偶然か運命か

 紅玉亭で注文をし、待っている間俺は屋敷に戻って借りた的を置いてきた。全力で走ればそう時間かからなかった。


「戻ってきたぞ」

「おかえり」

「料理がもう届いたのなら先に食べてもいいのに」

「いいえ、届いたのは数分前です。それに……、二人で食べた方がおいしいですし」


 よく見たら料理から蒸気が立ち上ってまだ熱いようだ。それと食事は誰かと一緒にする方が美味いのは同感だ。


「待ってくれてありがとう。じゃ食べよっか」

「うん~」


 エレナが気が利いて冷めにくい料理を選んでくれた。


 それがベイクド・ポークチョップ・ライスという、キャセロールから発展した料理らしい。ベースはチャーハン、その上にポークチョップを乗せ、さらに特製トマトソースとチーズをたっぷりかけてオーブンで焼いた物だ。


 感想を共有したいからか彼女も同じ料理を選んだ。


「おいしいです~」

「さすがこの店だ。高級なチーズに新鮮なトマト、チャーハンはちゃんと落月米で。美味い」


 騎士訓練生との模擬戦で魔力をいっぱい使ったからかエレナはあっという間に料理を平らげた。


「そういえば、さっき騎士団でヴィルの一番弟子だと間違えられました」

「たぶんそれは俺がエレナを褒めたからと思う」

「セリカちゃんもすごく強いと思いますが、ヴィルが褒めなかったんです?」


 おや、もうセリカと親しくなっているようだ。


「あの子、技こそすごいが判断力がまだ足りないんだ。さっきエレナとの戦闘で、もし長期戦に持ち込めば勝ってたのは彼女だ」

「あ、確かに。私の体力では長く持たないと思います」

「それと予想外の状況に弱くて、明らかに格上な相手なら慎重はなるが、策略を巡らして駆け引きの上手い人に負けやすい」


 だからセリカはローワンの隊に配属された方がいいと俺も思っている。ローワンの指揮なら彼女の力を引き出せるだろう。


「セリカちゃんが今回上手くはぐらかされたと言っていました。ヴィルってもしかしてセリカちゃんが苦手?」

「バレたか。彼女の手合わせに付き合うと高い確率でローワンがやってきて対戦を申し込んでくるからね。時に1対2になることもある」

「ふぇえええ、大丈夫でしたか」

「彼らは連携段々良くなってそろそろ負けると思う」

「ま、まだ負けてないんだ……」

「疲れるんだよあれは。訓練生ならともかくローワン相手だと全力出さないといけないからな」

「なるほど、そういう事情がありましたね」


 話題が終わると、不意に彼女の視線が他の食卓に向けた。その食卓にはデザートが並ばれている。


 まだ食欲が満たされていないようだ。


「デザートを食べたいの?じゃ注文しようか」

「いいんですか!あ、いえ。デザートまでいただくなんて」


 ぱっと笑顔になって次の瞬間は生唾を飲み込んで申し訳なさそうにしゅんとなる。表情がコロコロ変わって面白くて可愛い。やっぱり食べたいけど値段が気になるのか。


「気にするな。俺も食べたいから。それに俺だけ食べているところを見られたらどんな噂が広まるか分かったもんじゃない」


 ちょっとした脅しだが、まあ実際ジルに情報が届くほど見られているから。新しく叙爵された者がどんな人となりと、貴族の間に話題になっているはず。


「ええええ!?そ、それじゃ注文させていただきます」


 言い負かされてエレナはデザートを選び始めた。


「俺はフォンダンショコラと特製ミルクティーで」

「私はイチゴムースケーキとレモン汁入りドクターハイゼでお願いします」

「ご注文承りました」


 店員に注文し終えると、また雑談が始まる。


「ドクターハイゼか。あれは錬金術師が発明した飲み物だったっけ」

「そうです!正確にはレシピ自体はドクターハイゼンベルクが新しい薬品調合する時偶然発見した物で、息子さんがそれに炭酸を注入して飲み物として広めたのです」

「何のきっかけもなく完全な偶然でこんなすごい物が発明されたとは……」

「案外偶然が運命かもしれませんね」

「錬金術師は運命を信じるのか」


 錬金術師に失礼かもしれないがあまりそういう印象がしない。


「もちろん。不安定な物質に不安定な特性を宿すと安定なものを作り出せる錬金術ですよ。運命を信じる錬金術師だっています」

「なるほどな」


 たしか物質と特性操作の話だったな。不安定だから自然に存在しない物質だが、同じく不安定な特性と組み合わせると安定化する可能性があるという。


「お待たせいたしました」

「わぁ~かわいくておいしそうなケーキです」


 そんなに時間経っていない内にケーキが運ばれてきた。デザートは菓子店から仕入れた物だがこの店のためにデザインされたオリジナルなのである。


「いただきます!んん~おいしいです」


 エレナはケーキを一口食べると屈託のない笑顔を見せた。やはりデザートって素晴らしい。


「やっぱここのデザート美味い」

「おいしくて幸せですぅ」


 幸せか。このタイミングで聞くのはどうかと思うがマルクの助言で気になって聞かずにいられなかった。


「エレナはここ国に来てからどう思う?楽しい?」

「それはもちろんです!優しい人に出会えて、夢に向けて頑張っていられて、こんなおいしいものを食べられますから。あの頃では想像も出来ない幸せな日々で怖いくらいです」

「それならよかったけど、怖いとは?」

「たまにこれは長い夢で覚めちゃうとあの頃に戻るとか」

「そっか……」


 マルクが気を配ってあげた方がいいと言った理由が分かるような……。


 じー。


 しかし答えにたどり着く前にエレナの熱烈な視線に気を取られてしまった。それは俺の手元、食べかけたフォンダンショコラに向けられている。


「とろっとろのチョコ……」

「気になるのか。食べてみる?」

「はっ!そんなことは……じゅる」

「はは、しょうがないな」


 フォンダンショコラの一切れを分けてやった。


「きれいに切れましたね。今のは魔法で冷やしました?」

「正解」


 チョコが溢れ出さないため一時的に表面を薄く凍らせた。室温で溶けるものなのですぐに元の状態に戻った。


「温度調節できるナイフ……あったはずですがなぜ流行らないでしょう」

「用途が限られた上コストが見合わないだろ?」

「たしかに!んんん~~ このフォンダンショコラおいしいれす」


 幸せそうにケーキを味わう姿はまるで小動物のように可愛い。餌をやる動物園の飼育員もこんな気持ちなのだろうか。


「どうしました?私の顔を見て」


 視線を気づかれたようだが、なんだかこのシチュエーションに既視感があるぞ!?


「それは――」

「そうでした!ヴィルの分を食べましたのにこちらのケーキを食べさせないと」


 こ、これはもしや……。


「はい、どうぞ」


 彼女がフォークでケーキを掬って俺の前に運ぶ。


 やっぱりこうなる!前もこんなことがあったけどそれは家の中で今は公衆の前だぞ。


 どうする!?食べてしまえばどんな風に見られる?いやいや、拒否しても悪い噂になるからどの道詰む!


 悩むのも一瞬で直ちにぱくっと食べた。


 長引くと誰かに見られる可能性が上がるから長引いちゃ駄目、速戦即決でその状況から脱するのが正解だ。


「どうですか。おいしいですか」

「うん、とても美味しい」


 弾力のあるジュレ、滑らかなイチゴムース、そしてふんわりとするスポンジが絶妙なバランスになっている。


「よかったです、えへへ」


 俺たちがデザートを堪能した後、紅玉亭を後にして錬金術師ギルドに向かった。


「エレナさんにヴィルヘルムさん、こんにちは。今日は依頼を受けに?」

「こんにちは。今日は探したい参考書があって」

「ではこのカタログをどうぞ」

「ありがとうございます」


 ギルドに入ると、ミユキがテキパキとエレナの要望に添えてカタログを渡してくれた。


 俺たちは適当なところに座ってカタログを読む。


「上級錬金術の本ってこんなにもあるのか」

「錬金術は分野が多いですから応用参考書はいろいろあります。でも中核となる技術を把握出来れば応用参考書がなくても大丈夫です」


 なんか今エレナがすごいこと言っているような……。とにかく今は応用系の本は要らないか。


「にしてもどれも普通の本より高いね。値段が50倍以上差がついてる」

「錬金術の知識はそれだけ価値があるものなんです。それにこれらは実体本じゃなくてデーターなんです。本にすると厚すぎますので」

「それか。デバイスで読む虚紙本」

「はい、このカタログも似たようなものです」


 虚紙本は便利だが流行らない理由は値段だよね。デバイスの値段はもちろん、データーの保存媒体も高い。


「あの……、やっぱり私が貯金出来たら買いましょうか」

「いや、気にしているわけじゃない。ただ感想を言っただけだ。俺が出すから必要な物を選んでくれ」


 それにエレナは勤勉だしこれしきの金ならすぐ返せるだろう。


「分かりました。じゃ……」


 彼女が選ぼうとした時職員の一人がやってきた。


「すみません、貴方はヴィルヘルム様で合っていますか」

「ああ、合ってるが」

「あの、ギルド長がどうしてもお会いしたいとおっしゃいましたので、もしお二方がよろしければギルド長室までいらしていただけますでしょうか」


 エレナと登録しに来た時、ギルド長が保証金のことで便宜を図ってくれた。俺の知り合いに錬金術師がいなかったし会ったことがないと思うが、そちらが会いたいと言うなら応じて見るか。もしかしたら……。


「わかった。行こう、エレナ」


 俺たちは上の階にあるギルド長室前まで案内され、待つように言われた。職員はすぐ仕事に戻った。


「奥に人の気配がありませんね」

「エレナも分かるのか」

「ヴィルのおかげで感覚が鋭くなりました」

「これはまだ来てないだけだな」


 ギルドの職員がいたずらするようなことはしないと思うし、考えられる可能性が一つしかない。


「あ、扉の向こうから魔力を感じます」

「来たようだな」


 この肌で感じられる強大な魔力はおそらくクリスティーナの空間魔法だ。まさかクリスティーナに頼んで魔法で王宮から戻ってきたのか。


「入ってちょうだい」


 向こうから女性の柔らかい声が聞こえた。


 俺は扉を開けたが、ギルド長室に入った瞬間頭を下げた。


「ギルド長にお願いがある。この子に上級錬金術を教えてやってくれないか」

「ヴィ、ヴィル!?」


 いきなり頼み事するなんて常識外れにもほどがあるが、今思いついたことを言いそびれて後悔するよりはずっと良い。


「いいよ」

「え?」

「ん?」

「料金も要らない。わたしが教えてあげる」


 思いもよらない言葉に思いっきり頭を上げた。目の前にいるのはきれいで物柔らかな女性。


「やっと会えたわね。恩人様」

「貴女は……」


 顔は見覚えがあるような。恩人ってことは昔助けたことがあるということか。


「やっぱり何年も経つと覚えてくれないでしょうね。ええと……『騎士様、わたし追われていますの。わたしは怪しい者ではありません。どうかお助け下さい』」


 元気のない声でそのセリフを言った彼女。今の柔らかくて元気な声とは随分違う。


 そっか、あの人か。


「そして貴方は――」

「『ばかやろ、怪しいもんはみんなそう言う。だが女一人に寄ってたかる方がもっと怪しい。お前は後ろにある前線基地に行け』と言ったっけ」

「しかも親切に救助用暗号を教えてくれたわね。おかげですんなりと助かった」


 本当に何年も前だけど確かにそんなことがあったな。


「それとたった4人で30人以上いた追手を殲滅したところを目に焼き付けたわ。あれはすごかった……」

「せ、殲滅……」

「そりゃ、ノースクレイリアの戦闘員が国境を越えてきたし殺意を持ってたのでそうするしかなかった」


 敵一匹も通らせないとの命令だったし。


「あ、自己紹介忘れてしまったわ。わたしはイサベル・フロストシュタイン、ゴールドランク錬金術師でこのギルドのギルド長。どうかお気楽にイサベルと呼んでほしい。貴方のことは……ヴィルヘルムさんとお呼びしてもいいでしょか」


 礼儀正しくお辞儀するイサベルが、一瞬だけエレナに目を配ったような気がする。勘違いして呼び方に関して配慮した?どの道深堀りすると墓穴を掘るようなものなので相手が口に出すまでスルーしておこう……。


「それで構わない。この子はエレナ、俺と契約した錬金術師だ」

「よ、よろしくお願いいたします。イサベルさん」

「我がギルド期待の新星エレナ。当然知っているわ。エレナちゃんと呼んでもいい?かわいいから!」

「も、もちろん」


 相手はギルド長だからか恐縮になってしまうエレナ。打ち解けるまで時間がかかりそうだ。


「ところで、あの時なぜ追われたのだ?」

「そうね。狙われたのはわたしの家が優秀な錬金術師を輩出した名家だったからかな。同業者が消え始めた時危機を感じてアトリエを捨てて逃亡したわ。まだシルバーランク錬金術師だったわたしは追手を振り払うのに精一杯で国境を越える時はヴィルヘルムさんが知っている通り追いつけられそうになったわ」


「そうだったのか。結局無事ソラリスに来れたのは本当によかった」


 それにしても錬金術師は攫われたりするのか。この国ではそういう事例聞いていないけど……。


「そうそう。ヴィルヘルムさん、その日他の隊員は今どこにいるの?感謝を伝えたいけどどこに聞いても情報がなくて。ギルド長になって王宮でクリスティーナ様と知り合って、やっとヴィルヘルムさんの名前と特徴を教えてもらったわ」


 どうやらクリスティーナのコネでその日のことを調べたらしい。


「それは……デルタ隊の事情により、他の騎士より情報出回らないからだよ」


 仕事が仕事で暗殺の恐れもあって騎士の中でも特にデルタ隊の個人情報は厳重に管理されている。


「そうか……」

「もう現役じゃないから教えられるが聞くには覚悟が必要だ」


 クリスティーナが俺の事しか教えてあげなかったのには理由がある。彼女は言って良いのか分からず判断を俺に委ねたのだろう。


「はい、分かった。教えてちょうだい」


 たぶんイサベルも察しがついたようで厳粛な表情になった。


「その時いた他の三人は、後の戦で二人が戦死、残り一人がPTSDに罹って引退した」


 室内が重い空気に包まれた。彼女が俯いて悲しみを堪えているようだ。


「あの、差し支えなければ、墓の場所と、残った人の住所を教えてくれない?」

「いいけど、心の傷を負った人はたぶん昔のことを思い出したくないので」

「はい、分かっているわ。いい生活送れるようにこっそり支援したいの」


 俺は詳細を紙に書いて渡した。何だか、彼女の気高い心が垣間見えた気がする。ここまでして恩を返したいと思う人なんてそうそういない。


「それと、本当にいいのか。ただでエレナに上級錬金術を教えてくれて」

「もちろんよ。わたしが今日こうしてギルド長やっていられるのもヴィルヘルムさんのおかげだからせめての恩返しをしたいの。それに理由はそれだけじゃないわ」

「他にも理由が?」

「クリスティーナ様に頼まれたわ。エレナの事情がバレないように上手く立ち回ってほしいと」


 二元魔力のことか……。さすがクリスティーナ、すでに手を打ってある。


「確かに、錬金術の指導を受ける時アレがバレる心配もあるか。イサベルじゃなかったらもしかして俺は迂闊な行動をしたかもしれない。すまん、エレナ」

「いえ!ヴィルは私のために頼みましたので、私は気にしません」

「ふふ、クリスティーナ様の言う通りだわ」

「ちょ、彼女は何を言った!?」

「ひ、み、つ」


 どう考えてもろくなことじゃなさそうだ……。


「それで、エレナちゃん、これを」


 イサベルがエレナに一冊の本とカード数枚を渡した。


「これは?」

「虚紙本と上級錬金術参考書のデーター。わたしのお古。次からは理解出来る範囲の実技を指導するわ」

「ありがとうございます。イサベルさん」

「へえ、ちゃんと本の形の物もあるんだ」

「ええ、これは実体本のように読めるのが売りだわ。データーカードを表紙の裏にあるスロットに差し込めばデーターが読み込まれて、そして目次で章を選ぶと内容がページに表示される。章のどこからスタートか選択出来るからページが足りない心配も要らないのよ」

「おお、すごい便利」

「メモ機能もあるの!エレナちゃん、興味があればオーバーレイをオンにするとわたしが書いた勉強メモを読めるのよ。助けになるかどうか分からないけど」

「分かりました。活用させていただきます!」


 実際こんな高性能の魔道具を目の当たりにすると、ゴールドランク錬金術師のすごさを再認識した。


「ではわたしたちのスケージュールを合わせましょ」

「はい」


 予定について細かく話し合う二人。


 一か八かで頼んでみたが、まさかこんなにあっさり行けたとは。偶然俺がギルド長を助けたことがあって、偶然彼女が王宮でクリスティーナと知り合っている。


 エレナが言った、偶然が運命という言葉を実感した。


「それでは、わたしはまだ王宮の仕事があるのでこれで」

「はい、また会いましょう。イサベルさん」

「いろいろありがとう。イサベル」


 別れの挨拶をして俺たちが退室した。すると扉の向こうから再び魔力が溢れてきて、その次の瞬間イサベルの気配が消えた。


「まさか本当にヴィルに会いに来ただけなんて」

「俺も驚いた」


 ギルドに来る目的が果たされたので、俺とエレナはフロントに戻って適当な依頼を選んでから家に帰ることにした。


「フフン~♪」


 家に帰る道中、エレナは鼻歌を歌いながら軽い足取りで先頭を歩いていく。


「上機嫌だな」

「セリカちゃんと騎士団のみんなに出会って、イサベルさんが先生になってくれて、今日は楽しい嬉しいことがいっぱいでした」

「そうだな」

「願いが叶ってこんなに希望に溢れる気持ちになるのは全部全部、ヴィルのおかげです」

「大袈裟な」

「全然大袈裟じゃありませんよ」


 それからしばらく沈黙が続くと、俺たちは屋敷の前に戻ってきた。


 しかしエレナは歩みを止めて立ち止まった。


「どうした?」


 彼女が答えず、そのまま振り返って俺の懐に飛んできて抱きついてきた。


 出会った日のことを思い出した。あの日もここでこのように抱きつかれたよな。


「この胸いっぱいの幸せな気持ち、ヴィルにも分けてあげられたらいいなと思います」

「はは、何それ」


 目を伏せたまま、彼女は続けた。


「ヴィルの過去を聞けば聞くほど、私はまだよくあなたのこと知らないと思い知るのです。そして今ヴィルがちゃんと幸せなのかも」


 もしかしてデルタ隊の事を聞いてどこか引きずったのかな。あるいは、エレナ自身がいい気分になったからこそ、俺の気持ちも気になったとか。彼女の性格から推測すると、自分一人だけ幸せな気分になるのはよくないと思うかもしれない。


「いつもヴィルに与えられてばっかりで、私は何かをお返ししたいのです」

「与えられてばっかりだなんて、エレナはちゃんと頑張ってるじゃないか」

「でもこう順調に事が運ぶのは偶然ヴィルに出会ったからです。私一人の力ではこうはなりませんでした」


 偶然俺に出会ったから……か。ちょっと彼女が言っていた偶然と運命の話を借りてみよう。


「それもエレナの選択によるものだよ。国を渡ると決めて、ここで出資者を探すと決めて、衛兵に捕まっても諦めないで暴れたからこそこうして出会ったんだ。この偶然はエレナが自分で掴んだ運命なんだよ」


 ジルに言われた時俺は何とも思わなかったけど、こうして自分の言葉で言ってしまうと俺もこれは運命なんじゃないかと思い始めた。


 俺の言葉を聞いたエレナは柔らかい表情を見せてくれた。


「ふふ、ヴィルが言うと不思議と信じちゃうんです。あ、でもやっぱりお返ししたいという気持ちだけは譲りませんよ」


 なんとなくそうだろうと思っていた。


「ヴィルも幸せな気持ちになれるように努力しないと」


 何をやって楽しいかはともかく幸せとはどんな気持ちかは今まであまり考えなかった。だから俺は自分がどんな状態なのか上手く言えないだろう。


 だが水を差すようなことはしないであげよう。


「わかった。楽しみにするよ」


 彼女の温もりが伝わってきたからか温かい気持ちになり、手が自然と伸ばして頭を撫でた。


 そしてエレナは満面の笑みで俺を見上げて頷いた。


「今日はまだ終わってない。俺たちの工房に戻ろう」

「うん!」


 こうして今日のお出かけはこれで終わった。


 ……

 …


 数日後、貴族向け新聞紙のゴシップコーナーに、俺とエレナの写真が乗せられていた。見出しは『ヴィルヘルムが謎の可愛い女性とデート!自分と似た色のケーキを食べさせるのは夜になったら私を食べてねという合図か!?』だった。


 パパラッチめ、気配隠しが上手すぎる。しかも想像力豊富……。


 そのせいでジル達に盛大にからかわれたけど実害はなかった。誰もゴシップコーナーのこと本気にしないから。


 とはいえ、念のためエレナに読まれる前に新聞紙を燃やしておいたのだった。

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