第17話 雨宮side 「気〜遣われちゃったかなあ」
「気〜遣われちゃったかなあ」
九時を過ぎた頃、私は錦戸くんとN駅のホームに立っていた。万智子ちゃんと須田先生にしっかり車を返却していただき、卓球部のみんなと別れた後だった。
別れ際、綾野さんがお腹痛いと言い、ちょっとした事件になった。先生二人に彼女を任せ、私は錦戸くんを送ることになった。
「なんであいつが気を遣うんですか?」
「あの子は錦戸くんを応援してるんだよ」
錦戸くんのスマホがうなる。彼はメッセージを確認すると驚きながら、
「見てください、これ」
綾野さんからのLINEだ。
『今日は楽しかったね。さっきのお腹痛いは仮病だよ。安心してね。じゃ、雨宮先生と頑張って!』
はちまきをしたキャラクターが押忍と叫ぶスタンプも送られていた。
「爆弾発言しておいてこれって。わけわからん」
「自分でもよくわからないことするじゃん。この年頃の子って」
錦戸くんは考え込んでから、
「雨宮先生、僕は先生と家に帰るのは初めてです」
「私も初めて」
「僕が初めてなんだから、先生も初めてに決まってるじゃないですか!」
「あはは。そりゃそうだけど。言いたかっただけ」
「先生の家はここからバスじゃないですか。僕と一緒の電車に乗る義理はないわけで」
一緒に帰る約束を半ば強引にしてしまったのだった。
「側から見たら、生徒を送る教師でしょ、私。だから」
言ってて恥ずかしくなった。時間差で顔が赤くなっていく。
ごまかすように、駅の電光掲示板へ視線をそらした。あと三分で電車がくる。
「ずるい。みずきの誤解もそのままにしちゃうし」
「大人はずるいんだ。寂しいから」
開き直ったような笑顔を雲一つない夜空に向ける。
「寂しいとか、胸に秘めるのが大人だと思ってましたけど」
「大人だって、24時間オトナしてるわけじゃないよ。息抜きは大事。今日も大変いい食事会で、最高の気分♪」
「息抜き過ぎてません?」
「それはほら、これから改善すればいいんだよ」
◇
電車はそこそこ混んでいて、私たちは出入り口脇に立った。飲んだ帰りと思われるサラリーマンが多い。
「ねっ、私がついててよかったでしょ?」
そう小声で話しかけた。
「先生がついてても、全く意味ないですよ」
「なんで? 痴漢されるかもしれないじゃん。今時は男の子も狙われる事件があるみたいだよ。その時にこの人です! ってそいつの手を掴んでアピールする役目が私。舐めんなよ〜。私の観察眼は確かだから」
そう言いながら、私は検挙の動作をわざとらしく繰り返した。
「いくら観察眼がよくても、酔っ払いでは台無しだぞ、先生。それに、触られたって怖くないですよ。男ですし」
「そう〜? トラウマになる人もいるらしいよ。ほら、調べればこんな被害告白が」
スマホを取り出して調べようとしたところを錦戸くんは制止した。
「そんなの別に見たかないですって——」
『急停止します! EMERGENCY STOP!』
車内の放送後すぐに減速した。私は停止の反動でふらついた。錦戸くんが壁になって、私の身体を受け止める。私のスマホは彼に当たってから真下へ落ちた。
「ご、ごめん……ありがとう」
「触られたって怖くないですよ」
錦戸くんの肩にしがみついたのに気づいて、クスッと笑い、
「これはさ、不可抗力だよね?」
「え、は、はい。接触する秒数によると思いますが……」
酔っ払って気が大きくなってるのをいいことに、誘惑するような上目遣いで見つめると、錦戸くんは照れて目をそらした。
悪い女だな、私。
数秒そのままでいた後、彼はしゃがんでスマホを拾い上げた。
「どうぞ。あっ、ちょっと待ってください」
錦戸くんはカバンからウエットティッシュを取り出して、床の汚れがついているスマホを拭いてから渡してくれた。
「気が利くじゃん。ありがとう。いつもそんなの持ってるの?」
「はい。母さんが便利だから持っとけって。本体は大丈夫ですか?」
「あー……うん。オッケー。よかったー錦戸くんがついてきてくれて。私一人だったら、スマホは吹っ飛んで、壊れちゃうところだったかも」
「いや、雨宮先生が僕についてこなければ、何も起こらなかったよ?」
「可愛くないやつだな。錦戸くん、そのゴミもらうから。あと、ちょっと待ってて」
カバンから小さなビニール袋を出してゴミをしまうと、自身の新しいウェットティッシュを取り出した。
「はい、右手出して。手拭くから」
「え? ……はい」
「ん? なんだこれ?」
人差し指と中指の付け根の間についている、ゴマ粒サイズの黒いものが気になった。
「あっ、これ焼肉の……手、洗ったんだけどな」
「洗いが甘い。ちゃんと指と指の間を擦らないと」
彼の指を簡単に拭いていく。指が細くて長い。女の子みたいな指だ。
安全確認が取れたので出発しますと電車のアナウンスが告げる。
「スマホ拾ったとき、手も汚れたでしょ?」
「何もそこまでしなくても。すみません」
「錦戸くんには感謝してもし切れないんだから。話合わせるの、大変だったでしょ。ゆくゆくは先生みたいな人と結婚したい、なんて」
「ご馳走してくれたし、それでチャラです」
チャラになるレベルか。ま、いいか。嘘でも嬉しかったのは確かだ。
◇
三分遅れで錦戸くん家の最寄り駅に到着し、街灯が少ない住宅街を歩いた。
駅から徒歩十分で家に着くとのことだったけど、この道は暗くて不気味だ。
錦戸くんを送った後、一人で家に帰るのかと思うと、ちと怖気付く。
「実は僕もずるい人間です」
ふと、錦戸くんは思い詰めたようにつぶやいた。
「え、何が?」
「色々聞きたいことがあるから、雨宮先生と一緒になったんです」
雰囲気から察するに、楽しい理由じゃないことはわかった。せっかく告白し直そうと思っていたけど、尻込みしてしまう。
「まずは須田先生と消えた数十分、何をしていたんですか?」
やっぱり、彼はしっかり気にしてた。
「重大な話があったからだよ」
「須田先生が告白してきたんですか?」
誰にも伝えていないはずだった。須田先生とは、私が絵のモデルになるからその打ち合わせをしてたという話で嘘を吐こうという取り決めをしていた。
いや、実際に今後もう一度だけ、モデルになる約束をしてしまったのだけども。
「無言ということは、正解なんですね?」
「う、うん。なんでわかったの?」
「みずきがそう言ってたんで」
察しがいいし、ちゃっかり錦戸くんと付き合えると言うし、厄介な子だ。なんで勉強を教えてなんて頼みを聞いてしまったんだろう。
私じゃなくて、彼に教えてもらいたかったんだろうな。
「で、返事はどうしたんですか?」
「断った」
「なぜ?」
「なぜって。それを私に言わせるの?」
「はい」
大きく息を吐いた。
「錦戸くんってさ、思い込みが激しいでしょ?」
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