天賦の才(前編)
「ふぅ~疲れた」
エレナは今日も俺の膝に乗ってリラックスしている。
「お疲れ様。なんか最近ミスリルインゴットの納品依頼が多いようだな。エレナの仕事を見てると誰も彼もミスリル武器を使ってると錯覚してしまう」
「もちろんそんなことないですよ!錬金術師じゃないと扱えないレア金属ですから自然と私たちに依頼が集まります」
ミスリル製品を大量生産する場合、錬金術師が活性化ミスリルインゴット作って、錬金術を使えない工匠がそれで完成品を作るのが一番効率いいという。
つまり適材適所ってことだな。
「それにしても、本当に一気に増えましたよね。ヴィルは何か分かります?」
「ああ、たぶん王国から武器職人に依頼したものだと思う。この前は二正面作戦で武器が大分消耗したはずだから」
「そういうことなんですね」
彼女に答えながら紅茶を注いでやった。すると彼女はカップとまじまじと見つめた。
「ん?今日は違うカップですね。ティーポットも。この模様……昇陽国の陶磁器でしょうか」
さすが商人の娘、博識なのである。
「その通り、今日は落月国の茶葉を使うからこれがピッタリと思って」
「なるほど!」
エレナが紅茶を一口啜る。
「芳醇な味。これは上質な落月茶ですね」
「これに合わせて今日の菓子は甘さが控えめなものにした」
「わぁ~ これはカズミのお菓子でしょうか」
「そうそう」
落月茶にカズミの和菓子。ソラリス王国ではこういった文化の混ざり合いは散見されている。俺だってよく箸でパスタを食べる。
この現象の理由は、ソラリスの建国史にある。
かの大戦では、大陸南東、南西、北の三つの勢力があった。南東の勢力はトゥインスター、大和、落月昇陽帝国、小国諸共によって構成されていた。
三つの勢力は戦争最高峰の時、都市一つを丸ごと消せる超兵器を投入した。その結果、各国の首脳部は瞬く間壊滅して国として機能しなくなった。そして大戦が破滅をもたらす兵器によって終えられた頃、かつての大国らは粉砕され、錬金術によって生み出された兵器など残された禍もあり全大陸が混沌な時代になった。
例えば落月島は数十年間海の鋼鉄の怪物によって外界と連絡できなくなり、昇陽原は内戦で分裂と併合を繰り返し、十を超える勢力に分裂していた時代もあった。それが現代の落月国と昇陽国の歴史なのである。
トゥインスターは連盟の主力だったため、地形が変わるほど激しい攻撃を受けていた。まだ統率の取れた他の国と違って、トゥインスターだった地域とその周辺諸国は弱肉強食の無法地帯となった。
そんな中で立ち上がった絶対強者が一人、軍神スカーレット。彼の独特な見た目でまたの名は『赤き凶兆星』。理不尽に恐れられていた彼は実は優しい人だった。絶大な魔力を持ちながらその強さを私利私欲に使うのではなく人々を保護し始めた。
次第に彼の元に人が集まった。居場所を失った戦災難民、経済崩壊でやむを得ず略奪行為を行っていた山賊、戦いの目的を失った異国兵士、人間の戦に巻き込まれた亜人まで様々。最初の集落は村に、村は町に発展した。勢力大きくなるにつれて王が必要とされた。人選はもちろん一人しかいなかった。
そして『赤き凶兆星』は希望をもたらす『払暁の太陽』になり、初代ソラリス王になった。
そのソラリス王国は実力主義でありながら、力は弱者を守るためにあるという信条を持ち、多種族多文化から積極的に長所を取り込む国なのである。
「うんん~ おいしいです~」
幸せそうに菓子を食べるエレナを見ていると。俺も彼女もこの平和な時代に生まれてよかったと思う。
「どうしたんですか。私の顔をじっと見て。はっ!もしかして私ばっかり食べていますから?」
エレナは慌ててフォークで菓子を俺の前に運んでくれた。
え、なにこれ。このまま俺に食べさせるつもりなのか。
「い、いや。エレナは好きなだけ食べていいよ。俺は後でいいから」
戸惑って遠慮をしておいたのだが……。菓子は重力に従って変形し始めた。
「はわわ、早くしないともちもちが落ちちゃいますよ」
結局促されたまま菓子をぱくりと食べた。しっかり味わってからお茶を啜り、アフタヌーンティーを楽しむ。
「美味い」
「でしょ!」
和菓子の程よい甘さは芳醇な紅茶、お互いの役を奪わずよく調和されている。やはりこの組み合わせは正解だった。
「ふふふん~」
鼻歌を歌いながら、上機嫌に足を振るエレナは次々と菓子を食べる。そのフォークで俺に食べさせたことを気にもせずに……。
気にしすぎたのは俺だけか。
「そういえば今日は機嫌がいいね。何かあった?」
「よくぞ聞いてくださいました!実はこの前の依頼でミユキさんに褒められたんです」
「ミユキさんは何と?」
「私が納品したものはどれも品質が高くて安定してるですって」
俺は騎士団に納品された武器の品質検査を担当したことがあるから安定した品質がどれほど大事なのかは分かっている。
つまり錬金術師ギルドはエレナの実力を高く評価していることだろう。
彼女はいつも仕事を真摯に取り組んで手抜きはしない。評価されるのは当たり前のことだ。
「はは、それはすごい。よく頑張ってるな」
しかしそれを聞いたエレナは物足りない目でこちらを見つめる。なんとなく彼女が求めることを理解した俺はポンと頭を撫でてやった。するとエレナは満足げに微笑んだ。
「えへへ、ありがとうございます。努力した甲斐がありました」
それにしてもエレナの能力が物凄い早さで成長している。
彼女の魔力制御がとても繊細で無駄も減ってきた。こうして毎日触れ合っているから些細な変化もはっきり感じ取る。
初めて会った時とはまるで違うように見えるのだ。おそらく二元魔力干渉の悪影響の下で頑張ってきた結果、その並外れた制御能力を培ったのだろう。思えばよくあの状態で錬金術をやってきたのだな。問題を解決した今、彼女の才能と努力の結晶が遺憾なく発揮されている。
錬金術の仕事が順調なのはいいとして、やはりたまにはきちんと休んでほしい。前から思ったが、心の余裕を持たせるには楽しい生活が肝心だ。
「ねえ、近頃遠出したいんだが」
「え?旅行ですか。ならお留守番は任せてください」
「いや、二人で日帰りできるところまで出かけたいと思って。ほら、お前は工房に籠ってばっかりだからちゃんと新鮮な空気も吸わないと」
「私も?どうしよう……。誘ってくれて嬉しいですが、最近本当に依頼が多くて……ミユキさんも今が稼ぎ時だと言いました。評価を稼ぐチャンスです」
最近の雰囲気から察するにやはり休めそうにないか。
「いつまで繁忙期なんだろう?」
「少なくとも建国祭が終わるまでらしいですね」
「じゃ約束だ。建国祭の後気分転換に出かけようと。でもやっぱり繁忙期の中でもちょっと休んでほしいかな。王都内のお出かけなら週末数時間で済むから」
「はい、それなら大丈夫と思います。約束しましょう」
「じゃ決まりだな」
建国祭が終わる時は夏だから花の海が見頃なのだろう。王都のお出かけは手軽なものがいいかな。映画館……は建国祭が近い時期だと王国史に関連するものが多いからエレナが興味を持つとは限らない。ユトリテリア出身が興味持ちそうなもの……。そうだ、水族館!内陸国だから海洋生物を見るチャンスがなかなかないと思うし。
「あの、ヴィル」
「ん?どうした」
エレナに呼ばれて顔を向けると、彼女はもう食べ終わったようで、丁寧に俺の分の菓子を残してくれた。
「ヴィルは武器に詳しいですよね。ちょっとアドバイスがほしくて」
助言がほしいと言う彼女は依頼書を見せてくれた。素直に頼ってくれるのは嬉しい。
「鞘の作成依頼?」
「はい、しかも材料は魔力伝導率がいい金属を指定してます。もうγミスリル合金を使うと決めたのですが、用途が分からないから細かい構造を決められないんです」
「え、何合金?」
武器はどの材料がいいかは色んなもの使っていて大抵分かるが、さすがに合金の種類までは……。
「あ、ごめんなさい。専門用語をペラペラ言っちゃって……。興味ないですよね」
「そんなことはない。よかったら教えてくれないか」
それを聞いたエレナは明るい笑顔を見せて説明を始めた。
「錬金術師や工匠の界隈では、金属や合金の性質でさらにタイプを分けるのです。例えばαは硬度と靭性と魔力伝導すべてがバランスよくて、βは硬度など物理性質が優れて、γは魔力伝導率に特化したものです。これらは用途に応じて使われます。ぶつかり合う近接武器ならαを、弓や銃など遠距離武器ならγを使います」
なんとなく分かる。戦闘においてどれだけ魔力伝導率が大事でも脆い材質では近接武器を務まらない。
「じゃ防具は?」
「防具となると話が複雑になりますね。外側がβで内側がγ、二種類を重ね合わせた複合装甲は防御性能が優れたのですが、コストや手間の理由でαだけ使われる鎧が多いです。あと魔駆動重装甲ではγ合金をβ合金の中で網にように張り巡らせる構造になったりします」
「深いな……最初例に挙がらなかったのも頷ける」
防具も武器のように魔力伝導率が大事なのだ。魔法障壁は第一層の防御で、いい素材で作られた防具はそれを増幅する。物理性質に特化したβタイプ金属単独では戦闘に向いていないのがはっきり分かった。ちなみに俺がいつも着ている服も特殊な繊維で作られていざ戦闘になっても困らない。
「というわけで、もし鞘に特殊な用途でもあったらそれに合わせて設計を変えますが依頼書に詳細書いてないんです」
「鞘……あっ、それかも」
「心当たりがありますか」
「一応は、鞘の形はどんなもの?」
「ちょっと待ってください」
エレナが水晶のチップ一枚を台座のような魔道具の上に置いた。すると水晶が光り出して立体映像が現れた。それが鞘の形と寸法を詳しく教えてくれる。
「これはギルドの製図者が実物を測って作った立体図形です」
「なるほど……」
立体図形のおかげで心当たりが確信に変わった。エレナも俺の表情から察した。
「何か分かったようですね」
「ああ、この鞘は大和剣術の抜刀術を使うためだ」
「すごい!ヴィル本当にいろいろ知ってますね!」
「ちょうど騎士団でそれを使う先輩がいてな。彼の抜刀術ともう一人の行雲流水派剣法の組み合わせは本当に敵なしだからすごく印象に残ったんだ」
騎士団も我が国の主義と同じく、有用な物ならば取り込む。だから連携取れれば剣術などこだわりはしない。騎士団の中で、大和剣術の朱電一閃流と落月昇陽武術の行雲流水派剣法を合わせる恐ろしいコンビがいる。鋭い一撃を重んじる朱電一閃流と機動性を重視する行雲流水派剣法は二人の連携によって完璧な相互補完を成している。
俺も二人からたくさん学んでいたのだ。例えば武器召喚を使いこなし、【七変化】と呼ばれるスタイルは行雲流水派の臨機応変という思想を取り込んでいる。
「ヴィルは抜刀術できますか。私、見てみたいです!きっと設計の参考になります」
「ま、まあ。慣れていない技だが一応は」
「見せて、見せて!」
目を輝かせるエレナの熱意に圧倒されて俺は実演を承諾した。
アフタヌーンティーが終わった後、二人で裏庭に出ている。俺は武器庫から抜刀術を習得するために買った刀を持ってきて、エレナはミスリル廃材を工房から運んできてターゲットとして設置した。
「じゃ、早速始めようか」
「わくわく」
心なしかエレナのテンションが高いように見える。そう言えば普段鍛錬する時もたまに視線を感じるけど、そんなに面白いものなのか。
「いくぞ」
俺は納刀したまま刀を構えて、柄に魔力を注ぎ込む。刀身の許容限界まで魔力が溜まったら今度は鞘に魔力を込める。
鞘が魔力で充満した瞬間刀を射出し、濃縮魔力を纏った刃がターゲット捉えた。
ミスリル廃材のターゲットをバターを切るように一瞬で両断した。
「おおすごいです!」
エレナはしゃがんでターゲットの切口を観察している。その顔は驚きを隠さない。
「きれいな切断面です」
「まあ、魔法障壁がないからあっさり切れたけど実戦ではこうはいかないぞ」
それに合金にする前のミスリルはそこまで強くはないはず。
「ともかく、これが抜刀術だ。刃に魔力を纏わせるのは普通だが、抜刀術は鞘を通じてさらにもう一層を纏わせる技術なんだ。それと、刀身の極限を越える斬撃を繰り出せるが極めて不安定な状態なので速さが肝心だ」
「なるほど……!私が試してもいいですか」
「いいけど、今の見ただけでもう理解したのか」
「なんとなくですけど」
エレナに刀を渡して、新しいターゲットを設置しておいた。
彼女は狙いを定めて刀を構えた。
「こうですか」
「ちょっと失礼」
肩と腰に手を添えて姿勢を正してやった。
「エレナはターゲットとの身長差があるからこの角度がいい」
「あぅ…」
「魔力が乱れてるぞ。深呼吸して集中しよう」
指摘されると集中が切れるのは騎士団新人でもよくあることだ。ミスを意識すればするほど平常心を保てなくなる。こればっかりは慣れて行かないといけない。
「すーはー」
俺は離れて、頷いて見せた。
「このままでやってみよう。大丈夫だ。俺がフォローする」
「はい、行きます」
真剣な表情になり、エレナの異なる色の瞳がしっかりとターゲットを捉えた。
次の瞬間鞘から白い光が迸り、真っ白な閃光がターゲットに直撃する。
その時だった。俺は直感でターゲットの後ろに何枚の障壁を展開した。
白い刃がミスリルのターゲットを切断してもなお、魔力の刃がその後ろに飛んでいき、すべての魔法障壁を破ってからようやく相殺された。
「うわ!」
魔力の激突によって生じた衝撃波で後ろに倒れそうになったエレナを後ろから抱き留めた。
「大丈夫か」
「びっくりしました」
今の危なかった。裏庭とはいえもし魔力の刃が別の家に飛んで行ったら大事になる。
「どうでしたか。私はちゃんと出来ましたか」
体勢を立て直した彼女が目を輝かせて俺の意見を求める。
「狙いがずれた以外、完璧に模倣できた」
刃は中心ではなく、かなり左上にずれたけど命中したに違いない。
「うぅ……」
「そう気を落とすな。経験がまったくないお前には上出来だと言わざるを得ない」
ポンと頭を撫でて宥める。彼女は完璧を求めて妥協しない性格なのはいつもの仕事ぶりでよくわかるが、専門外のことまで自分に厳しすぎるのはよくないと思う。
「それよりも、込めた魔力量まで同じなのにあの威力になったことについてだが……」
エレナは俺の手本を一回見ただけで模倣できた。その故ターゲットとの身長差を無視してしまったけどそれ以外は文句付けようがなかった。だから威力は同じものになるはずだったが。
「あ、言われてみれば確かに威力が違いました」
「今の感覚をちゃんと覚えた?」
彼女は今の出来事を反芻するように目を閉じてしばらくすると、また目を開けた。
「はい、しっかりと覚えました」
「これはあくまで俺の推測だが、今の威力はおそらく異なる魔力による相乗干渉の効果だった」
「それって……」
「ええ、二元魔力のことだ。今のは体外での干渉だったが、その感覚を掴めばいずれその二つの源泉の干渉まで制御できるだろう」
まさかこんなところで思いがけない発見をするとは。俺たちは運に恵まれるのかもしれない。
「ただし、制御の実験は必ず俺の前で、一人でしないと約束してほしい。心配だから」
「うん、分かりました!約束します!」
彼女はテンションが上がり、メモ帳を取り出していろいろ書き記している。今の感覚がどんなものだったかから、鞘の設計概念まで細かく書かれている。
「ん?何の算式だろう」
基本の算数はできるが、さすがに微積分など上級数学はまったく分からない。
「これは鞘の内部構造の方程式で、これは合金調整する錬金術用の方程式です」
「なるほど」
まったく分からないので簡単な相槌を打ってこれ以上邪魔しないでおこう。
「鞘は刀身をスムーズに射出できるようにデザインして、魔導銃のように加速する機能をつけるのもいいかも……」
完全にゾーンに入ったエレナ。アイディアが沸いたようでひとまず本来の目的を達成したと言っていいか。
「ねえねえ、ヴィル。鞘の魔力を相互排斥で飛ばすこともできますか」
「出来るがそれなら魔力は鞘の分しかなくて、納刀する手間を考えるとメリットがない。刀を出したまま魔力の刃を飛ばした方がいいだろう」
「なるほど、じゃ二連続で鞘と刀身の魔力を振り出すのは?」
「悪くない発想だ。臨機応変で使うのはいいだろう。でもそれは二刀流もできる」
「ふむふむ、素早く強大な一撃を出せるのが抜刀術の精髄ですね」
俺の答えを聞いたエレナはまたメモ帳で情報を整理する。
「これならいいもの作れる気がします!!早速工房に戻りましょう!」
屋敷に戻っていったエレナを見送り、俺は早々散らばった廃材を片付ける。
「エレナのことを甘く見ていたかもしれない」
彼女は天才的に飲み込みが早い。ちゃんと教えれば上位冒険者に劣らない戦闘技術をすぐ身に付けるだろう。それに鍛えてやると約束したし……。
「そろそろ戦闘訓練を始めてもいいか……」
俺は廃材を抱えて、屋敷に戻りながら訓練メニューを考案し始めた。
◆
「廃材は元の場所に置いておいたぞ」
「助かりました」
工房に戻った時エレナはすでに鞘の作成に取り掛かっている。
加熱がすでに終わり、白く焼かれたミスリルインゴットが正立方体の錬金陣の中で浮遊する。
それを見て俺は思った疑問をそのままぶつけた。
「あれ、ずっと冷めないけどそれも錬金陣の効果?」
最初は邪魔になるかと思ったけど、俺が錬金術に興味を示すと彼女が喜ぶのでたまにこうして彼女の仕事を見ながら質問をする。実際知らないことを知るのは楽しい。武術も然り、知識も然り。
「あ、はい。そうです。錬金陣の中は真空の状態で、重力の影響も受けませんし錬金術師が望まない変化を抑えられます」
エレナが答えながら魔法で小瓶を意のままに操り、錬金陣の中へ瓶の中身を垂らした。金属の粉は導かれるように白熱のインゴットに溶け込む。
「そういえば、この前は樹脂を使ってたようだが」
「そうでしたね。長く活性化を維持するために特製な物を使いました」
「樹脂は植物の有機物だけど、動物や魔物素材も使うよね」
「もちろん、霊体を持たないならどんな素材も使えますよ」
「やはり生きたままは駄目か」
「倫理以前に、不可能です。霊体は肉体の在り方という情報を保ちますから錬金術が効きません」
治癒魔法だって霊体の情報を基づいて肉体を修復するものだから、肉体の在り方を違反しないのだ。
「さてと、これも足したら合金になります。次は成形ですね」
別の小瓶が飛んできて、錬金陣に中身を足した。
そしてエレナが錬金術を発動し、インゴットの形を変え始めた。
それが棒状に伸び、錬金陣の対角線にぎりぎり収まるようになった。
「やっぱり今の錬金陣は大きさ足りませんね。ここからはハンマーで調整するしかありません」
半完成品の鞘はすでにある程度鞘の形になり、中空となっている。あと少しで完成するだろう。
エレナがハンマーでそれを叩くと、魔力の衝撃波を肌で感じる。
ハンマーに叩かれる金属は物理な衝撃で形が変わるのではなく、錬金術で形を変えられるのだ。しばらくすると、それは立体図形で見た鞘とそっくりな形になった。多分寸分違わずまったく同じだろう。
「残りは細かい構造を調整するだけですね」
エレナの言う細かい構造はたぶん目に見えないほどの規模だ。現にそれがハンマーに叩かれても見た目的に変化がない。
変化がないとはいえ俺はやむを得ずそれを注目するしかなく……。
「やりました!完成です!」
10分くらい過ぎたところでエレナが喜びの声を上げながら完成を告げた。
「ヴィル、早速ですが試してくれますか」
「お、おう。ちょっと待ってほしい」
訳あってしばらく立っていられない。
「どうしましたか。もしかして急に調子が悪くなったとか」
腰を屈めてこちらの様子を窺うエレナ。
「あれ、顔が赤いですね」
彼女の鎖骨の辺りにある汗の雫が滴り、谷間の奥に消えていく。俺の視線も誘われるようにそこに行った。
顔が赤くなった元凶は目の前なのである。
彼女の服は緩い、薄い、布面積少ないの三拍子で俺の理性を蹂躙する。それにハンマーを振るたびにその胸が如何に柔らかいか思い知らされる。俺は見ないと決めつつ、頭の健全な男の部分に負けてつい見てしまったのだ。
最初はその内慣れると思っていたけどまったくその気配がない。おかしいなあ……。
「あ、いや。夏が近づいてきたな。今日は熱いね」
俺は適当に誤魔化した。春が終わりつつあるがまだ快適な気温だ。工房は少々熱いけど顔が赤くなるほどの室温じゃない。
「そうですよ!熱いですよ!本格的に夏になったら私溶けそうですぅ……」
エレナがそう言って服をパタパタさせる。
俺の理性も溶けそうだ……。
「あ、涼しい水を持ってきますね」
こんな無防備な格好は外出する時絶対しないのに家だからいいのか。俺の前はいいのか。
よく分からない。
よく分からないが、エレナが気を許してくれていて、信用してくれていることだけは分かる。だから俺もそれに裏切らないようにする。
そう思うと熱が収まり、気分が落ち着いた。
「お水をどうぞ」
「ありがとう。少し休憩したら鞘のテストに行こう」
少し休んだ後また二人で裏庭に出ていた。
鞘にピッタリの刀はないが、一回り小さいものは見つけた。これなら鞘のテストが出来る。
「ボールを投げればいいんですね」
「ええ、魔法を使って全力で頼む」
俺は刀を構え、魔力を込めて準備は完了した。
「いつでもいいぞ」
「分かりました。じゃ……。えい!」
凄まじい速度で飛ぶボールを一閃で切る。
両断されたボールはそのまま魔法障壁にぶつかって地面に落ちた。
「どれどれ……。あ、かなりずれたようだな」
ボールの残骸をじっくり観察して、狙いが中心からかなりずれたことが分かる。
「え、もしかして鞘よくないんですか」
「いや、そういうわけじゃない。むしろ性能がよかったから思ったより早く斬撃を出せた」
「そういうことでしたか。ほっとしました。ふぅ……」
「魔力効率も凄くよかった。これはどうやって?」
今斬撃を出すタイミングは普通の鞘性能を想定したものだったからずれていた。エレナが作ったこれは先輩が使っている名刀の鞘と似た性能を持っている。
「えっと、γミスリル合金をベースにさらに私なりに調整しました。そして細部構造をいじって、魔力が刀身にぶつからないよう、その周りに渦巻くようにしました」
「なるほど、おかげで無駄な消耗を抑えたか」
「あとは、表面は目に見えないデコボコがあるけど、魔力が通る時構造が変わってスムーズになり、加速フィールドを生成します。それで速やかに抜刀できます」
優れた物の製法が門外不出なのは大和工芸に限ったことじゃない。有名な工匠や薬屋は優位を保つために商品の製法を秘密事項にしている。抜刀術専用の鞘も同じだ。だから依頼主も魔力伝導率以外注意すべき点が分からないのだろう。
カズミの工匠が実際どういうやり方をするか俺は知る術がないが、この鞘はエレナなりの答えだということだ。彼女は抜刀術を見て、やってみただけで限りなく正解に近づいた。彼女がもつ才能は本当に驚異的なのだ。
「こいつは本当にすごい。これなら依頼主も大満足するだろう」
「ヴィルのお墨付きがあるならきっと大丈夫です。なにせウェポンマスターですから」
「そ、その称号はちょっと恥ずかしいなあ……」
俺のことをそんなに高く評価してくれているのか……。なんかちょっとこそばゆい。
マスターランクである以上、上位であることに変わりないが、各武器資格において俺より強く尊敬すべき人はごまんといる。かつて弟子だったジルもその一人だ。
でも今は素直に喜んでおこう。
「ふふ、もしかして褒められ慣れてないですか」
「いや、そういうわけでは……」
「ヴィルはカッコよくて強くて、それに優しくて頼りになって、一緒にいると安心します!」
真っすぐな目と笑顔、俺をからかいながらも本心を言っただけのようだ。嘘や冗談なら笑い飛ばせるが、真摯な気持ちだからこそくすぐったいというか……。
しかしやられっぱなしは性に合わない。ちょこっと反撃してみようか。
「それを言うならお前だって聡明で行動力があって、いつもの仕事で努力家と真面目な部分が窺えて、家事万能で料理も上手で美味い」
「ほ、褒めすぎですぅっ……」
「今日だって抜刀術を一回見ただけで真似できたし、それでこんなにもいいものを作れた。エレナは才能あふれた錬金術師だ」
「あうぅ」
「それに可愛くて――」
「か、かわいいっ!?」
「両目が宝石のように輝いてきれいだぞ」
「うぅっ…」
どうだ、これで今俺の気分を分かってくれたのだろう。
「っっ~~!」
耳まで顔が真っ赤になったエレナが両手で顔を隠す。
あっ、これはちょっとやりすぎたかもしれない。
一度言葉にすると称賛が止まらない。それほどエレナがすごい人間だと俺は思っているかもしれない。
「ヴィルが覚えてるか分からないですけど、貴方はお母様以外初めて私の目を褒めてくれた人です」
指の隙間から金色の目を覗かせるエレナ。
それを見て俺はすぐあの日のことを思い出した。
「俺たちが出会った日のことだろう。覚えてるとも」
ユトリテリアの外なら別に俺じゃなくてもきっとエレナの目を褒める人はいると思うけど……。いや、オッドアイに厳しい国もあるからやはり断言できないか。
でもこんなにもきれいだし、褒められないのはむしろ納得できない。
「それはずっと嬉しくて……でも」
「でも?」
エレナは話を続ける前にまた指で目を隠した。
「ユトリテリアのあの事件を知ってから考えを改めたか不安だったんです」
「あの本でバレたのか。ユトリテリアのことを調べたの」
彼女は静かに頷いた。
参ったな。まさか本のタイトルでそこまで察したのか。彼女の勘が本当に鋭い。
「その感想は変わらないよ」
エレナの手首を掴んでゆっくりと顔を隠している手をどかした。紅潮した顔と潤んでいる瞳が再び現れる。
「ほら、やっぱりピンクトパーズとアウルムのように可愛らしくて輝いてるよ」
「分かってます。さっき褒められた時もう分かってますから」
「それならなぜ顔を……」
「……嬉しくてにやにやを我慢できそうにありませんでしたから」
言い終えて、彼女はぶるぶる震えながら必死に唇を食い締める。
「ぷ、ぷはははは。なにそれ、笑えばいいじゃない。はははは」
思わず爆笑した。
まさかそんな理由で……。ちょっと拍子抜けした。
「も、もう!ヴィル笑いすぎ。へへ、えへへへ」
つられてエレナが口元緩んでちょっとだらしない微笑みを浮かべた。これもまた可愛い。
しばらく笑い合う二人。ちょっと可笑しな場面だがなんだか心地よい。
「日が落ちそうだしそろそろ戻ろうか」
「はい、戻りましょう」
肩を並べて歩き出した途端俺はあることを思い出した。
「そうだ、夕飯までまだ時間に余裕があるなら作ってほしいものがあるんだが」
「是非任せてください!」
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