【ディスク4】女友達との夜

 自分の中で、何かがブツッと切れたのを感じた。

 酷く冷静で、仕事も恐ろしくはかどった。

 集中力もエグくって、気づいたら会社には誰もおらず、そろそろ終電にも近い時間だと気がついた。


 あ。昼も食べてなかったな。今気づいたわ。

 そろそろ帰らねば──そう思って後片付けをしてPCの電源をOFFったが、帰る気にはならなかった。


 アタシはスマホを取り出し、メッセージアプリでポシポシと言葉を打つ。

 白茄子エグプに対し、終電に間に合いそうもないから帰れない事、だから明日の朝食もいらない事を淡々と書いて送信した。


 返事はすぐ来た。

『了解ギョリュ』

 ……白茄子エグプって、メッセージにも律儀に『ギョリュ』って入れるんだよな。

 そんな事に少しだけ顔を崩したが、表情も気持ちも続く事はなく。

 そのまま冷静に会社近くの飛び込みで入れるビジネスホテルを検索し、すぐに予約を取った。


 ***


「で。家に帰らず今日で三日目、と……」

 友人の茜がそう呆れながら、キッチンから戻って来て座卓の上に缶ビールを置いてくれた。

 彼女は座卓の前の自分の座椅子にヨッコイショと座ると、自分が手にした缶ビールをプシュッと開ける。ゴクリと一口飲んでから「まぁ気持ちは少し分かるかもね」と小さく呟いていた。


 ここは彼女の家。

 窓の外から、真っ暗になった空と住宅街の明かりがチラホラ見える。五階なのでさほど高い所からではないけれど……綺麗だった。

 あー、そういえば。使いどころがなくって無駄に積みあがっていく貯金を、マンション頭金にしたいなぁと思ったのは、彼女の家に来た時だったなぁ。


 帰りたくない事をついツルっと愚痴ったら、「ビジホ連泊はお金勿体ないからウチにおいで」と茜が申し出てくれたので、遠慮なく甘えた。

 帰りたくない理由も、『乙女ゲームから連れ帰った』とは言わず、家にいる居候たちの顔を見たくなかった、とだけ伝えた。あんな異常な状況、素直に伝えた所で混乱させるだけだしねー……

 茜は、あまり深く突っ込んで状況を聞いてこないでいてくれるので、ありがたかった。


「一応、帰らなかった日の翌朝に、全員に対して『もう怒ってるワケじゃない。でも頭冷やしたいから帰らない。しばらく放っておいてくれ』って伝えたよ」

 茜に対し、そう言い訳。彼女は「そうだね。無言は良くないしね。言わないと伝わらない」と小さく同意してくれた。


 白茄子エグプからは、相変わらず『了解ギョリュ』とだけ返ってきた。彼には銀行の家族カードを渡してあるので、しばらくの生活費は問題ないと思う。スマホから銀行口座の残高も確認できるし。


 エルフショタスヴェンからは『二人はボクが怒っておいたから機嫌直して』と連絡来たけれど、『機嫌は悪くないよ。自分の問題を片付けたいだけ』と返事したら、不思議がっていた。


 金髪王子ハルト商人息子ナーシルからは返事はなかった。


 テレビのついていないリビングで、茜と二人、チビチビと缶ビールを飲む。

 静寂の時間が続いたけど、苦痛ではなかった。

 ふと見ると、茜は缶ビールに口をつけながら、ただ宙をジッと見ていた。

「……ホントに怒ってるワケじゃないし、機嫌が悪いワケでもないんだよね。ただ、本当に、帰りたくない──つーか、今はアイツらの顔を見たくない」

 そう吐き捨ててから、座卓に出された彼女手作りの煮びたしに手を伸ばす。……優しい味がして美味しかった。

 彼女からの返事はない。が。見ると彼女は優しく微笑んでウンウン頷いていた。

「なのに、なんでか仕事に滅茶苦茶集中できて、自分でもビックリしてる。どうしてだろう」

 ポツリとそう零すと、茜はうーんと首を緩く巡らせてから

「仕事に集中すると、それ以外の事考えずに済むからじゃない? 仕事って、結構出す答えとか目標が既に決まってる事多いじゃん? そこに向かうだけで済むしね」

 そう明確に答えてくれた。

 そして

「──簡単に答えが出ない事とか、自分が答えを出さなきゃいけない事って、考えるの、シンドイよ」

 そう小さく苦笑いした。

 茜も、そんな経験した事があるって事か。

 茜もアタシと同世代。やっぱりこの年代には色々あるんかなぁ。

 ……いや、アタシみたいな異常な状態、そうそうないとは思うけど……


「仕事に逃げてたって事かァー」

 アタシは缶ビールを置いて頭を抱えて机に突っ伏した。

 そうしたら、茜があははっと笑った声が聞こえる。

「仕事はいいぞォー。嫌な現実見なくていいし、やらなきゃいけない行動から『仕事』って言い訳して逃げられるし、お金まで稼げちゃうからなァー」

「やべ。中毒になりそう」

「わかりみ」

「仕事とゲームだけしていたーい」

「完全同意。ま、私はゲームしないけど」

「茜は普段何してんの?」

「普段……そうだなぁ……」

 ふと、そこで一度言葉が切れた。

 顔をあげてみると、彼女はあらぬ場所を見ながら肩凝りをほぐすような仕草をしていた。

「映画見たり、食事の作り置き作ったり、身体鍛えたり……」

「そういえば茜って、結構筋肉質だね」

 彼女の腕は、アタシのと違って結構筋肉が浮いている。痣も結構あるなぁ。

「あー……鍛えなきゃって思って、色々始めてるからねー」

「色々って?」

「柔道とか……合気道とか……個人的にはボクササイズも……」

「総合格闘家になるの?」

「いや、必要に迫らせて……」

「どんだけバイオレンスな生活してんの?」

「生きるには大変な事もあるのだよ、よし子クン」

 そう笑う茜は、嫌そうではなかった。

「……アタシも身体、鍛えよっかなぁ。運動してると、きっと嫌な事とか忘れるよね」

「仕事と一緒でね」

「それな」

 速攻でそう返すと、茜がまたあははっと笑う。釣られてアタシも笑った。


「でも、最終的に答えを出さなきゃいけない事からは逃げない方がいいよ」

 ふと、茜の声が真剣味を帯びる。

「たぶんね。流れのままに任せると、自分がキツイよ。『納得したワケじゃないのに』とかってずっと思い続けるの、苦手でしょ? よし子の場合」

 そう言われて。


 そうかもしれない。


 今の状況、納得してないんだよ。

 だからなんかずっとモヤモヤしてた。

『そうせざるを得ないだけなのに』

 って。


 そうか。

 それが答えだったのかもしれない。


 そう思う自分にムカついてたんだ。

 アイツらにじゃなく。

 エルフショタスヴェンに言った通りだ。

 これは自分の問題。

 降りかかってきた状況に翻弄ほんろうされ、ウダウダ答えを引き延ばしてた。

 サッサと答えを出せばよかったんだよ。


 よし。

 腹、くくるか。


 どんなに金銭的にキッツイ状況だって、腹をくくれば精神的にはキツくない。

 ……ちょっとしか。


「……腹決めるまで、ここに居て、いい? そんなに長居は、しない、つもり」

 アタシが膝を抱えて座り直すと、茜はニコニコしながら

「朝食と夕飯作ってくれるなら」

 そう答えて、缶ビールをアタシの目の前に突き出してきた。


「お昼の弁当もつけちゃう」

 アタシはそう答えて、自分の缶ビールを持ち上げて茜の缶にガチンと乾杯した。

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