第21話 雨宮side 「えーっと、社会人で大学入り直す人?」

「えーっと、社会人で大学入り直す人?」


 万智子ちゃんの言葉に私は吹き出した。


「その返答は予想外! そんな人とどこで知り合うのさ?」


 万智子ちゃんは五杯目のレモンサワーを飲みながら、うーんと真剣に考えて、


「マッチングアプリ、とか」

「なるほどね。その手があったか。違います。ねえ、万智子ちゃん、高校生のうちにキープしておいて、その子が大学生になったら付き合えばいいって言ったの覚えてる? 何年か前のことなんだけど」


 万智子ちゃんはえー? と言いながら記憶をたどっているようだった。ピンときていない。


「やっぱ覚えてないか。私はね、その言葉に今救われてるんだ。私の好きな人は、錦戸奏くんです」

「……ん? 錦戸くんて、あの錦戸くん?」

「うん」

「えっ? えっ? えーーーーっ⁉︎」


 万智子ちゃんはナイス・リアクションでのけぞったのち、背もたれのない椅子から落っこちた。

 私は笑いながら手を差し伸べる。


「○エルで電話してたのって錦戸くんだったんですか⁉︎ え、うそ? ……ええ⁉︎」


 彼女の目玉が顔からこぼれないうちに、まあまあ一杯とお酒を勧める。万智子ちゃんはまるで薬を飲むように苦しい表情でサワーをあおった。


「ここ数年で一番驚きました。この驚きを更新することは当分ないですね」

「ごめんね。話が話なだけに、気軽に打ち明けられなかったんだ。でも、もういいかと思って」

「そっか、全く覚えてないですけど、私の一言が雨宮さんを前向きに変えたのだったら、嬉しいです。光栄なことです」

「光栄って。大げさだよー」

「それにしても、錦戸くんはT大を受けるものだと思ってました。というか、それ以外許されない雰囲気が発せられてるじゃないですか? 特に教頭から」

「窮屈だよね。別に教育大も国立だし、それなりのレベルなんだし、いいじゃんね。私たちの母校をなめんじゃないって感じだよ」


 私の言葉を合図に、謎の団結感が生まれ、万智子ちゃんと大学の校歌を歌った。幸い、残っている客は私たちだけだった。


「で、錦戸くんが教育大を志望している理由は雨宮先生に憧れてですか?」

「そうみたい。こんなところで酔っ払いながら話してると知られたら軽蔑されそうだけど」

「おお〜。おめでとう〜ございます!」


 お互いだいぶ酔っ払ってきた。明日は金曜日だし、テスト期間に入るから土曜の部活はないしで安心したからか、ペースが早すぎた。

 もう、どっちが何を頼んだか忘れてしまって、人の注文した飲み物を奪っても気づかないし気づかれないほどだった。


 万智子ちゃんが、あ、とつぶやいて、


「じゃ、なんで綾野さんと最近仲がいいんですか?」

「そこなんだよね」


 綾野さんに勉強を教えるよう頼んだことを伝えた。お願いを忠実に守ってくれたことは嬉しいけど、ちょっと親密すぎるんじゃないかと気掛かりだった。


「せっかく早い者勝ちしたのに、ぬるっと参戦してくるんだからタチが悪い」

「あはは。生徒にタチが悪いって」

「高校生はもう大人なんだぞ。ちゃんと平等に接しなさい」


 はいはい、と万智子ちゃんは言って締めた。タオルが投げられたのだ。いつもは万智子ちゃんの方がダウンするのに、今日は私がだいぶやられていた。ちゃんと歩けない。

 介抱されながら帰宅する。


「情けない。万智子ちゃんにお世話される日が来るとは……」

「今日は雨宮さんが勝手に自滅したんです。錦戸くんの話で盛り上がったのも原因だけど、雨宮さんが疲れてるのもあるんじゃないですか? 最近ほんとに忙しそうですよ。夜も遅いですし」


 万智子ちゃんの言う通り、今週は二十二時ギリギリにタイムカードを押す生活が続いていた。中間テストの準備、三者面談に向けての進路指導の事務処理が時間を食っていた。


 錦戸くんほどの大転換じゃないにしろ、今年の生徒は進路を変更する子が多かった。中には精神的に不安定になる子も。


 本来はそこに綾野さんも加わる予定だった。しかし錦戸くんが解決してしまった、ように思える。

 以前は私に頼っていた綾野さんが相談しに来なくなったから。


 彼女が元気になるのは嬉しい。錦戸くんも頼りがいを発揮しているようで微笑ましい。反面、何かが二人の間で起きるんじゃないかと内心焦る。

 

 酔い過ぎると、急にあれこれ不安が降ったように湧いて頭がフル回転する時がある。今日がその日だった。こう言う時は自己嫌悪に陥る。何をやってもダメなんじゃないかと思ってしまう。


 あ、来そう。

 そう思ってすぐ、私は近くの空き地へダッシュし、しゃがみ込んだ。雑草へ栄養を与える。


 万智子ちゃんは私の背中をさすってくれた。近くの小さな公園まで行ってベンチに座る。

 なんとペットボトルの水を差し出してくれた。


「雨宮さん、大丈夫かなと思って、さっき居酒屋前の自販機で買っておいたんです」


 聖母。


 泣くことは最近ちょくちょくあったけど、号泣したのは久しぶりだった。涙は、心の老廃物を必死に洗い流すかのように、とめどなくあふれた。


「本当はね、もっと早く万智子ちゃんに伝えたかった……でも怖かった。引かれたらどうしようって。お酒の勢いで言うしかなかった。緊張してたんだよ」

「私は雨宮さんがどんな選択をしようと味方になりますから。だから安心してください。それに頑張ってる雨宮さんはやっぱり素敵だと思います。錦戸くんが憧れるのもわかる気がする」


 今日の万智子ちゃんはどうしたんだろう。私の髪を撫で、微笑んでいる。いつもの慌ただしさがない。


 人の温もりをもっと受けたいと思った。こんな時にさらに望むやつがあるかと自虐したくなるけど、本能なのだからしょうがない。


 錦戸くんに髪を撫でられたい。いつかそんな日が来ることを待ち望みながら、明日から頑張ろうと思った。

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