第3話 女神は空の神殿で暇してるらしい

「……オ……レオ……ねえ……」


 誰かに呼ばれている気がする。

 重たい瞼をどうにか持ち上げ、俺は目を開く。


「う……」

「あ、起きた?」

「……アスティ?」


 どうにか体を起こし、そして目を見張った。


「どこだ、ここ……」


 白亜の柱が何本も連なった、神殿のような場所だった。俺は祭壇のようなところに寝かされていて、穏やかな風が絶えず吹き抜けている。


 それもそのはず、柱の向こうには空があった。

 どこまでも続く、青い空。驚くべきことに雲は神殿の下にあるように見える。それはすなわちこの神殿が遥か上空にあることを意味していた。


「なんだ、ここ……」

「すごいでしょ? あとね、あたしはアスティじゃないよー?」

「は?」


 どう見てもアスティな美少女が笑いかけてくる。

 ブロンドの髪、青い瞳、白い肌、どこをどう見ても、俺の幼馴染のアスティだ。


「何言ってんだ? 頭でも打ったのか?」

「いやいや頭を打ったのはレオの方。ついでに頭がぱっかーんってなって死んじゃってるから」

「死んだ? 俺が? なんで……あっ」


 そうだ。俺はアスティと訓練場のそばにいたんだ。そして増築中の宿舎の屋根から女神像が落ちてきて……潰された。


「安心して。あなたの可愛いアスティちゃんは無事だよ。レオが守ってくれたおかげでね、かすり傷で済んだの。すぐに神官や僧侶がきて回復呪文を掛けてくれたから、痕も残ってないよ。でもレオは死んじゃった」

「いや……俺、生きてるけど?」

「ううん、死んでる。ここはあたしの聖域だから、魂が形を保ってるだけ」

「なあ、さっきから何言ってるんだ、アスティ? アス……ティ?」


 言葉の途中で俺は口をつぐんだ。

 アスティだと思っていた。

 どこからどう見ても俺の知ってるアスティだ。

 でも……微妙に大人びている。


 アスティは俺と同じ17歳のはずだが、目の前の彼女は成人しているように見える。美少女というよりは美女という形容が相応しい。ブロンドの髪もいつもより長く、羽根のような意匠のドレスを着ているが、これも見たことがない。


「あたしはね、女神様なの」

「めが……み?」

「そう。あなたの土地を守護する、フェリックスの女神様」


 穏やかな微笑みは温かさを帯び、確かに女神のようだと思えた。


「それで……アスティそっくりの女神様が俺になんの用なんだ?」

「んー、ちょっと謝りたくて」

「謝る?」

「ほら、あたしの像が原因でレオは死んじゃったわけでしょ?」


「確かに……」

「だから生き返らせてあげようかな、って」

「マジか!?」

「マジマジ」


 思わず身を乗り出すと、女神は調子を合わせてうなづいた。


「女神様のすべしゃるパゥワーであなたを地上に返してあげましょー」

「やった! ありがとな、助かるよ!」

「嬉しい?」

「嬉しい! このまま俺が死んだら、アスティがめちゃくちゃ気にするところだった……っ」

「…………」


 なぜか女神は苦笑した。

 そして吐息のように囁く。


「……本当、変わらないよね、そういうとこ」

「え? なにが?」

「べっつにー」


 女神は笑いながら首を振る。

 そういう仕草はまんまアスティに見えるんだけどな。


「ついでに女神様からすぺしゃるなスキルもプレゼントしてあげましょー」

「スキル?」


 俺は目を瞬いた。

 スキルというのは生まれ持った天賦の才のことだ。


 フェリックス王国では呪文を用いた『魔術』が発展している。魔術は学問の範疇であり、理論上では努力次第で誰でも使えるようになる。しかし『スキル』は違う。こちらは完全に才能の領域で、生まれながらに持っていないと使えない力だ。


 しかも多くのスキルは魔術を凌駕する。よってスキル持ちの人間はある種の超越者として王国でも重宝されている。


「ふふー、どう? どう? 嬉しいでしょ?」

「あー……」


 どこか自慢げな顔をする、女神。

 一方、俺はちょっと考えて、簡潔に答えた。


「スキルはいいや。別にいらない」

「なんでっ!?」


 女神が目を剥いた。


「スキルだよ、スキル! それも女神様からの特別のやつ! ちょー強いし、ちょー便利なのに、なんでいらないとか言うの!?」

「や、別に俺、生き返ってアスティを安心させられたらそれでいいんで。あ、しいて言うなら即位してから法律変えたいんだけど、それも自分の力でなんとかするし」


「もー、変なところで欲がない! そういうとこなんだからね!? いいからもらって行きなさい! これがあったら王国の人たちをたくさん救えるし、生き返ったら早速使う機会だってあるんだから!」

「え? 使う機会って、どういう意味――おわっ!?」


 女神が手をかざすと、光り輝く花のようなものが現れ、それが俺の胸へと押しつけられた。同時に風が舞い、体が後方へと吹っ飛ばされる。白亜の柱がいくつも視界の横を通り過ぎ、その先にあるのは――。


「そ、空ぁっ!?」


 神殿の外に放り出された。

 そこにあるのは青い空と白い雲海。


「ちょ、嘘だろ!? 落ちっ、落ちるーっ!」


 俺の体は真っ逆さまに落下していく。

 祭壇の方では女神が満足げに「ばいばーい♪」と手を振っていた。


 そうして眼下の雲に飲み込まれる寸前のこと。


 女神の無邪気な笑みにふっ……と哀しみの色が混ざった気がした。落下の突風に遮られて、彼女の言葉はもう俺の耳には届かない。


「ずっと見守ってるから……」


 美しい唇から祈りのような言葉がこぼれる。


「――今度こそ幸せになってね、レオ」

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