第444話

 大河バールの流れは絶えず、上流の山地から中流の荒廃した廃墟が残る平地を流れて、下流の大砂漠の手前の荒れ地まで、滔々とうとうと続いてゆく。

 南の海まで大河バールが続いていた時代もなかったわけではない。

 大怪虫サンドワームが大地を喰らい砂塵と化したことで、南方の大砂漠の手前で地下水脈となって、地下で巨大な蜘蛛の巣のように細い水脈として拡がり、海に還るまでの姿を見ることができなくなっただけである。

 海から昇り風に乗る雲は山地まで渡り、雨や雪として降り注ぎ、やがて湧水から渓流となり、大河バールとしての雄大な水の流れとなる。


 まるで命の力が生き方を何度も変えながら定まることなく、水の流れが姿を変えてゆくように生き、時には心は揺らぎ堕ちながらもさらに生き抜いて死の直前の意識が絶える瞬間まで、前世からの因果や人との関わりの影響を受け入れながら生き直して、やがて死を迎える。

 その後、亡霊ゴーストとなり果てるか、すぐに転生の運命を他の命と合わさり新たに始めるのか、水が時には飲まれ、体内にめぐり、汗ばんだ肌から風と空へ昇り、雲から雨雪となり降り注ぐこともあり、水が海へ還るように、亡霊ゴーストとして冥界へ渡り、また大いなる混沌カオスに還り、海の水が再び山に雨雪として降り湧き水となるように、新たな命として現れ、生かされてゆく。


 大河バールの雄大な流れがある。そよ風が柳の鮮やかな色の若葉としなやかな枝を揺らし、海の砂浜では寄せては返す波音に包まれ、曇り空から降る雨の音が、地に水と一緒に染みてゆくように、生きている人の心にも合わさり……伝わってゆくものと、忘れ去られてゆくものもあり……心が悲しみにとらわれている時には、命そのものが世界を巡る長い歴史からすれば、一生ですら一瞬にすら過ぎないことを忘れがちである。


 他人を許せない、自分を許せない、と悩む時には、大砂漠を喉の渇きに耐えながらオアシスを目指して、一歩ずつ歩いている時のような、悲しみや、時には腹の底に淀んだような怒りすら感じ、自分が生きていることが、大いなる運命の流れに生かされていることを忘れがちである。


――他人のために努力して尽くせば、今はつらくても、生まれ変わって幸せになれるのですか?


 僧侶となったルードに、スカベたちの一人がたずねた。

 神聖教団の神官たちならば、その通りですとあっさり答えて、それに気づいたことを褒めてしまうだろう。


 ルードは尽くすばかりでも、尽くしているのに幸せに思えない自分を責めてしまうのではないかと、たずねてきた人と一緒に考えながら答えた。


「私は他人を信じられず、他人に頼ることは悪いことだと思い込んでしまったことがありました。今は自分を過信しないで、他人には自分にはない力や心があることを認めて、自分の心を責めて悩む前に、信じられる人は誰か、協力し合える人は誰かをよく考えてみることにしました」


 自分が幸せになりたいという目的のために、知らず知らずのうちに利用しようとして尽くすことは、自分を信じられないのと似ていて、他人に自分の幸せをゆだねすぎて、困った時には他人が悪いと、自分だけを許して他人を許せないと思えば、幸せになりたいけれど、誰かのせいでなれないと考えることで、悩んで考えることができなくなってしまう。


「生まれ変われるかどうかに、何か条件があるとは神聖教団の教えでは教えていません。また、幸せかどうかを神聖教団の教えでは、こうすれば幸せになれると決めつけたりしていません」

「とても難しいです……今は、すごく苦しくても、いつか必ず幸せになれると信じられたなら、がんばれるじゃありませんか?」

「そのがんばっているのは、そうしなければ生きてゆけないからと考えて、強制されたり、利用されてしまっていたら、不満に耐えきれなくなるのではありませんか?」


 ルードは、がんばりすぎて大切に思えた人を憎むようになるぐらいなら、時には大切な人に頼ることができるところは何かを具体的によく考えて、メリハリをつけた方が生きやすいと、幸せになりたいと相談してくれた人に感謝しながら、思ったままのことを話した。


 すると、相談していたスカベのその若い女性は泣き出したので、ミーアが交代してルードはその場を離れた。


 食べ物が少なく幼い自分の子が空腹で泣いていた。若い母親は自分は食事を我慢して、見慣れない色の茸だったが、子供に煮て食べさせた。

 子供は満腹になり、満足そうにその夜は眠った。翌朝、ひどく吐いてぐったりとした子供は亡くなってしまった。

 自分が我慢すれば良いと考え、かわいそうに思い、子供にだけ食べさせた。

 その茸は形こそ似ているが毒茸だったとあとでわかった。

 自分は愛している育ててきた子を殺めてしまった。

 だから、生まれ変われば幸せになれるのかと考えて、後悔して一人になると泣き続けていると、ミーアは相談に来た事情を聞いて、その子を亡くした若い母親と一緒に泣いてしまった。

 取り返しのつかないことをしてしまったと後悔している若い母親に、ミーアから事情を聞いたルードは、亡くなってしまった子供は、満腹になったときは愛されていると感じて幸せだったはずで、生まれ変わって幸せになりますから、大丈夫ですと、その後悔している人と一緒に愛と豊穣の女神ラーナの加護あれと、神聖教団の神官が置いていった女神像に祈りを捧げた。


 形がそっくりの白い茸を食べないように、子供に与えてしまったら、回復ポーションを飲ませるようにとルードは、他の訪れたスカベたちにも伝えた。


 祈りだけでは人の心は救われない。

 ミーアが一緒に泣いたことで、後悔しているスカベの若い母親は気持ちがミーアに理解してもらえたと感じたことで、ほんの少しだけ苦悩から離れることができた。


 毒茸さえも食べて生きなければならないスカベたちの状況が悪い。

 若い母親は、なにも悪くない。

 僧侶のルードはそう思った。


 子供のことを優先せずに母親だけが毒茸を食べて腹を満たしていたら、母親が亡くなって、後悔で苦しむことはなかったかもしれない。

 しかし、そんな母親とは子供が一緒に暮らしていても、無事に育つとはルードには思えなかった。





+++++++++++++++++

BGM

イムジン河

悲しくてやりきれない

(ザ・フォーク・クルセイダース)





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