第3話 錦戸side 「ひょっとして怖い?」
「ひょっとして怖い?」
先生は僕の挑発に乗らず、無言で首を振った。
「先生が登るよ。新人のころに雑用はさんざんやらされたからね。ぶっちゃけ高所恐怖症だけど、前よりはマシになったんだ。手伝ってくれればできる」
「じゃあ、お言葉に甘えて。よろしくお願いします」
そう言って僕は脚立を抑えた。
雨宮先生は動く。一歩ずつ、足場を確かめながらゆっくり登っていく──遅い。
六段のうちの二段目に達したところで、もう休憩に入った。
「はあ〜、ちょっと待って。もーなんであんなとこにしまったかなー」
雨宮先生は大きく息を吐き、脚立の足場に顎を乗せた。
ふと眼が合う。
あの日以来初めて、先生の眼を真正面に見つめた。顔が真っ赤になる。
雨宮先生も顔が赤くなった。恥ずかしさに視線をそらしたかったが、負けた気がしてじっと見つめた。先生もこのゲームに気づいて無言で見返してくる。
なんでこんなに意識してしまうんだろう?
今までなんとも思わなかった人に。
さっきまでの怒りを棚上げして動揺してしまう自分に嫌気がさした。
「あの、やっぱり代わりましょうか?」
と、照れ隠しにうつむきながらつぶやいた。
「やだ」
やだって。小学生かよ。
そう思いつつ、もう一度前を向いてみたら、先生の顔は真っ赤になっていた。自分で言って、自分で恥ずかしくなったみたいだ。
「こういうのは大人がやるもんなの!」
「適材適所! なんでそんなに意地を張るんですか?」
「だって、私はもう自分の感情から逃げたくない。決めたことはちゃんとやりたい……後悔したくない」
途切れ途切れでそう言うと、先生はピンクのカゴに目線を定めた。動き出し、ゆっくり登っていく。リズムをつけることで落ち着こうとしているようだった。
五段目に到達すると、雨宮先生はゆっくりと脚立のてっぺんに両足をまたいで腰掛け、ふぅーっと息を大きく吐き、棚をつかんだ。
「下は見たくないからね。ちゃんと抑えてて。で、待ってて。落ち着いてからカゴを下ろすから」
「わかりました」
「あの、錦戸くん、この間のことさ」
雨宮先生はピンクのカゴを凝視したまま、静かに話し始めた。
「私の気持ちは嘘じゃないから。教師が生徒を好きになるなんて、無茶苦茶だって自分でも思ってるけど、素直に聞いてくれて、嬉しかった」
「えっ、あっ、その、はい」
あーくそ。しっかりしろ自分。
「いつかこの気持ちが届けばいいなって思ってる。なるべく早く受け取ってもらえるといいけどね」
「あの……ありがとうございます。まだ気持ちの整理はついていないけど……僕もできるだけ早く先生と釣り合う男にならないとダメですね」
まずはそこから始まると思う。
今のままではいけない気がする。
「錦戸くん、ありがとう。でも釣り合うとか釣り合わないとか、そんなのはどうでもいいんだけど」
「僕はどうでもよくありません!」
「そっか」
焦らしてどうする。お互いの将来を考えれば、今以上の関係になるのは不毛だと分かりきってるだろ。断るなら早く断ってしまえ。そんな心の声が聞こえた。
しかし決断できないのはなぜか。先生と付き合いたい? そりゃ今まで人と付き合ったことがないし、彼女がほしいと思うのは、男子なら当たり前だろう。
ただの好奇心?
好奇心で教師と付き合っていい?
しかも結婚を前提に。
先生は気持ちが落ち着いたようで、ふうっと息を吐いてピンクのカゴをつかんだ。
その時──
「あのー」
声と共に綾野みずきが現れた。
「うええっ!」
雨宮先生は驚いてカゴを落とす。バーンと音がした。
「だ、大丈夫!?」
先生は下を見て叫んだ。同時にへっ……と怖がるが、歯を食いしばって状況を確認しようと目を凝らしていた。
「大丈夫です。って、カゴに何にも入ってないじゃないですか」
「あっ、そうなんです。休憩時間になって、隣で練習してたバスケ部の子と話してたら、コード、こっちにあるよって」
みずきは、それで慌てて駆けつけたんです、と付け加えた。
「そうか! バスケ部が長期で使ってるんだったあ……」
雨宮先生は棚にしがみつきながら腰が抜けたようだった。
「急に声かけちゃってごめんなさい。なかなか二人が戻ってこないから心配になっちゃって……」
と、みずきは言う。
「雨宮先生ー、普通に延長コード買ってきて、卓球部用にしといた方が良くないですか?」
「そうするー。めんどくさいからネットで夜ポチっとくー。自腹で」
棒読みだ。先生は一気に消耗し切ってだらけた状態になっていた。
「あのさ、なんでこうなってるの?」
みずきが雨宮先生の不思議な体勢を見ながら僕に囁く。先生は棚にしがみつきながら、猫のポーズのように伏せている。
「先生が高所恐怖症でさ。でも自分でやるって聞かなくて」
「ああ〜」
みずきも脚立抑え係に加わり、先生のゆっくり帰還を見守った。
「それよりさ、さっきの話、聞いてた?」
先生が脚立を折りたたんでる間に恐る恐る問いかけると、みずきはニヤニヤしながら口を開いた。
「うん」
「どこから?」
ゆっくりと唾を飲み込む。
「僕もできるだけ早く先生と釣り合う男にならないとダメですね、だったかな。先生の声は聞こえなかった。奏だけ必死に叫んでたから、そこだけ聞こえたの」
「あ、そうなんだ〜」
先生は白々しくつぶやく。
自分だけ助かったな。僕の方はどう返そうかと頭をフル回転させた。
「もしかして奏から雨宮先生に告ったの? そんで、振られたの? ってかこんなところで? なんでー?」
みずきは煽るように問い詰める。
僕は「えーと」を連呼しながら自問自答した。
秘密にしないといけないこと。
先生から告白したことだ。
「先生と二人きりになるタイミングなら告白はいつでもいいと思ってたから、今日にしたまでだよ。でも断られた。先生の好きなタイプは僕と違うって」
「えっ、先生の好きなタイプってどんな?」
ヤバい。墓穴掘った。だがいい。この爆弾は放り投げよう。
僕は目で先生に訴えかけた。さすがに受け止めてくれた。
「えーと……まったくタイプが違うとかじゃなくて……錦戸くんが私と同い歳か年上だったら、全然アリだったのにな〜って話したの。あはは……」
先生は僕の殺気を感じ取ったのか、引きつった作り笑いをした。
「もーいいでしょ、みずき。この話は内密に頼む」
「うーん、どうしようかな」
「じゃあさ、焼肉行こう。それで手打ちな」
「やった! それならいいよ。内緒にする」
「先生の奢りで!」
生徒二人から熱い視線を注がれた雨宮先生は、わずかにたじろいだものの、「どんとこい!」と謎のキャラで返した。
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