第4話 ハズレ知らず

 インクが乾いた頃合いで、娘は青年にペンを持たされた。

「雨を降らせたい日付と時刻を、裏に書き込んでみな」

 村を出てから、見よう見まねで覚えた数字を書き込む。

「うーん。時刻が一文字裏返ってるから、効果が微妙だけど……まあ、いいか」

「どの字?」

「これ、な」

 青年が、鏡文字になってしまった数字を指差す。

「書きなおすから、ペンを……」

「いや、書き直したら余計にマズい」

 娘の手が届かないように、頭の上高くにカードを上げて、青年は主さまに灰皿と火種を求めた。


 やはり、この部屋には、お湯を沸かすような炉はないとみえる。


 時間を掛けて緻密な模様を書き込んだカードは、灰皿の上で、あっという間に灰になった。

「さて、明後日の天気を楽しみにしてな」 

 一仕事終えた開放感のようなものを滲ませて口角だけで笑うと、青年は冷めたお茶を飲み干した。



 そして二日後。

 その日も朝から働く娘は、籠いっぱいの洗濯物を干す。口の端だけで笑った、青年の顔に舌を出すような気持ちで、晴れ渡った青空を見上げる。


 昼から雨なんか、降るわけないじゃない。

 と、思っていたのだが。


 お昼を過ぎて、宿屋の玄関先を掃除していると、雲が増えてきた。

 慌てて、見晴らしのいい四つ辻まで、箒を手にしたまま、駆けていく。

 お城の向こう。うらない路地のある方角から、灰色の雲が湧いているのが見えた。


 ただ……娘の書いた鏡文字の影響か。

 少し多めの打ち水程度に道を濡らしただけで、雨は上がった。


 少ない雨量ではあったものの、かつてない敗北感を味わった娘は、それ以来、天気を聞かれるたびに、ペンを握る青年の真剣な眼差しを思い出す。

 そして、雨雲を目にするたびに、カードに描かれたあの模様を、頭の中で再現しようとしてしまうのだ。


 あの模様を自分でも描けるようになりたい。

 それがダメなら、せめて一枚。手元に欲しい。


 模様と青年に魅入られたようになった娘は、再び、うらない路地を訪ねた。



 路地の入り口近く。香袋を作って貰った店に立ち寄る。

「ああ、この前の」

 娘が腰に着けた香袋を見せると、店の女性は愛想良く応じた。

「今日こそは、主さまのお茶を買いに来たのかい?」

「いえ。この前の、雨を降ら」

 途中まで言ったところで、娘は口を塞がれて店の奥へと連れていかれた。


「今はそれを言っちゃいけないよ」

 怖い顔で嗜めた女性が、そっと店先を覗く。

「何か、あったの?」

「お城の役人の見回りさ」

 触法スレスレの存在である路地なので、魔法を使った呪いまじないが行われていないか、抜き打ちの見回りが来るらしい。


「私のお守りなんかは、子供騙しに近いんだけどさ」

 女性は、さっきまで自分が使っていた腰掛けを娘に勧めると、台に並んだ髪飾りの位置を、少しずつずらしてバランスを整えた。

「たまにね。嫌がらせをされたりするんだよ」

 さっきも通りすがりに二つほど髪飾りを壊されたと、女性は肩をすくめる。

「そんな、ひどい」

「まあ、あいつら今頃は、主さまから“健康増進”のお茶でも飲ませてもらっているんだろうさ」

 そして、手土産に高めのお茶の一包みでも持たせて、気分良く帰らせるらしい。


 店番のような顔をして娘が店先に座っている間に、偉そうな歩き方の役人が主さまを従えて、通り過ぎていく。

 丁寧に頭を下げて、役人を見送った主さまが、何事もなかったような顔で、娘の前に戻ってきた。


「やあ、いらっしゃい。今日は買い物かい? それとも……」  

 言葉を切った主さまが、すっと屈んで、娘の耳元で囁く。

「また、天気を占いに?」

 『青年に会いに来た』と見透かされて、娘の体が強張る。

 そんな彼女の様子を、チラリと確認して。

 主さまが、更に低い声で言葉をかさねた。

「ハズレ知らずの天気師さん?」


 驚いた娘が、腰掛けごと飛び退って……転んだ。


「あらあら、主さまったら。何をいじめているんですか」

 大丈夫? と、店番の女性に助け起こされる。

「お茶を淹れてあげるから、ちょっと落ち着こうね」

 優しく娘に言い聞かせて店の奥へと向かう女性の背中に、主さまがストップをかけた。

「お茶は、いいよ。お嬢さん、これから“彼”も呼ぶから、私の所で話をしよう」

 有無を言わさぬ真剣さを主さまの眼差しに感じた娘は、腰のあたりの土埃を軽く叩いて頷いた。



 この日、路地を歩いている人は少なかった。

 役人の見回りを見かけた客たちは、関わり合いを恐れて、早々に立ち去ったらしい。

「これだけでも、営業妨害なんだけどね」 

 少しだけ困ったような声で主さまが、ぼやく。

「さっきのお店でも、髪飾りを壊されたそうです」

「うん。彼女の店はね、路地の端だから。どうしても、真っ先にやられる」

 若い女の子が好きそうな小物を扱っているあたりが、偉そうな役人には“誰にも怒られない壊しやすい場所”と映って、軽く扱われるらしい。


 うらない路地の置かれた立場を、垣間見たと、娘は思った。



 主さまの家で、再会した青年に

「雨を呼ぶ模様の書き方を、教えてください」

 と、頭を下げた娘だが、すげなく断られた。

「それを習ってどうする? 百発百中、完全無欠の天気師にでもなる気か?」

 そんな気が……なかったかと問われれば、頷くにも躊躇する自分の心に、娘は愕然とする。


「あのな。あんた……北の街で、かなり有名になってただろ?」

「いや、それほどでも」

 そこそこ稼ぐことはできたが、門前市を成すほどではないと、否定した娘に

「あっぶねぇな」

 青年が呆れた顔をする。


「いいかい? お嬢さん。お城のお抱え天気師でも、四割は外すものなんだよ」

「え? 四割も、ですか?」

 それは、また。あまりに低レベルではないだろうか。

 主さまの話に、娘が驚いていると

「その上で、だ。あんた、あの街で『ハズレ知らずの天気師』なんて二つ名を付けられていただろ? 城にバレたら最後、魔法使いの判定を喰らいかねん」

 青年までが、予想外のことを言い出した。

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