陰から支えてくれる人
「――こんなもんか、今回の任務の難点は」
晩飯後、俺は任務で直面するかもしれない状況を紙にまとめてエレナに見せた。そのまま機密文書を彼女に見せられないし、俺はもう覚えたので燃やしておいた。
エレナはすぐ隣に座っていて、時々肩が触れるほど距離が近い。元々魔力供給の理由で膝の上に乗せたりするけど、あの雷雨の夜から俺がちょっと離れると彼女がついてくるし、居間で寛ぐとこうして俺のすぐ隣に座る。
聞くまでもないが彼女がずっと不安がっている。あのように泣いていたのだからな……。それでも前向きに任務の準備を手伝ってくれるのは彼女の健気さによるものかもしれない。
「どれどれ……」
エレナが身を乗り出して俺が書いたものを見ようとするが、距離が近かったからか、彼女の柔らかい胸が腕に触れてしまった。
「いろんな種類の毒が使われましたね。かなり厄介な物もあります」
毒より俺に効いているやわ……厄介な物があるけど!
エレナは集中しているせいか全然気づかないけど、その柔らかさが呼吸に合わせて腕に触れたり触れなかったりして俺は気が気でなかった。
「魔蠍毒……、霊体毒ですね。リストにある他の毒は高品質な汎用解毒薬で対処できますが、魔蠍毒は霊薬クラスの汎用解毒薬か専用の解毒薬を使わないといけないですね」
霊体毒は普通の毒と違って霊体に害をなすものだ。魔蠍毒は魔力の流れを乱して戦闘能力を低下させる。魔力が大前提とする戦闘においてその毒を使うのは非常に卑怯な手段なのである。
よく使われている毒には大抵耐性ついたから、解毒薬を買えと言われても魔蠍毒の解毒薬くらいかな。でも……。
「報告によると魔蠍毒はあまり使われてなかったから解毒薬を用意しなくてもいい気がする」
解毒薬より回復用霊薬をもう一本買った方がいい気がしてきた。
「それはダメです!霊薬はまだ作れませんが専用の解毒薬は作れますから。いいですか、解毒薬は全部私が用意しますから持っていくように」
いつになく強気なエレナだった。
ま、俺が無事に帰って来れるように準備の手伝いをしているからそうなるのも頷ける。
「分かった。じゃ解毒薬の件は任せた」
「はい、任せてください」
そう言って彼女はソファに座り直し、俺の腕が柔らかさから解放された。
……実は一瞬だけもっと触れたいと思ってしまった。
「まったくもう。ヴィルのことが心配ですから。では次の難点」
いや、今は真面目な話をしている途中だ。集中しよう。
「仮装のことだが、髪色は珍しい物じゃないけど目の色がなあ。仮面で隠せばいけると考えてる」
「確かに銀髪銀目の組み合わせは珍しいどころか聞いたこともありません。ヴィルが初めてでした」
やはりこの組み合わせは珍しいものなのか。俺も自分以外で見たことがなかったな。
「銀髪?エレナにはそう見えるのか」
「ヴィルの髪色って最初は灰色寄りでしたけど最近は光沢が増えましたよ」
「元は白い髪だったし、手入れ次第でどっちにも見えるか」
戦場では汚れやすくてかすんで灰色に見えてしまうな。普段もあまり手入れとか気にしていないし。
だがエレナが来てから良い洗髪剤を使うようになったから、きっとそのおかげで変わったのだろう。
「そうですよ。手入れを怠ってはいけません。もうあのような安い洗髪剤を使わないでくださいね。今はこんなにきれいですから」
エレナが手を伸ばして俺の髪に触れる。
その突然な出来事に俺は思わず硬直した。こうされるのはいつぶりだっただろう……?
「あわわ、ごめんなさい。勝手に触っちゃって」
俺の反応を見たか彼女は急に手を引っ込めた。
「だ、大丈夫。俺だって普段エレナの頭を撫でてるし。気に入ったら好きなだけ触っていい」
「うん、分かりました。私の髪も好きなだけ触っていいですよ」
「ああ」
彼女がまた手を伸ばしてきて、俺もなんとなく彼女の頭を撫で始めた。傍から見ればきっと変な光景なのだろう。
「あ、あの。何の話でしたっけ」
しばらくしたらエレナは顔を赤らめながら話を戻そうとする。
「仮装の話だったな。目を隠すための仮面がほしい」
「そうでしたね。特殊透光材料を用いれば、ヴィルの視界を遮らずに目を隠せる仮面を作れます」
浴室の窓みたいなものか。仮面が戦いの邪魔にならないなら地味に嬉しい。
「おお、それは助かる」
「次は……、収納魔法の件ですね」
「ああ、重たい武器一つ持っとけばもっと色んな状況に対応できる。しかし所持する武器のコンビネーションで警戒される可能性が高いし、収納魔法を使うと探知されたらすごく目立ってしまうので実力を隠すのは難しい」
長剣、弓と短剣のコンビネーションは狩人やソロ冒険者でもよくあるコンビネーションなのだ。短剣は魔物の解体によく使われるし、飛行タイプの魔物に対処するために弓持っておくソロ冒険者が多い。しかし主力武器である近接武器を二つ持っているのはさすがに怪しいだろう。
「収納魔法を使うと霊体の存在が顕著になっちゃうことですか。んん~」
頬に手を当てて考えるエレナ。
「あ、フォレストストーカーの革!」
「あのカメレオンの魔物か。なるほど」
フォレストストーカーは臆病な魔物で主食はホーンラビットなど自分より小さくて弱い魔物ばっかりだ。人間の前は滅多に姿を見せない。
ホーンラビットは角が環境魔力に敏感で察知能力が高い。しかしフォレストストーカーは自身と周りの魔力を制御して、肉体だけじゃなく霊体まで環境に溶け込むことで獲物に察知されずに済む。
「そうそう!あの魔物の革なら探知魔法を妨げるマントを作れると思います。他の素材と混ぜて合成繊維を作りますからそんなに量は要らないはずです」
「じゃこれも決定だな」
それからエレナと一緒に作戦について話し合った。彼女は実戦経験がないけど機転が利くし、一人で考えるより二人の方が効率良い。おかげで作戦準備は順調なのである。
「やっぱりエレナはすごいな。対処法をいろいろ見つけてくれて」
「……」
「エレナ?」
「っ!」
トンと抱きついてきたエレナ。
なんだか最近よくある気がする。嬉しそうな時も、不安そうな時も、こうして甘えてくるようになった。
「本当は一緒に戦いたかったですけど、錬金術師としてまだ半人前ですからこうして陰から支えるしかできません」
彼女は震える腕にさらに力を入れて、体を押し付けてくる。
その華奢な体から不安な気持ちが伝わってきた。でもそれは温かい思いに伴っているのは分かる。
「それだけで十分さ。陰から支えてくれる人々がいるからこそ、前線で戦う戦士は全力を出せる」
軍師、農民、職人など、サポートしてくれる人がいるから、軍は軍として機能しているのだ。
「本当ですか。……じゃこれでヴィルが無事帰って来てくれますよね」
聞き覚えのある質問。今度こそ答えを間違えないようにと。
実は昨日冷静になってそのことについて考えていた。あの時も思い浮かんだけど、俺と彼女は経歴の違いで命に対する価値観は大分違う。傭兵は命が軽いし、騎士は自分より守るべき人々の方が大事だから。戦友が散った時悲しくて後悔もしたけど、心のどこかで仕方がないと思っていた。
俺は自分の命さえ軽んじているかもしれない。
しかしエレナは商人の娘、そんな死と隣り合わせる環境とは無縁だ。だから仲間が出かけて帰って来ないことは想像もできないのだろう。俺だって、生きて帰ってほしいと真っすぐに、切に願ってくれるのはエレナが初めてかもしれない。
つまりちょっとした価値観のすれ違いで俺は間違えたのだ。
そうだ。彼女が欲しい答えは客観的な分析ではない、希望なのだ。
「エレナがこんなに頑張ってくれるから、きっと大丈夫だろう」
気づいたら手で彼女をあやしていた。どうやら俺も自然に甘やかすようになったらしい。
「はい、いっぱい頑張ります!」
ぱっと笑顔を咲かせたエレナ。その強張っていた体も解れた気がする。
正直あまり自信がなかったけど、それが正解でよかった。彼女が求めているのは大丈夫って簡単な言葉だけだった。
ホッとすると、胸いっぱいに広がる暖かい気持ちがより鮮明になった。その正体がよく分からなくて戸惑ったけど、彼女の思いに触発されたことだけは分かる。
元々俺は戦士として負けるつもりはないが、生き残ろうとする意志が強まった。
「今日はもう遅いしそろそろ休もうか?」
「もう少しだけ……」
「まったく、この甘えん坊さん」
「えへへ」
自分の命を大事にしよう。エレナのおかげで俺はそう思うようになった。
出発まで一週間もないけど、出来るだけの準備をして万全な状態で任務に臨もう。
家で待ってくれるエレナのために……。
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