第9話リタイア…
過去の出来事に昔の自分に一区切りつけることが出来ただろう。
きっとそうだと思いたい。
許すことの方が大変だと何処かの誰かが言っていたような気がする。
本当にそうだろうか。
人を恨み続けるほうがエネルギーを使わないだろうか。
簡単ではないが許してあげたほうが簡単にも思えてならない。
もしかしたら俺は全校生徒にいじめられていたと思いこんでいただけかもしれない。
本当のところはただ悪口を言われて誂われていただけかもしれない。
心の何処かでそんな風に思っていたから簡単に許せたのだろう。
俺にも少し鈍感なところがあったのだとすれば、それは幸運なことにも思える。
鈍感力が高ければ他人がどう思っていようとも気付かないことができる。
敏感に何でもキャッチしてしまう方が生きづらくて大変だろう。
そんなことを仕事帰りの車の中で軽く考えていた。
赤信号で停車すると胸ポケットからタバコを取り出して一本咥えた。
そのままライターで火をつけると少しの考え事を整理するように数回吸っては吐くを繰り返した。
信号が青に変わってもうすぐ自宅が見えてくる頃のことだった。
マンションの前に見覚えのある派手な女性の姿を目にして俺は嘆息する。
「ここまで…しつこいか…」
夜のお店で再会した同級生、斎場薫子は俺の車を目にすると駐車場の方へと歩いて向かってくる。
少しの恐怖のようなものがあったが俺は少なからず決意していた。
タバコを完全に消して灰皿に捨てるとエンジンを止めて車を降りた。
「こんばんは。どうして連絡返してくれないの?」
車から降りるとすぐに斎場は俺を咎めるような言葉を口にする。
「どうしてって…。知らないならちゃんと言っておくけど…俺は七瀬博己だよ?同じ高校の…皆がいじめの対象にしていた太っていた七瀬博己。君からも散々誂われていた。そんな相手に今は夢中って…おかしいだろ?」
事実を口にして手を振るとその場を後にしようとする。
「そんなこと言って…私を煙たく思っているだけでしょ?その話だって誰かから聞いただけじゃない?そう言えば、私が気持ち悪がって逃げると思ってない?でも信じないよ?あの七瀬博己がこんなに筋肉質なイケメンに変わるわけがない。たかだか四年でどうすればそんなに変わるっていうの?」
諦めてくれない相手を説得するのは本当に骨が折れる。
俺は深く嘆息すると首を左右に振って事実であることを主張した。
「残念だけど…本当のことだから。建設業で働き続けて…日々の肉体労働で筋肉質になっただけだよ。皆が大学に通っている間も俺はずっと体を動かして働き続けた。四年もあれば人は変わるよ。ごめんだけど。俺は君に興味ないな」
それだけ言い残すと俺は自宅のマンションへと向けて歩いていく。
後ろを付けてくる足音は聞こえてこずに一安心するとそのままエントランスへと向かった。
オートロックのキーを解除した所で斎場は走ってドアを通り過ぎてくる。
「今思えば…別にそれでも良いって思えるわ。あの七瀬博己でも…今はこんなにイケメンなんだから…」
目のハイライトが完全に消えている斎場を目にして俺は危うい気がしてしまう。
「申し訳ないけど…出て行ってもらえないかな?俺は招いたつもりはないけど…?」
完全に相手を否定する言葉を口にすると斎場は鞄の中を探り出す。
なんだろうと不審に思っていると鞄の中からキラリと光る何かが見える。
まずいと一瞬で判断するとエレベーターに乗るか階段を駆け上がるかを一瞬で判断した。
エレベーターは確実にまずいと瞬時に判断すると俺は非常階段のドアを開けて一気に駆け上がった。
相手も追いかけてきているようでヒールのコツコツと鳴る足音が聞こえてきた。
慌てないように全力で階段を昇りきると目的階のドアを開ける。
そのまま自宅の鍵を開けて中へと身を隠す。
鍵をしてしばらく呼吸を整えていたが相手は部屋番号までは知らないようだった。
ふぅと息を吐くとスマホで警察に電話をかける。
ストーカーの女性が刃物のような物を持って追いかけてきた。
自宅のマンションをうろついている。
その様な内容を口にすると警察官はすぐに駆けつけてくれるのであった。
結果から言うと斎場薫子はストーカー条例違反と銃刀法違反でそのまま連行される。
俺も自宅で取り調べというか事情を聞かれるので話をする。
警察は理解しているのかしていないのか。
それは分からなかったが、とにかく斎場を連行してくれたようだ。
俺は引っ越すことをおすすめされた。
翌日から物件探しをしようと本日は非常に疲れ切った身体を湯船で癒やしていくのであった。
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