第5話アメリカ ニューヨーク
シュエンは自分のネクタイをいじりながら、レジの行列に並んだ。今日こそ彼女に言わなくちゃ。深呼吸する。
レジにいる、ケイトという赤毛の白人。それがシュエンのお目当てだった。瞳はグリーン。シュエンの一番好きな色だ。何を話そう。いや、違う。それは決まっているんだ。まずはプレゼントを渡して、それから食事に誘う。それだけだ。
脇に抱えた包みを確かめて、もう一度、深呼吸。
「おはよう、シュエンさん。今日もいつものでいいかしら」
いつの間にか自分の番だった。
「えっ、あっ、うん」
「じゃ、4.89ドルよ」
「あ、あぁ」
慌ててポケットから財布を取り出す。落としそうになったプレゼントを小脇に抱え直した。それを見て、ケイトが興味を持ったようで、
「まあ、ずいぶん大きいわね。誰かにプレゼント?」
「そ、そうなんだ……。というか、誰かっていうか……君になんだけど」
プレゼントを差し出すと、ケイトは目を丸くした。
「あたしに? あたしにくれるの、それ」
「そうさ」
シュエンは何度も頷いた。ケイトはそれを受け取ると、バリバリと包装紙を破って中身を取り出した。中から出てきたのは薄いピンクの木彫りの招き猫だった。可愛らしく、短い左の前足をあげて何かを呼び寄せている。その肉球はハート柄だ。
「ワオ。変わった置物ね。かわいいわ」
「福を招く猫なんだ。あー、レジの横に置いておくと、商売繁盛になるかも」
いや、単なるアーティストが作った招き猫にそんな効力あるのか? シュエンが自分の言葉に考え込んでしまっていると、ケイトがお礼を言ってきた。
「ありがとう、シュエンさん。あたし、猫好きよ」
知っている、と言おうとしたけれど、シュエンは飲み込んだ。気持ち悪いと思われたくなかった。
「あの、それで、良かったら今夜――」
「おい、早くしてくれないか。会社に遅れちまうんだけど!」
彼女を食事に誘おうとしたが、後ろの男性が苛ついたように声を荒げた。シュエンは慌てて、ケイトにお金を払う。ケイトはシュエンからお金を受け取るとお釣りを返してきた。
「お釣りです」
「ありがとう」
コーヒーを受け取りにカウンターまで行く。がっかりだ。折角のチャンスをふいにした。ちらっと彼女のほうを見ると、目が合った。ケイトは笑いながら、声を出さずに「ありがとう」と言ってくれた。
今までなら、それで満足だった。でも今日は違う。それじゃあ、ダメなのだ。シュエンは店員が差し出してくれたコーヒーを手に取りながら、スマホを取り出した。父親からの連絡。
――今週中に国に帰って来い。
その一文を、重たい気分で見つめる。店を出て、コーヒーを一口すすった。
「シュエン。どうだった」
声をかけられて振り向くと、同僚のシドだった。シュエンは首を横に振ってみせた。シドは呆れたように口をへの字にした。
「何やってんだよ」
「プレゼントを渡せただけでも、よくやったと思うんだけど。ほら、あれ。早速レジ横に飾ってくれてる」
シュエンが指をさすとそれに釣られるようにシドは店内を覗いて、シュエンを振り返った。
「あれ、なんだ? 猫か?」
「福を呼ぶ猫で、招き猫って言うんだ。中国じゃ商売繁盛の神様みたいなもんだよ。と言ってもあれは、中国の作家の作品だからご利益はなさそうだけど。まだ無名作家だけど、その内有名になるんじゃないかな」
「ふうん。お前のセンスはよくわからないな。プレゼントに普通、あんなの渡すか? 花束とかワインとかならわかるけど」
「毎朝のカフェの常連からいきなりそんなもの貰っても、びっくりするだろ。招き猫ならああやってレジ横に置いてくれるだろうし、それに……」
シュエンは口を閉じた。この先の言葉を言うべきか悩んだ。けれどシドは興味津々とばかりに見つめてくる。
「それに、あの招き猫、ハートをモチーフに作られてるんだ。なんかその……多少は運が向いてきそうだろ」
「そう思ってるならさっさと気持ちを伝えないと! 一生後悔するぞ。今週には中国に帰っちまうんだろ?」
「そうは言ってもやぱり無理だよ。僕のことなんて眼中にないかも」
「ウジウジしてないで、もう一回チャレンジしてこいって。約束取り付けてこいよ」
シドに促されて、一瞬店内に戻るか迷っていると、電話が鳴った。病院の看護師からだった。
「シュエン先生? すみません、交通事故の急患が運び込まれて来ていて」
「わかった、すぐに行く」
電話を切ると、シドに肩をすくめてみせた。
「ダメだ、行かなくちゃ。どうも神様は僕とあの子をくっつけたくないみたいだ」
急いで戻るためにコーヒーをシドに渡すと、彼はシュエンの背中をばしんと叩いた。
「夜にもう一度挑戦しろって! いいな! 彼女のシフトは六時までだからよ!」
一体いつ調べたのか。驚いて彼の顔を見つめると、彼は何てことないかのように笑った。
「ツイートしてたんだよ。今日は六時まで仕事だって。彼女のアカウント、知らないのか」
「あぁ……。僕、普段フェイスブックしかやってないから」
その手があったか。よくも探したものだと友達思いのシドに、礼代わりに片手を上げた。
今夜は残業しないぞ、絶対。
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