第3話 天気を観る青年

「どうして、ここで天気師に会おうと思ったんだい?」

 飲み終えたカップを掌で包むようにした主さまが尋ねる。

 娘が暮らす辺りなら、旅人相手の天気師が何人か仕事をしているはず。

 そう言われて、娘は

「ここでは、未来を占ってくれると聞きました。未来が分かるなら、天気なんて簡単に当たるかと」

「ふむ」

 カップを店番の女性に返して、主さまは腕組みをすると、目を閉じて何やら考え始めた。


「主さまが考えてる間に、生地を決めてしまったら? 香袋の中に入れる香草も選ばせてあげるよ」 

 空いた三つのカップをお盆にのせた女性に促されて、娘は再び端切れの籠に手を入れる。

「この香袋もね、虫除けのお守りなんだよ」

「ムカデとか蚊とか?」

 母が晴れ着と一緒に置いていたのだから、衣喰い虫を避けるのかも? と、娘は考えたが、

「それだけじゃないさ。恋のお邪魔虫から、金食い虫。いろいろ効果はあるんだよ」

 そう言って笑う女性は、使ったカップを目隠しカーテンの裏へと運ぶ。



 桃色と緑の端切れを手にした娘が、どちらにするか悩んでいると、

「明日の天気くらいなら、私も占ってあげられるが……。あいにく、空を観るのが得意な者が遠出をしていてね。急ぎの占いかい?」

 と、主さまに問われる。

「いえ、急ぐ用事ではないのですが……」

「さっき話していた香袋が出来上がる頃には、戻ってくるようだから、四日後においで」 

 帰ってすぐは、彼も疲れているだろうし

……と、続いた主さまの言葉に

「四日後は休みではないので……もう少し、先になりませんか?」

 安宿に住み込んでいる身分では、そこまで自由になる時間はない。


「だったら、彼には話を通しておくから、香袋を取りに来た時に観てもらえばどうだい?」

「あ、ありがとうございます」

 頭を下げた娘に主さまは

「その時は、ついでに私のお茶も買っておくれよ」

 ちゃっかりと、商品の売り込みもするのだった。



 娘が次に路地を訪れたのは、半月ほど経ってからのこと。

 頼んでいた香袋を受け取って、吊り紐に施された“縁結び模様”の組紐に歓声をあげたりしたいるうちに、再び主さまが店頭に顔を見せた。

「やあ、来ているね」

 日課の見回りの途中だと言う主さまに誘われて、娘は店を出る。


「彼は私の所で待たせているから、ついておいで」

 前回は結局、路地の入り口の店だけで帰ってしまった娘は、歩きながら辺りをキョロキョロしてしまう。

 主さまも、左右の店から声をかけられたり、ちょっと覗いたりと、娘の歩調に合わせるようにゆっくりと足を運んで。

「私の家は、路地の奥だからね。路地の端から端まで見ることができるよ」

 そう言って、路地に建つどの店よりも大きな建物を指差したのだった。



 通された居間には、浅黒い肌をした細身の男性が、二人を待っていた。年の頃は、娘より少し年上とみえる。

「この子が、例の……?」

「そう。天気を観て欲しいそうだよ」

 主さまに引き合わされて、娘が頭を下げる。

「とりあえず、いつの天気? 明日? 明後日?」

 挨拶もそこそこに、男性は本題に入った。

「明日の天気を、お願いします」

「うーん。晴れだな」

 これが、うらない路地の天気師か……と、考える娘に、青年がずいっと顔を近づけて

「雨、降らしてやることも、できるけどな?」

 挑発めいた笑みを浮かべる。

 その表情にカチンときた娘は

「降らしてみせるなら、明後日の夕方で」

 逆に日時を指定する。


 娘の見立てでは、明日の午前中は曇り。昼からもしかしたら、通り雨があるかも……といったところ。元から降りそうな日に『降らせてやろうか』は、ないだろう。

 降らせるものなら、絶対に降りそうにないタイミングで、降らせてみせろ。

 親戚とのトラブルで、故郷を飛び出した娘の、負けん気が頭をもたげる。


「ふむ。明後日、か。どうだ? 受けてたつか?」

 二人のやりとりを眺めていた主さまが、面白そうにニヤリと笑った。

「そこまで言われちゃぁ、やるしかないでしょう」

 気合いを入れるように強く手を叩いて青年が立ち上がる。

「お嬢さん、これからが見ものだよ」

「何を、いったい?」

「まあ、ひとまず、彼についていこうじゃないか」


 三人は、隣の部屋へと移動した。


 板敷の床に胡座をかいて座った青年の前には、数枚のカードが乗った座卓が置いてあった。

 白紙のカードを一枚、手に取る。ペン先をインクに浸す。


 群青のインクが、大きく小さく渦を描く。

 小さな渦の隙間には、みっしりと円が書き込まれて。微細な余白が、慎重に塗りつぶされた。

 大きな渦と渦の合間に、赤インクが格子のような模様を描く。

 薄墨色が格子に影をつける。

 

 掌で包み込めるほどのカードが、模様で埋め尽くされるまで、小半刻ほどかかっただろうか。

 フッと息を吐いて、青年がペンを置いた。


「これで、乾くまで、しばらく待つ。乾かないことには裏返せない」

 という、彼の言葉を聞いて、主さまがお茶の支度を始める。

 娘が路地に初めて来た時に振る舞われたお茶と同じ手順であるのだが、今日の彼女は違和感を覚えた。


 主さまは、いつの間にお湯を沸かしたのかしら?

 この部屋には、焜炉など火の気は無いように見えるのに。

 そういえば、香袋を作ってもらった女性も鍋敷に置いてあったヤカンから熱いお湯を注いでいたように思う。


 これが、うらない路地。なのか。

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