行動

第8話 雨宮side 「うわー、ウエストがきつい」

「うわー、ウエストがきつい」


 夏服のローテに入ってなかった去年のスカートを見つけ、試しに履いてみるも、無惨に現実を知らされる二十七歳の初夏。もうすぐ二十八。


 万智子ちゃん(仲良しの後輩教師)とよく飲んでるからな。別に話なんてテレビ電話でもできるし。自重しよう。いや、家で飲んでしまうか? ストックがあるからいけないんだ。


 結局、週三着用のヘビロテワイドパンツに切り替える。これはもう、どんなに膨れようが、いつまでも寄り添ってくれる優しい存在だ。

 とはいえ、私も部活のランニングに付き合うかな。


 卓球部の顧問として活動するも、私はほとんど動かない。生徒の緊張をほぐすために話しかけ、たまに『雨宮の情け(卓球マシーン。なかなか名称が浸透しない)』で生徒を楽しく振り回す。自転車に乗ってランニングの白バイ役を担う。


 私の主な役目は生徒のお守りだ。怪我がないよう見張り、何かあったら迅速に対応する。


 地味だけど重要な仕事。


 高校生なんて半分大人なんだから、普通の子は勝手に育って、勝手に巣立っていく。高校教師にできることは、勝手に育たない生徒を見つけ、その子の手を引いて、引っ張っていく。

 卒業という満員電車へ、その子のお尻を押して、扉の中へ押し込む。扉が閉まれば、後は見えなくなるまで手を振る。


 次の生徒はもう待っている。


 それをこなすようにサイクルを回す先生はもちろんいるのだけど、私はどっちつかず、中途半端だ。半分は仕事に徹する気持ちで、もう半分は情を捨てきれない。


 新人の頃、担任だったクラスに一人、いじめられている内気な女の子がいた。高校生のいじめは巧妙だ。露骨に追いやるより、暇つぶしのため、勉強のストレス発散のため、地味にいじめる。発想はガキだけど、追い詰め方は下手に大人っぽくねちっこい。


 その子の場合は、好きな男子をばらされ、嘲笑されるといういじめだった。


 黒板の端の日直欄に、全然担当じゃないのに二人の名前を書かれる。しかも、白のポスター用マーカーで書かれる。これはきれいに消すのになかなか苦労した。

 または、席が離れているのをわざわざくっつける。掃除を二人だけにやらせる。これは何回かやられていたのを目撃した。私の見ていないところで、もっとあっただろう。


 こういうのは注意してもやめてくれない。地味ないじめなので、職員会議に持ちかけても、一人でなんとかしろ、レベルの結論に終わる。クラスの人間も見て見ぬ振りだ。


 なんで学校ってだけで、恋愛が腫れ物扱いになるのだろう。付き合えば、よかったね、ダメだったら、次を見つけようね、でいい。


 心理学では、毎日会うほど恋愛は起こりやすいと言う。学校や職場恋愛は普通に発生して然るべきなのだ。


 そんな軽い気持ちで済ませればいいし、もっと堂々と恋愛してもいいもんじゃないのか。

 海外なら、狭いコミュニティーで彼氏彼女を取っ替え引っ替えしても全然平気だぞ。連ドラ知識だけど。

 

 地味ないじめだから、相手にされなければ、いじめはやがて自然消滅するだろう。相手の男子生徒はその子に全く興味がなかった。火の粉が降りかかって迷惑千万といった素振りだった。


 男の方は平然としていたが、女の方がダメだった。その子は気に病み、深刻に受け止める性格だった。被害妄想癖もあり。だからいじめは止まらない。

 そうなると、いじめる側が飽きるまで、その子のメンタルフォローを続けるしかない。


 私はその頃、熊系の優しい彼氏がいた。受け止めた悩みを彼に打ち明けて、なんとかいじめられ女子のフォローをやっていた。彼がいなかったら私も病んでいたかもしれない。


 進級でクラスが変わったところでいじめは無くなったけど、いじめられた子というのはなんとなく話しかけづらいのだろう。自ら近寄るなオーラを出していたのかもしれない。その子は孤立していった。


 私は一年で担任を降りてしまったけれど、彼女はちょくちょく私に相談してくれたし、私の勧めで卓球部に途中入部し、次第に元気を取り戻した。ただ相変わらず友達作りは下手で、卓球部員とも当たり障りのない態度。私以外に気を許せる人はいなかったように思う。


 同年代と接するのが苦手なタイプなんだろうな。私もそうなので共感できる。気を遣わないこと自体に神経使って疲れるというか。


 そんな心配だらけの生徒でも、卒業の時期はくる。私は彼女を人生列車の扉に押し込んで、さよならを言った。今でも時々LINEに近況が来るけど、彼女も遠慮してるのか、当たり障りのない内容しか送ってこない。


 大丈夫と書いてあるけど、本当に大丈夫だろうか。

 今はその言葉を信じるしかない。


 日曜の朝だというのに。お出かけする一日の始まりだというのに。重い記憶が蘇ってちょっと弱気になってしまう。


 私のしていること。受け持つ生徒に好意を伝え続けること。客観的に考えるとおかしいとしか思えない。

 ただの十八歳なら冷静になれる。ガキとか弟みたいに見える。錦戸くんは違う。


 初恋の幻影を追っている私は間違っているのだろうか。いや、問いかけても無駄か。たとえ間違ってると言われても、そんなの聞きたくないから。





 「お待たせ! 何も玄関の前で待たなくていいのに」


 仲良しの牧田先生こと万智子ちゃんのアパートに向かうと、彼女はドアに背中合わせでスマホをいじりながら待っていた。


 ──花火を買い忘れた。


 錦戸くんからのLINEで思い出した私は、万智子ちゃんと買いに行くことになった。


 お互いの家は近い。途中までバスが一緒ということもあり、登下校によく遭遇して会話することがある。親しくなったのはそれがきっかけだった。


 万智子ちゃんは私を見つけると、直立し敬礼するんじゃないかと思うほど、背筋を伸ばした。


「あ、おはようございます。だって、待ちきれなくって。雨宮さん、知ってます? 私たち、月三くらいのペースで飲みに行ってますけど、何気に休日に雨宮さんとお出かけするのって、お初なんですよ。だから、気合い入れました!」 

 

 確かに普段の地味な印象と感じが違う。

 彼女の白すぎる顔色が明るく見えるようなピンク系のチーク。

 首元までボタンを締めたライトグリーンのブラウス。

 白のロングスカート。


 かわいい。元々、かなり痩せ型でスタイルはいいし、素材は整っていたのだから、ちょっと意識するだけでかなり変わる。


「そうだっけ? ま、今回は用事なのだけど、せっかくなんで楽しくいこーか!」

「ですね! やった! なんかデートみたいですね」

「ごめんね〜。私はいつもの服で」


 シンプルな黒のブラウスと紺のワイドパンツは私の鉄板だ。色気はない。


「いや、むしろグッドです。変わらないのが、彼氏って感じで」

「変なこと言わないでよ。こっちが恥ずかしくなる」

 

 万智子ちゃんは少し顔を赤くしていた。何でだよ。


「つかぬことを伺ってもよろしいですか?」

「そんなにかしこまらなくても」

「雨宮さんって、最近変わりました? ほら、髪も少し短くなってるので」

「そう? たまたまじゃない?」

「いや、私にははっきりわかります。浮かれてます!」


 車のエンジンをかけ、発車させる。


 そりゃそうだ。五年ぶりに心を乱すような出来事があれば、誰だって浮かれるに決まってる。まして本気で恋してるんだ。最後の恋はもうはるか昔のように感じる。


「そうかもね」

「そうですよ。あの、話はそれますが、どこに向かってますか?」

「え? 近くのY電機だよ」

「ホームセンターなら絶対花火売ってると思うのですが……」

「あ……そうだね」


 盲点だった。いや、こんなに普通の思考ができなかったなんて、どうかしてた。


「人のこと言えないけど、雨宮さんて、ちょっと抜けてますね」

「そーだなー。もう、しっかりしないと」

「いやいや。そういうところがあるから、男が安心するんだと思います。ね、須田先生と何かありました?」

「え?」

「だって、絵を描いてもらったんですよね?」

「うん」

「その表情いいね〜! もいっちょいってみようか? OK〜! なんて言われて、いつの間にか、あられもない姿にされちゃうんでしょ?」

「いやいや、それ、グラビアカメラマンのセリフだから!」

「じゃ、黙って裸にされちゃったんですか?」

「絵のモデル=ヌードじゃないから! もちろん脱ぐ人もいるだろうけど、私はちゃんと服着てたから!」


 この子はこういう子なのだ。妄想逞しく敏感。

 そこが面白くていいんだけど。


「そうなんですね。私てっきり大人の一線を超えてしまったんじゃないかと」

「全然超えてないよ。でも、ちょっと気掛かりがある」

「と言いますと?」


 言ってからいらない情報だったなと後悔するが、遅い。話の流れとして続きを言わざるを得なくなった。

 言葉に出すとちょっと恥ずかしいけど、さりげなく打ち明けてみる。


「須田先生にさ、デート、誘われてるんだよね」

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