雷雨の夜にて、二人それぞれの悪夢

 言葉には影響力がある。人々を喜ばせて奮い立たせることも、惑わして紛争を引き起こすこともできる。そして大切な人を傷つけることにだってなり得るのだ。


 まさか俺の何気ない言葉で彼女を不安させ、悲しませることになったとは……。



 任務を請け負った翌日、俺は小包の資料を読んでいた。昼からは雲行きが怪しくなって、今夜にも雨が降りそうだ。


「これは……かなり緻密に計画されたな」


 俺が受けたのはただの護衛任務ではなく囮作戦でもある。情報漏れを逆手に取って、虚実入り混じる情報を流しているらしい。護衛対象の数人は本物の飲食店従業員だけど一人だけは技術者で、護衛の冒険者はそのことを知らないと。


「というか、本物の従業員を用意したんだ……」


 そして敵を慢心させるために俺は不用心な冒険者を演じなければならない。どうするかは出発地点についてから待機しているルナエのエージェントが教えてくれるらしい。


 この作戦の最優先事項は技術者を王都まで届くことだが、ルナエの情報収集に手伝うことも重要のようだ。それもそうだろう、ただ護衛だけなら騎士団長が中隊一つ率いてやれば確実だし。


「だから遭遇した敵を殲滅し、可能であれば一人だけ生かすって作戦方針か」


 リスクを減らすために情報を持ち帰られてはいけない。だから敵は殺すか、ルナエが確保するかのどちらだ。


「敵の戦略も確認しよう」


 敵は二段構えの作戦を取っていた。先頭部隊が毒などで負傷者を増やして、戦力を削り進軍速度を遅くしたら本陣と挟み撃ちをする戦法だった。しかもタイミングが良すぎて援軍が来る前にことを終わらせた。


 ルートを変えても地脈通信機で報告したら結局内通者にバレて、第二陣の待ち伏せに遭ったらしい。


 それとルナエの分析によると、敵戦力にマスターランクの戦士は最低限7人いる。情報工作で今敵は各地に分散しているはずだから一気に1対7はまずないだろう。さすがに無理だし。


「セイントだったら余裕だろうな」


 それを考えてもしょうがない。まずは資料のアドバイスを基づいて対策を練らねば。


「ん?収納魔法はおすすめしないと」


 あ、そうだった。霊体を拡張して物を納める空間魔法だから、探知魔法とかで見たらすごく目立ってしまう。


「となると収納せず三種類くらい持っていこうかな」


 狩人なら同時に長剣、弓、短剣持っていてもおかしくないし。


 それと、小包に入っている資金で解毒剤や回復用霊薬を用意するようにと書いてある。


「段々と一筋縄じゃ行かないと思ってしまうねぇ……」


 資料をすべて読了し、体を伸ばしてストレッチすると、ジルからメッセージが来ていたことに気づく。


『ヴィル、任務を受諾してくれてありがとう。それとすまない。動ける人材が足りなくて。このことはいずれ誠意をもって詫びると約束しよう』


 ジルがこの任務を知っているようだが、直接頼んでこなかったのは俺たちの関係を利用したくなかったのだろう。


『気にしないでくれ。俺個人的にもあいつらのやっていることを看過できないからやっつけたいと思っている』


 騎士団でその話を聞いた時俺は恐ろしい想像をした。もし……、もしエレナが来る時期が違っていたら、それで人攫いに狙われていたらと考えると怒りが収まらなくなった。


 絶対に許さない。


 現にエレナが被害に遭っていなくても、彼女やイサベルみたいな優しい錬金術師を知っている以上、技術者拉致事件を見て見ぬ振りはできない。


『そう言ってくれてありがとう。それでも謝礼はするつもりだ』

『それじゃ、楽しみにするか。そういえば、動けるセイントはいなかったのか』


 王宮が信頼している人なら何人かがいるはずだが。


『弓使いのセイント……弓聖はいつも通りノースクレイリアへの警戒で動けない。双剣使いのセイントは海軍で待機中。残りの数人は特殊警備任務に就いている』

『例のプロジェクトか』

『相変わらず鋭いな』


 あんなに技術者を受け入れていると、警備はさぞかし大変だろう。


 うむ……、それなら確かに動かせるセイントはいない。


『もしヴィルが任務を受けなかったら私が直々出ると思っていた』

『……。俺が受けててよかった』


 剣聖のジルは俺よりずっと戦えるけど、王族が必要以上に危険を冒してはならない。だから本当に断らなくてよかった。


 その後俺たちはしばらくお互いの近況を話し合って、雑談で盛り上がった。


 晩飯後、俺は任務で家を留守にすることやリリアのことをエレナに話すチャンスを伺っていた。


 そして食器を片付けて居間でくつろいでいる彼女を見つけた。


「エレナ、ちょっといいか」

「はい、何でしょうか」


 一瞬言い淀んだけど俺は腹を括って例のことを伝えた。


「来週は任務で数日間、家を留守にすることになった。その間俺の信頼できる友、リリアが俺の代わりにエレナのことを見守る予定だ」

「え、任務?でもヴィルもう引退しましたよね」

「あっちはちょっと人手不足でな……」


 話を聞いたエレナは心配そうな顔で距離を詰めてきた。


「危険そうな任務ですか」

「ま、危険がないと言ったら冗談になるから……」


 小雨が大雨になって窓の外がざあざあとうるさくなってきた。それと強風に揺られて木々の葉っぱが悲鳴を上げている。


「ヴィルならきっと大丈夫ですよ……ね?」


 デルタ隊にいた頃の癖がずっと残っている。それは危険な任務に出る時は最悪な結果を想定して、自分が帰ってこない場合どうしてほしいか仲間に話しておくことだ。


 だから俺は自然と昔のように彼女に言った。


「……それが分からない。だから万が一の場合、エレナが俺の銀行口座を使えるように書類を用意した。それで俺が居なくても、契約はちゃんと履行できる」


 もし未練があるかと言ったら、それはきっとちゃんと最後まで彼女との契約を遂行できるかどうかだろう。だから俺は先手を打った。


「もし二週間後に戻っていなかったら、書斎の引き出しに入っているそれを銀行に提出するように」


 エレナが身を翻して、背中を向けてきた。


「わ、わかりました」


 ぽつりとそう答えた彼女が少し身を縮めて震えていた。


「ん?どうした」


 エレナは今日ずっと心ここにあらずで、いつものような元気がないからちょっと気になっていた。


「いえ、天気のせいか、ちょっと調子わるかったの。今日もう寝なくちゃ」

「そうか。確かに今日雨だし、それに季節の変わり目は体調を崩しやすいんだな。ゆっくり休んで」


 エレナが覚束ない足取りで居間から出て行った。まさか本当に体調を崩してしまったのか。明日また様子を見ておこう。


 雨が止む気配がなく、むしろ窓にぶつかる音が徐々に大きくなる。


 天気予報によると今夜は夏になって最初の雷雨だそうだ。


「雷雨か……。あまり気分がいいものじゃないな」



「暗い……。ここはどこなの?」


 エレナはお父さんとはぐれて、夜になるまでずっと待っていたけど、迎えに来てくれる人がいなかった。雨がどんどん大きくなっていくから、雨宿りできそうな場所を探して腰を下ろした。


「エレナがいらない子って本当なの?」


 屋敷のメイドたちの会話を立ち聞きしちゃったけど、エレナは呪われた子でいつ捨てられてもおかしくないって。


「まさか捨てられた……?」


 家の人に話しかけてもらえない、目を合わせてくれない。エレナはいない方がいいと思う人がたくさん。


 ずぶ濡れになって、雨で泥が跳ねて白いお洋服が汚れちゃった……。


「暗くて怖い……、寒い……」


 このままじゃ、暗闇に呑み込まれて消えていなくなっちゃう。


 光がほしい。


 夜空を見上げても、いつもの優しい光はどこにもない。その代わりに、突然獰猛な光が空を切り裂いた。


 ゴロゴロ、ドカンッ!!!


「ぎゃあ!」


 ……

 …


「ぎゃああ!!!はぁ……はぁ……」


 雷にびっくりして私はいきなり夢から覚めた。目に入ったのは見慣れた天井だった。


「光が欲しい……」


 この暗闇にいると私は段々不安になりそうで、魔石灯を付けようとした。


「あれ、エネルギー切れた」


 しかしタイミング悪くて魔石のエネルギーは尽きたそうで灯りが付かない。


「ま、魔法で……」


 魔力を消耗して疲れて明日に響いてもいい。私は光がほしかった。


 震える手に魔力を集めて光を作ろうとしても、恐怖で集中できなくて魔法が上手く発動しなくて、弱々しい光の粒はすぐに霧散した。


「うぅ……」


 私はベッドから出て、壁にもたれて座った。


 壁の向こうはヴィルの部屋。同調の関係で私は壁越しでも彼の存在を感じられる。


 なんだかこうしていると少しでも近くにいて安心感を得られる気がした。


「欲を言えば、いつもの休憩時間みたいに……」


 日常を振り返ると、ふとヴィルが夜に言ったことを思い出し、不安が指数関数的に膨らんで、ついに我慢できなくなった。


「……っ!」


 膝に顔を埋めて体を縮めたけど、それでも不安で押しつぶされそうな気分。


 どれほど時間が経ったか分からないけど、不意にヴィルの動きに気を引かれた。


「ヴィルが、起きた?」


 ぼんやりだけど、彼がベッドから降りたと感知した。


 考えるより先に体が動き出した。枕と大事な物を取って廊下に出て、ヴィルの部屋のドアをノックしたのだった。



 吹き荒れる狂風と横切る雨。雷魔竜の咆哮で頭がはちきれそうなほどに痛くて、恐怖で鳥肌が立つこの感覚。


 そうか、またこの夢か。


 咆哮の直後、無数な閃光が俺たちを襲った。


『させん』


 師匠が前に立ち、魔法障壁でそれを逸らした。


 立ち竦んでいた俺も加勢した。純白な魔法弾を放ち、少しでも雷魔竜の防御を削ろうとした。


『そのまま牽制を』


 師匠が長剣を構え、銀色の閃光となり雷魔竜に突撃した。


 それから激しい戦闘が繰り広げられていた。雷光と銀閃が何度もぶつかり、俺たちがいる草原が焼き払われた。


 そして死闘の末に残されていたのは葬られた雷魔竜、倒れていた師匠と泣き止まない俺だった。


『シロ、大丈夫か』

『僕は大丈夫。そんなことより師匠の傷……』


 頑張って治癒魔法をかけても師匠の顔色は良くならなかった。


『もう止せ。この傷は助からない』


 師匠が俺の手をどかした。


『なんで、なんで僕ごときを庇うの?師匠は強いからもっといい人生を送れるのに』


 そして師匠はいつものように俺の頭をポンと撫でた。


『シロはあの人の雰囲気に似ているから?それで勝手に償いと思っていたかもしれない。今度こそ守ってやるって』

『師匠……』

『シロもいずれ分かるだろう。どうしても守りたい人が出来たら、この気持ちを……』


 師匠の声が弱々しくなってきた。


『おかげであの人に会いに行く勇気が出来た。さ、シロ。私の剣を取れ。お前はもう十分扱えるはずだ。守りたい相手ができたら、その剣術をもって全力で守れ……』

『うん……わかった』


 師匠は雲の間から差し込む光を見つめて嬉しそうに呟いた。


『魂の契りは本物だったんだ。あの人はずっと私を待っている』


 それは何の話か今の俺でもよく分からない。死に際見る幻覚かそれとも本当なことか……。


『シロ、ごめん……。もう行かないと……。縁があれば、また来世で会えるかもしれない』

『うん……いってらっしゃい……』


 それが俺と師匠最後の会話だった。


 ……


 ゴロゴロッ!


 俺はぱっちりと目を開けた。雷がうるさくてどうやら寝ている間に雷が鳴り始めたようだ。


「そのせいであの夢か……」


 もっと力があったら師匠を守れたかもしれないというのは俺の最初の後悔だ。過ぎた事を考えても仕方がないとはいえ、なかなか記憶から消えない。俺としても消えてほしくない。


 あれからもいろいろあって、後悔を重ねてきた。


「結局俺は師匠ほどの覚悟がないのかもしれない」


 ……。


「はぁ、やっぱ考えるのはやめよう」


 ベッドから降りてカップに水を注ぎ、一気に飲む。


「はあ……」


 溜息を吐いてベッドの上に座り込んだ。


「眠れん」


 あんな夢見たからなあ。眠気が消し飛んだ。


 何をしようかと悩んでいる時、ドアがノックされた。


「ヴィル……起きてる?入ってもいい?」

「ああ、いいよ」


 思わずそう返事したけど、若い女性がこんな夜中に俺の部屋に訪れるなんてちょっと考え物だな。


 ふとクリスティーナが言っていた『誘っているサイン』を思い出してしまった。いやいや、さすがにこれは違うだろう。とはいえ、一度はちゃんと言っておかないといけないな。俺だって健全な男だしこんなことが続かれたらいずれ一線を越えてしまうかもしれない……。


 ドアがギーッとゆっくりと開けられる。


「エレナってさ、こんな夜中……に……」


 ……。


 言いかけた言葉を失って口をパクパクさせるしかできなかった。


 なぜかと言うと彼女が泣いているのだ。そのせいで心が締め付けられるような感じがして頭が真っ白になった。


「ヴィル、そっちに行ってもいい?」


 反射的に頷いた。こっちに来る意味を理解する暇もなく。


 彼女はベッドに入り、隣に腰を掛けた。枕を膝の上に乗って、さらに小箱を枕に乗せた。


「ど、どうしたの?もしかして具合が悪かったりする?」


 ようやく我に返って状況を把握しようとした。


「怖いの……」

「怖いって、雷が?」

「違うの。エレナは子供じゃないもん」


 少し不満そうに首を横に振った。


 それにしても、普段の賢くて冴えている雰囲気がどこかに消えて、今のエレナは見た目通りか弱い女の子にしか見えない。


 なかなか話を切り出せずにいる彼女を俺はただただ気長に待っていた。


「悪夢を見たの……」


 彼女も悪夢か……。こんな偶然もあるのか?


「それはどんな内容だった?」

「小さい頃、捨てられかけた時の夢」


 彼女がそのことを語り出した。


 他の町に商談しに行くエレナの父親は、珍しく彼女を連れて行った。そして浮かれていた彼女を人気のない場所に置き去りにして捨てようとした。エレナは雨の寒さと暗闇にいる孤独感を耐えながらずっと待っていた。


「最後はお母さんが迎えに来てくれて、家に連れ帰ってもらった」


 エレナの母親か……。酷い家からずっとエレナを守り続けていた存在。彼女はどんな人だったのだろう。


「ヴィルに見せたいものがあるの」


 エレナは小さくて柔らかい手で俺の手を取って、小箱に誘導した。


「開錠方法はこうして……図形を描くの」


 彼女は俺の指で鍵穴一つない小箱の表面に図形を描いた。するとピッタリで隙間すら見えなかった小箱が開いた。


「い、いいのか。俺に教えちゃって」

「ヴィルなら、いいよ」


 その言葉にドキッとした。そこまで心を許してくれるからか……。


 エレナは小箱から一本のロケットペンダントを取り出した。


「それは?」

「お母さんの写真」


 え!?ひょっとして母親のこと気になっていたのがバレた?


 彼女はそれを開けて、手のひらに乗せた。


 ロケットペンダントの中にも写真が入っているが、魔道具の機能として立体映像を映り出すことも可能なのだ。


「エレナは母親に似ているな」


 映像の中にはエレナとそっくりな女性がいた。小柄でピンク髪で、赤紫色の両目を持っている。彼女は穏やかで優しそうで、その隣には幼いエレナが幸せそうに笑っていた。


 二人の仲は一目瞭然なのである。


「その通りなの。一つの違い以外すべてお母さんに似ていると思う。その……祝福を打ち消す呪い……」


 金色の目のことか。


「呪いの話は以前聞いたけど、祝福は?」

「お母さんの家系は優れた魔導士を輩出する家で、赤紫色の目はその象徴なの」

「だからエレナの父親が彼女と結婚した?」

「それもあったけど、父は本当にお母さんを愛していると思う」


 そうか……。二人目の妻を娶ったから関係悪いかと想像したけど、どうやら違ったようだ。だからエレナの母親は辛うじてエレナを守れたのか。


「なるほど……。でも俺からすれば、どっちの目も祝福だと思うんだよな」

「あ、ありがと」


 ちょっぴり嬉しそうに笑ったエレナなのである。


「それとね。実はエレナの名前はお母さんが決めてくれたの。父親からミドルネームもファーストネームももらえなかったから」

「名前の意味で決めたとか?」

「うん、金色の目だから『輝き』や『煌めき』の意味をするエレナにしたの。それと誰かにとって輝く存在になるって」


 そうか、エレナの母親は金色の目のことも含めて、彼女を愛していたのだ。だからその名前をつけた。


「その名前すごく似合ってるぞ」

「えへへ、ありがとう」


 しかし喜ぶのも一瞬で、彼女の顔がすぐ曇ってまた泣き始めた。


「でもお母さんもういないから……エレナがお母さんの顔を忘れそうになったから……、夢の中でお母さん迎えに来てくれなかったの!」

「だから一緒にペンダントの映像を見たんだね」

「うん……、思い出を無くすのは怖いの。見慣れた家、見慣れた庭、見慣れたぬいぐるみ、お母さんの顔、すべてがぼんやりになって……」


 ユトリテリアは彼女にとって過酷だったけど、それでも彼女が20年以上思い出を重ねた場所だ。いきなり新生活を始めて、寂しい思いをしてもおかしくないのに。


 孤独を感じないかと気を配るようにとマルクに言われたのに、完全に失念したのではないか。


 俺は悔しさに唇をかみしめた。


「あの時も、すべてが消えなくなって、暗闇に呑み込まれるのが怖かった……。雷鳴る夜は怖くて灯りがないと眠れない……でも部屋の魔石灯がつかない」


 ちょうど魔石のエネルギーが尽きたか。


 この部屋の魔石灯は大丈夫そうだけど付けた方がいいかな。


 あっ!突然いいアイデアが浮かんだ。


「灯りがほしいんだね」


 俺は魔法を発動し、無数な光の粒が手のひらから天井へと浮かんでいく。ゆっくりまったりと移動する光の粒はまるで星のように部屋を優しく照らしてくれる。


「まるで満天の星……きれい」


 恍惚とした表情でそれを見上げるエレナ。


 これで大丈夫かな、と思った矢先に彼女が声を出して泣く。


 驚きながらもそんな彼女を抱きしめ、あやすように頭と背中を撫でる。こんな泣き虫だったなんてちょっと意外だった。


「ど、どうした?まだ何かあるの?」

「ヴィルが……やさしくしてくれるから……っ!」

「え?え!?」

「そんなことされたら……お母さんみたいにいなくなったらと思うとエレナは……エレナは……っ!」

「ほら、俺はここにいるから」

「でも!でもっ!危険な任務に出るって!それに、もし帰らなかったらって!」


 晩飯後俺が言ったあれか……。


 ……。


 あああくそ!俺の馬鹿。エレナに何ってことを言ったのだ。彼女は傭兵でも騎士団の者でもない、ただの女の子なのだ。荒事に縁がない彼女が聞いたらそりゃ不安になるわ。


 俺は自分が普通と思っていた言葉で、彼女を不安させ、悲しませてしまった。


 雷が鳴り続ける。むしろ少し前より大きくなっている。


「ようやくこの家の景色に慣れたのに、ようやく今の生活に慣れたのに。ヴィルがいなくなったら……、エレナまた思い出を失っちゃう……。そしたら誰も暗闇に迷ってるエレナを見つけ出してくれない」


 今更だけど、彼女を見て俺は昔のことを思い出した。


 俺がマルクに泣きついた原因、写真で記録するようになった原因。それは彼女の不安と重ねる部分がある。


 昔の俺は、この国に来て安定な生活を手に入れて逆に不安になっていた。いずれすべてが崩れて消えてしまわないかって。自分がまだあの燃え尽きた森で夢を見ているのではないかって。


 だからマルクは提案した。写真で思い出を記録しようと。そうしたらいつでも過去を鮮明に思い出せて、生きている実感を得られる。


 自分で思いつかなくてそのアイデアを借りるしかないけど、そんなことよりエレナのことだ。安心させなければ……。


「大丈夫。どこで迷ってもエレナのことは絶対見つけ出すから」

「国を越えても?」

「世界を越えても」


 大言壮語だけど、それくらいの覚悟を持たないといけない気がした。


 彼女はちょっと落ち着いたようだ。


「それと、エレナが忘れられないような思い出を作ろう。俺が任務に出る前も、戻って来てからも、な?」

「うん……」

「じゃ決まり。今週末予定を空けておくのだぞ」

「うん、絶対空けておく」


 まだ啜り泣きが聞こえるけど、最初と比べたら大分落ち着いてきた。


「ヴィル、わがまま言ってもいい?」

「何だろう」

「任務に連れて行ってくれる?」

「それは絶対無理。エレナがいない方が戦いやすい」


 何しろ、彼女を危険に晒したくないから。


「でも任務が危険だから心配で……。エレナが役に立つことないの?」

「んー、強いて言えば準備かな。事前準備は成功率に大きく関わるものだから」

「じゃまかせて」

「ああ、頼んだ」


 俺の胸に埋めていた顔をあげ、エレナは天井の星空を見上げる。


 そしてぽつりと耳元で囁いた。


「――好き、ヴィルが作ってくれたこの星空が好き」


 長い沈黙が続いた後、エレナの穏やかな寝息が聞こえた。


「すー、すー」


 泣き終わったら今度は疲れて眠ってしまったか。ふふ、ちょっと微笑ましいと思った。


 まだちょっと震えているエレナの手は俺の服をきつく握っている。まるで離れてほしくないように。


「この感じだと部屋に運ぶのは無理だな」


 しがみつかれてなかなか難しかったけど彼女の大事な箱を机の上に置いておいた。そしてなんとか彼女をベッドに寝させて俺も横になった。


「ん……うぅ」


 ちょっと不安そうな唸り声が聞こえたから、また頭を撫でてあやし始めた。


「すー、すー」

「本当に甘えん坊さんだな」


 雷はまだうるさいけど、少なくともエレナは穏やかに眠っている。


 一連のことで程よく疲れたから、俺は急激に強い眠気に襲われた。


「おやすみ、エレナ」


 そういえば最初は彼女に何を言おうとしたけど今はもう思い出せない。ま、思い出せないなら重要なことじゃないかもしれない。それより本当に疲れた。


 そして俺も目を閉じて眠りについたのだった。


 ……

 …


 翌朝、先に起きたのは俺だった。


 エレナはまだ俺の服を握っているけど、もうその手は震えていない。顔を覗き込むと、彼女は幸せそうな表情を見せてくれていた。


「良い夢を見れたようだな。どんな夢だろう」



 私は夢の続きを見た。


 暗闇の中で待ち続けて、雷も雨も止んだ。


 差し込んできた月の光に私は顔を上げ、そこにいるのはお母様だった。


『エレナ、探したのよ』

『お母様!会いたかった』


 お母様と深い抱擁をした。夢の中だというのに、鮮明な感覚だった。


『ごめんね。遅くなって』

『いいの。お母様が来てくれたから私はそれでいいの』

『でもお母さん、エレナを家に連れて帰ってあげられないわ』

『え?』


 ここで私は気づいた。自分はの姿になっていることに。


『エレナが帰るべき家はもう違うの。だからこれからは彼の役目よ』


 振り返ったらヴィルがいた。穏やかで優しい彼が私に手を差し伸べた。


 私はその手を取って、お母様にお礼を言う。


『お母様、今までありがとう』

『ふふ、これからもエレナのことを見守っているから、どうか幸せになって』


 そしてお母様は銀色の月に向かって浮かんでいく。


『さよなら、エレナ』

『さよなら、お母様!』


 お母様は消えていなくなったけど、私が覚えている限りお母様はずっと私の心の中にいる。


『さあ、帰るぞ』

『うん!』


 子供の時と同じように銀色の月明かりに照らされながら帰路についたけど、隣の人も帰るべき家も変わった。


 でも私は感じた。あの時以上の幸せを。


 そして私は思った。この幸せを長く続かせたいと。

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