【ディスク2】商人息子の夢

「調理師免許取る事にしたわ。コンビニバイト辞めてカフェのバイトに入る。料理学校を卒業してない代わりに、実務を規定以上の時間数やれば問題ないみたいだし」

 コンビニバイトから戻ってきた商人息子ナーシルが、食べたオニギリをみそ汁で流し込みながら、そうポツリと呟いた。


 時間は深夜。既に他のメンバーは眠りについている。

 アタシは居間の座卓で明日の会議の資料を作っていたので、たまたま起きていた。

 仕事から帰ってきた商人息子ナーシルが風呂に入っている間に、簡単な夜食を作る。

 風呂からあがった商人息子ナーシルは、それを頬張りながらさっきの事を伝えてきた。

 といっても。

 二人きりじゃない。

 座椅子に座ってパソコンを開いているアタシの、胡坐あぐらをかいた膝の上では、元猫騎士ガブリエルが丸くなって寝てたし、アタシの横には元犬司祭ラファエルが寝そべって寝息を立てている。背中をアタシの膝にくっつけてて暖かかった。

 座卓の上に置いたタオルの上では、桃茄子ピエプがスヤスヤと眠っていた。


「いーじゃん。将来的にはお店も持てそうだね」

 キーボードを叩いて会議資料を作りながら、アタシは商人息子ナーシルの言葉に同意する。

「そうだなァ。小さな喫茶店とかやっても面白いかもな。俺、この世界に来て珈琲ハマったし」

「バリスタとか? そっちも資格が必要なのかな?」

「国際資格があるみたいだな。それも取れれば就職にも有利になるみたいだし。ま、そっちはゆくゆくって感じだけど」

「夢広がるね。凄くいいと思う」

 戸籍を取得できた事により、商人息子ナーシルは新しい道を模索し始めていた。凄く良い事だと思う。この世界で夢を広げてその方向に向かえるって、凄く素敵な事だと思った。

 アタシのように、ただ漫然まんぜんと生きるなんて彼には似合わない。


 みそ汁を飲み終わり、オニギリが乗っていた皿とお椀を台所へと片付けた商人息子ナーシルは、こちらへと戻って来ながらも、ふと口を開いた。

「最初はさ……金貯めて独り暮らししようかと思ってたんだけど」

 ──独り暮らし。そのワードに、思わず私のキーボードを打っていた指が止まる。

「今は悩んでる。犬猫増えたし、かなり生活費キツイだろ? コンビニ辞めるから深夜手当がつかなくなって、しばらくの間は少し給料減るし。ま、居酒屋もタイミング見てもっと良い時給のキッチンバイトに変えるつもりだけどさ」

 頭をカリカリと搔きながら、商人息子ナーシルが座卓の前に座った。

「ナーシル」

 そんな彼に、アタシは真っすぐに顔を向ける。

「金の事は気にすんな。自分の思うように行動しなよ」

 ハッキリとした口調でそう告げると、商人息子ナーシルは驚いたかのように目を見張った。

「でも──」

「金がキツイのは事実だけど、ナーシルに寄りかかり続けるつもりはないよ。白茄子エグプ金茄子ゴエプがパートの仕事やろうかなって言ってたし、なんとかなる」

 彼の言葉を遮ってそう伝えると、商人息子ナーシルが苦笑いして前髪を後ろへと撫でつけた。

「もうさー。そういうの言われると複雑な心境になるよ? なんで簡単に俺を手放しちゃうのかな。もしかして、俺の事邪魔?」

 少しおどけてそういう商人息子ナーシルに、アタシは真剣な声で返答する。

「まさか。邪魔なワケないじゃん。でも」

 そこで一度言葉を切り、アタシはパソコンの横に置いてあった湯呑から冷めたお茶を一口飲んだ。

「この家に縛り付けたくもないんだよ。ナーシルの人生はこれからじゃん。やりたいようにやって欲しいの」

 もう、彼は戸籍もある一個人だ。アタシが世話をし続ける必要もない。

 この家から出たいのであれば、引き留めるつもりもないし、引き留めてはいけないと思ってる。


「ハルトはたぶん独立は無理だろうからずっと家に置いとくけど、ナーシルは違うでしょう? 自分の人生、歩いていっていいんだよ?」

 もし希望するなら、白茄子エグプ金茄子ゴエプエルフショタスヴェン王弟殿下イグナートも、この家を出て行っても良いと思ってる。

 金髪王子ハルト一人と犬猫ぐらいであれば、アタシの給料でも養える。

 ま、金髪王子ハルトも出来る事を少しずつ増やせるようにサポートして、アタシがいなくなっても一人で生活できるように仕込むつもりではいるけどね。


 そう思って、湯呑を座卓の上に置く。

 すると、その手をガシッと商人息子ナーシルに掴まれた。

 突然だったのでビックリし、彼の顔を見る。

 間近に寄せられた商人息子ナーシルの視線とぶつかった。

「やっぱり俺は、対象外なの?」

 普段は人をナナメに見て、あまり正面からぶつからないようにしていた商人息子ナーシルの真剣な表情にドキリとする。

「もう、望み、ナシ?」

 これは冗談のたぐいじゃない。

 アタシの視線が思わず泳いだ。

「……分かんない。そういう目で見たことないし」

 それは事実だ。

 つい先日まで、アタシは商人息子ナーシルを二次元キャラで子供だと思っていたから。

「ただ……アタシはふさわしくないだろうな、とは思ってるよ」

 そう、拒絶の言葉を吐いた。

 商人息子ナーシルの、アタシの手を掴んだ手から少し力が抜けた事を感じた。

「どういう意味?」

 続けて問われた言葉に、アタシは脳内をまさぐって言葉を探す。

「ナーシルはやっと二十一になったぐらいじゃん。でもアタシ、もう三十六になったよ。年齢が違い過ぎる」

 これは事実だ。動かしようのない。

 これでアタシが五十で商人息子ナーシルが三十五とかだったら、また違ったのかもしれないけれど。


「俺は気にしてないのに?」

「アタシが気にするんだよ」

 商人息子ナーシルの言葉に、アタシは速攻で否定の言葉を被せた。

「まだ二十歳ハタチそこそこの青年を──世間ではまだ大学生だったりする子を、そういう目で見る事に抵抗感があるんだって」

 これを性別逆にして考えるとシックリくる。

 三十六が男で二十一が女性だったとしたら。

 なんか、気持ち悪い。

 だから自分も、気持ち悪い。


 アタシは、商人息子ナーシルの手から自分の手を引き抜いた。

 パソコンをパタンと閉じて座卓の上を片付ける。

「だから無理」

 座椅子から腰を浮かした。膝から元猫騎士ガブリエルが転がり落ちたが気にしなかった。

 そのまま自分の部屋へと戻ろうとして──

 自分の頬に、スッと手があてがわれた。

 見ると、商人息子ナーシルもアタシに合わせて腰を浮かしており

「じゃあ、子供じゃないって、見せればいい?」

 そう、小さく呟いた商人息子ナーシルの顔が段々と近づいてきて──


「いってぇ!!」

 そんな悲鳴をあげて、商人息子ナーシルが畳の上に突然転がった。

 見ると、商人息子ナーシルの足に、元猫騎士ガブリエルが噛みついていた。

「油断も隙もない!! 俺がいる所でそんな事させねぇぞ!」

 商人息子ナーシルの足から口を離した元猫騎士ガブリエルが、やんのかスタイルでそうガルガルと怒りの声をあげた。

「私がいる事もお忘れなく」

 そう言いつつ、スルリとアタシと商人息子ナーシルの間に体を入れてきたのは元犬司祭ラファエルだった。

「ミーの目の黒いウチは、そんな抜け駆けみたいな真似させないピュシャよ!」

 バタバタという羽音をさせて宙に舞い上がった桃茄子ピエプは、ゲシゲシと商人息子ナーシルの頭を突っついていた。


「ちっきしょう……ッ! いいところだったのにっ!!」

 噛まれた足をさすりながら、商人息子ナーシルが批難の声をあげる。

「百年早い! 出直せ!!」

 尻尾をゴン太にしてそう怒鳴る元猫騎士ガブリエル

「ミーの警戒網を搔い潜ろうとした報いだピュシャ!」

 桃茄子ピエプは、元猫騎士ガブリエルの頭にチョコンと乗って、同じように体を膨らませて威嚇していた。

「さぁ、よし子様。お仕事が終わったのであれば我々と共に寝室へ参りましょうか」

 元犬司祭ラファエルはそう言って、浮かし気味だったアタシのケツに鼻先を入れて、グイグイと立たせようとしてきた。


「……待て。もしかしてお前ら、よし子と一緒に寝てんのか?」

 畳の上から体を起こした商人息子ナーシルが、元猫騎士ガブリエルの身体を持ち上げてそう問いただす。……元猫騎士ガブリエルの体、めっちゃ伸びるなぁ。

「はははは! 当たり前だろう! 俺は猫だ! よし子と一緒に寝て何が悪い!」

「そうです。我々はむしろ、まだ肌寒いこの季節によし子様を温めているんですよ?」

 元猫騎士ガブリエル元犬司祭ラファエルが、そう得意げに言い募った。

「ミーは別ピュシャな。寝相の悪いよし子に圧縮インコにされたくないピュシャ」

 桃茄子ピエプが余計な一言を添えたので

「悪くねぇわ」

 一応、ツッコミを入れておいた。


「マジかよ、よし子……」

 元猫騎士ガブリエルから手を離した商人息子ナーシルが、信じられないモノを見るかのような視線をアタシに向けてきた。

「いや……犬と一緒に寝るのは、まぁ実家で犬飼ってた時からの習慣だし……猫も、まぁ、そういうものかなって」

 これが人間だったら勿論嫌だけど、今、犬と猫だし。事実、あったかいし。


「……やっぱ、独り暮らしはナシだな。暫くまだこの家にいるわ」

 そう言って立ち上がった商人息子ナーシルは、元猫騎士ガブリエルの身体をひょいっと持ち上げつつ、元犬司祭ラファエルの首輪をガシッと掴んだ。

「何をする!?」

「その手を離してください!」

 抗議の声をあげた二匹に

「この季節はまだ肌寒いんだよ。あっためてくれや」

 そう言いつつ、商人息子ナーシルは暴れる元猫騎士ガブリエル元犬司祭ラファエルをズルズル引きずって、自分の部屋へと戻って行った。


「骨は拾ってあげるピュシャ!」

 アタシの肩に留まった桃茄子ピエプが、引きずられる二匹に向かって、そういじわるそうに笑う。

「なんで男と添い寝せにゃならん!」

「嫌です! 嫌ですってば! ちょっとォ!!」

 そんな二匹の悲鳴が、廊下の奥へと消えていった。

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