更なる高みへ

「エレナ、勉強は順調?」


 午後、俺はエレナの様子を見に書斎に行った。


この数日、彼女は依頼の量を減らして勉強に専念することした。そのおかげで魔力を譲る必要がなくなったが、なぜかかえって居ても立っても居られない気分になる。


「返事がない……。入るぞ」


 一応断りを入れてからドアを開けたが、予想通りにエレナは机に伏せて寝ている。この時間になると彼女はよく仮眠を取るのだ。いつもなら俺の胸でウトウトしている。


 そんな日常を振り返るとなんとなくエレナに触れたくなった。


そうか、俺も普段この時間になると彼女の温もりを感じているはずだった。ほぼ毎日繰り返す習慣が途切れ、違和感を覚えてもどかしさが生まれたかもしれない。


考え事で注意力が散漫になると、つい衝動に駆られて彼女に手を伸ばしてしまった。


「……髪質がかなり改善されたようだ」


 この前の休憩時間、不意にエレナの髪が頬に触れた時まるで滑らかな絹のようだった。


 最初会った時彼女の髪はボサボサだった。長旅してこの国にやってきたのもあったと思うけどおそらく家でいい洗髪剤を使わせてもらえていなかったのだろう。


 それでクリスティーナにアドバイスを求めて、お勧めブランドの洗髪剤と入浴剤をエレナに使わせている。遠慮されないように俺も同じものを使うようになった。


「ヴィル……」


 髪を梳くように撫でていたら名前を呼ばれて動きがピタッと止まった。まるで奇襲を仕掛けようとして発見されるのと似ている感覚に襲われている。


いや、敵に発見されるならそのまま戦闘に入ればいいがこれは戦場よりも厄介なシチュエーションなのだ。寝ている女性に触れるこの状況をどう説明すれば……、弁明する余地はないか。


「お、起きたのか?」


 恐る恐る確認を取るが……。


「もっとして……むにゃ」


 どうやら寝言だったようだ。それどころか続きを促されたような気がする。


「んにゃ」


 仕方がなく止まった手をまた動かしたら今度は口元が緩んで気持ちよさそうな声が漏れた。


「本当にどんな夢を見ているのやら」


 しばらくその幸せそうな顔を眺めると、時計を見てこの後の予定を思い出した。


 気持ちよく寝ているところに悪いが、エレナの肩を揺さぶって起こす。


「おい、そろそろ起きた方がいいぞ」

「ヴィル?えへへ」


 寝ぼけた顔でスリスリしてきた。何なんだこれは……。


「こら、イサベルがあと20分くらいで来る予定だぞ。先生を待たせるのはよくない」

「ふえ、いさべるさん?」

「そうだ。今日が初授業じゃないか。早く準備した方がいいぞ」


 寝ぼけた目をこすって俺を見つめるのも、数秒で頭がスッキリして言葉の意味を理解したらしい。


「はわわわ!もうこんな時間。早く工房で準備をしないと」


 彼女は椅子から飛び上がって書斎から出て行った。


「エレナったら、本を忘れて行っちゃったじゃないか」


 机の上に置いてある虚紙本を覗いてみたら、ページの空きスペースには二つの筆跡で要点をまとめられている。片方はイサベルが残した物でもう片方はエレナが追加した物のようだ。しかもそれぞれ表示のオンオフ出来て本当に高性能な虚紙本だなと感心する。


「真面目に勉強していたな。ま、エレナのことだから言うまでもないか」


 細かく書かれたメモがエレナの勉強成果を物語っている。


「後でイサベルに聞くと書いてある部分あったな。やっぱこの本は持っていくべきだったのか」


 彼女の忘れた虚紙本を取って俺も書斎を後にした。



「お屋敷に招待してくれてありがとう。ヴィルヘルムさん。ふふ、恩人様の家を訪れるなんて緊張するわね」


 午後四時くらい、イサベルは我が家にやってきた。


「そう畏まらなくても。イサベルはエレナに錬金術を教えに来てくれたから。それに、俺としては対等な関係を築きたい」


 言外にこれで貸し借りなしにしたいと提示した。いつまでも恩を感じさせるのは良くないと思っている。何しろ俺は騎士の職務を遂行していただけだから。


「分かった。わたしも貴方達と友達になれたらいいなと思うから嬉しい」


 穏やかな雰囲気で微笑むイサベル。


「それじゃ工房に行こうか。エレナはそこで準備をしている」

「よろしくお願いわね」


 そして俺はイサベルを工房まで案内した。


「イサベルさん、こんにちは」

「こんにちは、エレナちゃん。今日はよろしくね」

「よかったら授業を始める前にティータイムを楽しもうか?イサベルは仕事の直後来ている訳だし」


エレナも勉強の後仮眠を挟んですぐ準備に取り掛かっていたから頭に糖分が足りないかもしれない。


「あら、お気遣いありがたいわね。ではお言葉に甘えて」


 お茶と菓子を出して3人でゆっくり休む。


「わー、これはあの有名な店のお菓子なのね。おいしいわ」


 イサベルは優雅に菓子を食べたりお茶を飲んだりして、エレナも負けずに同じくらい振る舞っている。まるでお茶会で二人のお嬢様と同席しているようだ。


 忘れがちだけどエレナは商人の娘なのだ。礼儀作法は母親に仕込まれたらしいけどそれなりにいい家柄だと窺える。まあ、家でリラックスしきっている時はだらしない一面もあるけど、この家が彼女の気が休まる場所になった証拠だからむしろそれがいい。


「ふぅ、紅茶美味しかったわ。おかげで疲れが取れた」

「それはよかった」

「ヴィルの紅茶いつも優しい味がして美味しいです!そういえばまだ聞いていませんでした。その技術はどこで学びましたか」

「わたしも気になるわ」


 二人の好奇な眼差しを向けられて俺は淡々と語り始めた。


「俺、実は一時期王宮で王子様の武術指導をやっていた」

「クリスティーナ様が言っていたね」

「私も紅玉亭のおばさんから聞きました」

「その時王子殿下に趣味一つでも持ったらどうだと言われてお茶を淹れる技術を彼の専属侍女から学んだのだ。確かに彼女今はクリスティーナの世話役をやっているはず」


 それはジルが気を配ってくれたらしい。確かにあの時俺は趣味も持たない空っぽな人間だった。


「なるほど、道理でその動きは見覚えがあるようだったわ」

「わ、私はいつもそんなすごいお茶を飲んでいますね」


 エレナが身を縮めてそう言った。大袈裟だと思うのだけど。


「ふう、一息ついた。それではそろそろ授業を始めましょうか」

「はい、よろしくお願いします」

「俺がここにいても構わない?離れたところに本を読んだりして君たちの様子をみたい」


 どうせ暇だし、邪魔じゃなければここで授業を眺めていたい。


「ええ、お好きにどうぞ。ふふ、これはちょっと緊張するわね」


 という訳で休憩時間が終わり今日の本題がいよいよ始まる。


「エレナちゃん、まず参考書どこまで理解出来たか確認しましょ。分からないところがあったら質問してくださいね。その後は実技を指導するわ」


 彼女達はしばらく受け答えをしている。聞いても分からない専門用語と理論、そして長くて複雑な算式など。錬金術が如何に難しい学問なのかは言うまでもない。


 それでもエレナとイサベルはとても楽しんでいるように見える。きっと二人は錬金術を心から好いているからだろう。


「問題なさそうね。では実技に移りましょ。今回は虚体特性をちょっといじって、指定の効果を出してもらうの」


 錬金術理論を傍聴して、何となく虚体の概念は分かった。


 この世の万物には実体と虚体があり、それぞれに特性がある。分かりやすく例えば身体と魂の関係のようなものかな?しかし厳密に言えば、肉体には実体と虚体があり、その上に霊体がある。そして我々の存在の根幹である魂は未だに謎だらけだ。


 ともかく、その虚体特性のおかげで空気より重い石が宙に浮いたりするのだ。


「この『萃光結晶』の特性を指定した通りに変えてください」

「分かりました」


 イサベルがいくつの真っ黒な結晶をテーブルに置いた。


「それは?名前からして光を集める特性があるようだが」


 俺は好奇心に負けて話に割り込んでしまった。


「あ、ごめん。俺のこと気にせずそのまま続けてくれ」

「ふふ、いいの。むしろちょうどいい機会だわ。エレナちゃんの理解度確認を兼ねて、説明してもらいましょ」


 確かに説明出来るほどならちゃんと理解しているということだ。うん、実に先生らしい考えだ。


「はい、お任せください!まずヴィルの言った通り、『萃光結晶』は光を吸収する特性があります。結晶が光を吸収すればするほど成長し、大きくなります。しかし臨界点を越えると粉々になって、『純光の雫』と言う砂に変わります。純光の雫は多くのエネルギーを蓄えているが自然では安定な物質なのです。よく薬品の材料で使われていますよ」

「結晶から砂になると光を吸収しなくなる感じ?」


 名前は萃光の雫じゃなく純光の雫だし。


「その通りです。萃光結晶の実体が蓄えたエネルギーに耐えなくなって構造が変わってしまって今度は虚体特性が維持されなくなってしまいます。その結果全く別な物になるのです。これもある種の均衡でしょうか」


 確かに太陽の光に晒せば無限に膨張する結晶は想像したくないな。


「ここで質問です。『萃光結晶』はどこで採れると思いますか」

「光に晒せばいずれ砂になるものだから真っ暗な洞窟しか採れないだろうな」

「半分正解ですね」

「半分とは?」

「実は真っ暗な洞窟でも採れますが、蛍光キノコが生える洞窟では程よいサイズに成長して見つけやすいのです」


 ちなみに効率のいい探し方は懐中魔灯や光魔法で洞窟内を照らし、真っ暗なオブジェクトなら萃光結晶だそうだ。


「これから行う特性操作は、光吸収率を変えたり、吸収特性を消し去ったり、吸収から放出に反転変換したりするのですね」

「ええ、そのために複数を用意したわ。比較対象として一つはそのままで。これらすべては同じサイズの核を持っているため、臨界点は同じよ」


 エレナは五つの結晶を同時に錬金陣に放り込む。そういえば錬金陣は中にある物を不変状態にすると彼女が言っていた。


「一つはそのままで、その他は吸収率50%、25%、0%、最後は特性反転……」

「0%ではなくて特性を消すのよ。例え効果が同じでも本質は違うわ」

「あ、そうでした」


 普段のエレナならそんなミスはしないと思うけどおそらくイサベルの前で緊張してしまったのだろう。俺の教え子である後輩騎士にもよくあることだった。


 確認を済んだらエレナが次々と錬金術を発動した。


 錬金陣から眩しい光が放たれる。それが収まると、一つを除いて水晶達の見た目が変わった。光吸収率が低いほど黒い水晶に透明感が増したようで、まったく光吸収しないやつはただの透明な水晶になった。そして最後の水晶はまるで街灯のライトコアのように発光している。


「出来ました!」

「これもしかして街灯とかに使われてたりする?」

「察しがいいね。ライトコアのレシピは色々あるけど、萃光結晶をベースにするものがあるわ。耐久性能とエネルギー効率を向上させるために他の素材も入れるけれども。そして街灯は環境の明暗に応じて光の吸収と放出に切り替わる機能も付けられるわ」


 室内に使う魔石灯と違って、街灯は手動でつける必要がない訳だ。さらに昼間は光を吸収して、夜になると放出するので魔石を使わずに済む。よく考えられたものだな。


「では結果を見ましょう。エレナちゃん、水晶を皿に移してください。わたしが光魔法を当てるわ」

「はい」


 話を脱線させたことに申し訳なさを感じるが、彼女達は気にしないようだ。


「ではいくよ」


 イサベルが光魔法を発動し、点光源じゃなく面光源を作り出した。些細な差ではあるが、点光源だと両端の水晶に届く光が若干弱くなるだろう。


 眩しい光に照らされる水晶は次々と破裂して砂になる。そして残されたのは二つだけ。


「砕けるまでの時間を光吸収率に逆算して、比較用の水晶は99.98%、他の二つは50.2%と24.9%。初めてにしては上出来だわ。エレナちゃんすごいね」

「あ、ありがとうございます。えへへっ」


 褒められてはにかむエレナ。


「やったぞ。エレナちゃん」

「う、ううぅ。からかわないでください」


 思いつきでここぞとばかりにそう呼んでみた。すると彼女が頬を膨らませて顔を逸らした。耳が若干赤いように見える。


「ふふ、仲がいいこと。あ、そろそろだわ」


 ん?そろそろって何の事だろう。


 そう思い、次の瞬間透明な結晶も破裂して砂になった。


「ん?それは光を吸収しないはずだが」


 その砂の色は純光の雫より薄い。おそらくエネルギー量が中途半端だからだな。


「あ、そういうことですね」


 エレナが何か分かったようだ。


「これで特性操作する際の注意点を理解してくれたはず」

「虚体特性を消すと、虚体および実体が維持されなくなる可能性ですね。この場合は無にするのではなく、ゼロにした方が良かったのですね」


 まさかエレナが最初うっかりやろうとしたことが正解だったとは……。


「もしくは特性を消した後、プレースホルダー特性、つまり効果のない仮特性で虚体を維持する」

「そのやり方もあるんですね」


 何もしなくても安定する場合があれば、今のように手を加えないとダメな場合もあると。


「さらに言えば、中間材料にする時、仮特性が邪魔になる可能性だってある。敢えて不安定なままにする場合もあるのよ」

「可能性を想定して計画する。錬金術師って大変だな……」

「優秀な錬金術師ならこれくらいできて当然です!」

「その意気よエレナちゃん」


 それからイサベルまたエレナにいくつの課題をさせた。そしてあっという間に夕方になった。


「今日はこんなものかな。それでは授業を終わりにして、ちょっとお話ししましょう……【二元魔力】について」

「それはまたいきなりだな」


 クリスティーナから聞いていると思うがその話を持ち出すと思わなかった。


「そんな訳ないよ。ずっと観察していたから。今ようやく結論が出たところ」

「やっぱり錬金術に影響出てるんですか……」


 心配そうに聞くエレナ。


「わたしが見た限り、悪い影響はないみたい。たぶんヴィルヘルムさんのおかげかな」


 そのことも伝えたのか……。いや、二元魔力の話ならそれも話さないといけなかったのは分かる。


「二元魔力を持つ錬金術師とか協会の記録を調べても見つからない。だからわたしが直接見て判断するしかないの」


 確かクリスティーナによると、二元魔力は珍しい上に干渉現象のせいでただ魔法の才能がないと片づけられたりするから確認された例が極めて少ない。大戦で多くの記録が失われたから昔ならもっと事例があったかもしれないけど。


 つまり才能に恵まれて二元魔力を上手く制御出来て錬金術師になった人がこの数百年一人もいない可能性がとてつもなく大きい。


「何か分かったことはありましたか。イサベルさん」

「そうね。今の錬金陣ではエレナの力を最大限活用出来ないことかな」

「やっぱり錬金陣は自作じゃないとダメですよね」

「そういう意味ではないの。今の設計では二元魔力を上手く利用出来ないって話」


 ここで頭にある疑問が浮かんだ。


「ちょっと気になるところがあるんだが、魔法は多重展開があるじゃないか。錬金術にはない?」


 錬金術も多重展開あれば錬金陣もそれに対応するように設計されているはず。


「んん~ どう説明すればいいか……。そうだ!ヴィルヘルムさんは空間魔法の多重展開見たことあるの?」

「ないね……確か」

「複雑な魔法であるほど、多重展開の難易度が上がるの。錬金術は何と言うか……、そう!細かい手作業みたいな。魔力の源泉を手で例えば分かりやすくなるかも」


 イサベルは暫し考え、良い例え話を見つけたようでまた口を開いた。


「ボタンを強く押せば押すほど出力が上がる魔道具があるとしましょう。手のひらで押しても、指で押しても同じ力なら出力が変わらない。そして二本の指を使えば二つのボタンを押せる。これは多重展開なのである」


 なんだか分かったような気がしてきた。


「そして錬金術は細かい手作業で、大抵の場合はすべての指を使わないといけないの。だから錬金術は多重展開出来ないのではなく、そうする余裕がないだけ」

「なるほど」

「片手だけ使って料理するのは大変でしょ?その感覚から想像してみて。わたしたちすべての錬金術師は片手で作業するけどエレナちゃんは両手を使える。それが二元魔力とわたしたちの差異だわ」


 手で例えるからとても大変そうに聞こえるけど、みんな魔力源泉一つしかないのが当たり前だよな。


「錬金陣の話に戻るけど、あれは言わば片手で使うツールだわ。それをエレナちゃん用に再設計しないと彼女の力を発揮できないのよ。でもごめんなさい。わたしは力になれそうにないわ」

「イサベルさんも無理ならどうすれば……」


 エレナは不安そうに言った。


「エレナちゃんの感覚はわたしたちと違うので、あなた自分自身で解決するしかないわ」


 少し間を置いてイサベルが微笑んで見せた。


「でもわたしが分かる範囲でヒントをあげられるわ。まずは錬金陣の構造を見てみましょう」


 そう言いつつイサベルは白い紙に沢山の数式をすらすらと書く。


「二つの源泉を受け付けるようにこの部分を変えるとこうなる」

「アンカーが2セットになりますね」

「しかしそうなると問題があるわ。まずバウンダリーも2セットになるとお互いに干渉して邪魔になる。そしてアンカーを固定したら二元魔力の力を上手く発揮できない。でもバウンダリーがないとアンカーの連絡と統制が取れなくなって錬金陣の一体性を保てなくなる」

「例えアンカーに浮遊特性を付与しても、手動で移動と統制する手間を考えると普通の錬金陣とあまり効率が変わらないですね」

「ツールの構造を維持するために左手を使ってしまって結局右手しか作業出来ないってことか」

「あら、ヴィルヘルムさん上手いことを言ってくれたわね」

「そうです!ヴィルは頭がいいです」


 長い間指導者の立場にいたからこうして褒められるのはちょっと気恥ずかしい。


「どの道実体を持つバウンダリーを排除するしかないけど、錬金媒介の境界を定める方法とアンカーの統制を何とかしなければならない」

「イサベルさんも分からないことを私が……」

「ゴールドランク錬金術師を目指すなら未知に挑む勇気を持たないとね。ま、大戦前の技術が手掛かりになる可能性もあるので、遺跡から何か発見されるかわたしも目を光らせておくわ」

「何から何までありがとう、イサベル」

「ありがとうございます」

「どうってことないわ。ギルド長たるもの、可能性を秘めた後輩を大事にしないと」


 ふとイサベルが腹を抑えるのに気づいた。


「伝え忘れることはないね、うん。それではもうこんな時間だし、わたしこれでお暇しましょうか」

「イサベル、ちょっと待って」

「はい、まだ何か聞きたいことでも?」

「これから予定がないなら、よかったらうちで食べて行かない?」

「いいの!?」


 イサベルは目を輝かせた。予想外のいい反応だった。


「エレナ、二人で腕によりをかけて晩御飯を作ろうか」

「はい!」


 俺とエレナは得意料理を振る舞って、三人で食卓を囲んだ。談笑と雑談で親交を深めて、時間があっという間に過ぎていく。日が沈んだので俺はイサベルを家まで送ることにした。


「わざわざありがとう」

「いえ、エレナの先生になってくれたことに感謝してもしきれないから」

「ふふ、ちょっとエレナちゃんが羨ましいね」

「え?」


 突拍子もないことをイサベルが言い出した。


「あなたたちの工房がとても生活感があって暖かかったわ。そこで仕事出来たら幸せだろうなと思っただけ」


 俺はふとイサベルがこの国に来た理由を思い出す。


「すまない、あの時もっと力になれたら……」

「いいえ、助けてくれただけで十分だったわ。わたしは推薦書と資金をちゃんと用意してあったからエレナちゃんほど大変ではなかったわ。その後も一人でゴールドランクに上り詰めたもの」


 この人本当に逞しいな。


 彼女は視線を遠くに向ける。


「ギルド長をやっていて、調停などで様々な関係性を見てきた。皆ヴィルヘルムさんみたいに優しい訳じゃないの。だからあなたたちの工房の暖かさに感心したわ。ああいう感じはなかなかないもの」

「それでもあるんだな」

「ええ、大抵は仲睦まじい夫婦の工房だけど」

「も、もしかして俺からかわれてる?」

「ふふ、どうかしら?」


 悪戯っぽくそう返したイサベル。


 やっぱりクリスティーナに何かを吹聴されたかもしれない……!


 恥ずかしさを紛らわすために頬を掻きながら目を逸らすと、ふとつけられていることに気づいた。この感じはパパラッチか。


「あら、ヴィルヘルムさん人気者なんだね」


 イサベルも気づいたようだ。


「ごめん、俺のせいで君を巻き込んじゃって」

「大丈夫。使える写真一つも残らないわ」


 イサベルは髪をかき上げてイヤリングを見せてくれた。


「映像に関する魔道具はわたしの専門だもの。妨害するのは造作もないわ」


 どういう原理かは分からないけど彼女がそう言うなら大丈夫か。


「もしかして家まで送るのは余計な世話かな。君一人でも自分を守れる気がしてきた」

「そうね、例えヴィルヘルムさんほどの強者に襲われても逃げ切れる自信があるわ。それでも送ってくれるのは嬉しいよ」

「襲わないって」

「あら、ヴィルヘルムさんに襲われたら抵抗しないと言ったら?」

「しないって!」


 笑いを堪えずふふっと笑うイサベル。


「イサベルって案外冗談が好きだな」


 びっくりしてつい調子が狂ってしまった。


「王宮の堅物に囲まれていると息抜きもほしくなるわよ」

「それは分かる」


 何だか言っていることがジルのと似ている。俺も一時期王宮に勤めていたからすごく共感できる。


「もうついてしまったわね」


 イサベルが住んでいるのは高級住宅街、貴族の屋敷と比べたら小さな一軒家だけど王都の家賃を考えれば豪華な家なのだ。それにここに住む人達はお金持ちや商会長などの有力者ばっかりで治安維持に力を入れているエリアなのである。


 彼女は家に入る前に振り返って話しかけてきた。


「エレナちゃんのこと、ちゃんと守ってあげてね。プレッシャーをかけたくないから彼女の前に言わなかったけど、あの子の可能性はわたしも想像できないほど大きい。もしかしたら錬金術の歴史に刻むかもしれないわ」


 イサベルの目は真剣だった。本気でエレナからそこまでの可能性を感じると伝わってきた。


「ああ、言わなくてもそのつもりだ」


 俺は自然にそう即答した。それを聞いてイサベルは微笑んで手を振る。


「ではまた」

「またな」


 家に戻ってきたらエレナは居間でイサベルが書いたページとにらめっこをしていた。


「これはどうすれば……」

「ただいま、戻って来たぞ」

「ヴィル、おかえり」


 ソファーに腰を掛けて横からエレナの様子を見ると、彼女が読むのをやめて話題を振ってきた。


「イサベルさん、さすがはゴールドランク錬金術師でギルド長。このメモはすごく大きなヒントになりそうです」

「親切にヒントを教えてくれたのに力になれていないとか謙虚だったよね」

「聡明で謙虚で、しかもとてもきれい。淡い水色の髪と目はまるで霜か雪で出来た宝石のようにキラキラでした」

「確かに、神秘的な美人って感じだったな」

「それにスタイルも良くて本当に羨ましいです。うぅ……」


 へこたれて体が縮こまったエレナ。


 彼女は自分の魅力が分かっていないようだ。そりゃ顔と身長のせいで幼く見えるけどそれ以外は立派な大人なのだ。


 ……。


 いや、それは励む言葉になるのか?分からない。


 分からないから女性の悩みにむやみに踏み込まないでおこう。


 唸り声を上げるエレナと目が合ってしまうと彼女は目を逸らしてしゅんとなった。


 いつも以上に元気がないな。何なんだろう?


「エレナ、お前はもしや……」

「え、これは違っ――」

「魔力消耗のせいで疲れた?」


 そういえば今日は魔力を分けてもらわなかった上に、初めて上級錬金術を使ったな。随分と消耗して気分が悪くなったのだろう。


「おいで、このまま寝ても気持ちよくないだろうから、まずある程度魔力を補充しよう」

「あっ……、うん」


 言われたまま俺の膝に乗って座る。


しばらく穏やかな沈黙が続くとエレナは口を開いて静かに言った。


「私は錬金術の高みを目指して、イサベルさんに負けないような優秀な錬金術師になりたいと思います」

「エレナならきっとなれるさ。焦らず着実に進もう」


 返事の代わりに胸に重さを感じた。彼女が頭を預けてきたと思えば、顔を覗いてみたら瞼を閉じて穏やかに胸を上下させている。


「寝ちゃっている。やっぱり疲れていたんだな」


 数日ぶりの日常をしばらく堪能してから、エレナをベッドまで運んであげたのだった。



「じゃーん!掃除ロボットを作りました!」


 二日後、エレナはまん丸いパイみたいな魔道具を見せてくれた。


「これはですね。経過した場所を魔力でマーキングして、まだされていない場所に移動して掃除する魔道具なんですよ!壁や天井に張り付いて移動できますので部屋を隙間なくきれいにしてくれます」


 上機嫌で目を輝かせて説明してくれるエレナ。


「初めて上級錬金術で道具を作りました!どうですか?」

「はは、すごいじゃないか。よくできたな」


 言葉だけじゃなく行動でも称賛を示すと彼女は満面の笑みを見せてくれた。


「えへへ、まだまだ簡単な物だけど魔道具を作れてようやく成長した実感が沸きました」

「でもこれで満足するはずがないだろう?」

「もちろん!これからもっと知識と実力を積んで立派な錬金術師になりますから」


 エレナの可能性か……。それがあってもなくても俺はただ彼女の夢を見守りたいだけだ。


 彼女の眩しい笑顔を眺めて俺はその感想を抱いたのであった。

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