現代錬金術の基本(後編)
エレナはフィニックスマーブルを加熱炉に入れて、今朝作った細い棒を持ってくる。
「加熱炉を待っている間、錬金媒介を用意します」
「その棒をどう使うんだ?」
「これと錬金陣を組みます」
そう言いながらこの前錬金術師ギルドで注文した物を見せてくれた。真紅の宝玉から強い魔力を感じる。8つもあって全部で小さい家の家賃一年分がかかると明細書で確認した。
「例のお高い錬金術の道具か」
「すみません……これだけはゴールドランク錬金術に熟達しないと作れないんです……」
「あ、責めるつもりじゃないから気にしなくていい。エレナは出来ることをやってくれた。それで、これはなんだ?」
「これがアンカーと呼びます。昔は『探究者の明星』とも呼ばれました現代錬金術において欠かせないアイテムです。昔媒介として水や砂、気体など使われましたが、錬金陣の発明で媒介を調整する作業を省くことができます」
古の錬金術は大鍋に水や砂、もしくは空気より重い気体を入れて魔力を注入して媒介とする。でもそれだと素材と相互影響するため媒介を調整するために各種調整材料が必要だったらしい。
「そしてこの魔力伝導材はバウンダリーと呼びます。アンカーとバウンダリーを合わせて錬金媒介となる空間を生成できます」
そしてエレナはアンカー二つとバウンダリーをくっつけて魔力を流し込む。
「私の魔力と共鳴するように調整します。そうするとアンカーとバウンダリーはくっつけて離れなくなります」
8つのアンカーと12本のバウンダリーを組み立て、正立方体のフレームのようなものが出来上がった。
「よし、錬金陣が出来ました」
「前から気になったけど、錬金術は道具を頼らなくてもできるよね?魔導士は杖も呪文も頼らず上級魔法を行使できるまで一人前と認められないけど」
精神集中のために呪文や詩を唱えるが、高位な魔法でも繰り返して使えば頭で念じるだけで行使できるようになると聞いた。杖だってあるに越したことないが補助に過ぎない。
「こ、この国の魔導士は厳しいですね……」
少々引き気味になるエレナ。俺はこの国の常識で語ってしまったけどどうやら他の国の基準はもっと緩いようだ。
「もちろん錬金術は何も頼らず素手で使えますが、錬金術はどれも魔力消費が大きくて制御も難しいから補助があった方が上手く行きます。例えばレシピによって吸魔反応と放魔反応があって、錬金陣は余った魔力を回収して必要な時に出す錬金術師の魔力を節約できる機能があります」
「錬金陣はそんなこともできるのか」
「それに私たち錬金術師は戦場にいるわけじゃないですから緊急時でもなければ頼れるものは全部頼ります」
「たしかに。工匠は可能な限り質のいい道具を使うよな」
エレナの言うことがもっともだ。最悪を想定しなければならない戦場じゃないしわざわざ効率悪いようにする必要がない。完璧な制御が出来ても、魔力節約した分より多い物を作れるし。
「仕事効率向上するアイテムを自分で作れる錬金術師はすごいな」
「そうです!いずれ私も自分の魔力にピッタリな錬金陣を作りたいです」
突然加熱炉からチリーンと高い音がした。
「加熱炉が作業温度になりました。それじゃやりますよ」
そう宣言し、エレナは作業を始めた。
まずはミスリルインゴットを加熱し、金鋏で取り出して起動した錬金陣に放り込む。するとインゴットは中で宙に浮いている状態になる。そしてどろどろとした樹脂を表面に垂らした。
「特製樹脂と均等に混ぜますね」
エレナは錬金術を発動した。そして樹脂が消えてインゴットの色がちょっと暗くなった。
「あとはちょっとずつミスリルを不安定な活性状態にして、同時に樹脂のパターンを変えます。そうするとミスリルが元の安定状態に戻るのを遅延できます」
ハンマーで叩かれるインゴットは段々光沢が戻っていく。そしてしまいには微かに光っているようになった。
「これで活性化ミスリルインゴットが完成しました。あとは自然冷却して納品箱に入れるんですね。この状態では環境魔力に敏感なので外気に触れる場合は一週間、保存用容器の中では一か月くらいは持ちます」
「貯めておくことはできないね」
「はい、大抵はすぐに加工して完成品にしますから」
これで一本は出来た。納品目標の10本まではあと数時間かかりそうだ。別に緊急依頼じゃないので今日中に完成させるというわけでもない。
「じゃ俺は静かに見ているからエレナは頑張って」
「はい!」
俺はお茶と菓子を持ってきて離れたところで椅子に座った。そして邪魔しないように気配を消して彼女の作業を観察する。視線が胸に行っちゃわないように気を配りながら……。
4本目まではよかったが、5本目を作る時エレナは顔を顰めて手が止まった。
「失敗しました……」
「どうした?」
「過安定ミスリルになりました。これだと元より扱いが難しいです」
「過安定?」
「元の状態より極めて安定した状態になることです。今のは魔力制御に失敗して活性化のコントロールが上手く行かないせいでそうなったんです」
魔力制御か。確かに今ハンマーからの魔力衝撃波に違和感を覚えた。たぶんあれは指定量魔力を送り込むために余った魔力を周りに放出させる仕組みだが、大きかったり小さかったり魔力衝撃波の振れ幅が大きかった。あまりにも不安定な魔力をハンマーも処理しきれなかったか、それともハンマーを制御自体にも問題が……。
「この状態から元に戻せる?」
「出来ますが無数本の縺れた糸を解くようなものです。でも私のような活性化ミスリルくらいで失敗する錬金術師では糸を掴めても解くことはできません……」
自信を無くしたエレナは卑屈になる。元気させる方法が見つからなくてとりあえず宥めるように頭を撫でた。
「失敗を気にするな。改善する方法は俺も一緒に考えるから」
「でもそれだと赤字になります……」
「だから気にするなって。今日は初日だし。出来るだけやろう。ね?」
「……うん」
納得はしないがエレナはこっくりと頷いて作業に戻った。成功と失敗で一喜一憂する彼女をただただ眺めて、どうやったら改善できるか思案していた。
結局納品目標の10本までは制作回数15回かかった。利益率35%の依頼で成功率67%だったからちょっとした赤字になった。終わった頃にはもう午後5時半になって、予定よりちょっと時間がかかった。
エレナは汗かいたせいで横髪が顔に張り付いて、とことなく元気がないように見える。服も所々濡れて透けている。
「ヴィル、ごめんなさい。黒字にできませんでした」
それだけ言って俯いて黙り込んだ。相当思い詰めたようだ。
俺はそれを見かねてエレナの手を引いて一緒に工房から出た。
「……ヴィル?」
「記念すべく初依頼の完遂だ。晩御飯は紅玉亭で食べよう。その前にちゃんと風呂に入って着替えて来てくれ。このままだと風邪引くぞ」
夜風に当たって気分転換になるといいかもしれない。失敗を振り返る必要もあるが、あのまま淀んだ空気一人で思い詰めるよりは新鮮な空気を吸って気持ちを一新した方が絶対いい。
◆
二人で紅玉亭にやってきた。中央商業区の飲食店だけあって夜になると客層がほとんど貴族や商人などのお金持ちになる。まあ、一般人は家族と食事するか家近くの酒場で済むだろう。
二人席に案内され、俺は二人分のステーキコース料理とワインを頼んだ。程なくして前菜が届いた。
「いいんですか。私が食べても」
「俺がいいと言ったんだ。さーさー、乾杯しよう。初依頼完遂おめでとう」
「き、気が早いんですよ!まだちゃんギルドに納品していません!」
「細かいことは気にしない、さー」
突き出したグラスにエレナは苦笑しながらも自分のグラスで軽くぶつけて小さな音を奏でた。
「ありがとうございます。ヴィル」
そして俺たちはそのまま届いてきた料理を楽しむ。エレナの料理を食べる所作は周りのお嬢さんたちにも負けず、好奇の視線を引き付けたりもした。
「表情が柔らかくなったね」
「おかげさまでちょっと楽になりました。実は私、前と比べて錬金術の成功率が上がりましたからもしかしたら黒字になれるかもとつい背伸びしちゃいました」
「そうだね。慌てず着実に成長していくのが一番いい」
「不思議です。ヴィルの言葉を聞くと気持ちが軽くなります」
エレナはとっくに空になった皿を見つめる。俺たちはコース料理最後のデザートを食べ終えた。
「お客様、食後酒は如何ですか?」
「じゃブランデーを」
「かしこまりました」
しばらくすると店員一人がやってきた。コース料理を食べ終わってからちょっと良い時間が経ったから合図も兼ねて店員が食後酒を勧めてきた。俺はもうちょっとこの気分を味わいたいから酒を頼んだ。
そして頼んだブランデーがすぐに食卓に届いてきた。
「エレナも飲む?」
「よかったら私も」
「もちろん、好きなだけ飲んで」
ブランデーをグラスに注ぎ込んで、果実の香りを楽しんで飲む。喉から香りが立ち上り、鼻を刺激する感覚が最高だった。この店はやっぱり期待を裏切らない。いい酒を出してくれる。
つい酒に夢中になってまさかの異変に気付きもしなかった。
「ヴィル……」
「ん?どうした?」
視線を彼女に向けるとそこにいるのはちょっと酔ったような顔だった。そしてその横には中身が大分減ったブランデーの瓶。まさか短時間で飲んだのか。
酒に強いと聞いたがさすがに俺も短時間あの量を飲むと酔ってしまう。酒に強い人間はちゃんと飲む量を誤らないから、ストレス発散にわざと酔うまで飲んだのか。
「エレナ……頑張ったよ。褒めて」
「ああ、よく頑張ったね。よしよし」
頭を撫でてほしいと言わんばかりに前かがみになって、俺はとりあえずそれに応える。そして通りすがりの店員に帰りの馬車の手配を頼んだ。
「でもエレナ、男と酔うまで飲むなんて感心しないぞ。もっと気を付けてほしい」
「ヴィルだけ。エレナ酔うまで飲むのはヴィルだけ。だってヴィルを信じてるもん」
信じてくれるのは嬉しいがストレートに言われるとどんな言葉を返せばいいか分からなくなってしまう。
「それとも……ヴィルに甘えちゃだめ?」
「いや、駄目というわけじゃないが……」
「じゃもっと甘えても?」
「……好きにしろ」
「やった!」
正直反応に困る。これは酔ったフリしてからかっているわけじゃないなら彼女が素直になって甘えているようにとしか見えない。
「エレナ頑張ると、ヴィルは褒めてくれる?」
「もちろんだ。でも頑張りすぎないようにな」
「ふふ、うれしい」
実家の環境で家族愛が足りなくて溜まっているかもしれないな……。
「ほら、家に帰るぞ」
「はい~ お家帰ろ」
馬車到着の合図を受けて俺はエレナを支えながら店を出た。そしてその小柄な体を抱えて馬車に入る。
「ヴィル~ えへへ」
眠そうな目で微笑みをかけてくれて、俺もつい口元が緩む。
そして馬車が動き出し、揺られてウトウトし始めたエレナの頭が馬車の内壁にぶつからないように肩を預けた。
「スー……スー……」
「気持ちよさそうに寝て」
この様子だといい気分転換になったかな。
……俺は振り回されたのに。でもまあ、悪い気はしない。むしろこの高揚感は心地よいと思っている。
「俺も酔ったかも」
賑わっている街の様子を窓を通して眺めて、俺は馬車に揺れられながら余韻に浸ったのだった。
そして翌日エレナが全部覚えて恥ずかしがってなかなか部屋から出てくれないのはまた別の話……。
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