第2話 錦戸side 「えっ、あの二人、付き合ってるの?」
「えっ、あの二人、付き合ってるの?」
部活初めの準備体操の時間、近くの女子同士の会話に、僕は聞き耳を立てざるを得なかった。
土砂降りの夕方だ。体育館を締め切っても雨音は激しく、注意しないと話が入ってこなかった。
体操しながら、さりげなく会話の近くに移動する。
「そう! バド部の健吾くんとうちの由香里。修学旅行からカップルになったらしいよ。由香里から告ったんだって!」
ああ、そっちか。
いや、僕は別に何もしてないぞ。多分。
月光に照らされた、さらさらショートボブの髪、すっと伸びた鼻筋、顎のライン、そして好奇心旺盛そうな大きな瞳の記憶が蘇る。
いつの間にか寝てしまい、雨宮先生の部屋で朝チュンしてしまった。やましいことは何もしていないはず。それだけが事実だと思うけど。
まだ、雨宮先生とちゃんと話をしていない。LINEのメッセージや電話で済ませられない話だと思ったから、対面で話をしたかったけど、できないでいる。
帰って初日の学校だしな。
内心の乱れを顔に出さないよう気をつけながら、ダラダラとアキレス腱を伸ばした。
「実は私がキューピット役だったんだ。清水寺で自由行動の時、私から健吾くんに話しかけて、うまく由香里にバトンタッチしたの。で、告ったと」
「へーあの由香里が。火事場の馬鹿力ってやつかー」
「そう。でも、その時は勇気を出したけど、またモジ子に戻っちゃったみたい。付き合えたのはいいものの、どう会話の糸口を見つけるか、だって」
「そこから?」
「ね。私が介入せないかんのかなー」
そう得意げに言うと、
◇
みずきと僕は中学からの付き合いだ。
僕は男子卓球部長。みずきは女子の部長。
テストは常に学年三位以内を僕とみずきで争っている。
これで顔もハーフのように彫りが深く、整っているのだから隙がない。肌は日本人離れした白さだ。目の色素も薄い。実際、ロシアの血が入ったクォーターだったはず。
しかし、おせっかい、生真面目で扱いづらく、やたら強い目力に男子は気後れする。親しくなれば、癖はあるけど優しい人間だと分かるのだが、知らない方からすると、なんか怖い、らしい。
地元のTH大工学部を目指して日々勉強に励んでいる。
議論が好きだし、大学教授にでもなるのかな。癖のある先生になりそう。将来がなんとなくイメージできてげんなりしてしまう。
とはいえ、僕にとっては唯一の女友達であり、ライバルの一人だ。真面目すぎるかと思いきや、時に冗談を言う憎めない人間だし、人望は厚い。
何より近くにいると、なんとなく自分のレベルも上がったような感覚になる。スタイルがよく顔立ちが目立つので、一緒にいると人目に触れやすいのだ。
それなのに、隣にいてもみずきが女だということを意識しない。濃い顔が、僕の顔とあまりにかけ離れているからか。
いずれにしろ、まったく変な気を起こさせない美人というのは貴重だ。
◇
小豆色のジャージ姿の雨宮先生が、何かをガラガラさせながら持ってきた。
そう、雨宮先生は僕のクラスの担任だし、卓球部の顧問でもある。先生が担任になったのは二年からだが、部活では入部以来の付き合いだ。仲も良い。そのため、話す機会は相当に多いが……今は複雑な気持ちだ。
「はいは〜い。みんな、しゅうごーう! こいつが噂の! 例の! ニュー卓球マッシーンだよ! やっと届きました!」
先生が半年前に無茶して破壊した先代より、だいぶ立派なマシーンだ。ネットが発射口の両脇に備え付けられていて、ラスボス感が際立ってる。
「「「やった〜! あ・まみや! あ・まみや!」」」
部員のテンションはマックス。壊して新しくする──正直完全なマッチポンプなのだが、高価な機種をゲットできたことで雨宮先生は英雄扱いとなった。
「では。動かす前に、この子の名前を決めましょう!」
静まり返る。隣のバスケ部の笛が高らかに鳴り響く。
「ん? この子の名前! みんな前の子の覚えてないの?」
「旧型が『雨宮の気持ち』だったね」
と僕が周りに問いかけた。
そうだっけと言う者、そうだったねと言う者、だいたい八:二。どちらにせよ、すぐに思い出す人間はほぼいなかった。
このあだ名は全く定着しなかったけど、言い得て妙だったと思う。『雨宮の気持ち』のフットワーク練習で部員をいじめている雨宮先生はイキイキしていた。
「前と同じでいいんじゃないですか?」
一年生が言う。早く体を動かしたくてジャンプしたり、ラケットで球を床に打ち付けている。
「そんなのつまらないじゃない。それに、前の子は名前があったのに、この子にはないなんて、かわいそうでしょ。あっ、でも『雨宮』は入れてね」
「はい」
「お、錦戸くん、どうぞ」
「『雨宮』」
「…………呼び捨てかよ!」
「使う人のことを考えてみたんです。『雨宮』出しといて、とか、『雨宮』邪魔だからしまっといて、とか」
周りがちょっと盛り上がった。『志歩』はー? と言う声もあった。先生の下の名前だ。
実際、先生がいない日に、僕は旧型の名前を略して『雨宮』と呼んでいた。新型の名前がどうなろうと、こっそりその略称を使い続けよう。
「却下! 紛らわしい! 『雨宮の○○』っていう風にしてください」
「先生ー。『雨宮の情け』はどうですか?」
みずきの意見である。彼女はこういう気の利いたことを考えるのが得意だ。
「なかなかいいね〜演歌節で。決定! みんな、『雨宮の情け』をよろしく!」
まばらな拍手のうちに雨宮先生のトークショーは終了した。先生は卓球マシーンをすぐ使いたくてうずうずしている様子で、後輩に手伝ってもらいながら台にセットした。
しかし問題が起きたのである。
「あれ? コードの長さが足りない。古いのと違って、全然短いんだ……。錦戸くん! 確か延長ケーブルが倉庫の棚にあったと思う。とってきて!」
僕がはい、と言うやいなや、
「待って。やっぱり私も一緒に行く」
と、雨宮先生が追いかけた。
◇
先生は教師から卓球を始めた半ば未経験者だ。けれども、昨今の日本卓球界の動向をチェックしている程度には卓球にハマっている。
世界卓球やオリンピックなど、メジャーな大会の試合はテレビで見てるし、卓球雑誌も定期購読している。
推しのジュニア選手がどこまで強くなるのかが楽しみだと語っている。
小学校低学年から強い子は、何歳になっても大抵強い。将来有望な子が成長していって日本代表になる過程を追うのは、卓球の一つの楽しみ方とも言えるらしい。
ふと修学旅行での一件を思い出す。
先生の僕に対する気持ちは、卓球のジュニア選手に対する推しの気持ちと同じようなものなのかもしれない。
成長していく姿が楽しみ、みたいな。
……って、まるで母親じゃんか!
バカにしないでほしい。
僕は時間が経つにつれて苛立っていた。どんなに綺麗でも、どんなに話しやすくても、教師は教師だ。教師と生徒では、それなりの関わり方があるはずだ。
一歩譲って、年下から好きになって攻めるならまだ理解できる。世の中の教師と生徒の恋愛関係は、おおよそ下から上へのルートでは?
教師から好意を寄せられる。例えば女の子だったら、恐怖でしかないだろう。
「ええっと。倉庫の棚の一番上のピンクの買い物カゴの中、に入ってるんだけど……」
体育倉庫は空気が澱んでいて、ちょっとカビ臭く、じめっとしていた。外の大雨に伴って湿度が特に高い。そして暑い。立っているだけでじんわり汗が出る。
「ピンクのカゴ……あれか。結構高いところにあるな。なんであんなところに?」
「共用のコードはもう一つあったんだけど、誰かにパクられちゃったんだよね。で、あれしかないってさ」
「脚立がないと厳しそうです。持ってきますね」
僕は近くの六段ある脚立を組み立てた。先生は微動だにしない。
「せっ、生徒にやらせるのは怪我するかもしれないから、先生が登るよ。だからついてきたんだ」
先生は下手な役者みたいに棒読みでそう言った。声が裏返っている。
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