第35話 雨宮side 「親と話をつけてきました」
「親と話をつけてきました」
十二月も中旬を過ぎた頃、錦戸くんから進路の話がしたいと言われ、放課後に二人残った。そこで進路の決着がついたことを明かされた。
「どこを目指す?」
「M教育大学です。中等教育専攻数学コース。将来は中学・高校の数学の先生を目指すところ。雨宮先生の在籍していたコース」
「……ありがとう、錦戸くん」
胸のうちがあふれてきた。
「いえ、ありがとうを言いたいのは僕です。これまで数学を教えてくれた雨宮先生のおかげで成績が伸びたんですから。どちらかといえば苦手で暗記して誤魔化してた数学を、楽しい科目に変えてくれたのは先生です。先生に会えてよかった」
先生に会えてよかった。
この言葉を聞くのは二度目。
最初は、いじめられていた生徒を助けて、ケアし続け、なんとか卒業させたとき。
そして今日だ。こういうとき、教師をやっててよかったと思う。
「でも、受験するって決めただけですから。とりあえず来月の共通テストでそれなりの点を取らないと」
「受かるって。この前の共通テストの模試で平均八割五部だったでしょ。なんなら、首席合格目指す?」
「あ、それいいですね」
「意外と君みたいな境遇の子がいないとも限らないから、手抜くなよ〜」
「わかってますって」
「お母さんはなんて?」
夏の三者面談で、錦戸くんのお父さんは彼の好きにさせていいスタンスだったが、お母さんはT大を受けさせたがっていたので気がかりだった。
「根負けした。あんたの頑固さはよくわかってる、だって」
錦戸くんと和やかに笑い合った。やっぱり押し通したか。
「どれくらい説得したの?」
「三時間。最終的には父と妹が味方になって」
三者面談と同じような感じかな。なんとなく光景が目に浮かぶ。妹さん。どんな子なんだろう?
「話は変わりますが、実はページェントに行こうという計画があるんです」
「あ、知ってる。万智子ちゃん、じゃなかった、牧田先生に誘われて」
ページェントというのは仙台の冬のイルミネーションイベント『光のページェント』のことだ。ケヤキ並木が一キロ弱続いている定禅寺通り。木々にオレンジのライトアップが施される。ひたすらまっすぐ整然と並ぶ立派なケヤキに、無数のライトが輝く光景は毎年訪れても飽きない。圧巻だ。
ブルーのイルミネーションも捨て難いけど、仙台に生まれ仙台に育った私としては、光ぺ(光のページェントの通称:ヒカペ)の暖かな光に包み込まれるほうが好き。
渋滞で停まっている車のボディとか、ガラス張りの建物にイルミネーションが反射して、それはそれできれい。光の海に入り込んだような感覚だ。
「僕の前では万智子ちゃんでいいですよ。牧田先生がここ最近、雨宮先生のこと名前で呼びそうになって、慌てて苗字呼びに訂正するのに気づいて。志歩さん、って呼ばれてるんですよね?」
「う、うん。そう。じゃあ、お言葉に甘えようかな」
間接的にでも私の下の名前を呼んでくれたことが嬉しくて、ちょっとまごついた。
「万智子ちゃんが須田先生とデートするんだって。で、二人きりだと不安だから、私、錦戸くん、綾野さんも一緒にどうかって勧めてくれたんだけど、綾野さんは行かないみたいなんだよね。以前はこういうイベントはついていったのにね」
「みずきのことなんですけど……」
錦戸くんは言葉を濁してしばらく黙った。
なんだ? あの子と何かあった?
「告白されましたが、僕は断りました。みずきは恋愛対象じゃないって。納得してくれたようでした。ただし条件がある。勉強以外で私と絡まないようにって。そして雨宮先生にもこのことをちゃんと伝えてって」
綾野さん。やっぱり錦戸くんのことが好きだったんだ。
「変なんですよね。僕が告白を断ってから元気になったみたいなんです」
「それはきっと、終わらせたかったんだよ。次に進みたかったんだよ」
錦戸くんは、まあ、気持ちはわからなくもない、と独り言を言って、
「なら、四人ですね。あの……」
「ん?」
「僕だけ浮いてません?」
「うん。めっちゃ浮いてる」
二十代後半の大人三人に混じって十代の男の子が一人いる状況を想像すると、ちょっと面白かった。錦戸くんも同じ考えらしく、なんだそれと笑い合う。綾野さんの存在が大きかったんだな。
「親戚とか親族の集まりじゃなきゃありえないよ」
「そうですよね……」
錦戸くんは真剣な顔。どうしたら違和感がないか考えてくれてるらしい。
「なら、いっそその設定にする?」
「えっ?」
「錦戸くんを私の親戚にしちゃえばいいんだよ。妹の旦那の弟とか。顔似てるしね。あ、もう旦那じゃなくて元旦那だけど。ま、いっか」
私の適当さに錦戸くんは呆れているようだった。
「いいよ、お留守番でも。でも錦戸くんが行かないなら、私も行かない」
私のだだっ子ぶりに錦戸くんは困った顔で、わかりましたよと諦め口調で言った。
「それと、親戚ってことにしとくんだったらさ、呼び方も変えてみない? 私は奏くんって呼ぶことにするよ」
「えっ……じゃあ、志歩……さん?」
「OK。じゃ、よろしくね! 詳細はLINEで」
◇
今年のクリスマスイブは日曜日。激混み必至ど真ん中に万智子ちゃんは予定をねじ込んだ。
『例の須田ガールたちのクリスマス会の誘いを正当な理由で断りたいって翔馬さんに頼まれたんです。だから二十四日でお願いします!』
錦戸くんとヒカペに行く約束をした夜、万智子ちゃんとLINEしたらそのように頼まれた。彼女がいると知っても、予定がなければ諦めない女はいるらしい。
『翔馬さん?』
『須田先生の下の名前です』
『あ、そうなんだ』
そんな名前だったんだ。
『翔馬さんはそう言ってますけど、ほんとは私と初のクリスマスデートが楽しみなんですよ、きっと! もったいぶった理由をつけてくるときは、だいたい単純な動機が隠れてるって、私の第六感が言ってます』
『それ正解っぽいね(笑)』
話は留まらず、めんどくさくなって通話に切り替えた。イブの日の午前中に一緒に美容室へ行くことになった。私の行きつけのところでセットしてもらいたいらしい。しかも、髪型も揃えたいとか!
「私と志歩さんって、同じ背丈ですよね。後ろを向いたときにどっちがどっち? にしたいんです」
「なぜに!?」
相変わらず考えてることがわからない。
「人を観察する男性は少ないから、後ろ姿が似てたら間違えることが多いんですって。でも翔馬さんは画家だから、ややこしくても確実に見分けられるだろう、という私からの挑戦状です。ね、似たような服を着れば完璧」
「誰得なの? ま、それはいいけど万智子ちゃんは私の長さまで切っちゃっていいの?」
万智子ちゃんは肩下あたりのミディアムロングをしばったりほどいたりするタイプ。私のボブヘアまで切るのは勇気がいりそうだけど……。
「むしろいつ志歩さんと髪型そろえようかなってタイミングを見計らってたんですから。念願叶ったりです!」
「ええ〜嬉しいねー。じゃ、そうしようか!」
人から感謝されることが多くなって、色々うまく行きそうになって、私は幸福感でいっぱいだ。
そんなこんなでイベントに向けて準備は整った、と思っていたら……。
クリスマスイブを前日に控えた土曜日の夜、着信があった。母親からの電話だった。
親と話をつけないといけないのはこちらもらしい。
「もしも──」
「もしもし! 志歩!? いきなりで言うけどね、あんた、来年の正月にお見合いだからね! まったく、果歩が離婚してたって聞いて、私は寝込んだんだから。果歩から聞いたけど、あんたは年下の好きな人がいるって!? そんなのやめなさい!」
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