第441話

 月の雫の花の都――エルフェン帝国の帝都には、貧民窟は存在しない。


 冒険者たちの中でも、故郷の村に帰ることもできず、他の仲間とダンジョン探索以外の仕事、たとえば帝都の遊戯場で働いたり、村から別の村へ手紙を届けたりなどの頼まれ事などをすることなども親しい人とのつきあいから頼まれることもない。

 冒険者パーティーから整理解雇されたことで、新たな人脈を見つけることにも億劫おっくうになったり、臆病おくびょうになってしまい、困窮こんきゅうした者たちが、逃げ出すように大河バールを渡った。

 はぐれ者の冒険者たちである。


 彼らは大河バールを渡った先で暮らすスカベたちの過酷な状況を想像していたわけでも、誰かから詳しく教えられていたわけでもない。

 東の果ての海や、シャーアンの都があることも知らなかった。

 ダンジョン探索だけをしていて、世界の情報よりダンジョンの情報や、誰のリーダーのパーティーが景気がいいかという噂話ぱかりを気にして生きていた。

 

 エリザたちは、大樹海の中にあるエルフ族の王国に到着することを目的に旅をしていて瞬間移動ワープしている。

 はぐれ者の冒険者たちは、賑やかな明るい雰囲気の帝都から気まずい感じがして離れたいと思い、逃げ出すように、東へ向かって歩いて旅をした。


 大河バールの渡し守のバヘイという人がいて、はぐれ者たちは小舟で大河バールを渡る。

 金はないが、これで渡らせてくれないかと、手持ちの保存食か、回復ポーションを一つ渡して、はぐれ者たちはバヘイに頼むと、同情したバヘイ夫婦は引き受けて大河バールを渡してやった。

 それは真っ赤な嘘で、はぐれ者たちはまだ通貨を荷物の中に隠している。


 バヘイ夫婦は、帝都で働いている青年バトゥの両親である。

 やって来る旅人に、帝都の噂をこの二人は息子バトゥが無事に暮らしているか聞いてみるのだが、人づきあいが苦手で仕事にありつけなかったはぐれ者たちなので口数は少なく、疲れ切った表情であまり帝都に滞在してなかったから……と気まずそうに彼らは言うばかりである。


 バトゥやミュールの噂を聞いていて、冒険者ギルドで、農作業や草むしりでもプライドを捨て引き受けることにした人たちなら、大河バールを渡りたいと渡し場にやって来ることはない。


 大河バールの雄大な水の流れを見て、漂流中のガルドは感動していたが、はぐれ者の冒険者たちは、この大河に飛び込んでしまうことも未練があってできないと、情けない気持ちに涙ぐんだり、そのあたりにある小石を拾って投げ込んだりしていた。

 ひどく気持ちが、やさぐれかけているのである。


 この大河を渡ったら、この先に何があるのかをバヘイ夫婦にたずねる者もいない。ただ、ダンジョンがあって探索できたり、宿場街があるだろうと頭の中で勝手に決めつけている。


 中原の農村で作物を栽培して暮らしている方が安心して暮らせるのだが、ダンジョン探索で荒稼ぎすることや、分け前で賭け事をしてうまく小銭を稼げたことを忘れられない、または仲間から借金をして踏み倒したりして逃げてきた人たちで、心がひどくさもしく、または卑しくなっているのに気づいていない。


 大河バールを渡り切る直前に大河の流れの中へ小舟から飛び込んで、約束の保存食や回復ポーションを渡し守バヘイ夫婦に渡すのを惜しんで、逃げ出す者までいる始末だった。


 そうしたことをしている人たちの左胸のあたりに、小さな奇妙なアザが浮かんでくる。

 硬貨の刻印に似た二匹の蛇の蛇神の紋章にそっくりなアザが浮かんでくる。


 このアザを商人シャーロットや商工ギルドの職員たちが見たら、信頼されないので融資を断られ、借金を返済して気持ちを入れかえてから来て下さいと忠告されてしまうだろう。


 渡し守のバヘイ夫婦との約束を守らない身勝手でケチな悪いはぐれ者の愚者たちは、河で流されながらも対岸にカエルが這い上がるように、ずぶ濡れになり、河の水をたんまり溺れかけて飲み、息を切らせながら大河を上がってくる。


 こうして、スカベたちの中に素性を隠して左胸のあたりに小さな奇妙なアザが浮かんだはぐれ者がまぎれこむことになった。

 村や街の廃墟しかない地域から、草原や夏でも万年雪が残る高山へ行くまで、彼らは寿命が残されていない。

 蛇神の紋章のアザに身だけでなく、心が蝕まれている。


 やがて、スカベたちの集落からも逃げ出すか、自暴自棄になってスカベたちの集落の決まり事も守らずに厄介者として追い出されることになった。


 大河バールを渡るか、帝都や中原へ大河バールを見て引き返してくるかで、その後の生き方が変わることになる。


 スカベとして生きていくことができれば、過酷な状況でも身を売ってみたり、他のスカベの集落から盗んだりしているうちに、すっかり冒険者の勇敢さや仲間と信頼し合う気持ちが失われたとしても廃墟で夜に眠る前に、暗がりで幼いの頃のただ安心して暮らしていた記憶の破片が心に刺さってしくしく泣いていても、まだ生き直せるチャンスがある。


 他人を愛すことや、自分を大切にする気持ちを取り戻せれば、蛇神のアザの呪縛から解放される可能性はないわけではない。


 スカベとしての荒んだ生き方を捨て、愛する人を連れて草原に渡り、運良くひょわわ羊たちに見つけられたら、祈祷師が呪縛を解いてくれる可能性がある。

 広大な草原で、ユルタの民に出会うまでに苦しい生活をしていたとしても、苦労を重ねた分だけ、他人にも優しい気持ちになれる人になれていれば、愛と豊穣の女神ラーナの加護は最後まで見捨てたりはしない。


 東の果ての海やシャーアンの都、または大砂漠を越えて美しいオアシスやクフサールの都にたどり着くはぐれ者は、歩いて行くには遠すぎて誰もいなかった。


 愛し愛されて生きていくために、心が強くなるまでには、どれだけの苦難や試練を越えなければならないのだろう?

 


 


 

 

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