第8話日本 東京

「はぁ……」

 駅を出て駐輪場で支払いを済ませると、柏木ため息を付いた。夕飯を軽く食べて帰ろうかと思ったけれど、まっすぐ帰って自炊しよう。確かご飯を冷凍してあったはずだ。

 自転車を取り出そうと歩いていると、足元にごつんと何か当たってきた。びっくりして下を見ると、小さな猫がそこにいた。柏木を見上げるとにゃおんと媚びたような鳴き声を上げている。

 柏木はしゃがみこんで、猫を撫でる。喉をゴロゴロ鳴らしながらひっついてくる。

「人懐っこいなあ。ご飯持ってないぞ」

 にゃおん、ともう一度猫が鳴いた。子猫ほど小さくないけれど、まだ若い。しばらく撫でていると後ろから声が聞こえてきた。

「飯田、別にもういいよ。自転車置いて帰るって」

「金かかるじゃん。家まで送ってくって。俺がぶつかったんだし、自転車も持っていくよ」

「気にしないでよ、大した怪我じゃないって」

 ちらっと振り向いてみると、高校生が二人立っていた。一人は女子、もうひとりは男子だった。女子の方は松葉杖をついていて、よく見れば左足に包帯を巻いている。男子生徒は鞄を二つ持っているが、片方のぬいぐるみがたくさんついた方はきっと女子高生のだろう。

 話の内容から、飯田くんという男子生徒が女子生徒に誤って怪我をさせたらしい。しかしその責任を取ろうとしているところを見ると、ずいぶんな好青年みたいだ。

「西村、自転車何番だ?」

 駐輪場の支払いの前で飯田くんが尋ねた。西村と呼ばれた女子高生が番号を押すとどこかでがちゃんと鍵が外れる音がした。

「明日も迎えに来るよ」

 飯田くんがそう言うと、西村さんは驚いたようにばたばたと手を振り回した。かなり焦っているようだ。

「えっ、いいって! 飯田、部活あるでしょ。私は明日朝練休むからゆっくり行くし」

 声のトーンが上がったのを聞いて、柏木は西村さんが飯田くんに好意を持っているのを感じた。青春か、いいなあと腹を見せ始めていた猫の頭を撫でてやる。

「でも松葉杖ついてちゃ不便だろ、荷物とか」

「大丈夫! ちょっと早く出ればいいだけだし。朝練いきなって」

「そう……あ、じゃあLINE教えてよ。何かあれば連絡して」

 飯田くんがスマホを出すと、西村さんは慌てたように制服のポケットからスマホを取り出した。

「こ、これ私のID」

「うん。登録する」

 甘酢いっぱいやりとりを眺めながら、寂しくなった柏木は猫を撫でるのをやめて帰るか、と立ち上がった。

 猫が不満そうににゃおんと鳴く。

「あ、猫だ」

 飯田くんが鳴き声に気づいて、こっちを見てきた。柏木は目が合わないよう、そっと下を見た。猫は呼ばれたのがわかったのか、柏木から離れて高校生たちの方へ歩いていった。

「わ、かわいいね」

「人懐っこいなあ。西村は猫好きなんだよね」

「え? うん。そうだけど、なんで?」

「だって招き猫、掴んでたじゃん。自分が怪我して」

 招き猫という単語を聞いて、柏木はポケットに入れていた招き猫をそっと触った。

「あぁあれはほら。壊れるとまずいなって……ナイスキャッチだったでしょ」

「割れなくてよかったな、あれ。明日俺がホコリ、拭いておくよ。掃除しようとしてたんだろ?」

「ありがとう」

 飯田くんと西村さんが猫を眺めながらそう話しているのを聞いて、うまくいくと良いなと思いながら、柏木は自転車を取り出した。

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