第4話 錦戸side 「知ってる? 雨宮先生の隠れファンは多いってこと」
「知ってる? 雨宮先生の隠れファンは多いってこと」
倉庫での出来事の翌日、部活が終わってからみずきはそう話しかけてきた。
「まあ、何となくは察してた」
噂が立たずとも、あの外見を見れば納得する。ちょっとガサツで、無類の酒好きじゃなかったらと思うと、もったいない。
「本気で好きになる人もいるみたいだよ」
「どこのクラス?」
「生徒で本気になる人はいないみたい。年が一回り近く違うんだし。あ、ごめん、奏を抜きにしてさ」
「わざと言ったのかよ」
「ごめんごめん。教師だよ。美術の
「あー。やつか」
ゴワゴワした直毛に細枠丸メガネ、痩せて端正な顔。
性格は淡々としていて読めない人だ。
女子生徒の人気は高い。美術部の中にも須田狙いで入部した生徒がいると聞く。
よくわからないが、東北の美術界隈では結構すごい業績のお方らしい。
「あの二人が並ぶと絵になりそうだよね」
「並んだところも話したところも見たことないけどな。性格は合うのか? あれ」
そう言ってから、何だか嫉妬してるみたいだと思って、変な気がした。
「わかんないけど、噂では須田先生が狙ってるみたい。普段から須田アンテナを張ってる女子は多いからさ。明確に二人の親しい現場を見たわけじゃないんだけど、ファンのカンは鋭くて信頼できるんだと」
「そうなんだ。あれに勝つのは厳しい」
雨宮先生が世間一般の考え方をする人なら、僕のことはキッパリ諦めて、現実的な相手を選び直すだろう。
もし噂が本当なら、須田が雨宮先生に相応しいのは自然なことだ。
「なーに悲観的になってるの」
「別に。振られたんだし、悲観も何もない」
雨宮先生の立場を守るため、先生に告白して玉砕した男子生徒という仮想の役を演じ続けることにした。
「一度振られたからって、諦めるのは早いんじゃない? 奏が大人になったらきっと見直すよ」
雨宮先生の代理人みたいな発言だな。
「奏、先生は今日なんで部活を休んだんだろうね。学校にいるって言ってたけど。ね、探してみよっか?」
「えー? お節介もほどほどにしろよー」
◇
「あれ、雨宮先生じゃん?」
みずきの好奇心に負けて雨宮先生を探してたら、美術室にいた。カーテンを開けて空気の入れ替えをしていた。ハンカチをうちわ代わりにあおいで涼んでいる。
「部活休んでどうしたんですかー?」
みずきが大声で呼びかける。僕らは先生のとこに駆け寄った。
「ごめんね! ちょっと用事があって。美術の須田先生に私の絵を描いてもらってたんだ」
「へー。なんで?」
思ったよりも露骨な嫌悪感を出してしまい、慌てた。そんなつもりはなかった。
すぐに咳払いをして、なんでですか? と丁寧に言い直したけど、時すでに遅し。雨宮先生はすっかりビビっていた。みずきもたじたじの作り笑いを浮かべていた。
「そ、それはちょっとこの場で言えないし、長くなるから。あとでね」
雨宮先生が振り向いたと同時に、須田が窓際に現れた。現れたと表現するほどに部屋は暗かった。
「雨宮先生、今日はこのくらいにしましょう。また後日、モデルになってくれますか?」
「はい、もちろんです」
二人は同期だけど、須田は東京の美大に二浪して入ったから年上らしい、との情報をみずきから聞いた。
「なんでカーテン閉めて暗くしてたんですか?」
と僕は訊いた。
「ライティングをしてるんだ。余計な光が入ってこないようにしてる。本当は夜中が最適だけど、さすがにそんな時間に拘束するのはちょっとと思って」
須田は無機質に話す。
「じっとしてるのが大変でした。照明って結構暑いですね」
「光って結構な熱源なので。芸能とかテレビの世界では照明が鍵となるから、ガンガン焚きます。番組で冬なのに薄着の人が多いのはそのせいです。おかげ様で、いい絵がスタートできそうです」
「どんな絵なんですか? 見せてください!」
みずきのお願いを受けた須田は、僕たち二人を教室に案内してくれた。ライティングの機材が四つあった。スタンドがあって、その先に巨大な白い布地の箱のようなものがくっついている。
電気をつけてもらった。布地が透けて光を拡散した。光は柔らかいけれども一つ一つ光量が多く、四つ集まると結構な明るさだ。
「ヤバい! なんだかスタジオカメラマンみたい」
みずきは素直に感心する。というのも、照明のすぐ近くでカメラが三脚にセットされていたからだ。今まで見た中で一番大きなカメラだ。
それを伝えると、これでもミラーレスだし小さい方、と返ってくる。
「絵を描く前にこのカメラで写真にも撮る。後々これを見て絵を仕上げるんだ」
「最初の写真撮影が一番緊張したんだから」
雨宮先生は恥ずかしげにつぶやく。
「で、絵は?」
「準備室にしまっちゃいました。ちょっと待ってください」
やがて須田は一枚の巨大なキャンバスを持って戻ってきた。雨宮先生が等身大で描かれている。
「ヤバい! 先生、売れるよこれ!」
ヤバい以外の語彙はないのかと思いながら、僕は絵を眺めた。
四方からのライトを受けながら、画面中央に正座して佇む雨宮先生。目は凛として正面を向き、絵を見る者と対峙する。意志の強さと、その強さをギリギリで持ち堪えようとする脆さが垣間見える。
まだ粗いけど、確かに印象派みたいな作風ならここで終わりでもいいくらいの出来だった。
「仕上がりじゃないですよね? 後日またモデルをお願いするって言ってたし」
みずきは感心しながらそう言った。
「完成までまだ三パーセントもできていません。その三パーセントが重要なんですが」
「つまり、残り九十五%ができていないってこと!?」
「そ、そうだね」
みずき、なんだよその中学生みたいな返しは。
滅多なことでは動じない須田も、なんだこいつと言いたげな目をしている。
「あとどれくらいで仕上がる予定なんですか?」
「うーん、来年ゴールデンウィークの地方展には出展したい考えです。提出までギリギリ描き続けると十ヶ月くらいでしょうか」
「えっ、そんなにかかるんですか!?」
雨宮先生の反応に須田は冷静に補足する。
「モデルは今日と、もう一回付き合っていただければ大丈夫です。あとは写真を見ながら描くので」
「そーなんですね……でも、絵が完成する間、ずっと私の写真を見られるってこと? それはそれでなんだか恥ずかしいな」
こんなにソワソワしている雨宮先生は初めてだ。
「そもそも、須田先生はどんな絵を描くんですか? ごめんなさい、何にも知らずにモデルなんか引き受けちゃったりして」
「あーそうですね。今ちょっとここに私の作品はなくて。こんな感じです」
須田はスマホを取り出して僕らに見せた。
「写真?」
「いや、絵です」
「「「絵っ!?」」」
”絵”なのか”え”なのか、どっちでもいいと思えるほど僕らは画面に釘付けとなった。スマホには、子ども、成人、老人、あらゆる年齢の女性の肖像画が、精巧すぎる描写で並んでいた。
どう見ても写真にしか見えない。そう伝えると、須田はスマホ画面をピンチアウトして絵を拡大してくれた。よく見ると、油絵っぽい絵の具の質感が生々しく残っている。これには一同、おー、とか、ほー、とか、へー、としか反応できなかった。
「スーパーリアリズムって知ってます?」
「わかんないけど、スーパーリアルってことですか?」
と、雨宮先生が自信なさげに答えた。
そのまんま過ぎるだろ。
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