澄み切った空の下で

 週末の早朝、俺は訓練に励んでいた。


 それぞれの武器技術は鈍っていないけど、戦闘中切り替えながら各武器を使いこなすには大量な練習が必要だ。


 今回の任務は長剣、短剣、弓をベースに、カンという鈍器の四種類の武器を使うことにした。


 カンと言うのは落月昇陽の武器で、剣とよく似ている鈍器だ。剣身の代わりに先端が尖った角棒が取り付けられている。先輩はいつも正しい名称で呼んでいるが俺はよくそのまま角棒と呼ぶ。


 武器の召喚と収納自体は簡単だが、戦闘中正確な位置で出現させるのが肝心だ。特に振り下ろしながら武器を切り替えるのは至難の業。ミスったら自分が無防備になる。


 だから俺は何度も練習をしていた。特に今回は重点的に長剣とカンの切り替えをやっている。


 そもそもカンを選んだ理由は、大型武器への対応だけじゃない。その剣と見まがう見た目は打ち合いの中で優位を確保できるからだ。敵が剣を剣で受けると決めた瞬間、こちらがカンに切り替えると敵の体勢を崩せるかもしれないし、敵がそれを見切っても防御か回避かと迷ってしまう。それで戦闘の主導権を奪い取れるのだ。


 まだ材料が届いていないから探知妨害マントの製作が始まっていないが、俺はエレナを信じてその前提で訓練を組んでいる。


「ふう、こんなもんか。さすがに夏だと朝でも汗かくなあ。訓練を切り上げて風呂に入ろう」


 今日エレナと一緒に王都観光する約束をした。ずっと前から彼女に休んで心の余裕を持ってほしいと思っているし、最近の出来事もあって良い思い出を作ってあげたい。


 汗臭いままじゃ不快な思いをさせるだろう。念入りに体を洗おう。


「そういえば今日は本当に雲一つないくらい快晴だな。雨降る心配はなさそうだ」


 澄み切る青空を見上げると、思わず心が弾む気分になった。


 今日は楽しい一日になりそうだなと。



 午前中、観光する前にまずは腹ごしらえと俺たちは中央商業区にやって来た。


 夏になって気温が上がってきて、大通りを行き交う人々がすっかり夏服になった。そして冒険者らしき若い女性達は体を見せびらかすかのように露出度高い服を着ている。スタイルに自信があるって理由もあるかもしれないが、もう一つの理由は自分が歴戦冒険者で優れた防具を買えることを誇示するためだろう。


 そう、防具ってのは金属で全身を覆う必要はない。例えば今俺が着ている服は刃物を防げるし、魔法障壁を増幅できる素材で出来ている。それに、仮に面積が減っても、良い素材なら魔法障壁の増幅性能で補えるのだ。


 しかし騎士団の防具は重装備でも軽装備でも、金属でも布でも冒険者と比べて露出度が少ない。


 つまりあれだ……、夏になって肌色が一気に増えて俺は目のやり場に困っているのだ。


「あの……エレナ?」

「はい」

「今更だけど、そんな背中が開いている服でいいのか。その、肌が太陽に晒されるのは嫌だろう?女性的には」


 春の時すでに袖無しの服を着ていたエレナだが、今は背中も見せる服を着ていて、いつものケープレットを羽織っていない。


「大丈夫ですよ。この服は高い防御性能だけではなく、紫外線と赤外線を軽減する機能もありますから日焼けの心配はありません」

「た、確かに」

「そもそもこういう機能を備える服を買うようにと言ったのはヴィルじゃないですか」


 まったくその通りだ。エレナの雪のような白い肌はきっとこの国の夏に耐えられないだろうと思って、太陽から肌を守る機能のある服を買うようにと言いづけた。目に見えない光を軽減することで日焼けを防げて、こういう雲一つない日でも熱くなりにくい。


「そうなんだけど……。エレナがそのデザインを選んだのはやっぱり暑いのが苦手なのか」


 その服を着ていると涼しいはずだから背中が開いたデザインにする必要はないと思った。


 確かにエレナの体がいつもぽかぽかしているし、思った以上に暑がり屋なのかもしれない。


「はい。赤外線が軽減されてもやっぱり周りの空気で熱くなります。それに……」


 少しはにかみながら彼女は続きを言った。


「昔、国外ファッション誌を読んでこういうデザインに憧れていたんです。これぞ夏の服ってデザインで……。でもユトリテリアの気候だと着るチャンス全然なくて」


 なるほど、彼女からしたらこれは新鮮な体験かもしれない。となると俺もこれ以上とやかく言うのをやめよう。


「どうですか。似合いますか」


 くるっと回って服装を見せてくれるエレナ。


 夏の太陽の光でシミ一つない肌が眩しく見える。内心のどこかで他の人に見せたくない気持ちがあるが、これは……?


「可愛くてよく似合ってるよ」


 期待の眼差しに促されて俺は素直に感想を述べた。


「そう褒められると恥ずかしいです。えへへ」


 恥ずかしいながらも嬉しさを隠せないエレナなのである。そんな彼女を見ているとくすぐったい気持ちになる。


「さてと、まずは昼ご飯食べようか」

「はい、行きましょ!」


 久々に紅玉亭で高級食材をふんだんに使った料理を食べて、二人で最初の目的地に行く。


「これは……大きいですね」

「国内二番目に大きい水族館だからな。ちなみに一番大きいのは東の港町にあるぞ」


 ソルスター国立水族館。ソラリス王国では二番目大きいが、国内最大の水族館は東の港町にあって転移施設を使わない限りとても日帰りできる距離じゃないから、人気ならこの王都に位置する水族館が一番かもしれない。


 今日エレナを水族館に連れてきた理由はユトリテリアが内陸国で海洋生物を見るチャンスが少なかっただろうと思うからだ。


「そういえば水族館は初めて?」

「いえ、小さい頃お母様にユトリテリア王都の水族館に連れていってもらったことがあります。ですがそれはここより何倍も小さくて、海洋生物が少なかったんです」


 母親との思い出がよぎったか。エレナは少々寂しそうな表情をしている。


 そんな彼女の頭を軽く撫でて励ました。


「だったら今日は思い存分楽しまないとな」

「うん、そうですね!」


 二人分のチケットを購入して俺たちは入館した。まだ騎士だった頃は魔法で収納した武器も預けないといけないが、今は貴族だから俺たちは持ち物検査を受けなくて済んだ。


 館内は外より涼しいからか、夏になると入館者が増えるらしい。今日は週末だから猶更。そして周りを見るとやけに男女の二人組が多い。


「ここ涼しいね」

「水槽の中に水温調節装置がありますからね。自然と室温も下がります」

「エレナは大丈夫?寒くない?」

「あ、それは全然大丈夫です」

「ならよかった」


 寒かったら貸し出しショールを持ってくるが強がる様子もなくどうやら本当に大丈夫のようだ。


「わぁ、ここからも見えます。あの巨大な水槽」


 この水族館は特に決まったルートはない。中央エリアには巨大な水槽が鎮座して、外周エリアは各テーマのものが展示されている。期間限定の展示エリアもあるようだ。


「ヴィル、早く行きましょう!」

「ああ、行こう」


 子供のようにはしゃいでいる彼女が微笑ましくて、涼しい館内なのに暖かい気持ちがこみ上げてきた。


「高くて大きいです!こんなにたくさん水が入っていてきっと水圧が大きいですね。この頑丈そうなガラスはどんなレシピで作られたんでしょうか」

「はは、最初の感想はそっちか」


 錬金術師らしい感想だったな。


「もちろん魚のことも気になりますよ!本でしか見たことのない魚とか、初めて見た魚もたくさんあります!」


 ガラスに張り付いて水槽の中を観察するエレナ。隣の子供すら驚くほどのはしゃぎぶりなのである。


「わわっ、魚がいきなり寄ってきてびっくりしました」


 突然魚群が集まってきて、エレナが頭を動かしても魚が合わせて移動する。


「エレナは魚に好かれてるかもな」

「ええ!?そうかな」


 ま、考えられる原因は限られている。そう思いながら水槽前のパネルを操作してその品種の紹介文を読むとすぐ答えが出てきた。


「やっぱり、エレナの目に誘き寄せられたのだな」

「ふえ?」


 エレナが勢いよく顔を上げて、魚群がびっくりして四方に散っていった。


「黄金珊瑚に住まう魚だからキラキラな物に惹かれる習性があるだって」

「黄金、キラキラ……」

「だからその宝石みたいな目に引き寄せられた訳だ」

「ほ、ほうせき……あぅぅう……」


 まだ褒められ慣れていないようだけど、もっと自信を持ってほしいから機会見つけたらまた褒めてあげよう。


 あれからいくつの展示エリアも見ていって、楽しそうな彼女を見て俺も満足する気持ちになった。


 そして深海生物の展示エリアにやって来たが……。


「暗いね」

「深海生物の中には、光に弱いものがあるらしいです」

「へえ」


 深海展示エリアは薄暗くて、気のせいなのかここは他のエリアより男女の二人組が多い。


「もう、どこに行った?探したぞ」


 少し離れたところで女の声がした。彼女がはぐれた同行者の男に声を掛けたようだ。


「ごめん、興味深い魚に気を取られて」

「ふふっ、こうなったら暗くてもはぐれないように奥の手だ。えい!捕まえたぞ。どこにも行かせないからね」

「うぉおわ!」


 女が男の腕に抱きついて、彼が狼狽えた。なんだか青春を感じる光景だったな。


 そう考えるとようやく今日カップルが多いことに気づいた。


 不意に腕に柔らかいものが当たった気がして考え事から引き戻された。俺は感触の発生源に顔を向くと……。


 エレナが俺の腕に抱きついている。


 先程の男の気持ち理解出来た気がする。これは少々恥ずかしい。


「エ、エレナ?どうした?」

「ここが暗くて……迷子になるかもしれませんので」


 あの二人の会話、彼女も聞いていたらしい。だから真似をしたのか。


「迷惑……でしょうか」


 微かに不安そうな上目遣いで聞くエレナ。


 その表情を見て、観光の発端を考えるとますます断れない。


「全然大丈夫だ。ゆっくり歩こう」

「うん!」


 二人で深海生物展示エリアをゆっくり歩き回ったが、俺は内容をあまり覚えられなかった。


 エレナが満足するまでじっくり見て回って、最後のエリアにやってきた。


「ここが特別展示エリア……、今のテーマは『百年前の大津波』らしいです」

「ああ、あれか。大陸東岸が酷くやられたあの大災害。それがきっかけにいくつの小国が滅んだと聞いた」


 ソラリス王国の港町が百年の歴史しかないのもそれが原因だ。


「そ、そんな恐ろしいことが……」


 内陸国の人ならその歴史を知らなくても仕方がないか。俺だってこの国の歴史しか教わらなかったし。


「あの津波で陸に打ち上げられた物が色々あったようだな。ここの展示品は港町の水族館から取り寄せたかもしれない」

「興味深いですね。はやく見に行きましょう!」


 エレナに腕を引っ張られて俺たちは早速展示エリアに踏み入れた。


「こ、これは海の魔獣の標本ですか。大きいです」


 最初に出迎えてくれるのは魔獣の標本だった。その圧倒的な見た目は注目を集めるのにちょうどいい。


「どれどれ、説明文によるとこれは津波によって陸に打ち上げられたけど、死亡したのは海の中で、打ち上げられる少し前だって」

「あの津波がどれほどすごかったかよく分かりますね」


 展示品にはあの時陸に上げられた生物の標本や残骸とか色々あった。


「あの卵の殻みたいなのはなんだろう?ふむ……、『古代兵器の残骸』か」

「私、聞いたことがあります、落月島と昇陽原を断絶した海の自律兵器のことを。その中でヒュドラを模した戦略兵器があって、頭一つで街を破壊できるですって。小さい方の自律兵器は殆どエネルギーが切れて岸に打ち上げられたりしますが、ボスである鋼の怪物は未だに海の中で徘徊しているとか」

「もしかしたらその怪物が大津波を引き起こしたりして」

「その可能性はない……と断言できませんね」


 冗談のつもりで言ったけど、彼女もその可能性について考えたらしい。


「でもあれがわざわざ南にある新月海峡から東の海に来るのかな」


 落月島と昇陽原は南にあって、その間の新月海峡から東の海までの距離は長い。自律兵器といえども、指示もなく自ら遠距離移動するものなのか。


「暴走した自律兵器は予測不可能なんです。それと、もし本当にそれが元凶だと判明しましたら、錬金術師協会が動き出すでしょうね」

「大変なんだな。錬金術師たちは」

「過去の錬金術師が残した災禍を片付けるのは今の錬金術師の義務ですから」


 魔境とゲートの話をしていた時も似たことを言っていたな。錬金術師が皆エレナやイサベルみたいに気高い訳じゃないのは理解しているけど、それでも尊敬の念を禁じ得ない。


 最後のエリアを見終わって、休憩しに水族館併設カフェにやってきた。テラス席に座って、パフェとドリンクを注文してそれが届くまで雑談に興じていた。表情から察するに大いに満足しているようだ。


「わぁ、本当に海の色のようです」


 俺は普通のイチゴパフェにしたけど、彼女が注文したパフェは海がテーマで、ブルーベリージャムや、青いシロップを使われたものだ。青のグラデーションが海と空を連想させる。


「いただきます。~~~っ!おいしいです」


 この季節イチゴが美味しいからイチゴパフェにしたけど、実物を見るとその海テーマのパフェも気になった。


 そして幸せそうに食べるエレナについ見惚れて、自分のパフェに口をつけずにいる。


「私のパフェが気になりましたら一口食べていいですよ」


 我に返ったのはパフェの乗ったスプーンが目の前に差し出された直後だった。


「あ、いや、ちょっと気になるだけで……」

「ヴィルが買ってくれたパフェですから遠慮しなくていいですよ。はい、あーん」


 まあ、エレナに食べさせてもらうのは初めてじゃないし、注目を集めた方が恥ずかしいからそうなる前にパクっと食べた。


「ん、美味しい」


 ジャムとシロップが甘すぎなくてちょうどいい。シロップにミントを混ぜたか爽やかでひんやりする後味がする。まさに夏のために考えられたパフェ。


「ヴィルもサマーオーシャン味にしたらよかったですのに」

「この時期イチゴが美味しいからなんとなく」

「え、本当!?」


 じゅるりと食べたそうにこちらのパフェを見つめるエレナ。


 その期待の眼差しを見て俺は何をすべきかすぐ分かった。


 イチゴとアイスクリームを乗せたスプーンを差し出す。


「どうぞ」

「あっ……」


 エレナがまじまじと俺とスプーンの間に視線を行き来させる。金を出したのは俺だから遠慮しているのかもしれないが、今日の目的は彼女を楽しませることだからな。


「俺だけエレナのパフェを味わってもらうのは悪いし、これでお相子だな」

「じゃ、じゃあ。あむっ」


 家の外だからか、食べさせてもらう時さえもお嬢様らしくて上品だけど……。


「おいしいです~」


 パフェを口に入れた瞬間、とろけて幸せそうな笑顔になった。


 そんな顔を見せられると……、少しだけ、本当にもう少しだけもっとやりたくなった。


「はい」

「あむ」

「まだあるよ」

「っ~~~♪」


 三口食べさせたところでエレナがハッとして俺がこれ以上食べさせるのを制止した。


「も、もう十分ですからヴィルも食べましょう」

「そうか。もっと食べてくれてもいいけど」

「もしかして、私が食い意地張る女に見えます……?」


 ちょっと不満そうに頬を膨らませる彼女。


「そんなまさか。ただ美味しく食べる表情が可愛くてつい」

「も、もう!またそうやってからかって……」


 彼女は顔を赤くしてパフェをスプーンでつつく。可愛いと褒められるのはまんざらでもなさそうだ。


 あれから俺達は静かに、ゆっくりとパフェを味わっていった。


「今日はとてもとても楽しいです」

「なんだ?今日はまだ半分も終わってないぞ」


 パフェを平らげて、休憩している時エレナがぽつりとその言葉を零した。夜までまだまだ予定があるのにもうそんなこと言うのか。


「そうなんですけど、今はふわふわして、まるでいつ終わっちゃうか分からない夢の中にいるようで……。もし夢の中でしたら、今のうちにその楽しいって気持ちを伝えないと」


 そう考えているのか。というか夢の中まで律儀なのだな。


 まるで夢のよう……か。これが現実だとちゃんと分かってもらわないとなあ。


 この水族館にちょうどいい場所がある。


「記念写真を撮りに行こう」

「え、でもカメラはまだ持ってませんよね」

「ああ、今日一緒に注文しに行く予定だ」


 カメラのコアパーツはゴールドランク錬金術師が作るので大抵の場合は受注生産なのだ。今日注文するが完成するのは一か月後なのだろう。


「じゃどうやって?」

「あそこだ」

「わ、かわいいアシカがいる」

「あの記念写真撮影コーナーなら料金さえ払えばカメラを持ってなくても職員が撮ってくれるんだ」


 撮影コーナーのプールサイドで日光浴をしているアシカがいる。彼らは賢くて飼育員の命令をちゃんと聞くし、老若男女を問わず人気なのだから撮影コーナーの主役でもある。


「撮りに行こうか」

「うん、うん!」


 その撮影コーナーで20分ほど待ってようやく俺達の番になった。位置につくアシカが挨拶かのように手を伸ばしてきた。なんとなくだけどそれを手のひらの上に乗せて握手みたいなことをした。


「すごい……。ヴィルってもしかして動物に懐かれやすい?」

「どうだろう。確かよく騎士団にくる野良猫に懐かれていたけど……」


 ふむ、エレナの表情からして彼女もこれをやりたいようだ。


 俺はアシカに向かって、小さい声で言った。


「君、ちょっと頼みたいことがあるんだが、いいかな」


 アシカのつぶらな瞳が俺を見つめ、話を聞いてくれているようだ。


「今の握手、あの子にもやってくれないか。彼女を楽しませたいんだ」


 了承するかのようにアシカが拍手した。そして身を翻してエレナに手を差し出した。本当に賢いのだな。


「エレナもやってみるといい」

「うん、やってみます」


 最初は遠慮がちだが、アシカと握手を交わすと彼女が笑顔いっぱいになった。これがチャンスと思い、ボディランゲージで撮ってほしいと職員に指示を出した。その後もちゃんと二人と一匹のスリーショットを撮り、無事記念写真が撮り終わった。


「写真は二枚ずつ印刷してよろしいでしょうか」

「んん、どうしようかな」


 ……いずれエレナが立派な錬金術師になったら俺達の契約が終わる。その時俺達はそれぞれの道を歩むだろう。だからお互いの手元に残るように二枚ずつを頼むのが正解だが……。


 俺はまだその未来に向き合いたくなくて正解を口に出さずにいる。


「お悩みでしたら、追加料金で映像データーをお買い上げいただけますよ。データーは第二代汎用規格で、追加印刷は勿論、立体映像装置でのご利用も可能です」


 これはまたすごいな。写真立ての代わりに立体映像装置を使うこともできるが如何せん魔道具の値段が高くて普及していない。しかしそれだけ価値ある写真だったらあるいは……。


 ともかく、今は悩まずに済むならデーターを購入した方がいいのだな。


「じゃ写真一枚ずつとデーターを頼む」


 今は一緒に暮らしているから写真は居間で飾ろう。


「かしこまりました。また、こちらに写真立てがございます。如何でしょうか」


 職員が両手で持ち、オススメと言わんばかりに見せてくれた写真立てのデザインは……、明らかにカップル向けの物だ。


 これは……、エレナの判断に委ねた方がよさそうだ。


「エレナが選んでくれる?俺はセンスあまりよくないんだ」

「え、そうなんですか?じゃ、任せてください。どれどれ……」


 おしゃれとかファッションに疎いのは嘘じゃない、でも俺が選択から逃げたのもまた事実だった。


 程なくして彼女が写真枚数分の写真立てを選んでくれた。どれも可愛くて海のテーマをしていて、彼女らしい選択と思った。


 支払いを済ませて水族館を出たのは午後三時半になるところだった。


「ふふっ」


 エレナが嬉しそうに記念写真の入った袋を片腕で大事に抱えて、空いている方で腕を組んできた。あまりにも自然すぎたから今さら気づいたのだ。水族館の中と違って外は明るいのに……。まあ、彼女が嬉しそうにしているしいいか。


「水族館はどうだった?」

「楽しかったです。海のこともっと気になりました!」

「それは何よりだ」


 海か……。俺もあまり行ったことがないよな。秘密任務の報酬が弾むからヨットを買えなくはないかな。


「じゃ次は買い物に行こうか」

「はい」


 それから魔道具を取り扱う大商会に行ってカメラを注文した。人気な一流ブランドだけど、完成は花の海日帰り旅行に間に合いそうだ。ついでにエレナが欲しがっていた菓子専用の調理道具も購入し、任務が終わったら菓子を作ってくれる約束を交わした。


 なんだかんで任務後の約束事や予定がたくさん増えた気がする。昔の俺なら任務後のことは戻ってから考えるが、帰りたい理由が出来た今も悪くない。


「いっぱい買いましたね」

「屋敷に送ってくれるのはありがたいな」


 大商会から大通りに出て、両側に露店がいっぱいあって賑やかである。今日は週末だから平日に出店していない店もあって何か珍しい掘り出し物を見つけるかもしれない。


「晩飯まで時間があるしちょっと露店を見てみようか」

「そうですね。私も興味があります」


 エレナのペースに合わせていつもよりゆっくり露店を眺めていく。この時間がゆっくり流れる感覚も悪くない。心が休まる気がする。


 しばらく歩いていると何かに惹きつけられたか、彼女の足が止まった。その視線を追ったらアクセサリーや小物を売っている露店があった。彼女の性格を考えると何が欲しいかと直接聞くと遠慮される可能性がある。だから何を見ていたか把握してから聞いた。


「あの白いリボンが欲しい?」

「え!?どうして分かったんですか」

「ずっと見つめていたから」

「う、うぅ……。じ、実は大昔からユトリテリアで白い髪は縁起がいいとされていて、それが転じて頭に白いアクセサリーつける風習があるんです。ですから白くてきれいなリボンを見かけたらつい……」


 その話を聞いてすぐ納得した。実は彼女の祖国以外でも、各地に白髪の存在にまつわる神話が多い。長生きした人が伝説として語られる可能性を考えると自然かもしれない。


「プレゼントしてあげようか」

「え、えぇ!?」


 驚く彼女を引っ張って露店の前にやってきた。店主のおばさんは満面の笑みで歓迎してくれる。


「おばさん、そのリボン見せてくれない?」

「恋人へのプレゼントかい?」

「はぅぅ……」

「ち、違うんだ」

「あらま、まさか雰囲気を読み間違えちゃったとは。すまないねぇ。はい、リボン」


 店主は俺らをからかってリボンを渡してくれた。


 白いリボンの手触りが良く、注意深く見ると刺繍が施されていて太陽の光でキラキラしている。


「エレナはどう思う?」

「こ、これはすごいです!昇陽国の上質な絹をベースに、錬金術で作った合成繊維を高度な技術で刺繍を施したものです。店主さん、これはどこで仕入れたんですか」


 リボンを受け取ったエレナは驚きを隠せなかった。そんな即座に分かる彼女もすごいけど。


「よく分かったねお嬢さん。でもこれは仕入れた物じゃない、あたしが作ったんだよ」

「ふぇえ!?店主さんも錬金術師ですか」

「ええ、今は引退して旅をしているけど。ってことはお嬢さんも錬金術師かい?」

「はい、今はまだ半人前ですが」


 人は見かけによらないというのは本当なのだな。


 露店の商品はどれも他の店より高いけどそれだけの価値があると思う。今ちょっとしか触っていなかったがリボンの刺繍は飾り以外の機能もあると分かる。もしかしたらこれは安く売っているまである。


「おばさん、このリボンセットをください」

「あいよ」


 色んなサイズを買っておけば使い分けできるだろう。


「こんなにいいものをいただいて本当にいいんですか」

「それ欲しかっただろう?」

「そ、そうですけど……」

「なら問題ないな」


 彼女が喜んでくれるだけで値段以上の価値があると思っているのだ。


「せっかくだからお嬢さんにつけてあげたら?きっと喜ぶよ」

「そういうものなのか」


 エレナを見ると、彼女は恥じらいながらどこか期待している表情を見せた。なるほど、確かに喜びそうだ。ここは店主のアドバイスに従おう。


 髪の結び方よく分からないので、とにかく髪型を変えずに無難に髪の両側にリボンをつけた。以前贈った藍晶石の髪飾りとよく調和していて違和感がない。光に照らされる刺繍は慎ましく銀色に煌めいて、主役であるきれいな髪を霞ませない。全体的にいいバランスになっている。


「ありがとうございます……。ど、どうですか」

「エレナの髪によく似合ってる。自然で可愛いと思う」

「えへへへ」


 彼女の口元が緩んで、屈託のない笑顔を見せてくれた。ちょっとだらしないが、これは取り繕わない彼女の一番自然な表情なのだ。


「おばさん、お代をどうぞ。お釣りは大丈夫」

「あらまあ、こんなに貰っちゃっていいの?」

「それだけの価値があると思うから」


 それに、リボンが昇陽国の上質な絹で作られたなら、その値段はあまり利益にならないだろう。


「ほっほっ、価値を分かってくれる人がいるなんて嬉しいわね。さっき言った通りあたしは引退したから利益特に気にしていないよ。価値を分かってくれる客を待つのが趣味でね。だけどせっかくだからお代はありがたく頂戴するわ。代わりに……」


 店主が一枚の紙を取り出して、算式をすらすらと書いた。エレナが勉強しているところをよく見ていたから分かるが、これは錬金術用のものだ。


「今日錬金術師のお嬢さんと会ったのも何かの縁。はい、これはリボンの魔法増幅機能の調整式。これで自分に合うように調整すれば今より何倍も効果が出るわよ」


 店主がリボンの秘密を紙に記した。その価値は俺が上乗せした金額より遥かに越えていると直感で分かった。


「ありがとうございます、店主さん!」

「ありがとう、おばさん」


 親切な店主に二人で深く礼をした。


「では、俺達はこれで。縁があればまた」

「ええ、またどこかで会えるでしょうね」


 会釈して俺達は歩き出したが、後ろから店主の声がした。


「お前さんたち、ゆっくりデートを楽しんでおくれよ」


 喧噪にかき消されそうになる声は辛うじて聞こえたが、俺は弁解する余裕がなかった。エレナがただ嬉しそうに俯いていて、反応しなかったのはおそらく聞こえなかったからだろう。


 それからしばらく歩いて、彼女はまた何かに興味を惹かれたようだ。


「ヴィル、あの店見てみたい」

「その露店、香辛料など売っているようだな」


 今度はエレナに腕を引っ張られてついていった。


 露店のテーブルに乾燥した花びらや香辛料を並べられていた。身なりからして店主の兄さんは行商人だろうな。


「いらっしゃい!色んな国から香辛料を集めてきたぞ。どうぞゆっくり見ていってくださいな」


 エレナがじっくり品物を眺めて、何かを探しているようだ。


「お嬢ちゃん、何をお求めで?」

「えっと、『雪中烈華』はありますか」

「ああ、ユトリテリアの花か。在庫少ないがまだあるぜ」


 店主が商品からそれが入っている小瓶を探し出して、エレナに渡した。


「雪中烈華は優しい匂いがするが、料理に使う時は気をつけなよ。想像以上に辛いぜ」

「はい、ありがとうございます」


 俺がお代を渡して二人でまた大通りを歩き出した。


「この国でも買えて幸運でした」

「エレナ、辛い料理食べたかったのか」

「いえ、違います。実はこれはお守りを作るために買ったんです」

「お守り?」

「はい、お母様が作ったお守りを思い出したので、ヴィルに作ってあげたいと思います。め、迷惑じゃなければですが」

「迷惑とかそんなことはない。お守り、楽しみにしている」

「うん!」


 腕を組む力を強めて、彼女は元気よく返事をした。


 お守りか……。


 こんなに気をかけてくれるなんて初めてかもしれない。傭兵団でも騎士団でも一緒に戦場に出る人だらけだったからな。お守りを送ってくれる人はいなかった。


 腕を通じて伝わってきた温かさは体温だけじゃなく、気持ちによるものでもあるかもしれない。



 午後五時、俺達は今日最後の目的地、王都の西端に来た。


「初めて来た時も思いましたけど、高い城壁ですね……」

「今日は城壁の上で晩飯を食うんだ」

「ウエストゲートハウス・レストランでしたっけ」

「ああ、バルコニー席を予約してある」

「なるほど……って、ええええ!?時期によって6か月前じゃないと予約取れないバルコニー席をどうやって……」


 ウエストゲートハウス・レストラン、西門のゲートハウスを改造したレストランであり、貴族やお金持ちでは人気なのである。特にそのバルコニー席の競争率がとても高い。


「今日の予定が決まったのって数日前でしたのに」

「まあ、それはコネとカネの力で……」


 実は今日の予定を立てていた時、ジルにアドバイスを聞いてみたらこのレストランのバルコニー席をオススメしてくれた。エレナの言った通り予約取るのがとてつもなく大変なのだけど、ちょうどジルの知り合いにこのレストランの常連客が居て何とか予約を譲ってもらった。


「そこまでしなくても……」

「忘れられない思い出を作ろうと言った手前、これくらいしないとな」

「そうですか……。ふふっ、ありがとうございます」


 城壁に上がるためにエレベーターの前にやってきたが……。


「申し訳ございません。ただいまエネルギーが切れて魔石交換中でございます」


 なるほど、だからまだ上から戻って来ていないか。


「あとどれくらいかかる?」

「15分くらいかかりますが、お急ぎの場合は階段をご利用いただけます」

「ヴィル、私は疲れてませんから大丈夫ですよ」

「いや、まだ時間に余裕があるし、せっかくだからそれに乗ろう。いいもん見れるよ」

「いいもの?」


 いつの間にか後ろに列が出来ていたけど、無事エレベーターの魔石交換が終わって再起動した。最先頭に立っていた俺達はもちろんエレベーターの最奥に詰めたが……。


「お、お客様、次のエレベーターをお待ちになるのは」

「えい、こちらは急いでいるんだ」


 行儀悪い人が無理矢理エレベーターに入ろうとしたので、中にいる人達は連鎖反応のようにぶつかり合う。俺もその時背中に強烈な衝撃を受けた。


 ドンッ。


「ごめん、大丈夫?」


 反射的に体を支えようとして壁に腕をついたけど、それでもエレナと体が密着してしまった。


「ううん、ヴィルが庇ってくれたから大丈夫です」


 至近距離で俺を見上げながら彼女が答えた。


 こうして近く見るとやっぱりきれいな双眸だなと言う感想が浮かんだ。それにまつ毛も長くてきれいだし。


「エレベーター上に参ります」


 オペレーターの声と共にガラスの箱が動き出した。床以外はガラスだから外の景色が良く見える。


 息がかかるぐらいの距離で見つめ合っている俺達だが、彼女に見てほしいのは俺の顔じゃなく……。


「エレナ、右を見てごらん」

「右?……わあぁ!」


 ゆっくり上がっていくエレベーターの中、俺達の前に広がるのは王都の景色で、西門から伸びていく大通りとそれより南は工房区画だった。


「工房たちから煙が立ち上ってます。まだ頑張ってる職人さんたちがたくさんいますね」

「壮観だろ」

「はい、すごいです!」

「階段ではこれほどはっきり見えないからな。エレベーター乗っててよかった」


 この景色にこのように驚嘆するならこれからの反応が楽しみだな。


 エレベーターから出て、少し階段を登ったら件のレストランに到着した。


「アルゲンタム男爵閣下に、エレナ様でいらっしゃいますね。席まで案内いたします。こちらへどうぞ」


 このレストランはゲートハウスに併設されたもので、いざという時は封鎖されるが、平和な時代はそうなることはほぼないと言って良いだろう。そしてレストランだけで上の階と下の階があり、今日予約した席は上の階のバルコニー席、つまり一番良い場所で一番競争率高い席だ。


「案内してくれて感謝する。料理は予定通りの時間で出してくれ」

「かしこまりました」


 席まで案内してもらったが、西の景色に見惚れてエレナは席につかずバルコニーの腰壁にくっついた。


 その景色こそがバルコニー席の競争率が高い理由。


「……!」

「これは評判以上にすごいな」

「夕焼けがきれい……」


 うっとりした顔でその感想を零すエレナ。


 広大な農地や点在する町に構成される王都近郊は、いくつの方面が自然な防壁である山脈に守られているが、穴が空いている部分は連なる防壁で埋めている。


「あ、あっちこっち農業機械が止まってます」

「そろそろ日が沈むし農民たちが家に戻り始めたな」

「そうですね。それにしてもこんなに大規模運用してるってすごいです」

「農業は国の基礎だから改革を重ねて今のようになったんだ」


 それはジルの受け売りだけど、軍を動かす前にまずは糧食を整えろって格言は、指揮官じゃなかった俺でも理解できるくらいだ。


「畑の様子は初めて来た時全然気づきませんでした」

「緊張してただろ?」

「はい、そして不安も。この城門をくぐったら新しい人生が始まるでしょうと思ってましたけど、どうしても不安で」


 その不安は分かる。どこも薄情や悪意を持つ人間がいるから、新しい人生と言っても必ずしもいいものじゃない。


「でも運よくヴィルに会えて、今はとても幸せです」


 こちらに振り向いてエレナが微笑んだ。夕焼けに照らされる頬が少々赤く、金色の瞳はいつもよりまして煌めいている。


 思わず目を奪われてしまった。


「そ、そうなんだ」

「あ、太陽が沈み始めました」


 それから二人で太陽が完全に沈むまで眺めていたが、最高なスポットで見る美しい夕焼けよりも彼女の儚い笑顔の方が頭に焼き付いたのだった。



「ヴィル、えへへっ」


 コース料理が終わり、俺たちは食後の酒を飲んでいた。この4人席で向かい合って座っていたけどいつの間にかエレナが『そっちに行ってもいい?』と聞いて隣に来てそのままくっついてきた。


 どれほど飲めば酔うか大抵把握したし、気を配っていたけど……。


「……ふふっ」


 これは酔った気分になった……と言うべきか。


 酔っていない時は遠慮がちだし、彼女が酒の力を借りて甘えて来ているかもしれない。


 それにしても度々視線を感じるなあ……。そういえばこの前、貴族向け新聞紙のゴシップコーナーに俺達の写真を載せられたっけ。そのせいかな。


 このレストランは物理的にも値段的にも高いし、上の階はすべて予約席だからパパラッチは気軽に入って来れない。だからまたゴシップコーナーのネタにされる心配はないと思う。おそらくそれは貴族達やお金持ちがここを気に入っているもう一つの理由だろう。


 エレナと来たら視線に構わずただ余韻に浸っているけど。


「ご満足いただけたかな。まだ食べたいなら追加のデザートを注文するが」

「それは大丈夫です。代わりにもっとお酒を頂戴」

「これ以上飲むと酔うかもしれんぞ」

「もう酔ってるから大丈夫ですぅ」


 おねだりされて仕方がなくブランデーをエレナのグラスに注いだ。まあ、彼女はまだまだ余裕があると分かっているけどね。


「星々がきれいですね」

「そうだね」


 日が沈んでもやはりバルコニーから見る夜空は絶景だった。


「あ、流れ星……!」


 ぎゅっと目をつぶって何を願い事するエレナ。


「何を願った?」

「ひ、ひみつですよ。言ったら叶わなくなるかもしれませんから」

「それはすまん」

「でも……叶った後なら教えれます」

「その時来たら是非」


 それからも二人でしばらく星空を見上げていたけど、名残惜しくもこの晩餐は終わりを迎えた。


「そろそろ時間だし家に戻ろうか」

「……うん」


 まだ動きたくないようだけどそろそろ次の客が来る時間だし退席しないと。


「すまないが、送迎を頼めないか」

「かしこまりました。すぐ手配いたします」


 ちょうど近くに店員がいるので帰りの馬車を手配させた。


 さすが高級レストランと言うべきか、常に待機している御者がいる。


「ほら、行こう」

「うん」


 エレナを支えながら下まで戻ったけど、やっぱり酔ったフリをしているだけだ。自分で歩けるはずなのに……。


 しまいには馬車の前で止まって俺が運んであげるのを期待している。


「はぁ、仕方ないな」

「えへへ、ありがとうございます」


 何時しかのようにその小さな体を抱えて中に入って、馬車に揺られながら帰宅したのだった。


 ……


 屋敷に戻って風呂に入った後、俺は居間で酒を飲みながら本を読んでいた。


「ちょっと飲み足りなかったけどこれがちょうどいいか」


 今日は楽しくてついもっと酒を飲みたくなったな。


「そういえば、立体映像装置ってこうやって使うんだっけ」


 実は大商会で買い物する時、エレナに内緒で立体映像装置を買ったのだ。


「こうやってデーターを入れて、起動すると。出来た」


 水族館で撮った記念写真が映り出される。愛嬌のいいアシカと、元気で可愛く笑う彼女と、心底嬉しそうに微笑む俺がいた。


「装置が正常に作動するのを確認できたし。あとは寝室に置いとこう」


 ちょうど装置をオフにした時だった。エレナが居間の扉を開けて入ってきたのは。


「どうした?まだ寝ないのか」


 彼女が何も言わずに隣に座って俺の腕を抱きしめた。


「お、おい。本当にどうしたのだ?」

「ちゃんと捕まえなきゃヴィルがいなくなっちゃうから……」

「なんだそれは」


 不安になる時すぐ行動に移る彼女だから、その意味は何となく分かる……。


 楽しい一日を過ごして、夜一人になると寂しく感じるのはよくあることだよね。


 しかし風呂上がりのエレナと密着するのはちょっとやばい。良い匂いがするし薄い寝間着越しに肌の感触がよく伝わってくる。同じ行為でも、外出する時と今はまるで違う……。


「迷惑、でしょうか……?」

「ま、そんなことはないけど」


 安堵した彼女はさらに胸をむぎゅっと押し付けてくる。その柔らかさは腕を通じてよく伝わって……。


 俺はあくまで普通な男で聖人君子ではない。そんなことされたら、手でそれを感じたい衝動が一瞬でもよぎるのは普通ではないか?


「……」


 俺は彼女に手を伸ばして――


「んっ」


 いつものように頭を撫でた。


 今の邪念は酒のせいにしておこう……。


「しょうがないな。寝たくなるまで付き合ってやるよ」

「うん、ありがとうございます」


 彼女は嬉しそうに頭すりすりしてきた。なんとなく騎士団の野良猫を思い出す。


「~♪」


 こうして王都観光の一日の幕が閉じたが、まさかエレナが水族館で覚えたスキンシップを、これからも普通にしてくるとは思いもしなかった。


「ヴィル」

「ん?」

「素敵な一日、ありがとうございました。今日の事一生忘れない気がします」

「それはよかった」


 その言葉を聞いてほっとした。アドバイスを貰ったし俺なりに頑張ったけど実は満足させられるか自信がなかった。ふふ……。達成感で思わず飛び上がりそうになったけど何とか平静を保った。


 ……。


 出発まであと数日しかないけど、寂しい思いさせないように一緒に楽しく過ごそう。

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