第18話 雨宮side 「そんなことはない、はず」

「そんなことはない、はず」

「そんなことあるよ」

「えっ、いや、その、そうですか?」


 歩きながら夜空を見上げる。さそり座ならわかった。真っ暗で澄んだ空なら、南東に横たわる夏の天の川が見えるはず。昔、お父さんが教えてくれた。


「教師だし。君のこと、部活で二年間も見てきたんだよ。担任も一年経ったし」

「……」

「私の卓球歴は素人五年目だけど、それなりに上手く教えたくて、上達本を買ったり、youtubeを観て勉強してたんだよ。その知識を元に、君のフォームを観察して、こうした方がよくなる、って指導することもあるんだけど、一昨年の冬かな? いや、そんなことないって突っぱねられてさ」

「すみません、全く覚えてないです」

「全部が全部そうじゃないよ。納得したところは直すようにちゃんと頑張るけど、腑に落ちないところは頑として譲らない。こんな強情な人が、流れに身を任せて生きてるはずがありません」

「あの……なんの話ですか?」

「つまり、君の覚悟がないうちは、私が何を言っても無駄ということだよ。はあ」

「ちょっと、そこの公園で休みましょう」


 遊具が滑り台しかない小さな公園に足を止め、唯一のベンチに二人腰掛けた。弱々しくも青白く光る街灯が真上にあって、こわばった錦戸くんの顔がよく見える。


「雨宮先生はさ、僕のこと、本当は好きじゃないでしょ?」


 彼はまっすぐ私の目を見て言った。


「えっ? えっ? な、何言ってるの? 好きだよ!」


 必死な叫びに彼は動じなかった。気持ちに答えられないならわかる。それなら諦める。けど、鎌をかけてるのか、よくわからない言葉で人を振り回しているように聞こえた。


「元カレだって、僕と全然似てない。デカかったし」

「私は人をジャンルで見てないの。その前の人は普通体型の年上だったし、バラバラ。流されたり、妥協で人を好きになることもない」

「そもそも教師が生徒を好きになっていいの? ちゃんと働いてる人と恋愛してください」


 反論できない。それを言われちゃおしまいな、印籠のような言葉だ。そんなこと、1万回は考えた。


「教師じゃなかったらいいの?」

「……」

「教師じゃなくて、君のよく行くコンビニのバイトとか、本屋の店員にでもなればいいの? もしそれで解決する話ならそれでも構わないよ。ってか解決する話だし」


 そんなばかな真似はやめてください、と錦戸くんは静かに言った。


「僕は、教師としての雨宮先生が好きなんです。尊敬できる人。まっすぐなんだけど、独りよがりじゃなくって、ちゃんと人を見て、手を取り合いながら導いてくれる。かっこいいと思います」

「錦戸くんを贔屓にしてしまってるから、そう見えるだけだと思うんだ」


 評価されるのは嬉しいけど、私はそこまで褒められた人間じゃない。飲み過ぎだし、教え子に手を出そうとするし、非常識極まりない。


「私はそんなできた人じゃないし、嫉妬もする。綾野さん。ああいう子が現れるのが怖かった。だから今日、また告白しようと思ってた」


 錦戸くんはあまりピンときていない様子だった。


「みずきは好きって感情がわからないと言ってました」

「もしかしたら、照れ隠しで嘘をついてるかもしれない。本当に自分の気持ちがわからないとしても、いずれわかる日が来るかもしれない。そんな言い方だったよ。そうじゃなかったら、なんで君を名指しで好きになるかも、なんて言うのさ?」


 錦戸くんはちょっと悩んで、


「話の流れじゃないですか? みずきとはそういうんじゃないんです。仲は悪くないし、実は付き合ってるんじゃないのーなんて茶化されたことは何度かあったけど、本人同士は全く意識していないパターン」

「君がそう思ってるだけで、相手はいつの間にか変わってるかもしれないよ? 君に勉強を教えてもらいたい、もその一つ」


 ライバル登場なんだよ? そこんとこ、わかってるのだろうか。


 錦戸くんはふうっと息をついて、再び私を鋭く見つめた。


「では、僕からも追及したいところです。今日一番聞きたかったことです。あの写真の人は誰ですか?」


 写真? 元カレのことだろうか。でも焼肉会場で見せたし。別の人?


「僕にとてもよく似た男の人が、先生が二十歳頃の昔の写真の中に写っていました。もしかして、その人が幼なじみですか?」

「な……んで……」


 テーブルで元カレの写真を探していた時、確かにあいつの顔面ドアップの写真が紛れていた。なんでそんなのを撮ったのか、捨てないでいたのかはわからない。見返すこともなかった。

 ゆっくりではあったけど、スクロールしていた。画面が動いている中で、錦戸くんはあいつの顔を見つけたのか。


「もしそうだとすると、つじつまが合います。なぜ雨宮先生が、なんの変哲もない男子生徒を好きになったのか。なぜこんなに執着するのか。幼なじみの幻影を追っているだけだったんですね」


 違う、と言いたくても、口にできない。ある程度は真実だ。でも幻影は追っていない。あいつを思い出すことも少なくなってきた。特に錦戸くんを好きになってから。

 むしろ、あいつを振り切るために錦戸くんに近づいたんだ。


 私にはそれを証明する術がない。何を言っても無駄に感じる。気力が削がれ、放心した。


 もう終わりなのかな。


 私の無言が、会話の終着だった。私たちは立ち上がり、黙ったまま錦戸くんの家まで向かった。


 彼の家からせっけんの香りがする。ここまで一言も発しなかった錦戸くんは、妹がいること、おそらくお風呂に入っているだろう、と伝えた。


 妹。そんなことも知らなかった。


 錦戸くんからお礼の言葉をもらって、私は帰宅した。N駅からの最終バスは数分前に出てしまっていた。

 歩いてると、もうすぐ梅雨の時期らしく、雨が降り始め、やがて本降りの雨に襲われた。


 傘がない。この辺、コンビニないな。万智子ちゃん、もう帰ってるよね。


 明日は日曜日だから、服は濡れてもいい。

 一日寝てるだけだから、何も考えなくていい。

 今日はご馳走だったから、明日は質素な食事でいい。まだカップ麺のストックがあったな。


 家に帰ると、濡れた服やらを洗濯機に投げ込み、下着もつけないままパジャマを着て、そのままベッドに倒れ込むように寝た。


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次回、新章突入!

物語はこれから動きます!

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