第33話 瘴気と静謐
【前話までのあらすじ】
ジュリス・ランの望みを叶えるために、ラクル地区への森の道でロスたちの前に現れたのは『闇の従者』のひとりモノクルだった。風景と同化するモノクルに苦戦を強いられたが、リジ、ライス、アシリアの連携で見事に撃退した。ロスは若い冒険者の成長に喜ぶが、一方『闇の従者』の出現に不安を感じた。
◇◇◇
【本編】
強敵モノクルと対戦し勝利したリジ、ライス、アシリアの3人。
その後は凶悪魔獣の代名詞、トリュテスクローやムカデ魔獣マミラなどが現れたが、リジの剣かライスの炎で決着がついた。
実際の所、ライスが暇を見つけては行っていた練習が効果的で、彼女の魔法の練り上げが強化されていた。火炎球ひとつにしても凝縮された密度ある炎に変化していた。
しかし、ライスの魔法は向上したが、彼女と契約する属性精霊が増えることはなかった。
古文書や魔法の書の知識を持つロスも、その原因はわからなかった。
やがて鬱蒼とした森から陽射しの明るい丘へ抜けると、目の前にラクル地区の全容が広がった。
闇の最強従者である覇王ガゼと勇者ソルトの壮絶な闘いは今から600年前の出来事だ。
腐りはてた魔獣や闇の者はこの地に瘴気となって残ってしまった。大地の草木は枯れ、空気は毒素が混じり、鳥さえ飛ばない大地となった。
闘いの後、多くの魔法使いや僧侶たちが大地を清めようとしたが、強力な瘴気を消すことはできなかった。やがて人間がこの地に訪れることはなくなっていった。
だが、目の前に広がるこの景色はどうであろうか。
あの全てを吸い込むような闇色に凝り固まった不毛な大地は、今、草花に覆われ、穏やかな風に花の香りが漂っているではないか。
その景色を前にロスの瞳から涙がこぼれていた。
目の前の小さく白い花の可愛さにライスがはしゃいでいた。
「ロスさん、ここが本当に『滅びのラクル』と呼ばれた地なの」
「いや、ここは、もう君たちヴァン国人の本当の故郷、ルメーラ国さ」
「あのね、変な質問していい? ロスさんはルメーラ国に来たことがあるんじゃないの?」
おおらかなライスとは対照的にリジは鋭い子だ。ロスの昔懐かしむような潤んだ瞳に、そんな質問が口から滑り落ちるのは自然な事だった。
「ははは。それは本当に変な質問だね。たまたま大昔の本に書いてあった描写に似ていたもので、感動してしまったんだよ。まぁ、所謂、浪漫ってやつだね。さぁ、先を急ごうか」
ロスは頬の涙を何気に拭った。しかし、ごまかそうとするロスの笑顔が、かえってリジに違和感を覚えさせてしまった。
・・・・・・
・・
ロスたちが丘を2つ超えると既に太陽が傾き始めていた。
当然、野宿の準備をする必要はあったが、ロスはどうしてもあの美しかったルメーラ湖とその畔にあった城がどうなっているのかを見ておきたかったのだ。
ロスはこの丘の草花をみて、どうしても踊る心を抑えきれなくなった。
女神レイスさえも訪れた世界で最も美しいルメーラ湖が、再び目の前に広がることを願っていた。
だが、それは淡い願いだと現実が冷酷に語った。
廃墟となった城を囲むように腐臭のする巨大な水溜めがあるだけだったのだ。
「..600年.. もう600年も過ぎているのだ。なのに、まだ足りないというのか」
ロスは黒い岩がむき出しとなった大地に膝をついた。
肩を落とすロスにリジもライスも声をかけることが出来なかった。
ただ、その虚しいだけの景色に涙を堪えていた。
あまりに悲しそうなロスの背中に角人のシルバが抱き着いた。
「ロスさん、きっと変わるよ。丘の草花が言ってたよ」
するとジャスミンの香りとともにアシリアが現れた。
「ロス・ルーラ。この子の言ったことは本当だ。森も丘の草花も負けなかった。きっとここも変わる」
アシリアがロスの肩に手をおいた。
その時、夕日の光が角人シルバの角に反射した。
そして、腐った湖の上にかつて世界で一番美しいと言われたルメーラ湖の映像が重なったのだ。
それはきっとロスの心に描いていた本当のルメーラ湖の姿だ。
ライスもリジもシルバもアシリアでさえ、心奪われる風景だった。
どこまでも透明で青い輝きを放つ湖、そしてその光の反射が城壁を美しく照らす。白い鳥が舞い降り、風が吹くとわずかに湖面が震え、そしてまた鳥が飛び立っていく。
その美しい風景に誘われるようにライスが湖に歩いて行った。
「ライス..」
ライスは靴を脱ぐと湖に脚を入れていく。
それは..ロスが昔みた光景によく似ていた。
両足を入れるとライスは美しい笑顔をロスへと向けたのだ。
「レイス..」
「ロスさん、いけない。あのままではライスが、瘴気の毒素に!」
リジの声にロスは気を取り戻した。
「(そうだ。今、ライスが浸かっているのは瘴気の腐り水だ)」
強力な瘴気に穢れきった水につかれば、ライスの体もただでは済まないのは明白だった。
ロスが走り寄ろうとするが、アシリアがロスを引き留めた。
「ロス・ルーラ、あの娘は何者だ.. 私たちは今、何を見ているのだ..」
ライスの額が割れると深くそして透明な青い瞳があらわれた。
そして両手を開くとライスは湖上を歩き始めた。
「私の名は『静謐の魔人ダリ』。私には聞こえる、この湖の精霊の悲しみが..」
ライスの瞳から涙が湖面に落ちると、彼女の足元が少しずつ輝きはじめた。
腐った湖が清らかなあの美しい湖へと姿を変えていく。
その深く青い輝きは、あの頃の湖そのものだった。
湖面に反射した夕陽が、崩れかけた城壁に澄みきった朱光となり揺れている。
額の瞳が閉じるとライスは湖に倒れた。
ロスは走った。
全力で走り、湖に飛び込んでライスのもとまで泳いだ。
「ロス・ルーラ。あの男も謎だが、あのライスは何なのだ」
「ライスはライスだよ、アシリア。どこまでいっても私たちの仲間でしょ」
リジは即答した。
「ふんっ、お人好しな人間ばかりだな。だが....そうだな」
そう言うとアシリアはロスに抱きかかえられたライスを見つめていた。
その視線は他の人間に向けるような冷ややかなものではなかった。
しかし、リジの心には確かに謎が残った。
角人の角に反射する映像は、その者が今までに見た最も美しい景色のはず。
あの時の映像はシルバの想い出ではない。
あれは確かにロス・ルーラのものだった。
なぜ、600年前のルメーラ湖の景色をロスは知っているのだろうか?
そしてリジは気が付いていた。
ロスがライスの名を「レイス」とつぶやいたのを..
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