金陽と銀月の契り～元騎士が錬金術師を拾ったことで始まる物語～

焦る彼女の誘惑と健全な関係

✿

「大丈夫、俺が何とかする」

「ヴィル？」

　頭を上げ、ぼやけた視界でヴィルの顔を捉えた。

「ちょっと探してみる。エレナはここで昼ごはんを食べて、夕食の材料、服や日用品を買ったら先に屋敷に戻ってくれ」

　彼は頼もしい微笑みを見せて財布と鍵を渡してくれた。

　そして店長らしい人物に話しかけて店から出て行った。

「あ、行っちゃいました……」

　まだ契約もしていないから、私の不手際で仕事道具を無くしていて見限られてもおかしくないのに。新しいものを買ってくれると言った。

　しかも、仕事に関係ない物まで関心を持ってくれて、探しに行ってくれる。

　ヴィルは本当に優しい方なのだね。

　私だってもうとっくに大人だから今の状況に付け込まれてひどい要求飲まされることだって予想はした。

「本当に優しい人」

　ハンカチを見つめながらそう思った。そして微かに残る今日初めて知った匂いに安心感を覚えてしまった。

「嬢ちゃん、何を食べるかい？」

　考え事しているとヴィルが話しかけた女性が注文を受けに来た。たぶんこの店の店長さん。

「えっと……この店は初めてなので」

「それなら今日のおすすめはラザニアだよ」

「じゃそれで……」

「あいよ」

　注文を終えたら程なくしてラザニアを盛った皿がテーブルに並べられた。香辛料とチーズの香りが立ち上って食欲がそそられた。

「ゆっくりお食べ」

「ありがとうございます」

　考えてみれば、暖かい食事っていつ以来なのかな？

　これはとても楽しみ！

「ヴィルもひどいことしたね。こんな可愛い子とデートする途中どっかにいっちゃうのさ。あの子は不器用だから許してあげてね」

　店長さんは皿と食器を並べ終えると、ヴィルのフォローを入れた。でもヴィルは全然悪くないのに……？

「い、いえ。デートではありませんしヴィルは私のために——」

「ふふっ」

　あれ？もしかして——

「も、もしかしてからかわれました……？」

「ちょっとした冗談だよ。でもヴィルがあんな顔で楽しみにして待っていたから最初はてっきりデートだと思ってたわ。昔は表情読めない顔だったのにねぇ。感慨深いわ」

　店長さんが懐かしそうに語った。今のヴィルは昔と随分と違うらしい。

「昔のヴィルって——」

「店長、すいません！」

「あいよ。今いく」

　呼ばれた店長はそのまま店の奥に戻り、私は気になることを聞きそびれた。

　食べ物に失礼しないように熱いうちにいただく。一口食べるだけ幸せが広がっていく。

　ホカホカのラザニアはとてもおいしくて、あっという間に平らげてしまった。上質なチーズと香辛料が使われていてお値段も普通なラザニアより高かった。

「こんなにおいしいものいただいていいのでしょうか……」

　店を後にし、私は買い物に商店街を訪れた。

　頭はまだ今日のことでいっぱいで、なかなか集中できない。

　一か月ほど前、私は危険を冒してまでソラリス王国を目指すと決断した。幸い途中は運に恵まれてひどい目に遭わず無事この国にたどり着いた。

　でも……かなり焦ったの。換金できるものを全部売っても数か月しか持たなかった。

　だから藁にもすがるつもりで貴族達に声を掛けた。推薦書を持っていない私は後ろ盾がないと錬金術師として依頼や仕事すら受けられないから……。

　門を叩いて、話しかけて、見向きもされずまた繰り返す。

　まさか通報されて二日目に衛兵に捕まると思わなかった。ちょうどあの時現れたヴィルを最後のチャンスと思い、はしたないと思いながらも殿方に抱きついてしまった。

　あの時の光景はまだ鮮明に思い出せる。

　灰色の髪と目、私を見下ろす戸惑い気味で穏やかな顔。

　——『可愛いピンクトパーズとキラキラなアウルムだったね』

　そしてそうやって褒められた……。

　無駄にカラフルと言われる私と何一つ色のない彼。それぞれ目に映る世界はむしろ身に宿す色と真逆。

　それだけじゃない。

　灰色の瞳の奥には強い意志を感じ取れた。まるで灰燼のように暖かく燃え続けて、ふとした拍子に燃え盛る炎にもなるような意志。

　だから頼もしさを感じたのかな……？男性はおろか、お父さんにすら感じたことのない頼もしさを。

　き、きっとそのせいで助けてくれると聞いた時また思わず抱きついてしまった。

「今も私を助けようと動き回っている」

　この国に来てからヴィルに助けてもらってばっかり。彼との出会いにすべての運気を使い果たした気分だ。

「……」

　大事な物を盗まれたのはやはり罰当たりなのかな。私は何かをしてもらっていい人間じゃないから……。

　まるで同意するかのように左目がビクッとした。

　恩返ししなきゃ。代価を払わなきゃ。でも今の私はどうすれば——

　そう思って逡巡していると、とある店のショーウインドーが目に留まった。ちょっと迷ったけど結局私は腹をくくって店に踏み入れた。

◆

　エレナのものを無事奪還して王都に戻った時はすでに太陽が沈み始める頃だった。随分と時間がかかってしまった。

　まだ昼ご飯食ってなかったからか少し疲労感を感じる。

　考えてみれば浅慮な行動をしたかもしれない。もし何の情報も掴めなかったら俺はどうするつもりだったのだろう。

　今回ばっかりは奇跡と言っていいほど順調だった。

「さすがにエレナはもう買い物を済ませて屋敷に帰ったんだろうか」

　もうこんなに時間が経ったし寄り道せず、直接屋敷に戻るとしよう。

「ただいま」

　鍵かかっていない。つまりエレナはもう屋敷に戻っている。

　ひとまず彼女の様子を見に行くのだが、部屋をノックしても返事がないし工房、書斎、温室にもいなかった。

「どこに行ったんだろう」

　頭を捻ると、ふといい匂いが漂ってきた。すると腹が情けなく鳴ってしまった。

「厨房からか」

　その美味しそうな匂いに釣られるように厨房に足を運んだ。

「あ、ヴィル、お帰りなさい。ちょうどいい所に」

　調理台に並べられた料理数点、そしてグツグツと煮ているスープ。昼ご飯食べなかったせいで今すぐ食べてしまいたい。

「エレナが作ってくれたのか」

「はい。お口に合うかは分かりませんが……」

「合わないなんてとんでもない。美味しそうだ」

　普段一人暮らしでパパッと済ませているからパスターの上にソースや肉乗せた料理とか皿一つで簡単なものを食べている。

　こうしてお米とスープもある晩御飯なんて騎士団の頃を思い出して懐かしい気分になる。

「ありがとうな、エレナ」

「い、いえ。私は家事くらい役に立たないと……」

　なんか気負っているような気がする。まだ新しい生活に慣れなくて緊張しているだろうか。

「ヴィルは昼ご飯食べませんでしたよね。早く晩御飯食べましょう。私が料理を運ぶのでヴィルは食堂で待ってください」

「あ、それじゃ俺は食器を準備しとく」

　食器も自分が運ぼうと声が上がるエレナを無視して素早く持って行った。何もかも任せるのは気が気でない。

　そういえばまだ荷物を取り戻せたことを伝えなかったが、それ以上に頭は栄養が欲しい。腹減って喋るのも億劫なくらいにだるい。

「おお！これは！」

　テーブルに並べられた料理を見てテンションが上がってしまった。今まで一人で皿一つと言った感じの食事が、こんなに豊富になるとどうしても嬉しくなる。

「ワインを出さなきゃ！エレナは飲める？」

　そう言いながらワインとグラスをカップボードから出した。国産有名ブランドで当たり年のワインだ。

「はい。簡単に酔わないのでご心配なく。……でもいいんですか。高そうなワインをいただいても」

「いいって、今日は祝いたくなる気分だから」

　これ以上遠慮されまいとさっさとワイングラス二つに赤い液体を注いで、食卓に置いた。

「ふあー、腹減った。もういただこう」

　欠伸をしてしまいながら食事開始の合図をした。今日は久しぶりに動き回ったからか程よい疲労感を感じる。今夜は気持ちよく眠りそうだ。

「いただきます」

　……

　…

　上品なテーブルマナーで食事をし、ワインを飲む時はスワリングして香りを楽しんでから呷る。

　傍から見れば立派に育ったお嬢様そのものだが、第一印象は子供っぽい一面が強かった。

「ヴィル？どうしたんですか。私の顔をジロジロ見て」

「あ、いや……。そういえば言い忘れたことがあったが……ちょっと待ってくれ」

　エレナを観察していたことがバレてつい誤魔化すように話題を変えようとした。

　そして速い足取りで広間に置いてあったものを取って食堂に戻った。

「はい、これを。取り戻せたぞ」

「これはっ……！」

　渡された小箱を大事に胸に抱えるエレナ。

「リュックの中身はほとんどなくて、回収できたのは一部だけだ。ごめん」

「いいえ……いいえ！ヴィルが謝るようなことは何もありません。私の方こそご迷惑をおかけしました」

　そう頭を下げて謝ったが、声が弾んで嬉しさを隠せなかった。

　エレナは小箱を開けて懐かしむような穏やかな顔で眺める。彼女は母君との思い出に耽っているのだろう。そして一筋の涙が頬を伝って流れていった。

「俺は疲れたからもう風呂に入るわ。すまないが後でテーブルを片付けてくれる？」

「は、はい。任せてください」

　彼女の邪魔にならないようさっさとこの場から離れることにした。疲れたのは本当だし早く風呂に入って寝たい。

「あ、あの……ヴィル……」

「ん？どうした？」

「……ありがとうございます」

　まだ何を言いたげに俺を見つめたが、歯切れが悪くて切り出せずにいた。

「また何か困ったら言ってくれるといいぞ」

「はい」

　簡単な返事を貰って俺はそのまま浴場に向かった。

◆

　入浴後、夢見心地を感じながらジルバルドに気になることをあの魔道具の手紙を通じて聞いてみた。今すぐ返事来るわけでもないので明かりを消してベッドに潜る。

　生き続ければ人生は何か起きるか分からないって思い知った。何の変哲もない生活を送ると思っていたけどまさか錬金術師を拾って同居するとは。

　その後、突然のことで慌ただしい日になってしまった。元の予定はギルドに行って登録の手続きをするつもりだったけどね。それと一応契約もしておかないといけない。

　ついでに依頼も受けておこう。錬金術の依頼に使う材料や道具なども……。

「ふあああ、眠くなってきた。頭も回らないし考え事は明日にしよう……」

　そう考えて意識を手放そうとする瞬間だった

　ドンドン。

　遠慮がちにドアをノックする音がした。

「ヴィル、いいですか」

「ああ、入っていいぞ。鍵がかかってない」

　まだ遅くない時間だが、もしかして何かトラブルや問題でもあったのか。

「どうしたの？何か困ったことでも——」

　ドアが開いて、俺は言いかけた言葉を失った。眠気が飛んだのに思考が混乱してしまった。

　それだけそこにある彼女の姿が衝撃的だった。

　月明りを浴びるエレナ。

　彼女の身に纏う銀白色の寝間着は肩と鎖骨を惜しみなく晒し、その服に負けない雪のような肌を露にしてしまう。

　上気した顔に緊張の色が見える。

「もしかして……酔った？」

「違いますってば、もう子供じゃありませんし」

　酔うか酔わないかは年齢と関係ない気がするが、正論を返すことができなくて同意してしまう。

「それもそうだ」

　同意せざるを得ないのだ。

　背が低くて顔が幼く見えるが、エレナは大人だって確信した。確信してしまった。

　寝間着の薄い生地は肌を隠す機能がほぼなく、しかもその下何も着てないから月明りに照らされて体のラインがはっきり分かった。

　大人の女でしかありえない体の丸みについ食い入るように見つめる。

　俺の視線に気づいたのか。エレナは恥ずかしそうに目を逸らし、腕を押さえた。故意ではないと思うがさらにそれを強調してしまった。

　人を魅了する花の妖精。頭にその言葉がよぎるほど魅力的で可憐で美しかった。

　こうして魅力をアピールされたのだ。否が応でもエレナのことを女と意識する。

　どれだけの沈黙が続いたか。俺はようやく口を開くことができた。

「ど、どうしたの？相談事？」

　もうわかってしまったのだ。彼女の意図を。俺はとにかく冷静を取り戻すために時間稼ぎをした。

「そうじゃないのですが……こ、この服はどうですか。お気に召しましたか」

　裾を摘んで服を見せてくれるエレナ。その仕草で俺の意識は再び魅惑的な姿に向けられる。

「きれい……だと思う。でもなぜ？」

　削られていく理性をなんとか繋ぎ止めたが、言葉は短くて単純になってしまった。

「ヴィルには返しきれない恩があります。野垂れ死にならないで済むことも、思い出を守れたことも、全部ヴィルのおかげ。未熟者で役立たない私ですが、せめてこうして代価を払わないといけませんと思いまして……」

　可憐なピンクトパーズの目には確かなる意志と覚悟があった。彼女なりに悩んで出した答えなのだろう。

　合点が行った。エレナは責任感が強くて真面目で不器用だ。だから責任感に苛まれて、そのやるせない気持ちをどうにかしたくてこのような形になってしまった。

「ですから……受け取ってもらえませんか」

　彼女に聞こえないように深呼吸して、やるべきことを決めて実行する。

「エレナ、こっちおいで」

　承諾でも拒絶でもないつもりで返事をした。

「……うん」

　言われる通り彼女が隣に横になった。ベッドがもう一人分の重さで沈んでいくのを感じた。

「こういうのはまったく分かりませんので、あの……リードしてくださると……うれしいです」

　こっち向いて横になっているエレナの首に腕を回して肩に手を置いた。

「あぅ……」

　肩に触れた瞬間エレナはビクッと大きく体を震わせたが、俺はそのまま彼女を抱き寄せて、あやすように頭を撫でる

「慣れないことを無理してやらなくていいから」

「……やっぱり私には魅力が足りないのです？ヴィルには子供に見えます？」

　腕の中上目遣いで尋ねてきたエレナ。前髪は重力に従って金色の目を覗かせた。潤んだオッドアイはなんとも可愛らしい。

　彼女自身の匂いか入浴剤か。花のような香りは今も俺の理性を溶かそうとする。

「そんなことはない」

　魅力が足りない？そんなことまったくない。今も押し倒してしまいたい、メチャクチャにしてしまいたいという本能に理性が最後の砦で抗っているのだ。だがこの気持ちをはっきりと打ち明けることはできない。

　受け入れるのも突き放すのも間違っていると考えた。彼女が求めるのは行為自体じゃなくて安心感だ。だから今、俺にできることは——

「エレナは長い旅で心身ともに疲労困憊したと思う。まずは休んで、落ち着いてから未来のことをゆっくりじっくり考えてほしい。後悔しないようにね」

　頭を撫でられてエレナは顔を俺の胸に埋めた。すると俺の服が湿っぽくなると感じた。

　泣いている……よね。

「人生は選択の連続だ。誰も一度は後悔するような選択をしたんだろう。程度によるが、下手したら一生後悔する選択をしてしまうこともある」

「ヴィルも？」

「ああ、もちろんだ。しかもそれは振り払うことのできない後悔かもしれない。今もたまに『もっとうまくやればよかった』とくだらないことを考えたりする」

　後悔しても仕方がない。亡くなった人は戻らない。分かっているはずも、後悔の念は消えない。こればっかりは時間に任せて色褪せるのを待つしかない。

　だから——

「後悔するようなことはしないでほしい。エレナにはなるべく後悔の念がないように生きてほしい。笑ってほしい」

　もし今欲に流されていたら、きっとこれからも自制できず歯止めが利かなくなると思う。そのような歪んだ関係で、エレナは心から笑うことができないだろう。そして俺は彼女の笑顔を奪った後ろめたさに悩まされ続けるだろう。

　よく考えると偉く言ってしまって結局俺も自分のためにこの選択をしたかもしれない。

「——ないです……」

「ん？何か言った？」

「……」

　穏やかな寝息を立てるエレナ。

　もう寝てしまったらしい。さっき言った通り長い旅で疲労が溜まったのだろう。

　冷静になってベッドの天蓋を見つめる。

　鼻腔をくすぐる香りはもう理性を溶かすものじゃなくて眠りを誘うものになった。

　今朝出会えてよかったと心底思った。この世にはいろんな人がいる。もし俺じゃなくて彼女の弱みに付け込むような人だったら……。

　あの輝かしい笑顔を見てしまったからか。彼女のことを放っておけなくなった。守りたくなった。

「……俺が守らないと」

　そう決意して今度こそ疲労感に負けて意識を手放した。

　……

　…

◆

「――ヴィル」

　ん？これは？俺は寝ているはず。

「お姉さんに任せて……」

　どうしてこうなったか分からないが、なすがままエレナに主導権を握られている。

　お姉さん？エレナのこと？

「ほら……」

　耳元で甘く囁かれて俺は暴発の感覚がして——

　——目が覚めた。

「っは！！はぁ……はぁ……！」

　まずは隣にいるエレナのことを確認した。

「まだ寝ている。ということはあれが夢だったのか」

　念のためベッドも確認したが異常なし。

　……異常が発生したのは俺のズボンだけだった。

「参ったな。やっぱ昨夜は刺激が強すぎたか。えらい夢を見てしまった……」

　あの時よく耐えたな……俺は。

「ん……」

　ベッドからエレナの唸り声が聞こえる。朝の俺には刺激が強い姿なので素早く布団を掛け直してあげた。

「はぁ、健全な関係を目指そうと思ったらこれかよ。先が思いやられる」

　思わず額を押さえて嘆いてしまう。

　エレナが起きる前にさっさと風呂に入って洗濯をしないと。

「……あとは居間でエレナを待とう。寝室に戻るのが気まずい」

　こうして思いもよらない同居生活の二日目が始まったのだった。