53 ひとつ聞いてもよいかしら?


「ソティア嬢?」


「も、申し訳ございません。その、始めさせていただきますね……っ」


 気遣わしげな声に我に返ったソティアは、マルガレーナの金の髪におそるおそるはさみを入れる。


 しゃきん、とはさみが鳴るかすかな音とともに、切られた金の髪がはらはらと落ちた。


 二人きりの静かな部屋の中に、しばらくはさみの音だけが響き。


「……ねぇ、ソティア嬢。ひとつ聞いてもよいかしら?」


「何でございましょう?」


 静かに発されたマルガレーナの声に、ソティアは手を止めぬまま尋ね返した。


「夕べ、あなたはわたくしに言ったでしょう? 『ずっと努力なさっていまのマルガレーナ嬢になられたのでしょう?』と。どうして、そう思ったの?」


 予想だにしていなかった問いかけに、思わず手が止まる。


「どうしてとおっしゃられましても……」


 そばの卓に置いてあったくしで肩の辺りで切り揃えた髪を丁寧にきながら、なんと答えるべきか言葉を探す。


「私の目から見て、マルガレーナ様は常に完璧なご令嬢でした。けれども、完璧な人間などおりません。ですから、きっとマルガレーナ嬢はたゆまぬ努力で素晴らしいご令嬢になられたのだと、そう思っただけなのです」


「完璧な人間なんて、いない……」


 マルガレーナが虚をつかれたように呟く。


 そのまま、黙りこくっていたマルガレーナが、肩を過ぎた辺りで切り揃えられた金の髪にふれる。


「……でも、両親は『完璧なカヌンゲルク公爵令嬢』を求めているのよ。多大な投資をしたというのに、わたくしが不出来な娘だと知ったら、失望するのではないかしら?」


「そんなこと、決してございません!」


 考えるより早く声が出る。


 髪にふれていたマルガレーナの指先がぴくりと止まった。


「私などがお心をご推察するのは恐れ多いですが、カヌンゲルク公爵夫妻様はマルガレーナ嬢に幸せになってほしくて手塩にかけてお育てになったに違いありませんっ! そうに決まっています! であれば、どうして愛しい娘に失望などするでしょう!?」


 勢いよく断言すると、しん、と室内に沈黙が落ちた。


 不敬だっただろうかと、ソティアが詫びるより早く。


「……両親は、わたくしを愛してくれているのかしら?」


 家路の途中で迷った子どものような不安に満ちた声で、マルガレーナがぽつりと呟く。


「もちろんです!」


 間髪入れずに答えると、マルガレーナが驚いたように振り向いた。


 円く見開かれた碧い瞳を見つめ、断言する。


「子どもを大切に思わない親なんていないと思います。何より、マルガレーナ嬢はこんなに素敵なご令嬢なんですもの。表面的には厳しく接してらっしゃるかもしれませんが、公爵ご夫妻はきっと、心の中ではマルガレーナ嬢をとても自慢に思ってらっしゃるに違いありません!」


 こぼれんばかりに目をみはったまま微動だにしないマルガレーナに、小さく自嘲の笑みを浮かべる。


「私は……。マルガレーナ嬢と違って、婚約破棄されて行き遅れている外聞の悪い娘ですが……。それでも家族は私を慰めてくれました。きっと大切に思ってくれていると……。そう、信じております」


 婚約破棄された時のことを思い出すと、いまでも胸の奥がずきりと痛む。けれど、少しでもマルガレーナを安心させたくて、ソティアはにっこりと微笑んだ。


不遜ふそんを承知で申し上げれば、もし私が母親でしたら、毎日、マルガレーナ嬢を抱きしめて、会う人ごとに自慢いたしますわっ!」


 きっぱりと断言すると、初めてマルガレーナの表情が動いた。


 ぱちり、と長いまつげのまぶたを瞬いたかと思うと、小さく吹き出す。


「ソティア嬢がわたくしの母親ですって?」


「も、申し訳ございません。不敬は承知なのですけれども……っ」


 あわてて詫びるが、マルガレーナはくすくすと笑うばかりで答えない。


「ソティア嬢、あなたってば……」


 何やら言いかけた言葉は、笑い声にまぎれてしまう。


 身を縮めるようにして視線を伏せていると、鈴が転がるような笑い声を上げていたマルガレーナが、ややあってようやく視線を上げた。


「本当にあなたはお人好しで甘い人ね。だけど」


 ソティアが言を継ぐより早く、マルガレーナが笑みを深める。


「ありがとう。あなたのおかげで目の前がひらけた気がするわ」


 マルガレーナの白い指先が、短くなった髪をさらりと揺らす。


「髪と一緒に、わたくしの心を縛っていたくさりも一緒に断ち切られた心地がするわ。こんなに清々しい気持ちになったのは初めてよ」


 ソティアを見上げたマルガレーナが、雨上がりの朝のような晴れやかな笑みを見せる。


「わたくし、心が決まったわ。ありがとう。あなたのおかげよ、ソティア嬢」


「私のおかげ、ですか……?」


 お礼を言われても、いったい自分に何ができたのか、ソティアはさっぱりわからない。


 だが、マルガレーナが明るい表情を見せてくれてほっとする。晴れやかに笑うマルガレーナは、まるで彼女自身が光を放つかのようで、まばゆいほどだ。


 可憐な笑顔につられるように、ソティアの口元も自然にゆるむ。


「私が少しでもマルガレーナ嬢のお役に立てたのでしたら、嬉しいです」


「ええ、ありがとう。ねえ、ソティア嬢……」


 マルガレーナがはにかみながら小首をかしげる。


「よかったら、わたくしとお友達になってもらえないかしら?」


「わ、私がですか……っ!?」


 驚きのあまり、すっとんきょうな声が飛び出す。マルガレーナが笑顔で大きく頷いた。


「ええ。あなたとお友達になりたいの。迷惑だというのなら、仕方がないけれども……。だめかしら?」


「だ、だめだなんて、とんでもないことです! 光栄です……っ!」


 千切れんばかりに首を横に振ると、マルガレーナの可憐な面輪ににこやかな笑みが浮かんだ。


「嬉しいわ。ありがとう、ソティア嬢。これから、どうぞよろしくね」


「こ、こちらこそよろしくお願いいたします……っ!」


 差し出された白く細い指先を、ソティアはおずおずと握り返した。


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