第28話 桜の下の迷宮〈前編〉

 小学校に行くのは何年振りだろうか。いや、自分が通っていた学校ではないので初めてとも言えるが。


「押本様ですね、谷口先生から伺っています。どうぞこちらへ」

 警備員に校庭まで案内されると、青空の下、小さな魔法使いたちが練習に励んでいた。騎士や召喚術師、それにエルフも何人かいるようだ。合わせて20人ぐらいだろうか。

 今回の依頼は、東湯乃原小学校マジックギルドの視察である。


〜三日前。

「押本っ、今仕事が入ったぞ」

「ちょっと待てっ、何か掛かったっ」

 リールを巻くと竿がしなった。

「また地球じゃないのか?」

「いやっ、これは大きいっ」


〝ブツッ〟


 慌てて竿を強く引いたら、糸が切れてしまった。残念ながら根掛かりだったようだ。

「魚が必要なら、なぜ魚屋で買わないんだ?」

「で、依頼の内容は?」

 竿を縮めて、バケツの中の小さなフグを海にかえした。

「もう帰るのか?」

 海を覗き込む凛子は名残惜しそうだ。興味はなさそうだったのでついて来るとは思わなかったが。

「今のが最後のルアーだ」


 3月とはいえ防波堤の風はまだまだ冷たく、専用のダウンジャケットを買ったのは正解だった。凛子は電熱コートにダウンジャケットを二枚着込んだ耐寒仕様である。


「依頼内容は、アドバイスが欲しいそうだ」

「アドバイス?」

「視察の要請だな。場所は隣町の小学校だ」

「帰りに寄るか?」

「日時指定がある。次の日曜日の午前10時だが、問題ないな?」

「あーー大丈夫だ」

「ちょっと特殊なケースになるので、押本一人で頼むぞ」

 もう少し暖かくなれば、遊漁船に乗るのもいいだろう。それまでに経験を積んで少しは上達しておきたいものだ。


「おーい凛子、帰るぞ」

 俺は荷物を背負うと、カニを追いかける凛子を呼んだ。

「魚屋には寄らないのか?」

「どうせさばけないからな。それより、そのライフジャケット付けたまま風呂に入るなよ。一回使うと終わりだからな」

「だから予備のボンベを買えと言ったのに」


 取扱説明書によると、ジャケットは水に濡れると炭酸ガスが自動的に放出され、膨張して浮き輪になる仕組みだ。水泳レベルの如何いかんに関わりなく、全ての人に推奨される救命具であり、水辺が安心できる場所になるのだ。しかし、炭酸ガスボンベは使い捨てである。

「泳ぐ練習がしたいのに……」


 痩せた白髪混じりの男性教師は、大きな魔法の杖を手に笑った。

「昨年の秋頃に、地域のスポーツ振興団体として認められましてね、月に一度はこうして小学校の校庭を借りるようになりました」

「すると谷口先生は、休日出勤ですか、大変ですね」

「いえいえ、私はここの教員ですが、あくまで外部団体の役員という立場でして、マジックギルドのお世話は好きでやっています」

 他にも生徒の保護者らしい、若いお父さんやお母さんたちが10名ほどいる。もちろんログイン済だ。


「みなさん親子で熱心なマジユニユーザーですよ」

 小さな炎や氷のかけら、光の玉が魔法使いの間を飛び交う。

 エルフの放った矢をかわして転げ回っているのは、召喚された……カボチャだろうか。

 血だらけに見える騎士は、どうやら腐ったトマトの自爆攻撃をまともに受けたらしい。


「待てーーっっ!」

 剣を振り回す女の子が、一匹のまだ青いトマトを追いかけている。

「……スポーツ振興団体ですか」

 これを微笑ましいと言っていいのか、何とも不思議な光景だ。

「ええ、野球やサッカーと同じく、体を動かすいわゆる〝ゲーム〟ですので」

「アドバイスを、と言うことでしたね」

「はい、本来マジユニのレーティングは12歳以上ですので、小学生の子供たちにどうやって指導していいものやら、我々も手探りでやっています。そこで、客観的なご意見を頂ければと」

「なるほど。ただレーティングはあくまで推奨で、絶対ではありませんからね」

「それと実は、いくつかのユーザーグループが集まって、いずれ競技大会を開こうと相談をしているんですよ」

 話が大きくなってきた。

「そこで勝手なお願いで恐縮なのですが、できれば押本さんには特別顧問に就いていただいて、運営側から競技会イベントへの支援をいただけないかと」


『ちょっと特殊なケースになるので、押本一人で頼むぞ』

 凛子が言っていたのはこれか。


 マジユニのユーザーグループが規模は別にして各地で結成されているのは知っていたが……競技会を開くとなるとそれなりに費用もかかるし、ユーザーの自主企画とはいえ運営のサポートは検討の余地がありそうだ。


「私の特別顧問就任は別にして、参加予定の他のユーザーグループの状況も教えてください。運営の公式サポートは前向きに考えましょう」

「おお、それはありがとうございます」

「ゲームマスターとも相談しますよ」

 と、これは建前で言っただけで、この案件は凛子から俺に丸投げされたので、結局は俺の一存で決まるのであった。既に俺の中では協力すべきだと判断しているが。

 いきなりサポートを承諾すると、却っていい加減な運営だと思われかねないので、ここは慎重な姿勢を見せておこう。

「もう少し見学をさせてください」

「ええどうぞ、見学はご自由に。どうせでしたら、押本さんもログインして参加されませんか?」

「えっ、私はその……今日は視察ですので」

 もうちょっとでレベル20になるのだ。それまで待って欲しい。


「せんせーっ、変な穴みつけたよーっ」

 青いトマトを追いかけていた騎士の女の子が戻ってきた。

「あそこの桜の木に入り口があるのっ。トマトが入って逃げちゃった!」


 みんなで剣を掲げる女の子についていくと、大きな桜に人が入れそうなぐらいの穴が開いていた。

 覗いてみると、地下への階段が見える。


「押本さん、これは……」

「はい、これは運営によるあからさまな罠ですっ」

「いえ、これはダンジョンに通じる入り口では!」

 谷口先生の目がキラキラと輝いている。ふと周りを見ると、子供達だけではなくお父さんやお母さんたちも既に突入の準備は整っているようだ。

 夢が期待で膨らみ、破裂しそうになっている冒険者の群れを誰が止められよう……。


『ちょっと特殊なケースになるので、押本一人で頼むぞ』

 凛子が言っていたのはこれか!

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