何気ない日々と優しい記憶

 わたしは時々、ふと、何処かへ行ってみたくなる時がある。


 行き先は、ほぼ行き当たりばったりで適当に決めて、取り敢えずいつもとは違う別の...いえ、自分にとっての新しい世界観を探して、ふらふら彷徨う。


 そして、その先に思いもよらない出来事が待っていることも少なからずあったりもする。


 例えば...そうね。適当に通りがかった神社へ入ってみたら、突然気を失った後に奇妙な場所は飛ばされて、そこで死んだ筈の友人に会って、紆余曲折を経た末に合計で一週間入院する羽目になる。とか。


 流石にそんな事ってある?信じられない?という事は、それは夢なの?それとも現実?残念、現実。つい先週まで入院していました。夢の御話しはまた今度。


 けれど、人によっては夢へ逃げたいと思う人もいるでしょう。わたしが、この誰もいない静かな講義室に来るまでに、そんな人と一人くらいはすれ違っていたかもしれない。


 けれど、現代においては、おそらくそんな人は居ないことでしょう。だってどちらも変わらない。


 暴走し、人々を永い歴史の中ずっと縛り付けてきた金の絶対性が無くなった。生き方を殆ど自由に決められるこの現代社会において、皆んな人生で自分の納得した壁に当たる事になるから。


 壁に当たっても、逃げても良いし、乗り越えたって良い。もしかしたら別の方法があるかも、探しても良い。


 何か、自分の意地が出るもの。諦められなくて、どうしても妥協出来ないものを時間を掛けて探し、時間を費やす。その末に記憶と経験を得て学ぶ。


 これを、生きる上での至上命題とするのがわたしたちの世界。


 だから、ここはそういった夢に近い。だからどちらも変わらない。


 けれど、わたしにとって、決定的な違いが三つ在って、それは、ありとあらゆる事が穏やかであるという事と、再び戻って来られる世界だという事。そして、ここでの出来事はいつか、忘れてしまう事。


 課題さえ無ければ、この現実と云う世界は本当に穏やかで、この穏やかさがわたしの中で、現実という夢を特別にしてくれる。


 けれど、(やはり似ている)と、感じる要素の方が大半な訳であって。その最たるものが...


 「やあ、君が白神縁子さんか。俺は二年で、美術学科の夕田孝吉。ごめんけど、サークルの立ち上げ申請にメンバーが一人足らなくて...どうしてもうちのサークルに入って欲しいんだぁ。いい?」

 誰もいない講義室の横に並んだ大きな窓から、流れる雲を眺めて想いにふけるわたしへ、自然と講義室は入ってきては、無粋に話しかけてくる誰かさんが一人。


 しかも、困った事に内容に粗が無くて最早完結しているため、状況に対して何も言い返せない強制二択が突然発生している。


 ...やはり、突拍子もないのよね。色々と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「ここで間違いなさそうね...」

 あれから三日が経ち、わたし、白神縁子は現在、この大学において講義室としてはおろか、普段は物置きとしてさえ使われず、滅多に人の出入りがない通称『虚棟』と呼ばれる建物の三階に居る。


 何故『虚棟』と呼ばれるようになったのか。その理由はかつて、ただそこに在るだけの『虚しい棟』だな、と、この大学の誰かが言ったことで、それが謎に大学内で広まって、いつの間にかそう呼ばれるようになったから。らしい。


 この場所は、マップで見ると大学の後ろ、その右端にあるちょっとした日本庭園風の庭の更に右端に存在している。正真正銘、文字通り、この大学の一角を担う建物。


 庭に合わせて昭和チックな外装にしているためか、いつも明かりがついてない様は何だか不気味で、寂しく、そもそも用自体無いし、鍵を持ってないから入れない。今まではそうだった。


 だけれど、今日は鍵が開いている。なぜなら、この建物の三階の一番奥にある部屋は現在、唯一とあるサークルの活動拠点が在るから。


 今、わたしの目の前にある立て看板には、わりと可愛い字で『創作サークル』の文字。


 そう、この度。わたしが入ったサークルの名前であり、今日が初めての活動になる新しいサークルの名前なのである。


 「お、来た来た」


 「こんにちはー」

 看板の手前にある扉を前に押せば、その先では既に二人の人物がわたしを待っていた。


 わたしの視界の左端に位置した壇上で、ボードに文字を書いている彼は、三日前にわたしの元へと現れた、あの彼だ。メガネをかけたチリチリ髪の爽やかな顔をした男性。メガネのふちが緑色だからか、やけに覚え易い顔をしている。


 彼の名前は夕田孝吉。何故か三日前と同じで赤いネクタイをビシッと決め、ほうじ茶と同じ色合いのスーツ姿。上着の下には紺色のセーターを着込んでいる様子。


 彼が今から自身は教員だと言い張っても、わたしは何も不自然には思わない事でしょう。ほんとに個性の出し方が一部の教授職と似ている。


 まあ、サークルに入る手続きをした時に、ちゃんと生徒だという事は確認しているのだけれど。


 あと、初めて見る顔がもう一人。


 ストレートな長髪で、耳を縦に囲むよう長い横髪を後ろ手に結び、輪を作った髪型をしているコートを着た優しげな女性が、ドアを開けてすぐ、右手の席に座っていた。


 見る限り、以上わたしを含めたこの三人しか集まっていないこの部屋は、かつての講義室らしく、最前中央にある壇上を、囲むように眺める仕組みの高低差がある、古めかしく、広い木造の講義室。


 この人数では確実に持て余す空間だ。少しそわそわするなぁ。


 そう思っていると、


 「座ります?」

コートの女性が横の席へ移動し、先程まで自身が座っていた席をわたしに譲ってくれた。


「ああ、これはどうも」

もちろん、わたしは譲られた席へと座る。そのタイミングで、壇上の夕田孝吉さんは何かを書き終えたのか、ボードの正面でうんうんと、頷いた後、わたし達の方ヘボードを向けた。


 ボードには太く、堅実な文字で『自己紹介!』その下に『創作様式決定!』と、書かれている。


 そして、夕田さんは快活な声のトーンで司会を始めた。


 「では、本日! 我等が『創作サークル』は条件である『メンバーが三人集まった事』で! 晴れて! 活動開始と相まみえました! パチパチパチー」


 「パチパチパチー」


 「パチパチパチー」

 (この絶妙な空気感...けれど、まぁ、良いでしょう。まず初めに空気を読むのは基本よね)


 そんな空気をものともせず、彼は続ける。


 「皆さん、ありがとうございます。では先ず自己紹介から。お二人も既にご存知の通り、私は美術学科に在籍している二年、夕田孝吉と言います。よろしく! さて...次はどちらが...」

 やたら司会のテンションが高い創作サークル活動一発目。これが彼の素なのか...と、わたしが面白おかしく無駄にそう勘繰る最中、司会の声に、まず先に反応したのは勿論...


 「私からいいですか?」

 小さくて、優しい声をした、わたしの隣に座る彼女だった。けれど、その問いかけは、司会ではなく、わたしへ向けられたもの。だから、


 「ええ、どうぞ」

 わたしは彼女に合わせ、丁寧な優しい口調で彼女へ順番を譲った。


 「では、始めます」

 彼女はそう語った後、自身の心を落ち着けるように一度、深呼吸をする。そして、


 「私は、文学科二年の日乃映花です。宜しくお願いします」

 再び深めの息を吸い、それを放出するように勢いを付けて自己紹介をやり切った。やり切った直後の彼女は、思わずか、目を瞑ってしまっている。


 「宜しく!」


 「宜しくね」

 あんな様子を見ていたら...恐らく日乃映花さん、彼女はかなりの恥ずかしがり屋なのだろう事は容易に想像できる。もしくは、極度に自信が無いという線もあるけれど...ともかく、そんな彼女に変な気を使わせない為にも、わたし達は気軽を意識して言葉を返した。


 「そうだなぁ、あと...白神さん。どうぞ」


 「ああ、ええ、じゃあ。白神縁子。心理学科二年生です。改めて宜しくね」

 しれっと先に一部言われてしまったとはいえ、前者二人に倣って簡潔に紹介を終えたわたし。


 「宜しくおねがいします」


 「改めて宜しく! さて、全員自己紹介を終えたから、続いてのコーナーに移ろうか!」

 先程よりも声を張り上げる司会は、ボードに書かれた『創作様式決定!』の文字を指差し、興奮気味に説明を始めた。


 「続いては、この『創作様式決定!』てのだけど、文字通り皆さんが、この創作サークルでの活動として作る『創作の形』を各々決定してもらいます!」


 「「創作の形?」」


 「そうそう。例えば、絵とか小説とか漫画とか。何かの設計図なんてものでも良い。自分の理想、内側にある世界! 形なきものを形にしよう! っていうのがこの創作サークルだからね」


 「う、ううぅ」


 「?」


 「ちなみに俺は風景画をひたすら描くつもりだよ。創作物に題名でもあれば、更に良いかもしれないなぁ。まぁ、所感だけど」

 成る程、そう云う事なら真剣に考えましょうか。押し負けた末の善意とはいえ、この『創作サークル』に入る事はわたし自身が自分の意思で決めた事。


 わたしはどうも、手掛けるもの、目の前に置いたものは軽く見る事が出来ないタチだから。


 ...けれど、よく考えたら真剣に考えるまでもない答えをわたしは既に持っていた。


 普段、忙しくわたしの人生を何かと翻弄しているアレを、面白おかしく出来たなら。一つ、趣味として、更に利用出来たなら......


 これは、何かの、星の巡りがそうさせた運命だったのかも知れない。


 「そうね、わたしは...夢日記でも書くとしましょうか。面白おかしく。題名をつけるなら...『夢境録』で、良いかしら」


 「おお、いいね! そんな感じ。すごく良いと思うよ!」

 決まりだな、と、ひとつ。人生に彩りが追加された事で、久しぶりに心の底から生きる気力が湧いて出た、その直後の事だった。


 腕に巻きつけている、腕時計から時計部分だけを取り除いたような形の文明の利器に、僅かな振動が走った。


 ...わたしがその利器に触れると、わたしの周りには青い文字列が展開される。


 内容をチラッと見る限り、どうやら教授からのメールで、『夢』に関わる論文を書いている他の大学から来た生徒が居るようだ。


 一体どう言う事かって?今すぐこちらへ来いという事ね。


 「突然で悪いけれど呼び出しくらったから、わたしはこれで」

 わたしは重い腰を上げ、席を外す。


 「オッケー、かなりゆるゆるのサークルだから、これからは好きなタイミングで来ていいよ」


 「了解。ああ、あと、映花さんだっけ。大丈夫? 頭抱えて呻いていたけれど」


 「ああ、うん。ありがとう。平気平気」

 必要な会話の後、ついしてしまった不要かも知れないお節介に、映花さんは少し焦りながら言葉を返した。


 ついつい口に出してしまったとは言え、何だか申し訳なく思えてくる。わたしもまだまだ甘いのね、もう少し、よく考えて口に出しましょうか。


 「よく分からないけれど、無理はしない方が良いわよ。それじゃあ、また」


 「うん、またね」

 白い女性は一度手を振り、悠長にこの古くて広い講義室を後にした。


 「メール浮かしたまんま出てったな...あ、無理して入ってもらったから、白神さんにお礼言っておきたかったんだけど、忘れてた」

 

 「そうだね」


 「...どう? 日乃さんは、白神さんとは友達になれそう?」


 「どうだろう、やっぱり自信がなくて...今の私は、自分からだと話しの話題を振るのも難しい感じだから。優しい人だと感じたけど、自分の事もまともに決められない現状だと、友達まで...やっぱり、厳しい......のかな」


 「成る程ね。でも、まあ、最初の一歩が一番苦しいけど、もう終わった事だし。既に自然な形で、白神さんは日乃さんを知っている状態だ。苦しくても、一番勇気が必要な場所は越えた。最後の一押し、その殻を破る時が今、来ているのかも知れないよ?」


 「...そうするとしても、どうしよう...」


 「どうするのがいい...か。そうだよね...。良い方法は...ああ、そうだ。あの手があるよな」


 「?」


 「何処か、お出掛けとかに誘ってみるのはどう? 俺も昔よく使った手なんだけど。絶対に何か、日乃さんにとっての良いきっかけになると思うよ。日乃さんも優しいから、きっと上手くいくさ」


 「なんか、いきなりハードルが高いかなぁ.........でも、少し、時間が必要になると思うけど。頑張って、みようかな」


 


 



 


 


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