初めての同調

 エレナが魔力暴走を起こした翌日。魔法管理局の動きは想像よりも早かった。朝9時くらい、管理局の職員が直々書状を渡しに来た。


 俺は書状を受け取り、居間に戻った。うちの錬金術師はまだ起きていない。ちゃんと休むようにと言いつけたし今日くらいはゆっくりしてほしい。


「よっぽど事態を重く見ているのかもしれない」


 まさかこんなに早く届いたとは思わなかった。書状の作成日も昨日と書いてあるしおそらく暴走を観測した直後作成しただろう。記録ほとんどない二元魔力の持ち主がうまく魔力を制御できていないということが魔法省にとって緊急事態かもしれない。


「魔法管理局の保護を受け入れるか人の少ない街外れで暮らすか……」


 クリスティーナの言う通り提示された選択はこの二つだった。そしてそれ以外の道は俺から申し出ないといけない。エレナの意志を確認しないと何も始まらないけれど。


「そうだ。同調についてメッセージを確認しないと」


 他人に魔力を合わせることが多いけど同調は実はやったことがなかった。もちろん理論だけは知っているが魔法専門家のクリスティーナの指示なら上手く行くはず。それに同調してからやるべきこともメッセージで教えてくれるようだ。


 朝食の調理準備を終えて頃合いを見て寝室に戻った。


 幸いちょうどいいタイミングでメッセージが来て手順と注意事項を確認できた。


 二元魔力と同調して不干渉状態にする手順は理論でしかない。120年前の記録だって断片的な情報しかないという。だが、優秀なクリスティーナが編み出した方法ならきっと成功すると俺は信じている。


「これで準備万端、あとはエレナがどの道を選ぶかを聞くだけだ」


 部屋を出て朝食を作りに厨房に戻るところだった。隣の部屋、エレナの部屋のドアが開いているのに気づく。


「もう起きたのかな」


 今日は家事とかやらなくていいと言ったから、朝食も俺が用意することになったのだが、習慣で起きたかもしれない。


「騎士団にいた日々を思い出すなあ」


 休暇中もつい早起きしたとか。まさに習慣によるものだった。


 そんな過去を思い耽っていると突然居間から物音が聞こえた。甲高くて何か割れた音だった。それを聞いて俺はすぐ居間に向かった。エレナは病み上がりだし何があったらまずい。


「エレナ、何か音がしたけど大丈夫か」


 彼女の背中に呼びかけたがすぐに返事をして来なかった。そして数秒か十秒経った頃——


「私、また捨てられるんですか」


 振り返るその顔には一筋の涙が金色の目から流れている。彼女の手に持っているのは今朝届いた書状。そして足元には割れたカップ。


 あまりにも突然のことに俺は言葉が出なかった。


 しかしそれがまずかった。


「……っ!」


 肯定と捉えたかエレナは書状をテーブルに投げ捨てて居間から逃げ出そうとする。


「待っ——」


 呼び止めても聞き耳を持ってくれなかった。


 だが彼女はドアの前でぴたっと止まって一歩よろめいた。そして両手で胸を抑える。


「……くるしい」

「エレナ!それは……!」


 魔力暴走の前兆だ。昨日の今日でまたすぐ起こるなんて普通はあり得ないが何しろ彼女は特殊だから。


 ありったけの魔力を使って防御障壁を展開すれば外への被害を抑えられるが中にいる俺たちはただで済まないだろう。無事乗り越えてもエレナは二度も暴走を起こして王都に居づらくなる。そして今度こそ交渉の余地がない。俺はそんな結末が嫌だ。


 何としてもこの暴走を抑えなければ。


 そうと決まったら行動は早かった。


「ヴィル、にげて、これはあぶない……」


 俺は後ろから一歩一歩エレナに近づく。離れた距離からも荒ぶる魔力で肌を刺すような不快感がする。


「ヴィル!聞こえなかったです?今回はもっと——あっ……」


 後ろからエレナの体に腕を回して、包み込むように抱き寄せる。


 その小さな体はひどく震えていた。


「俺は逃げやしない。エレナのことも絶対捨てない」

「なんで……」

「勘違いしたようだが、俺だってお前を魔法管理局に行かせたくないし、王都から出なければならないことになったらついていくと思っている」

「うぅ……」


 腕に暖かい雫が落ちてくる。俺はそれが嘘じゃないと言わんばかりに腕に力を入れた。


「契約の義務でエレナの面倒を見なければ——いや、違うか」


 取り繕っても仕方がないと考えて、俺は昨夜思ったことそのまま伝える。


「エレナが居なくなられると寂しくなるからな」

「へ……?」

「言わなかったけど俺はこの国の生まれじゃないし孤児だ。この国で色んな人によくしてもらっているおかげでここまでやって来れた。でもこの大きな屋敷を貰って一人で過ごすとたまに寂しく思う」


 両親が分からない、出身も不明。物心がついてから孤児として生きていた。転々としてこの国に流れ着いて今は不自由のない生活を送っている。しかし度々虚しくて寂しくて、どうしようもない気持ちになる。親代わりのマルクだって結婚して子供ができたからいつまでも迷惑をかけてはいけないし。


「すみません。私は自分のことばっかりでヴィルのこと一度も……」

「そのつもりで言ったわけじゃない。早とちりはよくないぞ」

「あぅ……ごめんなさい」


 とにかく悪い方向で物事を考えるのはエレナの悪い癖だ。生きていた環境を考えれば仕方がないかもしれない。これからは優しい環境で感化するしかないと思う。


「エレナが来てから、食事が楽しくなった。一人だった時はとにかく早く済ませるが、今はゆっくり食べて心から楽しめていると思う」


 他愛もない会話が調味料になるというか。楽しくて時間があっという間に過ぎていくというか。前とは違っている気がした。


「賑やかになった生活を手放したくないけど、お前が望むなら魔法管理局に任せるとも考えていた。でもどうやら余計な悩みだったようだ」

「うん。私もここが心地よくて……」


 そう言いながらエレナは俺の腕に手を添えた。そのせいでまるでその『ここ』が俺の腕の中だと錯覚してしまう。


 今ようやく気付いたが、いつの間にか乱れていた彼女の心音が落ち着いて、魔力も沈静化していった。


 暴走が収まったようだし、大事にならなくてよかった。


「また不安にさせて本当にすまない」

「いえ、私こそいつも迷惑を掛けてしまって……。でも本当にいいんですか。ヴィルも王都から出るなんて」

「いや、実はそれ以外の選択肢もあるんだが、まずはエレナの意見を聞きたくて」

「それは——」


 ぎゅるぅー。


「あっ……」


 安心したのか。突然エレナのお腹はまだ朝食を食べていないと主張した。そして彼女は恥ずかしがって顔を見せないように背けた。


「まずは朝食だな。今日は俺が作るから食堂で待っていてくれる?」

「……うん、分かりました」




 食卓で二人向かい合って朝食をとる。この何てことない時間も気づいたら心地いい時間となっている。


 栄養豊富な食材で食べやすい料理を作って一緒に食べる。


「わざわざ作ってくださってありがとうございます。ご馳走様でした」

「俺の手料理とかこんくらいしかできないけどね」

「そんなことないです。おいしかったですよ?」


 天真爛漫に微笑むその顔に一切の嘘偽りを感じない。本人が美味しく食べてくれたら俺もうれしい。


「それで、今朝の続きを話す前にまずはエレナの体質について説明しなければ」

「書状に書いてありました。二元魔力のことですか」

「それに心当たりはない?」


 ソラリスの記録は120年前だけどもしかしたら他の国はもっと近代に記録を残している可能性がある。


「いえ、聞いたことがありません」

「そっか。じゃとりあえず俺が知っていることだけを伝えておこう」


 そして俺はクリスティーナから知った情報を話した。


「二つの魔力が相互干渉し合って、制御できてない今は危険な状態……ですか」

「昨日は運よく二つの魔力が相殺していたが、次はどうなるか分からない」

「確かにさっきとても危ない予感がしました」

「魔法省として放置できない状態なんだ。それにこのままだとエレナの錬金術の仕事にも影響する」


 もし上手く制御したら、彼女は本来の実力を発揮出来るのだろう。錬金術の夢を追うエレナにとって魔力制御できないのは大きな障碍になっている。


「それで、先程言っていた別の選択肢なんだが、同調って知っている?」

「はい、一応知識として知っています」

「同調でエレナの二つの魔力を不干渉状態にしようと試みる。もしそれが成功すれば、魔力制御は簡単にできるはず。そうしたら魔法管理局はひとまず静観にしてくれるはず。その後、ゆっくり干渉状態も制御出来るように成長すればいいさ」


 俺たちが王都から出なくても皆の平和を守れて、エレナも錬金術が上手く使える。この選択肢が一番いいのだけれど……。


「……は、はい。ヴィルを信じます」


 少し逡巡するも、信頼を示してくれた。


「しかしエレナの場合はあの……手を繋ぐ程度じゃできないかもしれない」


 それを聞いて彼女は耳まで顔を赤くした。同調について知識があれば大抵は俺が言いたいことを予想できるのだろう。


「ま、まあ。とにかくマイルドなことから試そう。どの内容まで試すかはエレナが決めてくれ」

「そそ、そうですね。分かりました」


 話し合った結果。まずは抱き合って密着する方法を試すことになった。



 俺は彼女の部屋の前に立っている。クリスティーナの助言によると、同調の成功率を上げるために一番安心する場所で行うべきだと。そうすると自然と俺とエレナどちらの部屋になる。もちろん順当に彼女の部屋にした。


 同調に干渉しないようにいつも収納してある武器全部出して部屋に置いてきた。溢れる魔力は制御に気を配れば問題ない。エレナにもマナ調和の髪飾りを付けないように伝えた。


「エレナ。もう大丈夫?」

「は、はい。どうぞお入りください」


 ドアを開ける。部屋の奥に立っている彼女はもう着替えた。へそ出しキャミソールにスカート。とにかく布面積が少ないコーディネート。


 どうやら肌の触れ合う部分が多いほど、成功率が高くなるらしい……。そこまでしなくてもよかったが、エレナは少しでも成功率を高めたいと言っていた。


 そういえば、まだ春なのに外出する時いつもケープレットの下に袖なしの服だし、この子本当に暑がり屋なのだな。


「本当にいいのか?この行為はお互いを知り尽くして、弱点を握るようなものだぞ」


 霊体情報を知り尽くせば弱点が分かるようになり、魔法が効きやすくなる。だから絶対的な信頼がなければすることじゃない。


「はい、私はヴィルを信じます。ヴィルこそ大丈夫なんですか」

「俺もエレナを信じているぞ」


 冒険者、傭兵、そして騎士、いろんな経験でそれなりに人を見る目を持っているつもりだ。エレナは純粋な方でまったく悪意を感じられない。それでも騙されることになったら俺は甘んじて受け入れよう。


 俺はベッドに腰を掛けた。以前看病する時気にしなかったけど今回は神経を張り詰めているせいかどうしても部屋に充満する香りに意識してしまう。


 甘くて淡い花の香り、エレナの匂い……。


「それじゃ始めようか」

「う、うん」


 気を取り直して開始の合図をした。そして俺は上の服を脱ぎ捨てた。まあ、俺の方は見られても損はしないから。


「……」


 しかし俺は気にしなくてもエレナは直視できず視線を逸らした。


「すー……はー……」


 そして一回深呼吸して膝の上に向き合うように跨った。


 ……すべてが柔らかい。程よい肉付きの太もも、腕と小さな肩、……そして思わず触れてしまうお胸。


「ヴィル、どうしました?」


 呼ばれて視線を谷間から上げるとそこには潤んでいる双眸と瑞々しい唇だった。加えて部屋の香りと段違い彼女の匂いがして、すべては俺の理性を溶かそうとしている。


 俺は必死に興奮する気持ちを押し殺す。今は同調に集中だ。


「いや、なんでもない。それじゃ手順通りにしよう」

「はい」


 俺たちはお互いの背中に腕を回して抱き合う。肌と肌が密着し、これ以上ない彼女の柔らかさを感じてしまう。


 集中だ……集中!


 瞑想するように二人で目を閉じて体の中にある力に意識を向ける。


 不規則な二つの鼓動は段々近づいていく。背中に回されたエレナの腕はさらに力が入っていると感じた。


 ついに二つの鼓動は一つになって、そして間もなくしてまた分かれた。


 今度は三つある。強い鼓動一つと弱い鼓動が二つ。


 それは霊体の心臓部、俺たちの魔力源泉だ。


「これがヴィルの魔力……、滝のように強く流れ落ちて、溢れて来ます。もしかしてヴィルの体質も?」


 どうやら始まりは順調で、俺の魔力を認識できた。


「そうだ。俺も随分と面倒な体質に悩まされていた。でもちゃんとそれと向き合って、制御できるように成長した」

「私もできますのでしょうか」

「もちろん。それにエレナは一人じゃない」

「そうですね……」


 安心したのか腕の力がちょっと緩んだようだ。それと同時にようやく一番抵抗少ない魔力パスを辿って彼女の魔力源泉に触れた。


 二つの源泉は魔力パスを競い合って、絡み合って、お互いを弱体化させている。エレナの意志だけではたぶん解けないのだろう。これは教わった通りちょっと強引な手を使わないといけない。


「お互いの魔力に合わせるようにして、落としどころを探そう」

「うん」


 程なくして準備が整った。魔力の親和性が最大限になった。


「これからちょっと刺激が強いかもしれないが、我慢してくれ」

「は——ひゃぃい!」


 長年を経てその状態になった分、こちらでそのもつれた二元魔力を解くには相当な魔力を送り込まないといけない。少々辛いかもしれないがちょっとした辛抱だ……。


「……んん——!はぁ……はぁ……。……ぅぅ!」


 背中に爪を立てられて、力を入れた足に体を痛いほど挟まれる。でもきっとエレナの方は何倍も辛いだろう。


「もう少しだ」

「うん!うんんん——!」


 魔力の淀みを取り除いて、二つの魔力を別々のパスを使うように誘導して、あるいは二つの魔力が共存しても干渉しないパスを見つけて……。


「お、おわった!……ふぅ……」

「はぁ……はぁ……」


 どれほど時間かかったか、ようやく二つの魔力を不干渉状態にする環境を整えた。あとは彼女次第……。


 二人の息が荒くなっていた。呼吸を整えるまで少し時間がかかった。


「おい、エレナ。大丈夫?」


 触れ合っていた肌は汗ばんで、しっとりとしている。エレナは手足を脱力させてもたれかかってきた。


「だい……だいじょうぶ。疲れていましたがどこかすっきりしました」


 落ちないように支えてあげた。意識ははっきりしていて、魔力も前より安定したと感じる。たぶん上手く行ったと思う。


 安堵した瞬間俺はベッドに倒れ込んだ。彼女はそのまま俺の上にうつぶせて微動だにしない。


 おい!大丈夫か!?と声を掛けるつもりだが声にならなかった。


 エレナは目を閉じて穏やかな呼吸を繰り返している。消耗しすぎて寝てしまったのだろう。


 というか俺も駄目だ。瞼が重い。


 消耗しすぎたのは俺も同じか……。


 まだ二元魔力の制御検証やっていないのに……。


 まぁ、いっか。今はこの気持ちいい脱力感に身を委ねたいのだ。


 おやすみ……。


 ……

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