第15話 雨宮side 須田先生がなにかたくらんでる。

 須田先生がなにかたくらんでいる。


 煙がもうもうと上空に立ち込める日没後の夕方。まだちょっと明るい。私たちの他に、同じく花火をしている団体が遠くにいた。六月初めというのに、気の早い人たちはいるもんだな。


 須田先生のところに人だかりができていた。私と錦戸くんと綾野さんでそちらへ行ってみると、列ができていた。列の整理をしているのは真智子ちゃんだ。


 彼女は私たちを見つけると嬉しそうにこう叫んだ。


「カメラを使った須田先生の花火文字会場、最後尾はこちらになります!」


 須田先生は三脚を構え、花火をしている生徒を撮っていた。


「とりあえず並びましょうよ。みんな楽しそうです。スマホ見てください」


 綾野さんに急かされて列に並んだあと、卓球部のグループLINEのアルバムを見る。花火で書かれた文字が写真に残っていた。『ずっといっしょ』とか、『エモい』とか、『ちかえり(千佳さんと絵里さんのこと)』とか。中には失敗したのもあった。鏡文字なので難しい。


「原理はよくわかりませんが、シャッターをずっと開けておくとできるみたいです」


 そう万智子ちゃんが解説してくれた。

 生徒たちは喜んでる。感心した。結果的に須田先生に来てもらってよかった。


「しかし万智子ちゃんはなぜ整理係になってんの?」

「取締です。あの須田ガール、『すき』の二文字を書いて伝えるために、もう三回も並び直してるので、変なことしないか見張ってるんです」

「はあ。そりゃ大変だね」


 ちょうど須田ガールの順番になった。花火に火をつけ、須田先生の合図とともに文字を書く。四文字。なんだろう。


 須田ガールは須田先生の元へ小走りで駆け寄り、カメラで何かを確認した後、小走りでまた列に並び直した。友達とキャーキャー言ってる。


 しばらくしてLINEの着信が入った。『だいすき』。LINEのアルバムを見ると、その子の初回の文字は『すき』、二回目は『すきです』だった。


 相手に何か伝える手段でもあるのか。

 私はある文字を考え、鏡文字で書くイメトレをした。





『ごめんなさい』


 私の文字だ。須田先生のとこへ行き、きちんと書けてるのを確認した。


「雨宮さん、後でちょっとお話があります」

「はい、私も言いたいことがあります。とりあえず、このデータは消してもらってもいいですか?」

「もちろん。もう三脚とカメラは畳みます。生徒たちで普通に花火をやってもらって、時間を作るでいいですか?」

「オッケです」





「すみません、あの子を巻くとなると、こういう場所で話をするしかありませんでした」


 須田先生は駐車場近くの堤防を背につぶやいた。私とレジャーシートを共有して横並びに座った。

 堤防の裏はすぐ砂浜になっていて、生徒たちの花火を楽しむ声が聞こえてくる。


「お忍びみたいで、スリルがありますね」


 私は小さく笑った。須田ガールのことだ。モテる人とは堂々と話もできない。この人も独身、世の中タイミングだよなーと思う。


「雨宮さん、本題に入ります。あの花火文字の意味は、私の誘いを断る、ということでよろしいですか?」


 ここは街灯がない。だんだん暗くなる時間となり、須田先生の表情を読み取るのが難しくなってきた。それでも、緊張が伝わってくる。


「はい。おっしゃる通りです。申し訳ありませんが、あなたの期待に応えられません」

「そうですか……このタイミングで言うのもなんですが、私は雨宮さんが好きです。まずは結果を受け入れます。しかし、納得したい気持ちに駆られています。なぜなら、ずっと雨宮さんに片想いしていたからです」

「ずっとって、私たちが教師になってずっと?」

「はい。初めて会ってから五年間ずっと」


 そこまで想われていたとは想像していなかった。


「なぜ、ダメなのでしょうか?」

「全然ダメとかじゃないんです。須田先生は教員をこなしつつ、世に認められるような作品も作られていて、大変尊敬できる方です。断ったのは他に理由があって……その、好きな人がいるんです」


 須田先生は黙って私を見つめた。月が登ってきて少し明るくなる。こわばった表情が読めた。

 思い当たる人を探しているのかもしれない。


「学校にいますか?」

「え? う、はい」


 ばか。別に嘘ついてもよかったじゃんか。

 どこまで言う?


「独身で近い年齢の人……体育の小林先生とか?」

「そういうゲームされちゃうと、いずれ当っちゃいますよね? ま、小林先生は絶対ないですけど」


 デリカシーに欠ける人はごめんだ。


「誰だ? まさか不倫とかじゃないですよね?」

「もう何を言われようとノーコメントです」


 この辺りで話を切り上げてもいいかな。

 そう思っていたのだが、事態は予想通りにいかなかった。


「えっ、須田先生? どうして?」


 大の大人が泣きじゃくってるのだ。私はハンカチを貸した。

 何も言葉を発せないほど感情が乱れているようだった。

 一分ほどして、


「急にすみません。人前で泣くのは、大人になって初めてです」

「ゆっくりしててください。まだ、ここを離れるまで三十分以上ありますから。でも、びっくりしました。須田先生が感情を出す場面に初めて遭遇したので」

「私はもともとこうなんです。小さい頃は泣き虫でした。雨宮さんは優しいから、私が泣いても許されると信じてたのかな。やっぱり当たってました」

「私は優しくなんか。同じようなことを過去にしたことがあったから、須田先生の気持ちが理解できるだけです」


 昔、幼なじみが妹と付き合ってると知った二十歳の夏、須田先生と同じように泣きじゃくり、相手を問い詰めた。ひどいことも言ったな。彼は黙って話を聞いてくれた。


 幼なじみ--進藤くんも、今の私と同じ気持ちだったんだろうか。


「雨宮さんの性格を知っている上でつけあがったようなことを聞きます。断る本当の理由を教えてください。どうしても自分を納得させたいんです」


 須田先生は静かに話すけども、内側に強い意志を持っているように感じた。彼の人生の中でもここまで人にお願い事をするなんてなかったんだろうな。本当に人生を賭けてるんだ。


「では、真実をお伝えします。本当に好きな人がいるから断りました。そして私の好きな人は確かに学校にいます。でも、教師ではありません。生徒です。背中の向こうで花火を楽しんでいる、錦戸奏くんが好きなんです」


 須田先生は小さく、えっ……と声を漏らし、それきり無言になった。


「びっくりしますよね」

「いえ、そんなことは……ありました。もう気持ちは伝えたんですか?」

「はい。ただし、彼も受験生なので、保留してもらってます。でも今日、もう一度告白しようと思います。なんというか、保留するにしても、もう少し前向きな返事が欲しいので。ほんと、自分勝手だなって思いますが、後悔はしたくないんです」

「そうですか。こう言っては失礼かもしれませんが、あまりご両親から結婚の話は出てこないのですか?」

「出てきます! それはもう、会うたび。あ、うち実家が同じ市内なのですぐ会えちゃうんですけど、うるさいのであまり帰りません」


 お前は結婚願望がないとよく親に叱られるのだけど、願望はある。ただ、ちゃんと好きな人とじゃないと無理。妥協するなら無理に結婚しなくてもいいという考え方だ。


「仮に錦戸くんと付き合えたとして、雨宮さんもすぐに結婚したい年齢かと思うのです。美術教師の例に漏れず、私も常識はない方ですが、結婚については人並みに考えてしまいます」

「そこを突かれると痛いのですが、来年の三月、卒業の時期に結婚まで踏み込んだ話をしたいと思ってます。錦戸くんに賭けてます。そこでダメなら諦めます」


 と言いながらも、本当に諦められるのか疑問だ。でもそうするしかない。


「それなら、待ってます。振られたら私のことも考えておいてください。よろしくお願いします」


 そう言うなり須田先生は立ち上がり、私の方へ手を差し伸べた。


「雨宮先生、あの…………手ぐらい握ってもいい?」


 ええ? 急にタメ語はずるい。その笑顔も。

 顔が熱くなった。


「もーしょうがないですね」


 須田先生の手をとり、立ち上がった。


 せめてもの罪滅しのために、握った手を解くのに少しばかり時間をかけた。

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