縮まった距離(後編)

 夜、俺は湯船の中でリラックスしていた。温度調節器で常に気持ちいい水温が保たれている。そして入浴剤の花の香りで疲労が抜けていく。


 入浴剤はエレナが来る前は適当な物買っていたのだが、彼女が来てからは上質な物を買うようにと彼女に言いつけた。


 他の日常品も同じだ。金は困らないし俺の無骨な生活スタイルを付き合わせる道理がない。


「おかげさまで今は毎日入浴タイムが楽しみにしている。ふぅ、気持ちいい」


 湯船は窓辺に置かれて風呂に入りながら夜空を見上げることができる。ちなみに窓は錬金術で加工されたガラスで作られて外から中は見えないので安心なのだ。


 風呂を堪能しながら星々を見ているとついその日のこと振り返りたくなる。いろいろあった今日は猶更だ。


「エレナは同調前後の調子が随分と変わったようだな」


 魔力の状態は人の精神に大きく影響する。それは俺も身をもってよく知っていることだ。


 今朝エレナは不安に駆られて危うく魔力暴走するところだった。そして何とか鎮めることに成功して、同調の話を持ち掛けた。順調に終わった結果、彼女は雰囲気が随分と明るくなった。おそらく魔力の不調から解放されてすっきりしたのだろう。


「でもまさか、過去のことについて彼女に慰められたとは」


 白い炎の過去について話したのは、それを使うエレナには知る権利があったからだ。何も知らずにそれを使うのはなんか間違っている気がした。俺が優しいと言ってくれたけどむしろ彼女の真っすぐさは輝かしいものであった。


 そして長い間この一か月のこと、エレナが来てからのことを振り返った。本当に濃い一か月だったなあ。この数年だとこれほど濃い時間は遠征の時かもしれない。


「……ヴィル?」


 エレナのことで頭がいっぱいになったからか、振り向くと彼女の姿が鮮明に浮かんだ。雪のような白い肌をタオル一枚で必死に隠している姿で、桜色の髪の下は戸惑いと驚きを混ぜたような赤紫と金色の両目だった。俺と視線が合うとすぐ目を逸らし、耳まで赤くした。小さめなタオルは辛うじて前を隠して、そのせいで彼女は身動き取れなかった。


 あまりにも可愛くて扇情的な姿だった。しかしいくら何でもリアルすぎる。俺の妄想こんなに器用だったっけ。


「ヴィル、ごめんなさい。ロックかかっていませんしノックしても反応がありませんでしたから……」


 彼女の言葉から得た情報を頭で整理し、俺はまたしてもリアルに引き戻された。まさか本日二回目とは、俺は気を抜きすぎたかも。


「本当に私が悪いですから。あの……そんなに見つめられると恥ずかしいです」

「すまん!いや、俺こそ考え事に集中しててまったく気づかなかった。わるい」


 視線のことを指摘されて俺は慌てて彼女に背中を向けて窓の外の景色に焦点を合わせた。


 屏風越しとはいえエレナがそこで服を脱いで湯船の近くに来るまで気づかなかったなんて……。プライベートのため普段彼女の気配を探らないようにしているけどさすがに物音くらいは気づくべきだった。


「私もちょっとぼうっとしていました」

「まあ、ここはお互い悪くないということで」


 今この状況を打開するには強引にこの話を終わらせるしかなかった。


「そろそろ上がるからエレナは屏風の後ろで待ってくれ。俺は部屋で着替えるから」


 俺たちしかいない屋敷とはいえ女の子をタオル一枚廊下で待たせるわけにもいかない。


「エレナ?」


 しかしなぜか足音が近付いてきた。窓の反射で彼女の顔を確認できたが、その視線の先は俺の背中だと分かった。


「ヴィル、背中の傷……」

「ん?あれか。あれは傭兵時代に出来た傷跡だ。騎士になってから背中を斬られるような恥はしない」


 俺も騎士の誇りを持っているからいつも誤解されないように説明している。さすがに戦術的な撤退とかあったから敵に背を向けたことがないなんてことはないが。


「その傷跡も気になっていますが、今日出来た傷の方です。あの……、私のせいでひっかき傷が……」


 同調の時のあれか。確かに爪を立てられるのを感じたが、彼女が耐えていた苦痛を思うとどうでもよかった。


「これくらいの傷、回復力を高めて一番寝れば治るよ」


 治癒魔法掛ければ一発だが、すでに痛みなくて場所を特定するのが面倒すぎて自己回復で何とかする。


「いえ、是非私に治させてください」


 背中に柔らかい指を感じた。たぶんその傷を触れているのだろうか。ちょっとだけぴりっとした痛みがした。


 窓の反射で白い肩が見えた。もう少し体を動けば彼女が片手だけでタオルを抑えている無防備な姿をはっきり見られるだろうと一瞬邪念がよぎったが俺は生唾を飲み込んでまた注意力を夜空と星々に移した。


「そんなの気にしなくてもいいぞ」

「その傷は私のせいで出来たものですからそうしないと気が済まないのです……」


 この短期間でエレナについて分かったことがある。彼女は責任感が強くて受けた恩を返したがるしミスしたらちゃんと自分で解決したがる。やはりここはエレナの言葉に甘えよう。彼女の気持ちが迷走したらまたあの夜のことを繰り返すかもしれない。


「……分かった。じゃ頼んだぞ」

「うん!お風呂が終わったらすぐヴィルの部屋に行きますね。待っててください」


 ようやくこの場を収めることが出来た。長い風呂でのぼせそうになっていた。


 湯船から出てタオルを腰に巻いて、エレナが待機している屏風の向こうに着替えを取りに行く。


 彼女の姿を見てしまわないように素早く服を回収したのだが……。


 エレナは知らないだろうけど優れた戦士は視線を感じられるのだ。だからその……、浴室を後にするまでずっとそのチラチラと俺を見ている視線を感じていたのだ。


 たぶん異性の体に興味あるのはお互い様かな。しかしエレナは可愛いし身長の割に胸とお尻は出ているからついつい見てしまうけど俺の体なんて面白くないだろう。まあ、女じゃないから気になるポイント分からないだけかもしれないか。


 俺は深く考えず部屋に着替えに戻ることにした。廊下の涼しい空気に顔を撫でられ、熱くなった頭はちょっとだけ落ち着きを取り戻せた。




 風呂から出てしばらくして、俺は部屋で魔法管理局への返事を書き終わった。魔法管理局にとって二元魔力の件は緊急事態なのだ。明朝緊急郵便でこの手紙を出せば、同日中に動きがあるだろう。


 手が止まったところでまた先程の出来事を考えてしまう。


 実は割と危なかった。考えないようにしていたがエレナが手が届く距離に来ていた時、何度もその細い腕を捕まえて湯船に引きずり込む衝動があった。


 身分的にも立場的にも俺は咎められることはないだろうけど、良心のおかげで思いとどまった。彼女の真っすぐさと純粋さを守りたい気持ちが勝ったのだ。


 俺は強い酒に手を伸ばしてグラスに注ぎ、一気に飲み干した。今は酔いたい気分なのだ。アルコールに身を任せよう。


 どうやら俺は酔いと大人しくなるタイプのようで、思考を鈍らせることもできて一石二鳥。もう今日はこれ以上考え事したくないからな。


 ベッドで横になってどれくらい時間が過ぎたか。ノックの音がした。


「エレナです。入っていいですか」

「どうぞ」


 エレナは小瓶一つを手に持って部屋に入ってきた。風呂上がったばっかりか髪はまだ湿り気を帯びている。彼女が身に纏っている純白の寝間着はあの夜と違って透けていないものでホッとした。


「そのままうつ伏せになってください。薬を塗ってあげます」


 言われたままにうつ伏せになると、エレナは背中に跨り、薬を塗り始めた。ひんやりしていて、傷のところがちょっとだけ染みていた。


「ヴィル、あの……。背中の傷跡についてですが、消さない理由とかありますか。傷跡を消す霊薬を買うお金はあると思いますが」

「傭兵時代に出来たあれか?あれを消す発想はなかっただけかな。まあ、一時期は戦友を助けられなかった烙印と思っていたが、今はあまり気にしていない」

「……もしよければ、そのことを詳しく教えてくれませんか」

「いいぞ。別に隠すようなことじゃないし」


 酒の影響か、俺はすんなりと過去を語り出した。それについこの前夢で見たからあの記憶を鮮明に思い出せる。


 あの日、俺がいた傭兵団は連合軍対帝国軍の戦場で大掛かりな作戦に参加していた。連合軍が提示した報酬は魅力的だったがリスクも大きかった。とはいえ、俺たちの役割は奇襲だったから上手く行けば正規軍の奴らより損害はでない。


 そのはずだった。


 作戦内容がスパイに漏れたか。帝国側も対抗策として傭兵を雇って待ち伏せを仕掛けてきた。敵は個々として強くなかったが、統率の取れた集団だった。そんな集団による見事な待ち伏せと分断作戦は、俺たちが対応しようがなかった。地の利と数の利が敵にある上、先手も取られた。だから壊滅するのもあっという間だった。


「つまりこの傷跡はあの時……」

「背中の傷に気づいた時はすべてが終わった後だったが斬られるタイミングはあの時しかなかったな」


 襲われて必死に戦って気づいたら一人になっていて、敵が灰になったか逃げ出していた。そして分断されたもう一つのグループに合流したが友を救えず、最後は勝利に浮かれる敵傭兵団に復讐したこともエレナに教えた。


「アッシュストーム……」

「昔は髪と目の色でアッシュと呼ばれていた。あの事件がアッシュストームと名付けられたのは誰もすぐにアッシュがやったと分かったから」

「やっぱり今の名前の方がずっとずっと素敵だと思います」

「はは、俺も今の名前を気に入っているからそう思ってくれると嬉しいよ」


 エレナに名前の経緯を教えた。騎士団に助けてもらったきっかけに過去の自分と決別し、騎士団のみんなから新しい名前を貰ったことを。


「ヴィルにはそんな過去が……」


 薬はとっくに塗り終わったようだ。彼女は優しい手付きで傷跡をなぞるように撫でる。


「大したことじゃないからわざわざ話してもしょうがないと思っていた」

「そんなことはないです。過去のことを教えてくれてありがとうございます」

「礼を言われるようなことだっけ」


 数秒の沈黙の後、背中を撫でる手が止まり、エレナは口を開いた。


「ヴィルにお願いしたいことがあります」

「なんだろう」

「一つはまたあの錬金術師手記を読ませてほしいのです」

「別に俺が許可しなくても書斎にあるもの全部自由に読んでもらって構わないよ」


 俺はしばし考えて、補足した。


「言っておくけど、エレナを助けたのは亡き友の代わりに手記の内容を解き明かしてほしいからじゃない。お前の話を聞いて応援したくなるだけだ。……だから、兵器に関係するものが嫌なら無理して読まなくていい」


「ありがとう……。ううん、私も意志を引き継ごうなんて大層なことは考えていないです。ただヴィルのことと白い炎のことを聞いて考えが変わっただけです。あの手記の内容、武器に使われた技術、もしかしたら使い方によって優しいものになれるかもしれないと、あの技術にもチャンスを与えたいと考えたまでです」


 傭兵の経歴なんて絶対に輝かしいものじゃなかった。エレナはそんな過去を気にせず、今だけを見て優しいと言ってくれた。しかもそれで考えを変える新たな信念を見出したようだ。なんだか暖かい気持ちになる。


「そっか。エレナなら絶対心配いらないだろう」


 エレナみたいな子が技術を悪用するとか想像できない。きっと大丈夫だろう。


「それともう一つお願いしたいことがあります」

「それは?」

「私を鍛えてください!自分を……それとヴィルを守れる力がほしいんです」

「いいよ」

「あれ、あっさりと……。面倒じゃないのですか」

「別に、元からそのつもりだし。冒険者登録でエレナをCランクにしちゃった以上、相応の実力をつけさせなきゃいけないから」


 過保護かもしれないが彼女今の実力だと採集でも一人はさせないつもりだ。


「うぅ、ありがとうございます。私はどうやってお返ししたら……」

「エレナってさ、もしかして何かを与えられることに慣れてないじゃないかな。だからそれに見合う返しが出来るかどうか不安になる」

「え、どうして。……はい、その通りだと思います」

「もちろん与えられるのは当然なことじゃないけど、いちいち返しを考えたら人生が楽しくないよ。もう少し周りに甘えることを学んだ方がいい」

「確かに、そうかもしれません……。努力してみます」


 十秒ほどの沈黙が過ぎた後、彼女はある疑問を述べた。


「……ん?上手く言えないですけどなんだかヴィルの雰囲気がいつもと違います」

「ああ、酔ってるから」


 酔っていることの認めないタイプもあれば、その逆もあるのだ。


「えええ!?あれ、あの酒瓶、半分以上減っています!」


 どうやら机の上にあるソレを見つけたようだ。


「もしかして今、眠いですか」

「うん、眠い」

「目を開けられないほどですか」

「ない」


 なぜそんなことを聞いたか彼女の意図が分からない。


 俺の背中の上少しの間うじうじした後、次の質問を投げてきた。


「私がもっと甘えていいとヴィルが言いました。さっそく甘えてみてもよろしいでしょうか」

「? いいよ」


 ふと背中に重さと柔らかさを感じた。エレナが俺の背中にうつ伏せになったようだ。


「少しだけ。このままいさせて」


 今の会話でなぜこうなったか俺には分からない。酒が回ってきて深く考えるのをやめた。それよりも、鈍い思考で思ったことそのまま伝えた。


「エレナ、同じ入浴剤使ったのにとてもいい匂い、これは気持ちよく眠れそう」

「わ、わたしも……。匂いだけじゃなくて、ヴィルの魔力を感じると安心する。この感覚は初めてなの」


 彼女の声が段々小さくなる。


「これからもっと甘えちゃいそう……」


 やがて俺は静寂と彼女の体温に包まれて眠りについたのだった。


 ……



 朝の暖かい日差しに照らされ、小鳥のさえずりを聞きながら俺は目が覚めた。うつ伏せの姿勢のまま寝ていたせいかちょっと首こりがした。


「昨夜のことはどこまで現実なんだろう……」


 酒のおかげでぐっすり眠れたけど昨夜の記憶はちょっと曖昧だ。あの甘えてきた女の子は俺の妄想か、それとも……。


 机の上に置いてある薬の瓶は、薬を背中に塗ってもらった事実しか教えてくれない。


 俺が頭を捻るその時、ドアがノックされた。


「ヴィル、起きました?」

「ちょうど今起きた」

「朝ご飯を作りました。早く食堂に来て一緒に食べましょう~」

「ああ、すぐ行く」


 エレナの声がいつになく上機嫌そうだった。昨日に引き続き、同調後はすこぶる調子が良さそうだ。


 昨日のことよりはこれからのことだな。彼女は問題なさそうでひとまず安心できた。


 朝食を終えた直後俺は緊急郵便で魔法管理局に返事をし、午後3時くらいに管理局の職員と王室が指定した公証人が屋敷にやってきた。


 エレナが魔法を二重展開し、管理局職員が計測機器で二元魔力の状態を観測した。二つの魔力が干渉していないと確認されて、俺は公証人の前にアルゲンタムの名に懸けて宣誓した。職員はもちろんだが、公証人さえも栄耀名を懸けた誓いに立ち会ったことがないから相当緊張したらしい。最後に公証人が作成した書類にサインをして手続きは終わった。後日国王の印が押された副本を送ってくれるらしい。


 これでエレナの魔力問題の責任はすべて俺にある。そして王宮の意向により、エレナの二元魔力は機密事項にする。それに伴って、この件の担当者は魔法の奇才であり未来王族のクリスティーナになった。


「うぅぅ、緊張しちゃいました。まさかこんなに大がかりなことになるなんて思いもしませんでした」

「それでもちゃんと出来たんじゃないか。魔法管理局は5%程度の干渉を合格ラインに設定したのにエレナは完璧な制御をしてくれた。よくやったぞ」


 彼女を労わるように頭を撫でてあげた。


「えへへ。あの、私の為に何から何までありがとうございます。私と契約した人がヴィルで本当によかったです」


 可愛らしい笑顔でエレナは嬉しいことを言ってくれた。


「礼を言うのはまだ早いぞ。まだまだ始まったばっかりじゃないか」

「そうですね。これからはヴィルの名を恥じないように頑張らないと!」

「そのためにもまずは放置していたポーション依頼を何とかしないとね」

「あっ……ああぁ!忘れていました。今材料を確認してきます!」


 ようやくその依頼を思い出したエレナは慌てて工房に向かって駆けて行った。彼女が元気ならこの慌ただしい様子も微笑ましいものに思える。


 それと、大きな難関を乗り越えた彼女はこれからどう成長していくか今から楽しみになってきた。


 まさか味気ない生活が彼女のおかげで賑やかになって楽しみも増えたなんて……。


「俺も、エレナと契約してよかったな」

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