だって、法律的には恋愛OKでしょ?

雫石 幸雨

意識

第1話 雨宮side 「錦戸くんの誕生日は四月末だったよね?」

錦戸にしきどくんの誕生日は四月末だったよね?」

「そうです」

「じゃ、十八歳。成人だ。ずっと待ってた」


 午前一時過ぎ、修学旅行先の京都のホテルで私たちは会った。

 明かりをつけず、月明かりに視界を託した私の部屋。

 担任のクラスの生徒である錦戸奏にしきど そうくんと、部屋のテーブルで麦茶を飲みながら話をしている。


「待ってたって、いつから?」

「んー、二年前くらい」


 私が顧問をつとめる卓球部に彼が入部して二ヶ月。あるできごとをきっかけに彼を好きになって。

 そこからずっと想ってきた。


 意を決して今日、告白したけど……丁重に断られた。


「そのまま気持ちを隠してればよかったんですよ。そりゃ、雨宮あまみや先生は綺麗な人だけども……」


 錦戸くんが顔を赤らめたのを見て、ん? と思った。

 可能性はゼロじゃない?


 部屋が暑く感じ、冷房をつける。

 五月の下旬だ。蒸してきて全国的に暑い日が続いた。しかも私たちの住んでいる仙台より、ここ京都はとても暑かった。


 例年、修学旅行は高二の秋頃に行くものだが、新型コロナが五類感染症になる2023年の五月、つまり半年後に延期された。


 錦戸くんの成人を待って告白したい私にとっては、時期も舞台も整い、都合が良かったのだけど……。





 三十分ほど前にさかのぼる。

 深夜一時にエレベーターの扉が開いて錦戸くんが現れる。私は彼が出た先で待っていた。


 ──錦戸くん、あなたのことが好きです。


 出会い頭、挨拶もなく第一声がこれだった。冷静になってみると酷い告白だ。前置きも何もない。


 しかも緊張のあまり脱水気味になり、ひとまず私の部屋に落ち着いたのだった。





「生徒に告白するなんて」

「だって、法律的には恋愛OKでしょ?」

「そりゃそうですけど、立場を考えてください。まあ、その話は置いといて……告白下手くそすぎません?」


 案の定、手厳しい評価にぐさっとくる。


「自分から告白するなんて初めてだったから……」


 絶望的な言葉のチョイスを素直に悩んでもしょうがない。足掻あがいてみる。


「告白の経験がないから偉そうなことは言えないけど、自分だったら話の流れを考えます。だいたい、なんで僕がこの時間にエレベーターで登ってくるってわかったんですか?」


 麦茶を飲んで一息つけたのか、錦戸くんは饒舌だ。 


「それは偶然だよ! 夜、目が覚めちゃって、自販機でお酒でも買おうと部屋を出て。そしたら、錦戸くんがエレベータに向かっていくのが見えた。同じ階に泊まってたんだね。で、こそっと跡をつけて。なんか買いに行ったな、と思って、戻ってくるだろうから待ち伏せしたの」

「夜中に起きちゃって、朝のお茶の買い忘れに気づいたから買いに行っただけです。ストーカー?」

「言いたいことがあったからそうしたの! 実は修学旅行中、ずっと機会を伺ってたんです。でも、ウジウジ悩んでたら時間だけ過ぎちゃって。燃料投下しようとお酒ガンガン飲んでたら、寝落ちしちゃって」

「あー、だからあんなに酔っ払ってたんですか」


 お酒は大好きだ。普段から飲みに行くことはしょっちゅうある。告白後に脱水になったのは飲んだせいでもあるけど。


「先生も出会い頭に急に告白されたらビビるでしょ。というか、普通逃げます。ちゃんと対応した僕はえらい」

「はい。そうだよね。ごめんなさい」


 生徒から説教されるなんて……。

 でも悲しむ前に本心を伝えよう。


 錦戸くん、と私は厳しく呼びかける。


「ここからは真面目な話。ちゃんと聞いて」


 彼ははいと答えて背筋を正した。


「お願いだから、もう一度チャンスをください。私の気持ちに嘘偽りはありません。あなたのことが好きです……」


 面と向かって再告白した。部屋が暗くて言いやすかったけど、やっぱりめっちゃ恥ずかしい! 顔が沸騰してしまう。耳の先から溶けてなくなりそうだ。


「だって、先生、今何歳ですか?」


 錦戸くんも恥ずかしいのか、真っ赤になってた。その反応だけが救いだった。


「私? 二十七歳です」


 なぜ九歳下の生徒を好きになってしまったのか。全ては後輩の何気ない一言から始まったのだった。





「雨宮さん、あなたは年上がいいんじゃない?」


 そう言われた二十歳の夏、バイト先の先輩からの紹介で、五歳年上の男性教員と付き合った。


 一年でダメになった。頑張って付き合ってみたけど、結局、恋愛対象としてみられなかった。当時、失恋したばかりで引きずっていたのもある。


 彼は別れた後も人として尊敬はしていた。とにかく優しいくせに頼りがいがあるのだ。普段は抜けてるけど、要所要所は抑える。こういう先生がいたら、もっと勉強が楽しかっただろうなと思う。


 教育大学に入ったくせに、この頃の私は教育実習のしんどさを経験して進路で揺れていた。この人との出会いは、教師になる意思を固めるきっかけとなった。


「雨宮さん、同い年がいいのでは?」


 そう言われた教師一年目、合コンで知り合ったタメのシステムエンジニアと付き合った。これも一年くらい付き合って終わり。最初の人と同じく、なんとなくで付き合ってダメになったパターン。


「雨宮さん、それなら、生徒にしてみてはどうですか?」


 そう言われ……っておい!!


 突っ込んだ先は二つ後輩の牧田万智子まきたまちこ先生だ。教師の割りに常識はずれというか、奇抜な発想をする子。中学か小学校教師だったら大変だったと思う。


 でもその性格が面白いし、聞けば大学の後輩だったり、お酒好きの共通点もあって、一番仲が良い。よく二人で飲みに行く。


 新卒の彼女と仲良くなり始めの、ある飲みの席で、その突飛な発言は起こった。

 

「雨宮さんの好みがよくわかんないんです。顔はめっちゃいいし、フレンドリーだからすぐ彼氏ができそうなんですけど、こだわりが激しい。話を整理すると、初恋の人をいつまでも引きずってるやつですよね?」

「う、うん」

「じゃ、その人に似た人を探せばいいんです。サンプルは普段たくさん接してるから、そこから探したほうが速い」


 私も自分で自分の好みがわからなくなってきた。かっこいい人はもちろん気になるけど、かといって顔で選んでいるわけでもなく、共通点は優しいくらいしかなかった。


 何よりも、私の人生で初恋のインパクトが大きすぎた。それと比較すると、男のすべての要素はちっぽけにしか思えなかった。


「万智子ちゃん、サンプルって言い方。下手すりゃ犯罪、下手しなくても懲罰ものじゃん」

「十八歳なら? もう大人です。そして卒業さえすれば完全にいい。だったら、高校生のうちにキープしておいて、その子が大学生になったら付き合う、学生結婚するでOK。仕事のモチベも上がるし、一石二鳥♪ ね、条件に合う男の子がいないですか〜?」

「ばか! いるわけないじゃん」


 ──いた。


 この話をしたのは二年前の夏。すでに錦戸くんと出逢っていた。


 彼を初めて見た時、私の初恋の人に顔や仕草が似ているなと思って、ちょっとはドキドキしたけど、将来楽しみな子だなと思うくらいで、恋愛感情はなかった。

 それが、万智子ちゃんの冗談に当てはまったのがわかると、奇跡を感じた。運命を感じた。


 そして恋に落ちた。


 学生結婚してくれるかはわからない。錦戸くんは冗談も言えるけど、根はかなり頑固で真面目だ。有り得なくはない?

 浮かれてるだけかもしれないけど。


 三十歳までに結婚もしくは結婚前提の彼氏がいる理想の将来を考えると、今が自力で相手を見つけられるギリギリの年だ。

 人によって遅いと怒られそうな考え方だけど、人は人。私は私の考え方で行く。





「二十七歳……そんなに離れてたんですね。五歳くらいだと思ってた」

「五歳差って、二十三? 錦戸くんが入学した時、私大学生になっちゃうじゃない」

「あ、そうですね」


 たまに抜けてるところもいい。


「いろいろ考えたんだけどさ」


 立ち上がって、部屋を歩き回りながら私は語り始めた。


「あなたのことは好きだけど、成人とはいえ学生。だから、今は私と付き合って、とは言わないし、別に返事を求めていない。卒業までは、あなたをサポートできればそれでいいかな。卒業の日に改めて返事をもらえればいい」

「つまり、今は気持ちだけを伝えたかったってこと?」

「そう! 二十七歳がこんな悠長なこと言っててバカみたいだけど、でも、これしかないって決めたんです」


 墓場までこの秘密を持って行くことも考えたけど、もうこうなってしまったのだからしょうがない。


「その代わり、二十七歳と付き合うとどうなるかも知っておいてほしい。結婚を前提としたお付き合いになる」


 大事なことだ。はっきり言っておく必要がある。


 錦戸くんは神妙な面持ちで話を聞いていた。


「もちろん、君が私のこと、恋愛対象外とか、ほんとーに、生理的に無理って言うなら、きっぱり諦める」

「いや、そんなつもりじゃ……色々考えないといけないなと思って、思考停止で断っちゃっただけです。それに、告白下手くそでしたし」

「下手くそですみませんねー」

「……」

「ま、いいか。じゃあ、まだチャンスはあるってこと?」

「……はい」


 喜びに震えた。

 どんな博打だろうと、当たる可能性が残っているならば、人は浮かれるものだ。居ても立ってもいられなくなるものだ。


 教師だろうと所詮人の子。あれこれ考えるよりも、流れに身を任せてもいいんじゃないか。


 衝動を抑えきれず、無意味に窓に近づいては、満月が綺麗などとつぶやき、再び席に戻っては、錦戸くんの麦茶を注いだ。


 ふと、時計を見る。慌てる。


「もう二時!? こんな時間まで付き合わせてごめん! じゃ、また今度、じっくり話し合おう!」

「……」

「……ん?」


 顔を覗き込んでみる。

 目をつぶっている。

 寝息を立てている。

 椅子に座ったまま──寝てる!


 え、急に? この時間だし、しょうがないか。


 のほほんと和んだのも束の間、急激に別の感情に心が埋め尽くされる。

 晴れの日が一転、雷鳴、夕立に襲われるかのように。酔いが一発で覚めた。


 生徒が教師の部屋で一晩はまずいって!!


「起きて!」


 さすがに張り手するのもこのご時世いかに、と思ったので、錦戸くんのほっぺたをつねる。

 うーん変顔かわいい。いや、起きろ。

 かわいい! 起きろ!!


 嫌だったのか、ハエを叩き潰すかのように裏拳で抵抗される。普通に痛い。寝てるとはいえ、結構な威力だ。


 諦めた。ベッドに寝かせようと、錦戸くんを背負ってみたが、重すぎて雪崩れるように倒れて四つん這いになる。


 せっかく引いた汗が再び吹き出すのを感じながら、床から這うように移動する。息も切れ切れにベッドまで辿り着くと、そのままへばりついた。


 すると、今更ながら背中に伝わる人の体温を実感した。寝息も頭の後ろで規則正しく鳴っている。


「〜!」


 偶然とはいえ、後ろから抱きしめられたような錯覚に私は胸がいっぱいになった。

 思えば、人の温もりを受けたのは五年前が最後だな。


 って。いやいや!

 こういうのはちゃんとお互い同意しないとダメだって!


 癒しと不道徳の極地からなんとか脱出すると、途方に暮れた。どうするか、この子。


 とりあえず、息が苦しくないよう、錦戸くんを横向きに寝かせ直すと、もう片方のベッドからシーツを引っこ抜き、彼にかける。


 私は床に膝をついて立ち、ベッドに寄りかかりながら錦戸くんの寝顔を近くで眺める。


 髪はくせっ毛で、丸顔、印象的なくりっとした瞳がまぶたに隠れている。かっこいいというより可愛い感じ。喉仏がデカい。


「ほんっと、進藤くんに似てるな……兄弟みたい」


 ちょっと揺らいでいた決心が再び固まる。


 よし。じわじわ攻略してやる。

 来年の三月にOKをもらう。

 そこでダメなら諦める。


 まずは今日のことが誰かに気づかれなかったら、が前提だけど。


 そう神に誓ったところで、意識の糸は切れ、倒れるようにベッドに横になった。


 果たして、私は賭けに勝ったのだった。

 朝の六時に目が覚めた時、錦戸くんは姿を消していた。


 テーブルにメモがあり、無事に自分の部屋に戻れそうということ、話の続きはまた後でお願いします、との旨が書かれてあった。


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