第7話 

「ここは湖。冷たいこれは“水”って言うんだ。まだ雪が融けて間がないから、凄く冷たいだろう? 弱いカップや、怪我をしたカップなら、これに触っただけで割れて死んでしまうこともあるんだよ」


「雪? 名前の壁にあった六角形の印だよね。だけど融けるって……」

 なんだか怖くなって、五つ窪みは震えながら鋼に聞きました。


「雪はね、冬になると空から降ってくる、とてもとても冷たいもので、一年の半分の時間、この世界を凍りつかせる。そして夏になると、融けて水になる。今は夏季の初めだけど、それでもまだこんなに冷たい。本物の冬の雪は、その冷たさでカップを殺すんだ。そのくせ白くて、すごく美しいんだよ」


 カップを殺す? “冬の雪”と言うのはとても恐ろしい物のようです。

 やっぱり“白い”と言う事も“怖い”ことなのでしょうか? 昨日見た籠目のあの“黒い心”より“怖い物”なのでしょうか? そして“黒い”と言うのも悪いことなのでしょうか。

 五つ窪みは、分からなくなってきました。産まれたてには難し過ぎました。


「君や僕みたいに、デカくて頑丈なカップは冬を越しやすいんだけど、白様みたいなお年寄りや、十六夜みたいな怪我人は、寒さで割れて死んでしまうことが多い。

 冬を越せるのはとても運がいいことなんだ。大丈夫、君なら白様と同じくらい長生きできるよ。時間はある。

 だから焦らずにゆっくり学べばいい。まずは薪割りからだ。

 今日はあの一番大きなモミの木をやる予定でいる。アイツがデカ過ぎて日陰になるから、新しい苗が育たないんだ」


 言われてみれば東の果てから水辺まで、大きな三角の影が落ちています。

 その先に、五つ窪みの倍の太さはあろうかという、太くて背の高い木が一本立っていました。

 水辺から広がる草原には、たくさんの緑の小さな枝のようなものが等間隔に生えていましたが、なんだか元気が無くて寒そうでした。


「木を切るには斧を使う。その使い方を教えるから……待て! 勝手に動いちゃだめだ」


 五つ窪みは聞いていませんでした。大きな木が珍しくて木の周りを回っていたのです。

 そして湖の反対側に着いた時、動けなくなりました。そこは突然、ストンと地面がなくなって何もないただ真っ暗な闇が、下に向かってずっと続いていたのです。


「そこは世界の果てだ、落ちたら死ぬぞ!」


 鋼に取っ手を掴まれ、引きずられてモミの木の後ろに着くまで、五つ窪みは息ができませんでした。正真正銘の恐怖がそこにありました。


「全く、頼むから少し落ち着いてくれ。君といると気の休まる間がないよ」

 五つ窪み、今日三回目のションボリでした。




 4. 五つ窪み頑張る


「いいかい、斧は危ないからよく聞く事。まず動かし方の基礎を説明するからね、気持ちを集中して」

「はい!」五つ窪みは真剣です。


「じゃあ、まず僕のほうに歩いてみて」

「はい!」五つ窪みは、鋼に向かってずんずん歩きます。

「近い、近すぎ! 止まれ」

 ぶつかる寸前に鋼は避けました。踊り子時代のスピードは健在のようです。


「良し! じゃあ質問。君は今どうやって歩いたの?」

「どうって……え?」

 五つ窪みはビックリ、考えた事がなかったのです。


「そうだよね、歩くなんて当たり前すぎて考えないよね。みんな生まれつき歩けるもの。つまり君には歩く力がある。自分の体の重さを動かすだけの力があるってことなんだ」

 言われてみればその通りでした。


「ではどうやって歩いてるか、実は体を浮かせて歩いてるんだよ。昨日言ったろ?『体を見れば力のあるのはわかる』って。力の大きさは体の大きさで決まるのさ。

 今朝君は走り出したいのに、僕を待たなくちゃいけなくて『歩いちゃだめ、我慢』と思って、グルグルしたら地面に埋まっちゃったよね。

 あれは無意識に『浮いちゃ駄目』と思うから、力が反対の『沈む』のほうに動いちゃったからなんだよ」

 わかりやすい。鋼はとても良い先生のようです。


「では、次の質問、僕は今止まっています。力はどうなるでしょう?」

 すーっと斧が持ち上がりました。


「力は余っています。だからその力でものを浮かせて、こういうことができます」

 カン! 斧がモミの木の幹に突き刺さり、破片が飛び散りました。


「わー、すごい!」

「さて、次に木を倒す方向を決めて……」


 カーン! 鋼が言い終わる前に、浮いた斧が一振りでモミの木の幹を切断しました。

 モミの木はゆっくりと、鋼の植えた沢山の木の苗を押しつぶしながら湖のほうに倒れます。

 大きな水しぶきが上がり、きれいな虹が立ちました。


「やったー! できたよ。鋼さん」

 五つ窪みは大喜び。


「そうだね……」

 鋼は、だんだん名付け親を続けていく自信がなくなってきました。


 鋼にたっぷり叱られて、四回目のションボリをした後で、五つ窪みは鋸の使い方を習いました。今度はゆっくりやったのでちゃんとできました。


 その頃になると、北山から手の空いた人たちが手伝いに来て、枝と木の葉を分けて運んで行きます。枝は怪我人達を温める燃料に、木の葉は乾かしてベッドに使ったり、焚き火にします。根っこだって後で掘り出して使います。木に捨てるところはないのでした。


「いい丸太ができた。これだけあれば壁の弁償には充分だよ。よくがんばったね」

 生まれて初めて褒められました。五つ窪みは思わずうれし涙が湧いてきました。

 カップも人間と同じで、嬉しくても悲しくても、泣くのです。

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