第6話
明と洋子は、いつも手を繋いで出社する。すると、総務課の裕子が
「もう、彼氏がいない女性の前では遠慮してほしいわね」
と、わざと聞こえるように言ってくるが、二人は気にも止めない。そこへ課長が
「田所君、大下君」
「はい」
「押忍。いえ、はい」
明と洋子が、課長の前へ行くと
「君らは、結婚したのかね」
明と洋子は、互いに顔を見合せ
「まだ、してませんが」
洋子は、明を見ながら課長に返事を。明は目をパチクリしている。すると、待ってましたとばかりに課長が
「会社に、手を繋いで来るくらいだから、結婚したのか、ハッキリしたまえ」
洋子は、答えようとする明を手で制しながら
「あら課長。会社にはそんな取り決めって、ありましたか」
「えっ」
「だから課長、二人が結婚したかどうか、同棲はどうかとか、手を繋いで出社してはいけないとかいう取り決めというか、規定はないはずですけど」
課長は、まさか逆襲にあうとは思わず、唖然として
「そっ、それはだねぇ」
「もう言うことがないなら、私共忙しいんで戻らせていただきます」
と言って、洋子は明の手を引っ張って、自分たちの席に戻っていった。椅子に腰掛けてから、改めて明は洋子の横顔を見ながら
(洋子さんは強い。僕よりも強いかも)
と、ついつい感心してしまった。それからというもの、課長は何も言わなくなり、明と洋子の仲は、会社で公然の事実となった。
金曜日、明が得意先への用事で電車に乗っていた。時刻は午後2時を廻っているので、乗客はスーツを着たサラリーマンよりも、買い物客が多い。クロスシートの二人掛けの席の通路側が空いているので、明は腰掛けた。窓側には、見知らぬ男性客が。年齢は、明とあまり変わらない。明は手持ちぶさたで、車窓を眺めていた。と、窓側に座ってスマホを触っていた男性が、スマホを胸ポケットにしまい、次の駅に降りるそぶりを見せたので、明はカバンを身体に密着させ、男性が通れるスペースを前の座席とのあいだにつくったが、その男性は
「すいません」
とも言わないで降りようと。その時、明の膝に男性の足が当たったのに、謝りもしない。
そこで明は
「ちょっと待てよ」
「なんや」
「ひとの膝に足を当てといて、すいませんもないんか」
すると男性は
「やんのか」
と、上着のポケットに手を持っていって、明だけにナイフをちらっと見せた。男性は、ナイフを見せるだけで、明が怯むだろうと思ったが、逆に明は
「銃刀法違反や」
と言うと、男性は
「なんやと」
「おまえみたいなもんは、この世からいなくならんと、何処かで間違って、そのナイフを使ったりして、ひとに怪我をさせてしまうかもしれんからな。特におまえみたいなキチガイは」
明は、男性をあえて挑発してみた。すると案の定
「なんやと」
と、男性はナイフを胸ポケットから取り出し、鞘を取って右手に構えた。それを見た女性客が
「キャー」
と。やおら電車が停車する際に、男性がバランスをくずしたのを明は見逃さず、男性のナイフを持った手を取り、男性の腕を捻った。すると男性は
「痛ぇ」
と、明に捻られた腕をもう片方の手で押さえて、うずくまっている。とっさに、偶然近くにいた男性客が、電車がドアを開いた拍子にホームに降りて、車掌にドアを閉めるなと、手を振って合図を送り、もうひとりの男性客が
「駅員を呼んできます」
と、ホームを走っていってくれた。
(長いなぁ)
明は、男性を取り押さえたままの時間が、とても長く感じられた。
やがて2名の駅員と警察官が走ってきて、明に
「お話しを聞かせて頂いて、いいでしょうか」
「いいですよ」
警察官は、男性の手に持ってるナイフを見て
「その長さやったら、銃刀法違反やな」
と。
男性は、警察官にナイフを取り上げられ、身柄を拘束されると
「俺は、何もしてないぞ。こんな事をして、お客様に対して失礼だぞ」
と、わめいている。
明は仕事中なので、携帯で洋子に、職場へ帰るのが遅くなると、事情を説明すると洋子が
「また正義感を振り廻したのね。もう、困った子なんだから」
明は、携帯に向かって
「すいません」
と、ホーム上で誰にでもなく頭を下げている。明っていう男は、ほんとうに強いのか。洋子にだけ弱いのか。
明が会社に着いた頃は、夜の8時を廻ってもう誰もいなくて、洋子ひとりが待ってくれていた。
「良かった。洋子さんが居てくれて」
「お疲れ様。けど、あんまり正義感を振り廻してばかりいたら、ほんとうに刺されてしまうわよ」
「それはないですよ」
「それが駄目だと言うの。誰でも油断はあるし、明君は自分に自信があり過ぎなのよ。もう明君ひとりじゃないんだからね」
「えっ」
「私よ、私」
洋子は、自分を指差しながら
「もし、明君に何か起こったりしたら、私はどうしたらいいのよ」
と、洋子が泣き出してしまった。
(洋子さんが、こんなに僕の事を心配してくれるなんて)
明は、洋子の手を取って、ハンカチを渡し心底謝った。
「洋子さん、ほんとうにごめんなさい。そこまで僕のことを思ってくれてたなんて、考えてもみなかったもんで」
洋子は、ハンカチで涙を拭いた手を止めて
「ほんとうに謝ってる?」
「はい、ほんとうです」
「じゃあ、呑みに連れてって」
「はい」
「明君の奢りで」
「えー」
「嫌だと言うの」
洋子に睨まれると
「は、はい」
明は
(これじゃあ、これから洋子さんに、頭上がらんわ)
洋子が明のカバンを持って先頭に立って
「行くぞ、明」
「押忍、いえハイ」
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