第11話 錦戸side 思ったよりよかったな。

 思ったよりよかったな。


「錦戸、偏差値いくつだった?」


 宍戸が横から脇見して、僕の広げている模試の結果を見た。


「え、六十八? すごいっすね。もうそんけーっす」

「急に敬語になるなよ」

「だって、六十八だったら、普通にT大狙えるじゃんか。志望校のY大なんてA判定だし楽勝すぎでしょ。志望校変えようよー。俺が惨めじゃんかよー」

「そういうお前はどうなんだよ」


 覗き見返しだ。六十五。なんだ、そんなに変わらないじゃん。T大の判定もBだし十分だろ。


「奏って偏差値六十八なの〜⁉︎」


 みずきが割って入ってきた。


「おい、声がでかい!」


 みずきは勉強のこととなると途端に興奮する。クラスの奴らが群がってきた。僕は必死で追い払う。


「私と一緒だ。宍戸の言う通りだよ。昨日も言ったけど、志望校変えなさい」


 みずきは反省したのか小声で話しかける。


「みずきは僕の母さんじゃないだろ」


 我が校はなんちゃって進学校であり、毎年旧帝大に何人入れるかが誇りとなる。志望校を変えろと言ってくるのは宍戸やみずきのような生徒に限らない。教師もだ。


 雨宮先生くらいか。担任なのに欲も出さず、生徒の自由を尊重する。


 僕がT大を受けない理由は親しい人間なら皆知っている。地元で働きたい。そしてうちには金がない。浪人もしくは東京の私立に行くくらいなら、安牌な近くの地方国立を受ける。


 Y大だって妥協の一手だ。ほんとは県なんて跨ぎたくなかった。エンジニア志望、国立で同じ県となると、T大しかない。


 同じ卓球部の女子で、国立を狙えるんだけど、実家を出たくないから近くの私立大を希望している人もいる。地方で、しかも女子だと、学力と志望校のミスマッチが起きやすいと思う。

 その子の希望は受け入れ、僕のは違うと躍起になるのは不公平だ。


「ほらほら、何べんその話は終わったって言えば気が済むの? 綾野さん、席に戻って」


 雨宮先生が僕らのところにやってきて場を収めた。みずきは不満そうに「はあい」とつぶやいて離れる。


 宍戸とみずきは僕の頑固さを知っている。模試のたびに同じ話をして、不満を一通り漏らして帰るのがお決まりになってきた。


 ただし今までとニュアンスが違うように感じた。高三になったら浪人生が模試を受け出して、偏差値が高二の頃より下がることがよくあるらしい。

 しかし今、成績が維持できているどころかちょっと上がっている。これまでの勉強が間違っていなかったということか。


 塾は家計的に厳しかった。参考書を買ってきて自己流に勉強している。実力が上がってきているのが純粋に嬉しかった。


 高二の頃から模試を受ける際は、一応第三志望にT大工学部を書いている。T大もA判定。


 五月末。僕の決意も揺らいでくる。





「さっきはああ言ったけど、錦戸くんは志望校、本当にこのままでいいのかな?」


 放課後、雨宮先生に呼び出されて教室に残った。遠くでトランペットと太鼓の音が聞こえる。もうすぐ高校野球の地方大会だ。応援ソングを一生懸命練習しているようだけど、うちの野球部、二回戦がいいところだからなあ。


 この音色を聴くと安心する。

 夏が始まるなって思う。


 僕と雨宮先生は机同士をくっつけ向かい合って座っていた。


 昨日、雨宮先生との初めての電話なのに、きついことを言ってしまったなと後から反省した。その負い目から目を合わせるのが恥ずかしかった。


「先生はわかってると思うんですが、うち、余裕ないんで。大学に入ってバイトしたとしても、奨学金を借りると思います。利子なしの方を確実に狙いたいんです」

「T大だと実家から通えるよね。Y大だとアパート借りないといけなくて、家賃と光熱費がかかるよ。共同の寮に入れるのなら月一、二万で済むかもしれないけど、大体は三年生くらいから追い出される。そうなると普通のアパートに住まないといけなくなって、どんなに安く抑えたとしても、月に四万円はかかるね」


 そういう計算を先延ばしにしていて情けないと思う。


「T大にいても、頑張れば無利子の一種に受かると思うよ。奨学金は高校に在籍してる時点で予約申請ができるから、今のうちに考えておいてね。高校の成績とご家族の世帯年収の情報が必要なんだけど、錦戸くんだったらほぼ大丈夫。あとで申請用紙をあげるよ」

「そうなんですね。情報ありがとうございます。それにしても、急にT大を推しますね」


 途中までキリッと受け答えしていた雨宮先生は途端にだらけた口調で、


「実は教頭に目ーつけられちゃってさー。錦戸くんの成績でT大未満の大学を志望するなんてありえない! って今日のお昼休みに言われて。めちゃくちゃ圧かけられてるんだよ〜」


 この学校の教頭は、背が低く丸メガネのおばちゃんだ。次期校長の座を狙っているのが清々しいほど露骨で、常にピリピリしている。特に若い女教師には厳しいとの評判。雨宮先生もターゲットのひとりだ。


「この間も、卓球部の予算外申請は本当に特例だからね、そこんとこわかってる? から始まって、だいぶネチネチやられたんだから。卓球マシーンを壊したのは私だから、素直に受け入れますけど。でもそれ、一回お叱りくらったんですけど! ちゃんと反省したんですけど! また同じ話ー? って感じでさ。弱小卓球部の予算外が通ったのは、錦戸くんと綾野さんの成績ツートップがいるせいだから、感謝しかないけどさ。あ〜〜! あと、私の後ろ素通りするふりして、何かに気づいて話のきっかけつかんでからの本題ぶつけてくるパターン、ほんとやめてほしい。心臓に悪い。それとこの前もさ」


 雨宮先生の鬱憤が喉元を決壊してからは、ノンストップマシンガン愚痴トーキングだった。僕はひたすら相槌を、八分くらいはしていたと思う。

 相槌のレパートリーを使い果たしても止まらない。


 ここまで愚痴られるのは初めてだった。


「あの、質問いいですか?」

「あ、話長すぎて引くよね。どうぞどうぞ」

「僕がT大を受けるとして、雨宮先生が得することはないんですか?」

「ないよ。ここ公立だし、人事評価に全く影響ない」

「そうですか」

「得はしないけど、自慢はできるかな。私の教え方がうまかったから。なんちゃって」

「みずきも当てはまるでしょ」

「そりゃそうだけど。気づいていないかもしれませんが、君の担任になった二年生の頃から、君だけをひいきして教えてたんです。知ってた?」

「誰に対しても親身に教えてくれるのが雨宮先生じゃ……」

「気づいてないな」


 僕はわからなかったところを素直に聞けないタイプなので、雨宮先生みたいに向こうから積極的にコミュニケーションをとってくれる先生はありがたかった。

 でも、僕に限らず他の生徒にもよく関わっていたように見えたんだけど。


「ごめんなさい」

「別に謝ることじゃないよ。錦戸くんが聞いてもないのに私から問題の話をして、こうやって、放課後残って話すことがたまに合ったじゃない?」

「あ……言われてみれば」


 数ある教科の中で、答えに至るルートが複数存在する問題もあるのが数学の特徴だ。数学教師である雨宮先生は、別解を居残り解説してくれることがあった。


 アプローチの違いがわかって、大変ためになった。中には少々強引な別解答もある。缶切りを使わず、ホッチキスの後端の金具で缶を開けるみたいな非合理さだ。


 でも、どうにかして解いてやろうと苦心する一生懸命さが現れていた。そんなトンデモ解法こそ好きになれたし、雨宮先生とツッコミどころ満載だねーと笑いながら解くのは楽しかった。


 僕が数学に強いのは、間違いなく雨宮先生のおかげだ。


「あれは他の生徒にはやらないよ。本来、成績的に問題ない君に補講する必要がありません」

「そうですね。あの、ありがとうございます。雨宮先生、そういうのって、言われなきゃ気づかないし、言われたら、気になってしまいます」

「じゃ、今度から気をつけてね。今日はどう? 今日も気になってる?」

「先生、言葉の使い方が少しおかしいです」

「私数学教師だし」


 あははっと雨宮先生が笑って立ち上がったが、何かを思い出したのか、また座った。


「錦戸くん、もう少し話しませんか?」

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