握り方からである。洋子は明の空手道着を着ているが、親子はジャージ姿である。お母さんと5歳の男の子。

お母さんと洋子は、明の話しを熱心に聞いているが、男の子は遊びたくて仕方ないのだろう、よく横を向いて他の子供たちの練習を見ている。その姿を見た明は

(無理もないか。僕も最初は、こんな感じやったんやろうな。師範も、もてあましてたんとちゃうかな。自分が指導するようになって初めて、教えるということが、いかに難しいかわかった気がするわ)

やがて一時間の空手の練習時間は、あっという間に経ってしまい、明と洋子は師範に挨拶をして帰った。もう時刻は20時を廻っているので

「洋子さん、一杯行きましょうか」

「押忍」

「えっ」

洋子は、ニコッと微笑んで

「行こ行こ」

初めて近所の居酒屋に入って、カウンターの席に二人並んで腰掛け、生ビールで乾杯してから

「洋子さん、どうでしたか。空手を初めて習ってみた感想は」

「私、空手ってもっと簡単だと思ってたんだけど、あんなに難しかったなんて。たかが突き、されど突きって感じ。けど人間の身体を上手く利用してるってことが、よくわかったわ」

「どうです。継続してみます?」

「うん、しばらく通ってみるわ」

明は、目をパチクリして

「嬉しい」

「えっ」

「だって、洋子さんと一緒に空手練習に通えるんですよ。こんなに嬉しいことないじゃないですか」

「そう、明君が喜んでくれるなら、私も頑張らなきゃね」

「改めて乾杯」




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