第12話 満たされるものを探して
「ハァ~満足です~」
感嘆の吐息を漏らしてソファに身体を預ける伊織。至福の表情を浮かべる少女の顔色はシャワーを浴びた直後ということもあってか、どこか扇情的な艶を感じさせた。
尤も、横で腰を下ろすのが三つも離れた年上の男性では効果も薄いが。
加古川は満足気な様子の彼女を一瞥すると、チャンネルを操作して別の番組へと映像を移す。
「そら良かったな」
「あ、そうですた。ライブが終わったってことはこっちもと……」
「んだよ、まだなんかあんのか」
「あるですあるです! ムーンイーターといえば」
一息ついたにも関わらず、伊織はなおも熱にうなされたように手元の携帯端末を操作する。
加古川が覗き込んだ画面には、幾つかある動画配信サイトの中でも特に主流のもの。そこでライブ配信を開始するムーンイーターの姿があった。
『ファンの皆、元気かな。今日のライブは見てくれたかな?
ムーンイートシンドロームの時間だよ』
「ライブ後のムーンイートシンドロームです!」
背景に雑多な絵画や小物、棚に詰められた多数の衣服が生活感を醸し出す空間は楽屋とは考え難い。しかし移動の手間を考慮すれば、そこが自室と思えるかも否。
謎の空間に座する女性は会場で発揮した激しい様子とは打って変わり、柔和な微笑みをカメラへと返す。
「きゃームーンイーター!」
「せめてコメントでやってくんねぇか……」
『今日は大事な報告、というよりも三級冒険者としての報告があるんだ』
前置きがあったためか。大事な報告という前置きの割にコメント欄は阿鼻叫喚とはならず、神託を待つ巫女の如く静かなままに時間が進む。
「冒険者としての報告?! もしかして昇格かな、それとも
「知らねぇし興味もねぇ」
興奮のままに擦りつく伊織を鬱陶しがり、加古川は距離を詰める頭を引き剥がそうと力を込めた。
しかし、どこから力が湧いてくるのか。少女が離れる気配は微塵もない。
そして二人がじゃれている間に、ムーンイーターの口から冒険者としての報告が行われた。
『実は明日、神宿区のダンジョンに潜ろうと思ってるんだ』
「神宿区のダンジョンッ? しかも明日?! じゃあ、もしかしたら僕らも潜れば会えるんんじゃない!!! です!」
『古都にあるダンジョンで識別コードはす〇二一七。今回は二級冒険者のセージって人のパーティに混ぜて貰うんだ。私一人じゃ、潜れないからね』
「きゃあッ。会えるですッ、ムーンイーターに会えるです!!!」
「勝手に跳び込みゃ相手も迷惑すんだろボケが」
「どうせ僕は犯罪者なんです、今更迷惑の一つや二つ知ったこっちゃないです!」
カスかこいつ。
あまりにも開き直った伊織の言い分に、早速ながらマンションに匿う選択を後悔し始めた加古川。力強い少女の言葉へ注がれる諦観染みた眼差しが、心中の一端を垣間見せていた。
横目で流し見するコメント欄の熱狂も相当なものがあり、中には伊織と同様に何とかして実物を一目せんと考えを張り巡らせるものも散見された。彼女程の開き直りこそコメントになっていないが、名の売れた存在にしては些か軽率な発表に少年は嘆息を零す。
そして暴走しつつあるファンのことなど知る由もなく、新進気鋭のアイドルは言葉を続けた。
『歌手の方が本命なのは間違いないけど、私も一人の冒険者だからね。たまにはダンジョンでファンとの交流も図りたいってものだよ』
「へーへー、それは大層な心がけでして」
「ちょっと加古川、態度悪いよ」
どこかのコメントへの返事か、殊勝なことを宣った歌手への苦言を漏らす。すると、彼女にのめり込んでいる少女から突っ込みが入ったが、加古川は不貞腐れたように顔を逸らすのみで訂正する気配はない。
浮ついた、悪く言えばダンジョンを舐め腐った態度に狭いコミュニティの外にある人物から反発が生まれるのは当然の話であろう。
ましてや、画面の先にいる女性の軽率はコメントを書き込む有象無象や自らの部屋で保護している伊織をもダンジョンという魔所へ誘おうとしているのだから。
とはいえ加古川の心情もまた、コメントに書き込まねばムーンイーターの下までは届かない。柔和な笑みを浮かべ、茶髪を緩く揺らすと次の話題を口にした。
『それじゃ、次はお待ちかねのムーンイートコーナー!』
「よっ、待ってましたです!」
「……もう突っ込まねぇぞ」
殊更間を置いて繰り返される拍手の中、女性は笑顔で次のコーナーを告げる。
『まず紹介するのはこれ、神灯院製の滑り止めグローブ。何回か使ってみたけど、凄いよこれ。本当に全く滑らないから。
送ってくれた匿名さん、ありがとね』
画面外から取り出されたのは、革製と思しきグローブ。
神灯院製という事情か、もしくはアイドルでもあるムーンイーターへ送られた品ということか。利便性のみを追及した単なる無骨なものとは異なる、ライブで見せた甲冑姿に似合うように思えた。
だが、ムーンイーターは早々にグローブを手放すとカメラの外から次の品を取り出す。
『次はこれ、虫よけスプレー。これも神灯院製なんだ。やっぱりあそこの商品開発部は凄いよね、顧客の需要を的確に把握してるんだから。
これは明日行くダンジョンで試してみようかな。送ってくれたホシバミさん、ありがとうね』
ハンドルネームを呼ばれたためか。コメント欄は一気に熱量を増し、それ以前のものを一瞬の内に洗い流す。
同時接続者が何人いればここまでの速度になるのか。さしもの配信文化に疎い加古川も驚愕すると、更にムーンイーターは画面外から品を取り出す。
人気者ともなればファンが一方的に物をプレゼントするケースが後を断たない。それが送られた人気者直々に反応を返してくれるなら、後押しにもなるというものか。
結局配信の中だけでも八品程度は紹介しただろうか。
最後に紹介したロングコートを画面外へ捌けさせると、ライブ時の激しいシャウトが嘘のような微笑を浮かべて口を開く。
『それじゃ、そろそろ今日の配信はお開きかな』
「えー、もっと続けて欲しいです~!」
「いや、相手にも事情があんだろ……明日のダンジョンへ向けた準備とか」
既にライブ終了から時計の長針が一巡してなお余るだけの時間が経過している。危険地帯へ突入する準備を今から行うならば、睡眠時間も加味すれば遅過ぎるまである。
加古川の思案が吹き飛んだのは最後にと、まるで普段から行っているかのようにムーンイーターが流暢に喋った内容。
『これが今私が欲しいものだよ。皆もよろしくね』
「──?」
「うわー、どれも見るからに高そうです。流石新進気鋭のアイドル、贈り物にも一苦労です」
彼女の言葉が指し示す意味を理解していないのか、伊織は呑気なことを紡ぐ。
コメント欄もまた、眼前の少女と同レベルにしかものを考えていないのか。目まぐるしく変わる内容も炎上とは程遠い。
ある意味、アイドルという分野に疎い加古川だけがムーンイーターと名乗った女性の異常性の一端を掴み取っていた。
「これ、アリなのか……?」
配信終了を示すサムネイルに切り替わる中、脳裏に浮かんだ疑問を端的に呟く。
疑問に答える者は、まだいない。
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