第22話 錦戸side 「奏、説明しなさい」

「奏、説明しなさい」

「……」

「黙っててもわからないじゃない。お母さんは別に責めてるわけじゃないんだよ。どうしてM教大に行くことにしたの? あなたずっと工学部志望だったじゃない」


 三者面談を明日に控えた夜のことだ。家のリビングで母がオープンキャンパスの話をしてきた。志望校だったT大。その時、明日の面談で辻褄が合わなくなると揉めると思って、今話してみた。当然、母は戸惑った。


「お母さんはどこでもいいんだよ。そりゃ国立の方が家計的には助かるんだけどさ、あんたが心配することじゃないの。それよっか、昨年のY大学のオープンキャンパスでは、あんなにロボットすごいすごいって、興奮しながら土産話をしてたのに、今になって教育学部って。本当にそれでいいの?」

「何、お兄ちゃん、学校の先生になるの?」


 風呂から上がってきた妹が話に割り込んできた。冷蔵庫のアイスを漁りに来るついでのようだ。母は「夜にそんなの食べると、ニキビが増えるぞ」と脅す。効果はてきめんだった。


「うん。学校の先生。機械いじるより、手が汚れないし、臭くならないし、全然いいや」


 誰も反論できない。うちの父が工場勤務で毎日汚れて帰ってくるからだ。決まって家に着いたら、まず風呂に入るのが最初になる。今日は客先へ出張のため帰ってこなかった。


「いいんだけどさ。また急に変えるなんて言わないでよね。明日はちゃんとしててよ。あんたんとこの担任、雨宮先生だっけ? 女の先生」

「そう。去年と一緒だし、部活の顧問だったんだからちゃんと覚えてよ」

「部活の最後はレンタカー借りたり、部員全員に焼肉おごったり、気前のいい人なんだね。教師って儲かるの?」

「いや、若いうちは給料安いみたい。雨宮先生も服装全然変化ないし、飲むのは好きだけど安いところしか行かないし、お金使っている様子じゃないよ」

「ふうん。よく知ってるんだね、その先生のこと」

「部活の顧問だったし、変じゃないでしょ」

 

 僕は慌てて返答した。


「ふうん。一年の時の先生なんか、あれも女の先生だったけど、どんな人か全然知らなかったじゃない」

「袴田先生ね。あれはプライベートがない人なんだよ。真の姿はスパイと言われても、全く驚かない自信がある。それくらい、仮の姿って感じ」


 一年生での担任は、三十歳半ば、黒縁メガネ、細い身体で真面目な黒髪の教師だった。真面目すぎて生きている印象を感じさせない人だった。

 隙がない、とでも言おうか。 

 

「ふうん。まあいいけど、明日はちゃんとしててよ。そして早く風呂入りなさいよ」


 そう言うと、母はもう眠いから先寝るねと寝室へ移動した。


「お兄ちゃんさ、雨宮先生? その先生のこと、好きなの?」


 麦茶を飲もうとしてむせる。咳が止まらないのを、妹は観察するかのように眺めていた。


「何言ってんの」

「だって、急に先生になるって言ったり、その先生のことよく知ってたり、怪しい言動があるよ」

「別に普通だろ」

「あそ。その言葉、よく覚えておくからね」


 妹は昔のことまでいちいち覚えている。しかも予言めいた言葉が後々真実になることが少なくない。洞察力があるというか、兄ながら怖い。


「同い年に気になる子はいないの?」


 妹はこちらをじっと見て言う。


「気になる子ってなー」

「今思い浮かべた人は誰?」


 怖い。


「最近勉強を教えてる女子はいる」

「マンツーマンで?」

「うん」

「それ絶対好きになるやつじゃん」


 みずきを思い浮かべた。勉強がきっかけで、部活をやってた頃よりも会話する機会は多くなった。

 みずきは美人ではあるが、やはり、そういう風には見られない。

 向こうも同じく僕を友達としてしか見てないと思ってた。けれど、絶対好きになるやつと言われると、困ってしまう。そうなのか?


「ま、頑張ってねー。二股して刺される真似はしないように」

「するかっての。刺されるかっての」


 妹は返答せず、代わりにふふっと笑いながら、洗面所へ向かった。





 面談当日の朝に梅雨明けが発表された。清々しい快晴で部屋が暑い。リビングの冷房をつけた。


「別に冷房しなくても」


リビングにつながっている寝室から母の声が聞こえた。母は化粧していた。


 普段はヘアースタイルに無頓着な僕も、今日はワックスくらいつけた。準備万端。


「あんた、暇なら瑠璃奈を起こしてよ」


 はあいと返事し、妹の寝室へ行く。妹は起きていたが寝ぼけていた。僕を見ると目を開けた。


「お兄ちゃん、今日三者面談でしょ。雨宮先生の写真撮ってよ」

「撮るかよ」

「あ、すでに持ってるか」

「ないよ」


 あるにはあるけど部活の集合写真しかない。


「じゃ撮ってきてね。絶対だよ」


 まだ寝ぼけてるのかと思い、適当に受け流した。


「ただいまー」

「えっ、お父さん!?」


 母の驚く声、そしてドタドタと玄関にかけていく。

 やがて父がリビングに入ってきた。


「新潟で前泊だったんだけど、先方、不幸があったとかで急にキャンセルしてなあ。他に対応できるやついないのかよって感じだ。朝四時起きで社用車かっ飛ばして、今タクシーで来た」


 母はなんなのそれーと言いながら、


「どっちにしろ今日出勤日じゃないの?」

「休む。もともと三者面談に行くから有給とるつもりだったのを、無理に予定を入れられたんだから、当然休む」


 母はため息をつきながら、


「着替えて、髭そって」


 洗面台に向かう父を、妹は嬉しそうに呼び止めて、


「パパ、雨宮先生と写真撮って来て」

「ん? いいよ」


 父は、妹には優しい人間なのだ。





「お父様までいらっしゃるなんて。お忙しいところありがとうございます」


 雨宮先生は完全に猫かぶりの表情で、僕らを出迎えた。進路指導室に四人集まる。


 出されたお茶にすぐ手をつけようとした父の手を、母はハエを叩くかのように払いのけた。


「今日はあっつくて。別にいいだろう?」

「出されてすぐ飲む人がありますか。雨宮先生、この人は来るつもりはなかったのに、昨日の夜急に決めたんですよ。しかも新潟からこっちに車飛ばしてまで。まあ、私は勉強のことはよくわかりませんから、そっちは助かりますけど。お手柔らかにお願い致します」


 母の話し方で、父のなんとなくの雰囲気はつかめたのかなと思った。


 雨宮先生と目配せをする。

 すみません、うちはこういう家族なんです。


 ある程度の世間話があった。先生は僕のことを奏くん、と呼んだ。二年の時も面談で呼ばれたことがあったが、今はむず痒く感じる。


「では、早速直近の模試の成績をお見せします。お父様はご覧になったことはございますか?」

「正直ないのですが、見ればだいたいわかると思います」


 父の言葉はそのままだ。一を聞いて十を知る。説明する手間をかけることなく察する。頭はいいんだが自由人すぎて、何年勤務しても下っ端がやるような雑用部署に追いやられている。それでいて自由が許せるからと退職しないでいる。


 父は成績表を見せられると、三十秒ほど目を通し、わかりましたと答えた。


「国語は弱いが、数学が偏差値七十二を超えている。T大は狙えるな」

「お父様、それが、奏くんの中で変化があって……」

「知ってます。さっき妻からM教大の話は聞かされました」

「今日はそのことで、ご家族のご意見を伺いたいと思います」

「奏は高校受験のとき、理科は得意だったのですが、数学は並だったと記憶しています。今は一番の得意科目になっている。誰のおかげか? 雨宮先生、数学教師であるあなたのおかげです。そしてM教大を志望し始めたのも、あなたの影響が大きいと思います。雨宮先生の方では、きっと無理強いはしなかったんでしょう。すると、奏の中で決意を固めたんだと思います。奏、違うところはある?」

「ない」


 話が早くて助かる。


「自分から決めた以上、親がどうのこうの言うつもりはありません」

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