第36話 雨宮side 憂鬱だ……。

 憂鬱だ……。


 行きつけの美容室へ、万智子ちゃんと共に髪をセットしてもらっている間、昨日の母親との通話、というか格闘を思い出していた。


 お互い話は平行線のまま終わった。おそらく母はお見合いを予定通りセッティングするだろう。


 果歩は私の好きな人を白状したらしいが、せめてもの情けで五歳下の男で大学院生という嘘で通したらしい。本当の年齢を言ったらまた寝込まれると果歩は思ったのだろう。


 ごめんお母さん。本当はもう五歳下なんだ。しかも現在高校生なんだ。


 それにしても、娘の意志を差し置いて勝手にお見合いを設定する親も親だ。


 母親、父親どちらも市役所勤めの公務員で、どちらも古い価値観の人たちだ。父は頑固だけど口は出さない。母親がうるさい。


 果歩の場合、結婚の時にちょっと嫌味を言われたらしい。結婚するなら年上に限ると。進藤くんがしっかりした職種だったから結婚できたとか。


 私の場合、教師になったのは合格だった。元々、両親の勧めで教育大学を選んだから、そりゃあんたたちの敷いたレールをたどってきただけだし、と当時は思った。今は教師を選んでよかったし、感謝してる。


 しかし結婚についてはダメだ。なかなか相手を見つけようとしない娘に、母は職場はどうだの、結婚相談所はどうだのとうるさかった。


 電話を無視し、実家にも帰らなくなった結果、口出しは無くなったけど、久しぶりに着信がきてこれだ。私もいい年だし気持ちはわからなくもない。


 錦戸くん──奏くんは彼氏ではないし、フリーな身に相手を探すのは悪くない……けども。やり方。限度ってもんがある。





「志歩さん、なんだかテンション落ちてる?」


 待ち合わせ場所の勾当台公園駅に地下鉄で向かっている途中、万智子ちゃんが不安げに話しかけてきた。朝から嫌な気持ちを隠し続けていたけど、無意識にメッキがはがれたみたいだ。


「あ、ごめんね。昨日、親からお見合いの話があって」


 お揃いのボブヘアに仕上げて浮かれてる万智子ちゃんに申し訳ない。事情を一通り話した。


「そうだったんですね……強敵のお母さんだ。それ、素直に錦戸くんに打ち明けた方がいいですよ」

「そ、その方がいいかな? 引かれない?」

「そこで引いたらそれまでの男ということです」

「言うね」

「私は志歩さんのこと、ちゃーんと見てます。高校生に告白するような賭けをしてまで勝ち取りたい目標があって、ずっとそれを保ってきたのに、ここにきて弱気になっちゃったんですよね? 以前の志歩さんなら、引かれない? なんて言いません」


 万智子ちゃんの言う通りだった。


「だからね、その弱気ごと錦戸くんに伝えるのが一番いいんです。ね、私じゃなくて彼に慰めてもらいなさい」

「うん」


 どっちが先輩後輩だかわからなくなる。万智子ちゃんは今日のデートを待ち望んでいたからなのか、気が大きくて頼もしく見えた。


 地下鉄を降りて改札口へ向かう。改札を出た先で奏くんと須田先生がスマホを眺めながら待っていた。この二人、合いそうにないな。


 奏くんは深いオレンジのウインドパーカーに黒のパンツ、須田先生は薄いベージュのコートにクリーム色のセーター、白のチノパンだった。須田先生は食べ物をこぼさない自信があるんだろうか。


 目線がこちらを向いていないのをいいことに、万智子ちゃんに合図して、彼らの前を素通りしてみた。後ろから、あ! と奏くんの声が上がる。

 遅れて須田先生も「万智子さんと雨宮さん」と声をかけた。でも私たちはわざと振り向かないで立ち止まった。


「あ、そういうゲーム? 須田先生、せーので指さしましょう」

「わかりました」

「せーの」


 振り向いたら正しい方向に指さした二人がいた。


「なんでわかったんですか? 同じボブだし、服や小物はシャッフルしてるし冬服だから体型分かりづらいし、背も体型もほぼ一緒ですし」


 万智子ちゃんは白のショートダウンにグレーのニット、黒のワイドパンツ。

 私は黒のロングダウンにワインレッドのタートルネック、ベージュのゆったりめチノパン。


「だってねえ?」


 と奏くんは須田先生に話しかける。


「肩の形がちょっと違いますよね?」

「そうですね。万智子さんの方が肩幅は狭いです」


 万智子ちゃんは嬉しそうに正解〜と言って須田先生と手をつなぎ、先に地上への階段へ向かっていった。


 私と奏くんが残った。


「やっぱ見てて気恥ずかしいですね。恋人行動を気にしないってルールを決めても」


 万智子ちゃんが楽しめるよう、四人であらかじめそんな取り決めをしていた。


「ま、すぐに慣れるよ。私たちは普通に楽しもう」

「は、はい!」


 今、奏くんの隣を歩いている。それだけでこんなに嬉しいとは思わなかった。

 思い返すとプライベートで一緒に遊んだのは電気屋でスマホカバーを買った時以来か。他はなんだかんだ勉強だったり学校行事だったりがからんでた。


 私が普段と雰囲気が違うからか、奏くんは黙って歩いている。こっちを見ようとしない。


 ひょっとして照れてる?


 確かめようと先回りして奏くんの進行方向の前に立ち止まった。


「え、なに?」

「いや、なかなかこっち見ないなと思って」


 顔をのぞき込もうとすると彼は下を向いた。耳まで真っ赤だった。


「さ、置いてかれるよ。急ごう」

「雨宮先生が邪魔するからでしょ」

「プライベートでは志歩さんと呼んでよ。なんなら呼び捨てにする? 親戚設定だし」

「志歩さんがいいです」

「よろしい」


 私は「さ、ダッシュだ」と言って競争を仕掛けた。奏くんも仕方なさそうについてきた。




 

 光のページェントは楽しみだとしても、毎年行くと多少は慣れてくる。

 四人とも同じ考えのようで、すでに点灯して輝かしいケヤキ並木を差し置いて、まずは腹ごしらえを始めることにした。


 勾当台公園市民広場の仙台クリスマスマーケットでは出店が出ている。心もとない給料の我々にはびっくりするような値段設定のご飯でも、この時ばかりは我慢して色々食べたくなる。

 チキンにホットパイにホットチョコレート。甘味中心のご飯でお腹を満たすのは贅沢に感じ、また罪悪感もある。けれど気にしない。今日は万智子ちゃんのデートに便乗して楽しむのだ。


「須田先生はヒカペの絵とか描かないんですか?」


 設営されたベンチに座りつつホットパイを食べ、遠くで賑わっているイルミネーションをながめながら私は訊いてみた。


「すでに十分芸術として成り立っているものをわざわざ描いて、自分の作品気取りするのは野暮です。横取りですよ」

「あー確かに。言えてる」

「翔馬さんは生き物にしか興味がないんです。ね?」


 万智子ちゃんが話に入ってきた。


「生き物……人間も生き物ととらえるなら、そうですね」

「ほら、そうだね、でしょ?」

「しかしみんなの前だから……」

「ルールを忘れたの?」


 私は思い立った。


「まあまあ万智子ちゃん、やっぱり人前でイチャイチャするのは難しいよ。ここで一度二手に分かれましょう?」

「そうですね! じゃ、しばらく別行動で!」


 私は奏くんと定禅寺通りの中央歩道まで向かった。ここは一対が一直線に並ぶケヤキ通りの真ん中を通る道。ここを通るのがヒカペの醍醐味だ。中央歩道には、ジョジョ立ち像とも呼ばれる、体を極端にひねった石像が置かれている。


 激混みの中、奏くんと迷わないようにお互い目を離さず歩いた。


「きれいですねー。あ、志歩さん、サンタだ!」


 奏くんの声の方を向くと、ピンクのイルミネーションカーに乗ったサンタクロースが信号待ちしてて、こちらに手を振っていた。毎年恒例の方である。


「サンタだ! って。案外可愛いな、きみ」

「だって高校生なんだから仕方ないでしょ?」


 奏くんは照れながらつぶやく。


「人すごいね。全然進まないや」


 クリスマスイブにヒカペに行くなんて自殺行為だとうちの親なら言うだろう。東京の満員電車ってこういう感じなのかなと思う。


「ねえ、手をつないだらアウトだよね?」

「もちろんアウトです。担任の先生が何を言ってるんですか」

「でも手が冷たいんだよ。手袋忘れちゃって」

「手袋なら僕の使いますか?」


 奏くんは手袋を外そうとする。私はちょっと待ってと言った。


「じゃ、片方だけ貸して。右手の方……うん、ありがとう」


 奏くんの右手の手袋をはめると、彼の体温が伝わってきた。あったか〜!


 奏くんは背が大きくなくて私と同じくらいの身長だから、腕を下ろした時の手の甲の位置も一緒だった。彼の右手の甲と私の左手の甲が向かい合わせになった。


 私はさりげなく手の甲同士をくっつけた。


 やっぱりあったか〜!


「〜!? 志歩さん?」


 奏くんは驚いてこっちを見る。でも手を引っ込めることはしなかった。


「ちょっと混んできたから当たっちゃったね。ごめんごめん」


 人混みが動き出しても、私たちは手の甲を合わせようと頑張った。だんだん二人三脚みたいに息をそろえるようになる。ギクシャクした歩き方になる。変な感じがおかしかった。笑い合った。


「ねえ、奏くん」

「はい?」

「十ヶ月って長いね。あと三ヶ月もあるよ」

「……」

「待つのって、つらいね」


 声が震えるのを止められなかった。

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