第9話 病気のお母さん、スキルで治る
少女の名前はミーアというらしい。
ミーアのお母さんは体が弱く、今はミーアが働きに出て、回復薬を買っているそうだ。しかし母親が流行り病にかかり、もっと多くの回復薬が必要になってしまった。
今のミーアの稼ぎでは到底賄うことができない額だ。そうして思いつめた結果、今日、ついに盗みを働こうとしてしまったという。
「働きに出てるって、どこにだ?」
「……裁判所。あたし、読み書きができるんだ。死んじゃったお父さんが教えてくれたから……だから書類を書き写す仕事をしてる」
「…………」
路地裏からミーアの家に向かう道すがら、俺はやや眉を寄せた。
裁判所は司法議会の管轄だ。多くの書類が必要になるのでそれを書き写す仕事は確かにある。しかしミーアのように小さな女の子を雇うことなどまずないし、裁判所務めならばそこそこの高給はもらえるはずだ。
見れば、アスティも怪訝に思ったらしく、歩きながらこっちを見ていた。俺は小さくうなづく。
……少し調べてみるか。
そうこうしているうち、ミーアの家に着いた。路地裏の小道に隠れるように建っている、狭い家。衛生状態も決していいようには見えない。
「……ここだよ」
ミーアがそう言い、家の扉を開く。
「お母さん、ただいま」
「……ああ、お帰り。ミーア」
ベッドにはやせ細った母親が寝ていた。ミーアの姿を見ると嬉しそうに顔をほころばせ、体を起こそうとする。途端、ゴホゴホと咳きこんでしまった。
「お母さん! 起きなくていいから……っ」
「……ごめんね。ミーアにばかり苦労を掛けて。今日のお仕事はどうだった? また裁判官さんに褒めてもらえた?」
「あ、う……うん!」
まさか盗みを働こうとして捕まった、と言えるわけもない。ミーアは一瞬顔を引きつらせ、しかしすぐに取り繕うような笑みを浮かべた。
「あのね、ジグアス裁判官が『ミーア君は書類の扱いが丁寧だ』ってまた褒めてくれたよ。あたし、スジがいいみたい。たぶん、この分だとどんどん出世しちゃうんじゃないかな」
「良かった……。裁判所で経験を積ませてもらって、いつかお城で働くのがミーアの夢だもんね」
「う、うん……」
「ミーアはお母さんの誇りよ。お父さんも天国できっと喜んでくれてるわ」
「…………」
ミーアの唇が小さくわなないていた。盗みを働こうとした罪悪感によって、少女の胸が押し潰されそうになっているのが手に取るようにわかった。
そしてミーアは弾かれるように口を開く。
「ごめんなさい、お母さん! あたし、今日……っ」
「こんにちは、お邪魔してまーす」
ミーアの言葉を遮るように俺は言葉を発した。少女が驚いたようにこっちを見るので、苦笑しながら肩をすくめる。
「あら、お客様……? ごめんなさい、気づかなくて」
「ああ、いいんです、いいんです。そのまま寝てて下さい」
「ミーアのお友達ですか? それとも……あ、裁判所のお仕事関係の方かしら?」
「いえ、俺たち、ミーアちゃんに財布を拾ってもらったんです」
「――え?」
ミーアが驚いたように目を見開く。
同時にアスティが幼馴染の以心伝心で合わせてくれた。
「あたしが大通りでお財布落としちゃって。それをミーアちゃんが拾って届けてくれたんです」
「まあ、そうなの? 良い子ね、ミーア」
母親が心底嬉しそうにミーアの頭を撫でる。ミーア自身はまだ驚いた顔をしていて、そんな彼女に俺とアスティは笑みをみせる。
ミーアはもう十分に反省している。スラれる時点で俺は気づいていたし、盗る瞬間に防ぐこともできたから、厳密には盗めていなかったと言い張ってもいい。だから病床の母親を心配させるような告白をする必要はない。
俺たちの意図に気づき、ミーアは涙ぐんで唇を噛んだ。
「さて、それじゃあ本題に入ろう。――アスティ」
「おっけー! お母さん、ちょっと回復薬見せてもらっていいですか?」
「え? あ、はい……」
母親の枕元にはライトグリーンの液体が入った瓶が置かれていた。アスティはその瓶の表記を見て、薬品名や成分を確認する。民を救うことは教会の大切な仕事の一つなので、神官見習いの彼女は回復薬にも精通している。
「ゼペルの薬草にHP回復用のポーション、あとは……ああ、状態異常用に赤の小砂も入ってるね。だけど、どれも量が少ないかも。成分のほとんどがただの水。回復成分はちょっとだけしか入ってないみたい」
「え、そんな……っ!? これ、ジグアス裁判官がお母さんのために取り寄せてくれた高級な回復薬なんだよ! 回復成分がちょっとだけなんて、あるはずない……!」
裁判官のジグアスか。
よし、名前は覚えた。
でも今はミーアのお母さんの問題を解決するのが先決だ。
「アスティ、いけそうか?」
「んー……そうだね。成分は少ないけど、流行り病にも効く組み合わせではあるから、大丈夫だと思う。体力もアップして、体も強くなるはずだよ」
にこっとアスティは笑う。
「効果が数千倍になったらね?」
「オッケー」
アスティが瓶のふたを開けてくれて、俺はそこへ手を伸ばす。
「お母さん、ちょっと光りますけど、気にしないで下さい」
「はい? 光るって一体どういう……」
「こういう感じです。――
魔術の光が輝き、回復薬が渦を巻いて瓶から出てくる。それは見る間に形を変え、俺の手のなかでライトグリーンの剣になった。
「回復薬の聖剣、完成っと」
突如、回復薬の見た目が変化し、ミーアは唖然とし、母親もひどく戸惑っている。
「え? え? なにそれ……っ!?」
「ま、魔術師の方だったんですか……?」
「あー、まあ、そんな感じです。お母さん、ちょっと触ってみてもらえますか? 害はないんで安心して下さい」
効果としては俺が以前にケガを治した、ポーションの聖剣と似たようなものだ。しかしまさか娘の前で母親を斬るわけにもいかない。俺は聖剣を向けるというより、平行になるようにして母親に触ってもらう。指先がほんの少しだけ刃に触れた。その途端――。
「あ、ああっ、これは……!」
「お母さんっ!?」
母親の全身がライトグリーンの光に包まれた。
見る間に顔色が良くなり、肌もツヤツヤになっていく。数千倍になった回復薬の効果が効いているのだ。
「……呼吸が苦しくない……体も羽根のように軽いわ……」
「回復薬の力を数千倍にしました。その辺の霊薬並みの力があるはずです」
「え、それじゃあ私の体は……」
「もう大丈夫です。完全な健康体。流行り病も治ってるはずですよ」
「まあ……っ」
母親は驚いた様子でベッドから立ち上がる。さっきは上半身を起こすだけで咳きこんでいたのに、もはやそんな様子は微塵もない。
そんな母の姿を見て、ミーアは呆然と立ち尽くしていた。
「お母……さん……?」
「ミーア、見て。お母さん、治ったわ!」
「……ほ、ほんとに?」
「本当よ。おいで!」
「お、お母さん……っ!」
母親が大きく腕を広げ、ミーアはそのなかへと飛び込んだ。しっかりと抱き締めてもらった瞬間、大声を上げて泣き始める。
「ごめんね、今までミーアにいっぱい苦労を掛けて……っ。もう大丈夫だから。これからはお母さんがミーアを守るからね……!」
大粒の涙を流し、母と娘は抱き締め合う。
その光景を前にして、俺とアスティは頬を緩めて笑い合った。
◇ ◆ ◆ ◇
「そういえば……ミーアは城で働くのが夢なのか?」
ミーアの家からの帰り道。
大通りまで送ってくれるというので、その道すがらに俺は聞いた。ミーアは出会った時よりずっと明るくなった表情でうなづく。
「うん! 死んじゃったお父さんも昔、お城で働いてたらしいんだ。だからあたしも裁判所でたくさん勉強して、いつかお城で働きたくて」
「そっか」
小さくうなづき、俺は隣のミーアを見る。
「考えてみたら、まだ名乗ってなかったな。俺は――レオだ。よろしくな」
アスティが「ん?」とこっちを見た。城下町でのリックではなく、本名を名乗ったことに気づいたようだ。さすがは幼馴染というところか。
「ミーアちゃん、あたしはアスティだよ」
「レオ、アスティお姉ちゃん、お母さんを助けてくれてありがとう。あたし、この恩は一生忘れない!」
真剣な表情でミーアは深く深く頭を下げる。
そうして大通りを出たところで別れ、最後まで大きく手を振っていたミーアに手を振り返し、俺たちは家路に着く。
「ミーアちゃんとお母さんが喜んでくれて良かったね」
「だな。町に来たのは正解だったろ?」
「むー、そう言われると頷かざるを得ないけれども」
「はは」
「……ね、レオ、さっきミーアちゃんに本名で名乗ってたよね? それってそういうこと?」
「んー」
夕焼けのなか、俺は思案する。
「正式に決めるのは、ミーアの仕事ぶりを見てからだな。あとは……」
「あとは?」
裁判官のジグアスって奴の動向が気になる。
まだ子供のミーアを薄給で働かせていたり、効果の低い回復薬を手配したのもジグアスらしいからな。
「ちょっと裁判所まわりのことを調べておこうと思う」
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