Side 01 束の間の休息

 ソラリス王国に来てから数日。最初はいろいろあったけどもうここでの生活は大分落ち着いてきた。


 貴族相手に自分の希望を通すから使用人以下の扱い、夜に寝室に呼び出されるなどを覚悟したけど、まったくそんなことはなかった。


「ふぅ、勉強は一旦休憩して」


 それどころか、広い部屋とふかふかしたベッドを与えられたり、暖かい食事を同じ食卓で取ったり、こうして書斎を自由に使ったり、丁重な扱いを受けている。


 最初は戸惑って気持ちが迷走してあの夜ヴィルに迷惑を掛けちゃったけど……。


「あうぅ」


 恥ずかしいことを思い出して顔が熱くなると感じる。


 あれはヴィルと出会った初日の夜のこと——


 ……


 ヴィルが取り戻してくれたアクセサリーボックスを開けて、大事にしている宝物を眺めていた。


 誕生日に贈ってもらったもの、錬金術師学校に合格した記念に贈ってもらったものなど。お母様との楽しい思い出が詰まっている箱。


 そして売ってしまったものとそれに紐づいた記憶を思い出して、込み上げる悔しさと悲しみに耐えられず泣いてしまった。


「俺は疲れたからもう風呂に入るわ。すまないが後でテーブルを片付けてくれる?」

「は、はい。任せてください」


 みっともないところを見せてしまった私に気を遣ってくれたのだろうか。ヴィルは私を一人にしてくれた。


 ——ダメ……、まだちゃんとお礼を言ってない。


「あ、あの……ヴィル……」

「ん?どうした?」

「……ありがとうございます」


 お礼は言ったがまだ足りないと思い、例のことを提案しようとしたが、感情がごった煮になって切り出せなかった。


「また何か困ったら言ってくれるといいぞ」

「はい」


 ヴィルは気遣いの言葉を残して食堂を後にした。私のために奔走していたようだから疲れたのは本当だったよね。


 食器を片付けて自室に戻った。そして机の上にアクセサリーボックスを大事に置いた。


 鍵穴一つない小箱は、表面に魔力を込めて図形を書かないと開錠できない魔道具だった。保護材質もあり特殊溶剤で魔法ロックを溶かすのに時間がかかる。いずれ私も作れるようになりたい素晴らしい魔道具なのだ。


 それでも箱ごと盗まれたら一生手元に戻らないかもしれないから私もその覚悟でいた。


 だからまさか本当に取り戻せたと知った瞬間胸がいっぱいになった。


 箱の中にはお母様の形見も入っている。お婆様とお母様の結婚式の時に身に着けていたペンダントだった。


 お母様がお婆様から受け継いで、そして私に託した物。


『エレナが素敵な相手を見つけたら、結婚式はこれをつけてくださいね』


 ユトリテリアでは絶対無理だった。穢れた血を持つかもしれないって縁談の話がいつもすぐ破談になって、父を失望させた。


 でも、この国なら……。


「また借りが出来ちゃった」


 与えられるばっかりじゃダメ。商人の家に生まれたから分かっている。取引で代価を払わなければ結局別の形で払うことになる。


 無事この国に来られて、ヴィルと出会えて、大事にしているアクセサリーボックスが盗まれるのはこの幸運の代価と思っていたが手元に戻った。


 そう考えると俄然不安になった。また人生が崩れ落ちるじゃないかって。この幸運が幻のように、指の隙間から零れる砂のように消えちゃうじゃないかって。


 このチャンスを確かなものにするために、行動に移さなきゃならないと思った。


 そのための買い物を紙袋から取り出した。布二枚重なっても透けて見える薄地で銀白色の寝間着。


『夜の営みで男が喜ぶ服か。相手のイメージに合わせた服で身を包むとイチコロだよ。それを教えてくれれば何着か見繕ってあげる』

『イメージは……光沢のない銀——灰色です』


 昼間に良さそうな女性物の服屋を見つけて、店長さんに意見を求めたらおすすめしてくれたものだ。


 大胆な服だけど、女の魅力がない自分にはうってつけかもしれない。馬子にも衣装なのだから。


 そうと決まったらお風呂に入り、着替えて隣の部屋を訪れることにした。


「ヴィル、いいですか」

「ああ、入っていいぞ。鍵がかかってない」


 私を警戒する必要がないからか本当に鍵がかかっていなかった。


「どうしたの?何か困ったことでも——」


 満月の逆光でヴィルの顔がよく見えなかったけど、月明りを反射する髪はいつもの灰色ではなく輝く銀色に見えた。


「もしかして……酔った?」

「違いますってば、もう子供じゃありませんし」

「それもそうだ」


 ——もしかして顔が赤いから?でも子供じゃないしあれくらいのワインで酔わないよ!

 とそう思っていたけどもしかしたらお風呂入った直後だったからかもしれない。


 凝視されると感じていた。服の効果が出たかもと思って嬉しかったけど、同時に恥ずかしさのあまり体を縮めた。


 気まずい沈黙がどれだけ続いたか。先に口を開いたのはヴィルだった。


「ど、どうしたの?相談事?」

「そうじゃないのですが……こ、この服はどうですか。お気に召しましたか」


 服をアピールしなきゃと思って裾を摘んで見せた。店長さんのおすすめだしきっと気に入ってくれると思った。


「きれい……だと思う。でもなぜ?」


 しかし褒め言葉は想像より短かった。そのせいで若干焦っていった。


 そして私はヴィルに莫大な恩があるから自分の体を代価として払いたいと伝えた。


「ですから……受け取ってもらえませんか」

「エレナ、こっちおいで」

「……うん」


 そこまで言ったからヴィルも察していた。そして私はベッドに招かれて、指示通り横になった。


「こういうのはまったく分かりませんので、あの……リードしてくださると……うれしいです」


 ——怖い。この先何も知らない。


 誘っておいて怖気づいてしまった。今までにない早さで心臓がバクバクした。


「あぅ……」


 肩を抱かれて体がビクッと驚いたけどもう覚悟は出来ていた。


「慣れないことを無理してやらなくていいから」


 だが、その後は抱き寄せられて頭を撫でられただけだった。

 なんとなくホッとした。実は心のどこかでこれはいけないと考えていたかもしれない。


「……やっぱり私には魅力が足りないのです?ヴィルには子供に見えます?」


 それなのに、込み上げてくる焦燥を抑えきれずそんなことを言ってしまった。


「そんなことはない」


 ヴィルは優しい顔で諭してくれた。私の焦りを見抜いて、急がなくてもいい、これからのことをゆっくり考えてほしいと言ってくれた。


 あれほど悩んだのに、不思議なことに彼の言葉で不安があっさり解けた。


 頼もしい腕の中ではまるで煩悩から守られるように包まれて安心感を覚えて、頭を撫でる手のひらから優しさが伝わってきて。


 心が温かい気持ちでいっぱいになり、涙が溢れていった。


 そしてヴィルは私の人生に後悔を残してほしくないと言ってくれた。どうやら彼の人生には大きいな後悔があったが、詳細を話してくれなかった。


「後悔するようなことはしないでほしい。エレナにはなるべく後悔の念がないように生きてほしい。笑ってほしい」


 でも謎の確信があるのだ。彼になら純潔を捧げてもいいって。


「ヴィルなら後悔しないです……」


 追い出されたからずっと張り詰めていた神経が緩んだのか、少し前からウトウトしていたけどついに眠気に負けた。


 そして私はそのまま朝まで寝ていた——のではなく程なくして覚めてしまった。変な夢を見たせいで……。


「うぅ……、エッチな夢見ちゃった……」


 夢のヴィルは現実と違って凄く積極的だった。


「き、きっと昔変な小説読んだせいで……」


 苦しい言い訳をしても、夢で見たのはつまり内心のどこかでそんなことを期待して、想像していた。


「~~~うぅううっ!」


 恥ずかしすぎて上体を起こし、頭を抱えた。


「あれ?」


 そして不意に、とある光景が目に入った。その……毛布の上でも分かる隆起が……。


「これって……、こ、興奮してくれた証なんだね」


 ヴィルはちゃんと私のことを女として見て、興奮してくれた。それだけでも少し自信を取り戻せた。


 しかも、私に後悔させたくないからか、欲望に抗って我慢してくれた。自分のことを大事にしてくれると実感して嬉しくてたまらなかった。


 私でも自分が面倒な女だと思った。誘っておいてそれで嬉しく思うなんて。


「こんなに大事にされると、貴方の優しさにもっと甘えたくなるんじゃないですか」


 許されるならもっと甘えたい。そんな子供じみた思いがよぎった。


「嫌ならごめんなさい。ちょっと失礼します」


 やりきれない気持ちをどうにかしたくて、彼の頬に口付けを落とした。初めてお母様以外の人にした。私の心臓がはちきれそうになっていた。


「……寝直そう」


 自分の部屋に戻ってもよかったけど、私はそのまま元の姿勢に戻って目を閉じた。


 彼の隣が心地よくて、私はその安心感を手放したくなくて。


 そして今度こそ朝まで眠っていた。


 ……


「結局あの夜は私が気持ち暴走してヴィルに迷惑をかけたことになっちゃった……。思い出しただけで恥ずかしい。穴があったら入りたい!」


 翌朝に探りを入れたけど、ヴィルはちょっと狼狽えて露骨に話題を変えた。彼も彼で恥ずかしくて水に流したかったかも。


「それにしても、ヴィルが後悔していること。ちょっと気になるな」


 どんなものを抱えているか気になるが今はまだそれに触れることが許されない関係だと思う。


「ちょっと休憩のつもりだったけど逆に気が散ったかも。勉強再開しよ」


 ソラリスのことを詳しく知るためにいくつか本を買ってもらった。そして次読む本は——


「『ソラリス王国の武器資格』か。気になること載っているかも」


 専門の本ではなく、どちらかと言うと子供向けで絵と図が多めの本だった。


 ソラリスの武器資格はアデプト、エキスパートとマスター級がある。武器を扱う技術の他に、体術や魔法を織り込んだ技も評価点となる。


「へえ、実用主義なんだね」


 ユトリテリアも武闘大会あるのだが、身体強化を含めて魔法禁止されてスポーツみたいなものだった。


 それに対してソラリスの武器資格は実戦においての強さを反映している。


「マスター格の人はエキスパート8人くらいと渡り合えると。え!?ヴィルすごい」


 この前、ヴィルを待っている間『紅玉亭』の店長さんから聞いたけど、ヴィルは剣術を認められて騎士団にスカウトされて辺境から王都に来た。そして騎士団に入って間もなくソードマスターの資格を取ったと。


 ちなみに王都に来た時はクールで無愛想で近寄りがたかったらしくて今の彼からはとても想像できない。


 本のページをめくる。各武器の資格保有者の概数、そして有名なマスター級人物が紹介されている。意外なことに、ソードマスターの有名人としてヴィルのことは載っていない。自分のことじゃないのになぜかちょっと悔しい。


「次は特殊資格について。お、ヴィルのことが載っている!」


 ウェポンマスターとは、五つ以上のマスター資格を所持すると取得する資格なのである。様々な視点で武器を見ている彼らは教官として重宝されている。なお、実戦では複数の武器種を駆使し、総合的にマスター上位格より勝る場合がある。


 ウェポンマスターの中で一番有名なのはヴィルヘルム。彼は武器召喚を使い、様々な武器であらゆる状況に対応できる。目まぐるしく変化する戦闘スタイルで相手を翻弄し、圧倒する彼は【七変化】の異名を持つようになった。一対一で彼に勝る人はセイント級のみでしょう。


 と本に書いてある。


「若くしてウェポンマスターになったと店長さんから聞いたけど、この本を読んだらその凄さを実感できたよね」


 本の続きにセイント級について記してある。マスター級資格者が一定数以上に存在する場合、セイント選抜が行われる。直近セイント級に選ばれたのが第一王子——


 頭はヴィルのことでいっぱいでなかなか本の内容が入ってこない。


「知れば知るほど彼の隣に並べる難易度が高いと思い知った」


 いつぞや思った。彼に釣り合う人になりたいって、隣に並べても恥ずかしくないようにって。


「髪飾りを貰ってから?」


 お気に入りの髪飾りをそっと触れる。


 髪色と左目に合う色合い、そして可愛らしい花モチーフ。ヴィルが私のためにわざわざ選んでくれた。


 それに目を隠してほしくないって珍しく私に要望を言ってくれた。私も何かしてあげられることが出来て嬉しかった。


 髪飾りを外して机の上に置く。きれいな藍晶石が神秘な光を放っているように見える。


「この金属は特殊な銀合金だとなんとなく分かったけど、藍晶石の効果までは分からないなあ」


 藍晶石から何らかの力を感じた。


 立派な錬金術師ならマナ特徴でいろいろ鑑定できるのに、私は魔力制御が苦手だから出来ない場合が多い。しかも魔力制御は錬金術にも影響するから苦労してきた。


「そういえばヴィルの知り合いに天才魔導士さんがいるよね……」


 クリスティーナ・レーマンという女性は私と違って魔力量も制御能力も飛びぬけていて、性格もいいらしい。


 劣等感からか最初それを聞いた時はすごくもやもやしていた。でも王子様の恋人だと分かった途端ほっとした。なぜだろう?身近な存在じゃないと分かったからかな?


 たぶんその時から密かにヴィルに見合う人になりたいと決めた。そのためにもゴールドランク錬金術師にならなければならない。


 髪飾りを大事に胸に抱える。


「おかげでいろいろ第一歩を踏み出せた」


 左目のことと向き合うことが出来た。外にいる時は好奇な視線を感じるが嫌悪な視線はなかった。目を隠す行為が昔の感情と紐づいたか、今はもう隠さない方が落ち着く。


 それにちっぽけなことだけど、甘えるばっかりじゃなくて初めて喜ばせることができた。


「えへへ」


 そう考えると嬉しくて思わず笑っちゃった。


「よし!次は地理の本でも——」


 意気込んで次の本を読もうとする時。


 ドンドンッとドアがノックされる音がした。

「ひゃい!」


 予想外のことにびっくりしちゃった。


「エレナ、ずっと書斎にいて何も飲んでないじゃないか。オレンジジュースとクッキーを用意するから居間に来てくれ」

「わ、分かりました!」


 ヴィルの気遣いに甘えることにした。


「その前に……」


 手早く髪飾りを付け直した。彼の前では付けていたいから。


 居間に入るとすぐテーブルの上ある皿に並べられた上品そうなクッキーが目に入った。わざわざ買ってくれたものだと思う。


「美味しそうです!あれ、でもコップは一つしかありませんよ?」


 オレンジジュースが入っている水差しとコップ一つしかない。


「俺は腹減ってないからいいんだ。それよりエレナの方は頭を使ったから栄養を取った方がいい」

「私一人で食べるのはなんだか申し訳なくて、よかったら一緒に食べませんか。その方が楽しいですし」

「そうか……じゃ俺も少し食べようか」


 ヴィルはコップを取ってきて、一緒にティータイムを楽しむ。


 チラっと彼の横顔を窺う。そこには穏やかで優しい表情だった。無理をしていない。彼もこの時間を楽しんでいると思う。


「エレナはどんな本を読んでいた?やっぱり錬金術に関係するものか」

「いえ、今日はソラリスについていろいろ読みました」

「へー、エレナは勉強熱心なんだね」


 ヴィルは嬉しそうに微笑んで私の頭を撫でてくれた。


 優しい手付きに心地よい脱力感を感じながらも私は毅然とした態度で——


「えへへへっ」


 ——じゃなく、だらしない笑いを漏らした。


 そういえば今日は右手じゃなくて左手だね、と思ったら右手はクッキー取っていたからか。細かいことまで気を遣えるのはヴィルらしいと思う。


「私、頑張ってゴールドランクになりますよ」

「どうした?改まって」

「な、なんとなく?」


 隣に並べられるように立派になりたいなんて面と向かって言える訳がない!それでも頑張りたい意思はちゃんと伝えたくて。


「ん?」

「どうしました?」


 ヴィルは窓の外、門の方向に視線を向けた。


「エレナが発注したものが届いたようだ」

「っ!私、工房の準備をしてきます」

「ちょ、エレナ。もう午後4時半だし今日はやめた方がいい」

「でもでも!」


 一日でも早くゴールドランクになりたい。そのために早く依頼を受けられるように準備を整えなきゃ。


「ここら辺の貴族は5時くらいに帰宅するから、工房で騒音を出したら近所迷惑になるぞ。朝なら文句言われない」


 あ、そうだ。工房区画ならともかくここは貴族住宅街だった。


「逸る気持ちは分かるが、もう少し我慢してくれ。今日は晩御飯を食べたら早く寝よ?」

「はいー、分かりました!」


 ちょっとお預けを食らったけど待ちに待った新生活がいよいよ始まろうとした。この先どんな困難が待ち受けているのか分からないけど、立派な錬金術師になるために乗り越えてみせるから!

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