縮まった距離(前編)
眠りから覚めて、意識がぼんやりしている。
もう朝かな。今日は二元魔力についてエレナと相談しないと。
それはそうと、先程から腹の上に重量を感じている。しかも柔らかい。まるで猫が乗っているような感触だ。
しかし、寝ぼけた目で見たのはピンクの何か。
ピンク毛の猫? いや、そもそも猫飼っていないし、ましてピンク色の猫近所にいないはず。
それに猫にしては大きいし重い。淡い香りがしていて猫の匂いじゃない。
俺は手を伸ばして確認する。そして丸くて柔らかい何かを触った。このすべすべした手触りは明らかに猫のものじゃない。
そこから手を移動してぺたぺたと触って正体を確かめる。
「これは……尻と裏太もも……?」
その事実を確認すると途端に上に乗っかっているのは女の子だと分かった。
「そっか。またこういう夢か」
じゃないとこの状況説明できない。起きたら女の子が上に乗っているなんて普通あり得ないし。
最近どうもいやらしい夢を見るようになっている。騎士の責任感から解放されてストレス少なくなったか。それとも……。
いつも主導権を握られてすっきりしない夢と違い、今回は自由に動けるのだ。堪能させてもらおうじゃないか。
まずは腰に腕を回して抱きしめた。
女の子は本当に色々と柔らかい。色々と……。
背中を撫でまわし、きめ細かな素肌を手のひらで触る。そして他のところに手を移動しようとした瞬間俺は違和感を覚えた。
「ん?これは……」
今になって感触以外の情報も伝わってきたことに気づいた。
霊体情報、それもこの子のすべての。どの魔力パスが抵抗低いとか、俺は彼女の弱点を把握している。
まさか……。
欲望に火が付いたにもかかわらず、冷静に現状を分析し、思考を巡らませた。
まるで初めて炎と氷魔法を二重展開する時みたいに、本能と理性が体内で渦巻き、排斥し合っている。
「ふはぁっ、ヴィル、おはよう~」
強敵と戦っている感覚に陥る俺に呼びかけたのは寝ぼけた可愛い声で、俺がよく知っている声だった。
それが決定打となって俺は一気に現実に引き戻された。いや、最初から現実だった……。
そう、俺とエレナは同調した後、精神が力尽きて寝落ちしたのだ。よく周りを見るとここは彼女の部屋で時計も午後と示している。
「お、おはよう、エレナ……」
理性が苦戦の末勝利した今も尚うずうずしている。そして夢だと勘違いして彼女に欲望をぶつけようとしたことに罪悪感を覚え、ぎこちなくなった。
そんな俺の葛藤を知らずにエレナは顔を上げ、明るい笑顔を見せてくれた。
「あ、ごめんなさい。今退きますね」
彼女が体を起こすと、極上の柔らかさも離れていく。……残念と思わないなんて嘘を俺は自分につけなかった。
しかしエレナは上半身だけ起こして動きが止まった。
「あいたたっ」
「だ、大丈夫?」
「大丈夫です。姿勢が悪かったか両足が痺れているだけです。しばらくこのままでいいですか。……お、重くなければ」
「ああ、重くない。気にしなくていい」
この体勢でエレナに見下ろされるのはなんか妙な気分になりそうなので俺も上半身だけ起こした。
彼女の顔が目の前になり、至近距離で見つめ合ってつい視線を逸らした。
挙動不審になってどうするんだ。ここは平常心を保たないと。そう思って俺は視線を戻した。
そしてエレナはどこか不安そうに聞いてきた。
「あの……同調はちゃんと出来ましたか」
「ああ、もちろんだ。その証拠に霊体の弱点がどこか分かってしまう」
手を伸ばして、うなじや背中に触れて魔力で刺激を与えた。一度同調さえすればどこに触れても大抵は抵抗の低い魔力パスが見つかる。
「ひゃん!」
それを実演したらエレナは一瞬体を強張らせてこちらに倒れ込んだ。脱力したようだ。
やりすぎたと思ってちょっと焦ってしまう。
「す、すまん。俺が悪かった」
好奇心に負けてやってしまったが、彼女の合意もなしにそれはさすがに失礼すぎた。
「……えし」
「え?」
何か言ったかと聞き返す前に首に柔らかい感触を感じた。すると雷に打たれるような感覚に襲われて体が……いや、魂まで震え上がった。
首に彼女の唇が触れている。俺はすぐにこれが『お返し』だと理解した。
刺激は強いが嫌悪感は全くない。むしろずっとこの感覚に身を委ねたいほどだ。しかも余剰な魔力が彼女に流れていくからか、普段の制御はほぼ無意識で行われても今はなんとなくいつもより楽な気持になった。まあ、変な声出そうで恥ずかしいではあるが。
男女が愛し合う時の同調行為は単なる絆の確認だけじゃなく、実用性もあるだなぁと馬鹿げた感想も同時によぎってしまった。
それにしても、すぐに感覚を掴んで俺にやり返すほどエレナは実は天才的なセンスがあるかもしれない。
「お、おい」
情けない声を出さぬよう耐えるのに精一杯で彼女を止めることが出来なかった。
「ぷは、どうですか。私がやられた時の気持ちを分かってくれましたか」
しばらくするとエレナはようやく唇を離してくれたが、不満そうに頬を膨らませた。
「あれは完全に俺が悪かった。で、でも俺がやったのは一瞬だったぞ」
「今のだけじゃありません。中をこじ開けられてぐちゃぐちゃにされたのも含めてのお返しです」
……。
「同調の時やや強引なやり方だったのは認めるけどそれは仕方がなかったことだぞ」
「もちろん分かっています……」
口を尖らせて拗ねているように見える。やっぱりあれは辛かったよな。
彼女がこんな一面を見せてくれるとは、打ち解けた感じがして嬉しいというか。
浮ついてつい冗談言いたくなった。
「しかしまさかエレナがこんなに大胆だったとは」
「え?」
「首に口付けされると思わなかった」
「あ、あれは手足が動けないから——」
彼女は今やったことを再認識して顔がますます赤くなった。
「あぅ~~」
そして唸り始めて両手で顔を隠した。
……。あの『お返し』も変な言動も意識してやったことじゃないと分かった。閃きに頭が追いつかない上行動力が高いからだろうか。
とりあえずフォロー入れよう。
「足の痺れはもう大丈夫?今日はまだまだ予定が残っている」
最初の関門をクリアしたし早く二元魔力の状態を確認して魔法管理局への返事決めないと。
「はい、もう大丈夫です!」
エレナは飛び上がるように素早く離れていった。そしてもじもじしてちらりとこちらを見やる。
「どうしたの?」
「えっと。着替えがしたいんですが」
「あ、ごめん。今出ていく。また後で」
「うん」
エレナの部屋にいるのをつい忘れてしまった。俺は脱ぎ捨てた上の服を持ってすぐ出て行ってドアを閉じた。
静まり返った廊下で心臓の音がやたらとうるさいと気づかされた。
不意に首に手を当てた。あの衝撃的な出来事は脳内に蘇る。
「あれ、俺が緊張した?」
数多の戦いをくぐり抜けたが、強敵との対峙ですらこんなに緊張したことがなかったかもしれない。
あるいはこの感覚は微妙に違う何か。
頭を捻ってもしょうがない。今は優先度高いことからやらなきゃ。
二元魔力の状態を確認し、上手く行けば今日中エレナについての返事を書けるかもしれない。
俺はひとまず部屋に戻ってメッセージを再確認して次の準備をした。
◆
「魔力状態の確認ってどうすればいいですか」
昼下がり、二人して庭までやってきた。二人で寝落ちしていたから昼飯は簡単なものにしてさっそく成果を確認する。
「そうだな。二重展開で魔法を発動してもらおう」
「え!? 私にはそんな上級者の技術は……」
「出来ないならむしろ好都合だ」
「それはどういう意味?」
魔法の二重展開、または多重展開は、例えるなら一つの川を支流に分ける感じで、同時に複数の魔法を発動する技術だ。しかし制御が難しい上、一つの魔力を分けるので総威力が変わらないか落ちることになる。実戦では状況を見極めて使いこなす判断力がないと返って不利になる。それを使いこなせる実力があり判断力も優れた人間は精鋭魔導士団にたくさんいるけど。
「普通なやり方を覚えられては困る。エレナの場合は魔力源泉が二つあるんだから」
「あ、そういうことですね」
俺はクリスティーナに教えてもらって分かったけど、エレナはもう察したようだ。さすが錬金術師と言うべきか頭がいい。
「ああ、お前には魔力源泉がすでに二つあって、支流に分けなくても二重展開の準備が整っていて本能的にできるはず。それぞれの制御状態や干渉状況を確認するには二重展開が打って付けなんだ」
「でも私が使える魔法って三つしかないですが大丈夫でしょうか」
確かにファイヤーボール、身体強化とヒールだっけ。二重展開の感覚を掴むためには目に見えるものがいいのだけれど……。
「んー、こうしようか。俺が知っている魔法を同調で伝授しよう」
「そんなこともできるんですか。で、でももう着替えちゃいました……」
「あ、いや。一度成功したら次からは難易度下がるんだよ。今は……このままで出来るはず」
俺は慌てて補足する。あれもう一回やったら今度は耐えられないかもしれない。いろいろと!
「なるほど、分かりました」
ドンっと、言い終わるや否やエレナが抱きつてきた。本当に躊躇いも迷いもなく、行動力が高いのだな……。
薄い布一枚越しから布数枚越しになってもエレナの胸の柔らかさは伝わってくる。女の子の体って本当に不思議だ。
内心のどこかでこれからもこういう触れ合うチャンスが増えるんじゃないかという期待が膨らんだ。
「どうですか。これで行けそうですか」
俺の胸元に顔が埋まったまま、くぐもった声で聞いてきた。
「問題ない。ちょっと集中に時間がかかりそうだけだ」
エレナは真面目に待ち構えているのに俺はまたくだらないことを考えて……。本当に情けないな。
深呼吸をして気を取り直す。
彼女の腰と後頭部に手を添えて抱き寄せるようにほんのりと力を入れる。同調プロセスを開始した。
エレナの方もすぐにこちらに呼応した。想像以上に二回目の同調は順調だった。
「じゃ魔法を伝授するぞ」
「よろしくお願いします」
魔法の直接伝授は同調しなくてもできるが、初級魔法一つを伝授するには毎日少しずつして平均的に五日くらいかかる。それでも本を読んで抽象的な概念と構築法を理解するよりは簡単だろう。まったく学識のない人も師に恵まれていれば上級魔法を修得できるわけだ。さらに近年では錬金術の道具を頼って魔法伝授できるらしい。
「終わったよ」
しかし同調ではたった数分で俺の知っているすべてをエレナに伝授できた。
彼女から離れて様子を見てみた。彼女は目を閉じたまま佇んでいる。どうやら一遍に入ってきた情報を処理しているようだ。
やがてエレナはパッと目を開けて、興奮気味に話しかけてきた。
「ヴィル!すごいですよ。私本当にこれらの魔法を使えそうです」
「使えそうじゃなく、使えるんだな。エレナは元々才能ある方で魔力の調子がおかしかっただけだから」
「わぁ、ヴィルの治癒魔法他人を治す前提で構築されたんですね。効果もすごいです。私のヒールなんかは自分にしか効かないし軽い傷を塞ぐだけのものです」
まるで新しいおもちゃを貰った子供のようにエレナがはしゃぐ。
「上級魔法の収納魔法まで!あ、これで武器召喚でしたっけ。七変化のウェポンマスター、ヴィルの戦い方」
「そ、それを知っているのか」
「えへへ、この前本を読んで知りました」
もう現役騎士じゃないから改めてその二つ名を言われるとなんか恥ずかしい。
「ちなみに収納魔法と言えば発明のきっかけ知っていますか」
「言われてみれば……。使ってはいるが由来考えなかった」
「実は魔物のアイテムドロップ現象を解析してこの魔法が生まれたんですよ。魔物を倒した時出現する魔石などのアイテム、大抵は魔物を解体しなければ取れないですが、稀にそのまま魔物の隣に落ちます」
確かに、収納魔法を使っている人が死んでしまうと、空間魔法の媒体となる霊体が消えて収納してあるものがその体の近くに現れる。
「管理された環境で実験を繰り返した結果、一部の魔物は体内で生成されたものを霊体亜空間に保存する能力があると判明しました。処理できない副産物を体に影響出さないように隔離したり、膨大なエネルギーを結晶化して保管したりします。収納魔法はそれをベースにして開発された魔法なんです」
「ほー、そういう歴史があったんだ」
確かに魔法は身近な現象を真似るから始まるものが多い。それにしても魔物のアイテムドロップから収納魔法を編み出した古人は本当にすごいな。
「あ、安心してください。使ってみたいですけどこういう霊体に関わる魔法は慎重にしないと」
「やっぱりエレナは聡明だな。注意するまでもない」
「褒めすぎですよ」
喜びを隠しきれない顔でもじもじするエレナ。そしてまた好奇心を満ちた目で俺を見る。
「でも一つ気になりますが」
「なんだろう」
「これだけ多彩な魔法出来るのに、なぜ魔導士を目指さなかったのですか。それに他人に治癒魔法使えるなら治癒術士になれるはずです」
まあ、これはよく聞かれた質問だな。答えは簡単だ。
「騎士になるのは守りたいものを守るためだ。俺はもう後ろで戦友が散るのを見たくない。だから前方に出て盾となる騎士を選んだのだ」
今まで質問してきた人はこの答えで満足していた。だから俺は次の質問に意表を突かれた。
「じゃ誰がヴィルを守るのですか」
「え?それは……」
俺が強いから自分自身を守れる。あるいは騎士団の戦友がいたから大丈夫。今は必要がないなど無難な答えもいくつはあるが、俺はこの問題について深く考えたことがなかったからつい口ごもった。
「わ、私がヴィルを守ります。あなたは雇い主ですし?」
「……エレナには無理だな。お前はまだ弱い。むしろ俺に守られてろ」
「うぐ、今はまだまだですがいずれ錬金術師の実力が積んでヴィルほど強くなったら守られながら守ってあげますよ」
「ぷっ、なんだそれ。まあ、楽しみにしているよ」
賢い雰囲気の彼女がたまに健気なことを言ってくれるところ本当に可愛らしい。
それに、誰かに案じてもらうのはなんだか嬉しいし暖かい気持ちになる。
「習得した魔法馴染みそう?目に見える魔法がいいから攻撃魔法を最低出力で発動すればいいと思う。好きなのを選んで」
「どれにしましょうか。わ、これはきれいそうです」
彼女が決めて最初に発動したのは——
「わぁ、やっぱり想像した通りにきれいです。白くてヴィルのイメージがします」
白く揺らめく炎。
「あれ、ヴィル、どうしたんですか?顔が怖いです。はっ!もしかしてこれは使っちゃいけない、ヴィルのユニーク魔法なのでしょうか」
おっと、いけない。顔に出てしまったのか。
「エレナはその炎、怖くないのか」
「いえ、まったく怖くないです。むしろ眩しくて暖かい感じがします」
「……実はあれ、傭兵時代に使っていた魔法【白炎】だ。傭兵は派手な魔法を好む。誰が一番戦果上がったのが視認しやすいし名を轟かせたら畏怖の対象になるから」
昔は【白炎】を見た瞬間敵の士気が下がって雑魚が逃げ出して仕事しやすくなったケースもあったな。
「俺はあれで数えきれない敵を葬ってきた。無数の敵が悲鳴を上げながら白い炎に飲まれて灰になるまで燃やされた」
俺は自分の手のひらに視線を落とす。話を聞いた彼女がどんな表情になったのか確認するのが怖い。
「これであの炎への感想も変わるだろう。まったく、何で俺がペラペラと語ってしまったのやら……」
「変わりませんよ」
「そうだろう。——ん?」
両手で俺の手のひらを包むように握ってエレナはそう言った。
「ヴィルも白い炎も、昔はどういう経歴があっても、今は優しいに変わりありません。私を助けてくれたヴィルはまるで暖かい太陽のようです」
顔を上げると目の前は無垢なる天使の笑顔。あれは嘘偽りのない言葉だと俺は確信した。
むしろエレナの方が眩しくて輝く太陽に見えてきた。
「ありがとう。そこまで言ってくれるのは嬉しい」
「この魔法使っても大丈夫ですよね」
「もちろん最初から止めるつもりはない。伝授した以上そっちのものだ」
「やりました!へへ」
嬉しそうに彼女は再び白い炎を出現させた。心なしか、炎は本当に彼女の言う通り獰猛なものじゃなく、穏やかな物だった。
これはきっと使い手の優しさによるものなのだろう。
「もう一つ魔法を選んだら検証を始めよう」
「はい」
エレナの両手それぞれ展開した魔法は白い炎と白い氷だった。
「じゃちょっと失礼」
後ろからピタっと密着して彼女の手首を軽く掴む。すぐ魔力の状態を読み取ることに成功した。
「ど、どうですか」
「二つの魔力がきれいに分けている。お互い干渉していないようだ。いくつの共通パスのどころに気を配っていれば問題ないだろう。今この感覚を覚えられたらもう干渉の問題に悩まされることはない」
「ふぅ、よかったです」
安心したかエレナは急にこちらに体重を預けてきた。彼女は軽いからびくともしないが、この距離感はまだ慣れていないというか……。
「これで一緒に王都に残れますね」
「もちろん」
顔を上げて聞いてきたエレナにそう答えると彼女は満面の笑みになった。そんなエレナを見て俺もつられて口元が緩んだのを感じたのだった。
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