第3話 

5. オオジロとの出会い


「産まれたての届けにきました。戸籍の登録をお願いします」


 鋼が、レンガの城の門番に告げると門が開きました。鋼に続いて入ろうとした五つ窪みでしたが、前に進めません。門の天井より、五つ窪みの縁がずっと上だったからです。


「驚いた、この天井は、オオジロ様の背丈に合わせて造られたのに、それを超えるでかいカップがいたとは」

 門番のカップはびっくりして、そして困ってしまいました。入り口は此処だけなのです。


「仕方ない……おい鋼、お前は前の方を支えろ。わしは後から支える。縁を低くかがめてゆっくり進むんだ」

 カップの高台の一点で体を支えで進む、かなり無理があります。その上、五つ窪みの体にはさっき泣いた涙が満タンなのです。


「お、重い……」

 門番さんと鋼は汗だく。自分の汗で体が重くなって、ますます進むのが遅くなります。


「ごめんなさい、ごめんなさい」

 五つ窪みは申し訳なくて、また涙が湧いてきてしまい、とうとう淵から溢れてしまったのです。その涙に鋼の高台が滑りました。


「あぶない!」

 門番の悲鳴。地響きを立てて、五つ窪みと鋼が転がり、お城の入り口は五つ窪みのぶちまけた涙で洪水になりました。


「うわーん、痛いよぉ〜」

 驚いて、お城にいた戸籍係や、清掃係や、薪割り係まで飛んできて、全員涙で滑ってしまい、お城は大混乱。その中で、五つ窪みは大声で泣きながら、さらに涙を流し続けていたのです。


「これは一体何事なの?」

 五つ窪みの泣き声を超えるほどの大声が鳴り響きびっくりして、五つ窪みは泣きやみました。純白の、門の縁ギリギリいっぱいの大きなカップが、杖を持って立っていました。


「やあ、オオジロ。生まれたての届けに来たんだけど、転んじゃって産涙が溢れたんだ」


「産涙が! 全部流れてしまったの?」

「大丈夫、白様が確認はした。すずりじゃないよ」


 硯? さっきも聞いた名前でした。


「そう……なら良いわ。清掃係、急いで拭き取って。そこの黒い産まれたての子、危ないから、じっとして」


 オオジロの指示でテキパキと処理がなされました。その姿に五つ窪みは見ほれていました。一つの曇りもない純白の体。取っ手と高台と縁取りに金がふんだんに使われています。“白い”と言うのは、こんなに美しいのだと驚いたのです。

 取っ手の一部の金箔が剥がれていたのだけが、残念でした。



 6. 名前の壁


「何とか済んだわね、それじゃあ届を受け付けます。名付け親は鋼でいいの?」


「オオジロが自ら受付とは申し訳ない」  

 鋼が恐縮しています。オオジロと言うカップは、とても偉い人のようです。


「仕方ないわ。こんな真っ黒でデカイ子、怖くて普通のカップは側にも寄れないじゃないの」

 真っ黒、デカイ、怖い……それは五つ窪みの事でした。五つ窪みはがっかりしました。


 オオジロは、そんな五つ窪みには気付かずに、尖った鉄の棒ペンを持つと歩き出します。

 五つ窪みはハッとしました。高台を引きずっています。オオジロは歩くのが不自由だったのです。杖はそのためのものだったのです。


 三人は、ずらりと煉瓦の壁に書かれた戸籍表の一番右端へ進みます。左のほうの名前は一つを除いて、全て二本の線で上書きされていました。

 五つ窪みは、その残った一つが、きっと白様なのだと思いました。隣の名前の上書きの二本の線がとても新しかったからです。


 消された名前の群れの中で、一人ぼっちの白様の名前はとても寂しそうでした。

 西の山で、一人で生まれた時を思い出した五つ窪みは、白様がどんなに寂しいかわかったのです。


「“壊れる”ってこういう事なんだ」

 五つ窪みは泣きたくなりましたが、我慢しました。

 また、みんなに迷惑をかけると思ったからです。


 その時五つ窪みは、名前の何列かごとに六角形の不思議なマークがついているのに気がつきました。白いシダの葉に似た形が、六角形の角のところから伸びていて、とても綺麗な形をしていました。


「鋼さん、これなあに?」

「それは冬の印。雪と言って、冬に空から降ってくる冷たい氷の結晶だ。そうして世界を白く覆って世界は寒くなる。この印は、無事に命が寒さの冬を越せた印として書き込むんだよ」


 こんな綺麗なものが空から降ってきて、世界を白く寒くして、いのちを殺す。白いというのも、もしかして怖い事なのでしょうか?五つ窪みは、どう考えたら良いのか分からなくなりました。


 そうして進むうちに、やがて一番右側の新しい何も書いていないレンガの壁に着きました。オオジロは、ペンで煉瓦に字を刻んでいきます。


「夏季の一月八日、名付け親は鋼。この子の名前は?」

「五つ窪み」

「ずいぶん変わった名前ね。本当にそれでいいの?」


「それなんだけど……」

 鋼は、五つ窪みに聞こえない様に、声をひそめました。


「オオジロ、あの子の取っ手のあたりに有る、丸い五つの印が見えるかい?」

「変わった印ね……あの丸い筋!」

 オオジロは慌てて声を抑えました。


「そうだよ。あれは硯についてたのと同じものかい? 僕は硯に会った事は無いけど、似姿の左に一つ、右に四つ同じような丸い筋のついた跡を見たんだ。あれを作ったのは黒様だ、いい加減な仕事をする人じゃなかった。あれがそうなのかい?」


「そうだと思う。硯は……月ちゃんは『指の跡』って呼んでた。私たちを作ったあの人の五本の指の跡なんだって。あの人は五本の指のついた二本の腕で、私たちの形を作ったんだって言ってた。じゃあ、あの子も『伝えるべき事』を持って来たの?」


「それはまだ分からない。記憶の溶けた産涙はみんな流れてしまったし……」



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