第445話
住む場所がないなら、河を渡れ。
そんな噂が流れ出したのは、エルフェン帝国の宰相エリザが知らない格差意識が大陸には潜んでいたからだ。
エリザが、特別待遇の聖女様で、王宮暮らしだから知らなかったというわけではなく、生きているために必要な毎日の食費が不足していたり、住居が確保できないほど困窮する者が、エルフェン帝国建国の時代には、すでにいなかったからである。
帝都や宿場街、領主がいる農場の村には、稼ぎを失った者を受け入れる雰囲気や制度が無い。
冒険者は定住して暮らすというよりもダンジョンで荒稼ぎして、他の職業の者たちより比較的、人間関係に縛られずに自由に暮らすことをそれなりに楽しんでいた。
冒険者パーティーを組むのは、危険なダンジョンで無駄に命を落とすのを避けるのが目的で、一人で探索に挑むのは、命知らずの度胸がある英雄ではなく、よっぽど人間嫌いで効率を考えられない奴だと軽蔑される傾向があった。
馴染めずに一人でダンジョンをうろうろしていれば、たしかに何度かは生還できる。しかし、しばらくすると姿を消して見かけなくなる。
本当に命がけで危険な職業だった。
勝手気ままに一人で自由を満喫できる甘いものではなかった。
賢者マキシミリアンは、ダンジョン探索が神聖教団の推進で普及していなければ、大陸の居住者の総数は十倍以上は確実に増えていただろうと、エリザに語っていた。
居住地と農地には限りがある。しかし時には農作業の人手不足に悩まされている村の現状がある。
それだけ多くの犠牲者がダンジョン探索によって発生し続け、協調性や人間関係を維持するコミュニケーション能力が低い者は、淘汰されてしまっていたのである。
神聖教団の回復ポーションの使用や、魔法効果を付与した武器や防具の研究開発を商工ギルドが行い商品化されていなければ、もっと深刻な被害が出ていたというのは、賢者マキシミリアンもエリザと意見が一致している。
ダンジョン探索が行えない人の命を優先した環境の実現。それが達成されたことは、エリザやダンジョン探索をする必要がない生活をしていたトービス男爵とっても、素晴らしいことに思えた。
生活の糧であるダンジョン探索という産業が、神聖教団や商工ギルドの売上を支えていた部分に対して、マキシミリアンやエリザは対応することになった。
しかし、本当に深刻だったのは、ダンジョン探索が協調性の低い者やコミュニケーション能力が低い者が淘汰されなくなったことにあった。
命がけの職業のために、協調性やコミュニケーション能力を、それぞれ意識して発揮しなければならなかった。
農場の村暮らしの村人たちや商売人の協調性やコミュニケーション能力は、かなり優秀だった。
それが格差として、冒険者の犠牲者が減少したことで露呈したといえる。
冒険者の中にはリカクやカクシィのように、ダンジョン探索に使用していた武器や防具を、スカベたちが無知であることにつけ込み悪用した者がいた。
回復ポーションは、信者たちを確保するための有効な手段で、冒険者向けに配布したことの方がおまけであり、スカベたちに配布する方が、開発後に配布したときのコンセプトに近い。
冒険者たちはダンジョンで命を落とすかもしれないというストレスから解放された途端に、連携が乱れて、冒険者たちの間で金銭トラブルを引き起こしたり、他の業種への参入をそれまで裕福だったこともありためらった者たちから、連携がうまくできずに孤立していった。
農場の村人たちは、人手不足を冒険者ギルドに依頼することで、一度は出て行った者たちを受け入れようとしていた。
帝都や宿場街の住民たちは、困窮していく者たちに対して石を投げて追い出したわけではない。
ただ、冒険者らしくない仕事をして生活費を確保するチャンスを無視して、手持ちの所持金が底をつくギリギリまで自分を追い込んでいった。
まだそこまで困窮していない、落ちぶれていないと冒険者たちは考えていた。
やがて、大河を渡った先のダンジョンは閉鎖されていない……という嘘の噂が流れ始めた。
渡った先に待っていたのは、荒廃した廃墟に暮らし、狩猟生活しているスカベたちの生活だった。
冒険者たちの、再び裕福な生活へ戻る一攫千金の期待は打ち崩されることになった。
ダンジョン閉鎖で、冒険者たちの信頼や連携感が失われていくのを感じた冒険者ルードは、冒険者としての生活に疑問を抱いた。
他の大河バールを渡って絶望した冒険者たちが、スカベたちを仕切りギャング化していく状況の中で、冒険者ルードは困窮しているスカベたちの現状を目にして、神聖教団の僧侶として相談を受け、支援することで、新たな人生を踏み出した。
スカベたちは冒険者たちが大河を渡って来なければ、この先もずっと野生化した鶏や、蚊の幼虫であるぼうふらを餌にしているカエルなどを食糧としている生活を続け、困窮した生活のまま、ゆっくり滅びていくはずだった。
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