第20話 雨宮side 「錦戸くんって、綾野さんと付き合ってるんですか?」
「錦戸くんって、綾野さんと付き合ってるんですか?」
万智子ちゃんと一緒に、段ボール箱いっぱいの画用紙を抱えて運んでいる時に彼女から言われた。
中身は須田先生の描いた生き物の解剖図。
万智子ちゃんは前々から、生き物解体を授業でやりたいと思っていた。でも生徒から解剖は無理って抗議されて、代替案を考えていた。
そこへ高校総体が機となって須田先生と話すようになった。嫌悪感を感じさせない程度にほどほどリアルな解剖図という難題を、須田先生はスケッチで簡単に解決してしまった。
「万智子ちゃんはなんでそう思うの⁉︎」
思ったより強い声を出してしまった。万智子ちゃんはふぇ? と不思議がる。
「いや、あの二人、しょっちゅう一緒にいるところを目撃しますから。クラスでも話題になってるんじゃないですか?」
「う、うん。そうだね。本人たちは否定してるけど、もはや勝手にカップル認定されてるよ……」
「前から仲がいいなとは思ってたけど、何かあったんですかねー」
「きっかけがあったんじゃないかな」
仕向けたのは私だ。綾野さんの勉強の面倒を見るよう彼を促したのは私だ。
あの時は綾野さんの気持ちを全然知らなかったんだよ。
「雨宮さんも寂しいんじゃないですか? 弟みたいな子に突然彼女ができて構われなくなった、みたいな」
弟かー。その表現、言い得て妙だな。
こんなことでは傷つかなくなったのだ。相変わらず返答保留ではあるけれど、錦戸くんの意識は確実に私に向いている。
「それよか万智子ちゃんはどうなの? 須田先生と仲良しじゃん。このスケッチだって五十枚以上はあるよ」
「利害関係があるんですよ。こっちは生徒の気を引く教材欲しさに、向こうはスケッチの練習として。生物室兼生物部の部室で、放課後、ニワトリやカエルの解体ショーをして、須田先生は一生懸命スケッチするのです」
「うええ。万智子ちゃんも須田先生もよく平気でいられるよなあ」
「須田先生は雨宮さんをモデルにした作品も描いてますでしょ。生き物はなんでも参考になるって喜んでました」
カエルの内臓が私のどこに生かされるのか。考えるのはやめたい。けど、気になってしょうがなくなる。
「ねえ、私を描いた作品がどこまで進んだか見に行かない?」
◇
須田先生は放課後絵を見せてくれるのに二つ返事でOKした。
「こんにちはー、雨宮です」
恐る恐る万智子ちゃんと美術室へ入る。今日は美術部員も三人いた。みなキャンバスに向かって黙々と絵を描いている。
「わあ。私だ」
等身大サイズで描かれた私がいる。大まかな塗りは終わって、細かいところに手を入れ始めていた。肌のところ以外、紺色のワイドパンツとブラウスの部分がリアルに描かれている。
キャンバスの隣に二十五インチくらいの巨大なモニターが並んであり、そこに私の写真が拡大されて写されていた。
ずっとこれ見てるのか。恥ずかしい。
「雨宮先生。どうも」
「めちゃくちゃリアルですね」
「服はコツをつかめれば、ある程度の質感を出すのに苦労しないんです。問題は肌と瞳ですね。肌は透明感と生命感を同時に出さないといけないし、瞳は映り込んだ向こう側の世界もしっかり描かないといけない」
「だから三月でしたっけ? そこまでかかるんですね」
「そうです。モデルが承諾すれば」
「私?」
須田先生はうなづく。
「私は別に。いい作品を描いていただければなんでも」
「私も納得できるまでは終わりにしません。お互い、いい着地点が見つかるようにしたいですね」
絵の話以外を含んだような言い方だった。高総体で須田先生から告白され、振った後も諦めないと言っていた。
いい着地点とは、私たちの関係の行先も暗示してるんだろうな。
「はいはい。私の依頼したスケッチが役に立ってますよね?」
私たちのことはつゆ知らず、万智子ちゃんは素直に尋ねた。
「もちろん。助かりました。生命感のモデルとして最適なので、うちの部員たちにもできる範囲で勉強してもらってます。ありがとう」
須田先生の最後の言葉に、一人の女子生徒がピクッとして筆を止めた。明らかに私たちの会話を聞いている様子。
少し会話をした後、私たちは引き上げた。廊下を歩いていると、万智子ちゃんは疲れたーと言って大きくため息をついた。
「どうしたの?」
「いやね、女子生徒がいる美術室って、ピリピリして入りづらいですよ。だから解剖スケッチも生物室で行ってもらったんです。須田先生はあの雰囲気に気づいてないのか慣れてしまったのか平気そうだけど」
「最初に言ってくれればよかったのに。私だけで行けたよ?」
「でも雨宮さんは須田先生のアプローチを断ったんですよね? あれから進展しました? 気まずくないですか?」
そのことなんだけど、と私は前置きして、高総体の日、須田先生の告白を断った話をした。
「なんでもっと早く言ってくれなかったんですか⁉︎」
「いや、隠すつもりはなかったんだけれども」
「飲み案件です。問い詰めなければいけません。雨宮さん、今日空いてますか? 金曜だし、いつもの居酒屋に行きましょう!」
「お、いいね。久しぶりだ」
手持ち花火を買った日以来だ。今日も飲むぞ。
そう意気込んだところでスマホが振動した。
「あ。今須田先生から連絡があって、今日の夜、食事でもどうですか? だって」
「ありゃ、残念。そっち優先ですね」
「んー、いいや。断っとく。予定通り、万智子ちゃんと飲む」
「いいんですか? 優良物件は競争率が高いんですよ。あ、でも、雨宮さんは好きな人がいるんだった」
「ま、いろいろ話したいことがあるからね。飲も!」
◇
その日の残業を早めに終えて、万智子ちゃんと常連になっている焼き鳥専門居酒屋へ足を伸ばした。ここは私たちのどちらの家からも近く、さらに安くて美味しいと文句のつけどころがないところだ。
まずは気付にレモンサワーを一気飲みし、次に焼き鳥に手を伸ばす。串に刺さっているモモ肉をほおばる。
香ばしい。炭火の香りが鼻から抜ける。
万智子ちゃんを見ると、モモを口いっぱいに入れていた。せっかちな食べ方は私の専売特許だったけど、万智子ちゃんが真似し始めて久しい。
お互い無言でいいねポーズをし合う。
「須田先生って普段、誰に対しても完璧な敬語じゃないですか。それが、いつの間にかそうじゃない時もあって。さっきも、ありがとうって絶対言わなかったらしいんです。ありがとうございます、だったんだって」
海岸で告白され断った後、タメ口で手を差し伸ばされたのを思い出す。
あのタイミングが初めてのタメ口だったんだろうか。わからないけど、彼が変わり始めたのは高総体以降なのは確かだ。
「さっきのありがとうは、万智子ちゃんに向けてたよね。高総体の夜になんかあったんじゃないの?」
万智子ちゃんはピンとこない様子で、
「酔っ払いながら、解剖スケッチの約束はしました。その件でちょっとは盛り上がったんですけど、相変わらず話が続かなくて。緊張してしまうんです」
「彼なりに打ち解けているようだったから、安心していいと思うよ。それよか、万智子ちゃん自身の気持ちはどうなの?」
「うーん、優良物件だとは思いますけど、あの人、雨宮さんしか見てないんです。いつ美術室に行っても雨宮さんとにらめっこしてるし。それが原因で美術室は殺気立ってるし。卓球部の須田先生ファンもイライラしてるって話ですよ」
「あーうん。それはね。感じる」
人から想われるのも大変だと思った。自分も同じように相手に負担をかけているかもしれない。
ちょっと気が重くなる。
「さ、雨宮さんのターンですよ。好きな人と、どうなりました?」
もう、いいかな。万智子ちゃんにも知ってもらいたい。
「私の好きな人は、志望校をM教育大学に変更しました」
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