第35話 リリラスの想い出

【前話までのあらすじ】


ルメーラ湖の湖底に沈んでいた『水泡の腕輪』を無事に拾い上げたロスだった。しかし、喜びも束の間、まるで安心して眠るように『水泡の腕輪』は白い粉になってしったのだった。

◇◇◇


【本編】


 ペドゥル国へ帰ると、ロスたちは足早に削壁通りを抜けて西の門へ向かった。


 今回はジュリス・ランから話が通っていたのだろう。ロスたちの姿を見ると門番ドリはすぐに門を開放した。


 「やぁ、ジュリス、今帰ったよ」


 「帰った? まさかあなたたち、もう行ってきたの?」


 ジュリスは持っていたフルーツミルクをコトンとテーブルに落とした。


 貫禄マダムが大声で閉店を知らせると、客らは「またか!」とぼやきながら出て行った。


 そして、店内にはジュリスとロスたちのみとなった。


 「それで..」


 「約束通り、見つけたよ」


 「ほ、本当に!?」


 「まぁね、ただ—」


 ロスの話を制止するようにリジが口を挟んだ。


 「ちょっと待って、ロスさん。その前にジュリス・ランに確認を取りたいの?」


 「確認? 今更、何を確認するって言うの、リジ・コーグレンよ」


 「私たちは、『水泡の腕輪』を見つけて持って帰った。だから、ここでもう一度、あなたと交わした約束を確認したいの。口に出して言って」


 「ああ、そういうこと。わかったよ。『水泡の腕輪』を渡してくれたなら、私はあなたたちの質問に答えるわ」


 リジはロスに向かって頷いた。


 「ライス、ジュリスに宝石箱を渡してやってくれ」


 「うん」


 ジュリスは鞄から取り出された宝石箱を、お土産に胸を躍らせる子供のように受け取った。


 しかし両手に箱が置かれた時に、ジュリスはすぐに理解したのだ。


 そしてうつむきながら静かに箱を開けた。


 そこには白い粉だけが入っていた。


 「そうか.. 見つけて来てくれたのだな。ありがとう.... だけど、だけど私が望んだのは『水泡の腕輪』だ。亡骸なんかじゃない」


 「え? でも私たちは見つけて来たわ。それは認めたわよね」


 リジの問いかけにジュリスは少しうつむき黙ったが、悲しみや怒りがごちゃ混ぜになった気持ちを抑えることができなかった。


 「こんなのは.. こんなのは『水泡の腕輪』なんかじゃ—」


 「ううん。これは『水泡の腕輪』だよ。この腕輪は再びあなたに会える日を待ち望みながらがんばっていたんだよ。そして、今、あなたの手に帰る事ができた。腕輪の気持ちわかるでしょ。あなたなら」


 ライスの手が腕輪とジュリスの小さな手を包み込むと、彼女は目に溜めた涙をこぼし落とした。そして見た目相応の若い女の子のように声をだして泣いた。


 しばらく胸を貸していたライスがジュリスの頭をなでながら言った。


 「もう泣かないで。その腕輪の代りにはならないかもしれないけど....」


 ジュリスの腕に巻かれたのはリリラスの花でつくられた腕輪だった。


 「え? こ、これは?」


 「へへへ、朝、ルメーラ湖のほとりに咲いてた花で作ったんだ」


 「リリラスの花.. 綺麗なルメーラ湖にしか咲かないリリラスの花だ」


 ジュリスは興奮気味に言った。


 「そうだよ。ルメーラ湖に奇跡が起きたんだ。角人のシルバとそこのライスが起こした奇跡だ」


 瘴気に侵され腐り果てた湖が元の美しい湖に戻った、あの奇跡を話して聞かせた。


 すると、ジュリスはさっきよりもっと大きな声で泣くと、ライスに向かって『ありがとう』を何度も言うのだった。


 ・・・・・・

 ・・


 「そのとおりだ。私はロス・ルーラの言う通り『マフェルス』だ。私は大昔にルメーラ湖に住んでいた。あの湖が大好きだった.. あの澄んだ水を見ていると、この世界を愛おしくも思えたんだ」


 「ああ.. 確かにルメール湖には、心を純粋にしてくれる不思議な力がある湖だった」


 「ロス・ルーラ、まるで見た事があるように語るのだな」


 「あっ、いや、昔読んだ本に素晴らしい描写で書かれていたんだ」


 「ほう、そうなのか? それは凄い筆者だな」


 「ところで、『水泡の腕輪』は普通の腕輪ではないな。どういうものだったんだ?」


 「あれは、私の特別だった。私と女神レイスとの友情の証だったんだ。あれは、まだこの世界が闇に穢されるずっとずっと昔の話だ....」


——

 私はいろいろな場所に移り住んでいた。


 だが、私が住む場所には、エルフが住み着き、やがて決まって人間がやって来るのだ。


 その度に私は何度も住処を変えていた。


 そして私はルメーラ湖の近くの森にやってきた。


 その湖はどこの湖よりも美しかった。


 その美しさに惹かれて多くの精霊が住み着き、周辺の森や草花さえも美しく変化していった。


 やがて、そこにも人間がやって来た。


 人間は建物をつくり住み着いたが、私はそこを離れることが出来なかった。


 それくらいに私はルメーラ湖に心を奪われていたのだ。


 ある日、湖の畔でリリラスの花の香りを楽しんでいた。


 あまりにも陽射しが気持のよい日で、私はつい草花に囲まれながら眠ってしまった。


 そして、聞こえて来た楽しそうな鼻歌に目を覚ました。


 そっと顔を上げると、そこには女神さまが舞い降りて水浴びをしていらしたんだ。


 それはもうルメーラ湖に引けを取らないくらい美しい方だった。


 女神さまはそれから何度も水浴びに来ていらした。


 ある日、女神さまは、風に揺られるリリラスの花のような声でおっしゃられたんだ。


 「草の中にいる者よ。こちらにいらっしゃい。私とお話ししましょ」


 私は女神さまが舞い降りる気配を感じると、いつも女神さまを見つめていたんだ。


 恥ずかしながら女神さまはそれに気づいていらしたんだ。


 「あなたがいつも私に会いに来てくれたことは知っていましたよ。いつ話しかけてくれるのかなと待っていました。ごめんなさいね。あなた『マフェルス』だったのね」


 「あ、あの.. こちらこそ..ごめんなさい」


 「私は女神レスト。もしよかったら、あなた、私のお友達になってくれない?」


 「は、はい。わ、私はジュリアンヌ・ラセルト..です」



 それから女神レストさまがルメーラ湖にいらっしゃった時には、おしゃべりをしたり、木の実を食べたり、リリラスの花で花冠を作ったりして遊んでくれた。


 ただ女神レストさまは、『ジュリアンヌ』という私の名前をすぐに忘れてしまいジュリスと呼んでいたんだ。


 「ジュリス、ここの湖がどうしてこんなに美しいか知っていますか?」


 「さぁ、わかりません」


 「ふふふ、それはね、あなたがこの湖を愛してくれているからなのよ。ありがとう」


 「え? それは誤解です。私がここに流れ着いた時にはもうこの湖は美しかったんです」


 「それはね、あなたの純粋な心で描いた湖がここに映り、そしてそれが実物になったのですよ。それはあなたの能力なの。だから、いつまでもここに居て、湖を愛していてね」


 「はい」


 私は女神さまに認められたことに、舞い上がるほどうれしかった。


 その時、湖からいくつもの泡が浮かび上がると、その泡が腕輪となった

 


 「これはルメーラ湖を愛する私たちの友情の証よ」



 そして女神レスト様は私の腕に『水泡の腕輪』を巻いてくださった。


 しかし、あの闇の者たちが、美しいルメーラに住み着くと、自然も精霊も人も全てを穢してしまった。


 そして、私は瘴気に穢され化け物になっていく精霊を目の当たりにすると、逃げだした。

——


 「私はルメーラ湖を見捨てて、女神レスト様との約束を破って逃げ出したんだ!」


 そういってうずくまったジュリスの手を取ってライスは言った。


 「違うよ。きっとジュリスが無事でいてくれて喜んでいる。『よかった』って喜んでいるよ」


 「あ、ありがとう、ライス」


 ジュリスが涙を流すたびに、ジュリスの濃い化粧が薄くなっていき、本来の美しく神秘的な『マフェルス』へと変わっていった。


 「ロスさん、これは?」


 ジュリスの変化にはロスも驚いていたが、それよりもあの『マフェルス』の心さえも動かすことが出来るライスに驚いていた。


 嘘を見抜くマフェルスは決して口先だけの言葉に心を動かされることはない。


 マフェルスが美しい純真さを取り戻すという事は、その鏡となったライスの心もルメーラ湖のように深く澄み切っているということなのだ。

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